第78話 ケッセルスタット
酔っ払いに絡まれるというアクシデントはあったものの、魔物の脅威を気にすることなく眠れたので、十分に疲れが取れ、気分もすっきりしていた。
翌朝、起きてから身支度を済ませ、エシュライアンさんの家族が用意してくれた朝食を食べているとニッカルヴィアさんがやって来て補充物資の積み込みが完了したと報告をしてくれた。
朝食が終わり、荷物を持って車庫に向かうとルティーヴァさんが馬を馬車に繋いでいるところだった。
僕たちは荷物の最終確認をしてからシュタビルの家族に感謝を伝え、ケッセルスタットへの旅路に戻った。
レーヴェンスタットからスヘンドルプまでは平原が続いていたけど、そこから先は起伏のある丘陵地になっていた。
そのため街道は坂道が多く路面も荒れ、移動速度を落としても揺れが酷い。コアシートが張られた座席のおかげで突発的な衝撃は緩和されているけど、サスペンションもゴムタイヤも付いていないので、馬車の乗り心地は最悪だった。
そんな苦行の旅路を乗り越え、スヘンドルプを出立してから3日目の午後にケッセルスタットへ到着した。
「皆さんのおかげで予定通りに到着できました」
ダミアンさんはシュタビルの手際の良さを褒めながら、依頼書に完了のサインをした。
「この街道での護衛がオレらの本業だからな!」
「まあ、雨が降らなかったことが一番の理由でやすけどねぇ」
雨が降って地面がぬかるめば馬に負担がかかるし移動速度も落ちる。雨の度合いによっては移動を中止して野営することもある。
「……お前なぁ」
「にひひ、事実でやす」
浮かれていたルティーヴァさんは、冷や水を浴びせられた気分で、悲しげな視線をエシュライアンさんに向けた。
「確かに天気は重要ですが、私は皆さんの手際が良かったからこそ予定通りに旅程を進めることができたと思っていますよ」
「そうだろう、そうだろう、オレらに任せれば間違いない」
さすがはダミアンさん、煽てるのがうまい。ここまで持ち上げておけば、次の機会にも気持ちよく働いてくれることだろう。
「帰りの予定は決まっていませんが、都合が合えば帰りもお願いしたいですね」
「おうよ、その時はまた護衛を受けてやるさ」
「ええ、その時はよろしくお願いします」
最後にダミアンさんとルティーヴァさんが握手を交わし、シュタビルは去って行った。
その後は、ダミアンさんが行商時代から懇意にしていた宿屋に泊まった。
翌日、朝食を済ませて普段よりも仕立ての良い服を着た僕は、ルジェナとカチャを連れて冒険者ギルドへとやって来た。
ちなみに、ダミアンさんは工房の開設手続きをするために行政館へ行っていて、ロドルフは馬車の点検と馬の世話をするため宿屋にいる。
「ちょうどいい時間に着いたみたいです」
ルジェナに続いて冒険者ギルドに入ると、依頼掲示板の前に4人と受付に1人、あとは併設された食堂にいる3人だけだった。
すでに朝の依頼争奪戦が終わって、落ち着いた雰囲気になっている。
「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件ですか?」
空いている受付まで来ると、受付嬢がにこやかな笑顔で対応してくれた。
「こんにちは、依頼の進捗状況を確認しに来ました」
そう言って依頼申請書の控えを受付嬢に渡した。
「……新規依頼の件ですね。説明するための資料を用意いたしますので、右側の通路の先にある会議室にてお待ちください」
僕たちは受付嬢に言われたとおりに会議室へと移動した。
会議室には8人掛けのテーブルセットがあり、僕は入口側の席に座って受付嬢が来るのを待った。
「お待たせしました」
会議室で10分ほど待っていると、先ほどの受付嬢が資料を持って入って来た。
「改めまして、私は冒険者ギルド・ケッセルスタット支部所属のリースヘディと申します」
「ファクチュア工房のアルテュールです。よろしくお願いします」
自己紹介をしてからリースヘディさんは席に着いた。
「まずは依頼申請書が届いた日から昨日までの状況を報告しますね」
リースヘディさんの報告によると、レーヴェンスタットから依頼申請書が届いたのが1週間前の午後だったらしく、内容を確認して掲示板に張り出せたのは翌日の朝になってからだそうだ。
依頼を掲示してから昨日までの5日間に依頼を受理したのは12件で、そのうちの9件が依頼を達成し、残りの3件は遠くまで採取しに行っているため、まだ帰っていないそうだ。
ちなみに、探索されたのは森の外縁部や木材などの資材調達用に作られた林道が中心で、蜘蛛の生息域のうち、探索可能とされる範囲は全体の三割程度だった。
「――ということで、昨日までに27匹分の蜘蛛の腹部が納品されています」
以前に行った試験採取では1日の探索で6匹分の腹部を採取できたので、依頼1件あたり3匹分の納品というのは未開の森にしては少ない。たぶんだけど、もう森の奥への移動を始めているんだろう。
「とりあえず必要な数が採取できているようなので安心しました。あとは採取できなくなるまで依頼の継続をお願いします」
「畏まりました」
本当はレーヴェンスタットと同様に指定量採取依頼にした方が良いんだけど、今回は期間が短いので採り尽くすような事態にはならないだろう。このまま依頼を継続してもらう。
「それと今後の見通しなんですけど、どの程度採取できるか見当はつきますか?」
「依頼書が届いたあとに調べてみたのですが、討伐方法を除けば、『冬には見かけない』という程度の情報しかなかったのです」
なんでも蜘蛛の魔物の魔石は小さすぎて冒険者ギルドでの引き取り金額が低く、唯一素材として使える毒袋は植物系の毒で代用できるため大して需要がないんだとか。
まあ、いくらお金にならないと言っても危険であることには変わりがないから、人の生活圏に現れたり異常繁殖した場合は討伐依頼が出されるそうだけど。
それはともかく、お金にも素材にもならず、ときどき討伐依頼が出されるだけの魔物のために手間暇をかけて調査を行う人がいないため、冒険者ギルドには冒険者たちから聞いた生息域の情報ぐらいしかないそうだ。
「本当に不人気な魔物なんですね」
「まぁ見た目がアレですし、討伐するだけならまだしも、素材を取るにはできるだけ傷を付けないように討伐しなければなりませんので、どうしても……」
リースヘディさんは困り顔で言葉を濁した。
まあ、分からなくもない。とくにルジェナは戦槌を使うので狙いがズレると腹部まで潰してしまうと嘆いていたからね。
「ですが、今回の依頼は料金が高めなので受けてくれる冒険者は多いですよ」
「それは良かった」
生息数はレーヴェンスタット以上なのは分かっているし、冒険者の受けも良いみたいだから、この町に工房を立ち上げることに問題はなさそうだ。
「とりあえず必要なことは聞けたので今日は失礼しますね」
「あっ、お待ちください」
話を切り上げようと席を立ったら、リースヘディさんに止められた。
「納品物の引き取りはどうなさいますか?」
「受け取りの準備ができたら取りに来るので、もうしばらく保管をお願いします」
「はい、畏まりました」
今は宿屋に泊まっていて蜘蛛の腹部を保管する場所がないので、工房を借りてから改めて受け取りに来る。
今度こそ話を終えたので、僕たちは冒険者ギルドを後にした。
「さてと、どうしようか……」
僕は両手を上に伸ばしながら緊張で固くなった体をほぐす。
「待ち合わせ場所に行かないです?」
僕よりも前に建物を出たルジェナが振り返って聞いてきた。
「まだ時間があるから、お昼を食べる前に町を見て回るのも良いかなぁと思ってね」
このあとは工房になる建物を探すためにダミアンさんと合流する予定なんだけど、お互いの用事がいつ終わるか分からないし、案内人に同行してもらう必要もあるから合流するのは午後にしてある。
「そういうことですか。ですが、見て回る時間はそう多くはないですよ?」
「とりあえず雰囲気が分かれば十分だよ」
蜘蛛の採取数が多いということでこの町に工房を立ち上げることにしたんだけど、未開の森が近く冒険者が多いということで、ちょっとだけ治安面を心配している。
ダミアンさんからは『問題はない』と言われているけど、そもそも日本と比べればこの世界の町はどこも危険でしかないから、ダミアンさんの言葉を鵜呑みにすることはできない。
「では、南の外壁沿いを回るのはどうです?」
ルジェナに言われ、僕はダミアンさんに描いてもらった簡易地図を広げた。
そこには北にある溜池を避けるために曲がったヘチマのような町の概形があり、溜池から南西に向かって町中を流れる川が描かれている。
その地図を見ながら場所を確認する。
まず、僕たちが泊まっている宿屋は川の東側、町全体からすれば中央の南側にある。そこから少し北西に移動して川にかかる橋を渡って冒険者ギルドまで来た。そして冒険者ギルドがある広場から南に移動すると、そこには南西門があり、門前の広場から東に延びる道沿いには『候補地』と書かれている場所がある。
「ここは確か工房が多い場所だったよね?」
「そう聞いてるです」
この『候補地』というのは、ダミアンさんが工房を構えるのに適していると判断した場所だ。
他にも候補地と書かれた場所はあるけど、工房が集まっている場所はここだけだ。
「ここに来るまでに通った道とは違うですから、見て回るにはちょうどいいと思うです」
この候補地から東に移動すると、もう1本の橋がある。その橋を渡って北東に進めばダミアンさんとの待ち合わせ場所に行くことができる。
「確かにちょうどいいね。それじゃあ、まずは南の外壁沿いを見て回ろう」
「はいです。が、ちょっと待ってほしいです」
そう返事をしたルジェナは表情を引き締めてカチャの方へと向き直った。
「馬車の護衛ならEランクからでも受けられるですが、身辺警護はCランク以上でなければ受けられないです。これから護衛の役目を教えるですからちゃんと覚えるですよ」
「お、おぅ……」
少々引き気味のカチャを無視して、ルジェナは身辺警護で注意すべきことを説明した。
それによると護衛には戦闘に関することだけでなく、護衛対象との距離の取り方、周辺警戒の仕方、不審者の見極め方やその対処法など、さまざまな技術が必要なんだとか。
「気配を感じて……と言いたいところですが、まずは目と耳で護衛対象の位置を意識しながら行動するですよ」
まだ戦闘訓練を受け始めたばかりのカチャには荷が重い気がするけど、これも訓練の一環なので、僕は口を挟まず見守ることにした。
「お待たせです」
「それじゃあ、行こうか」
「はいです」
「おう」
一通りの説明が終わり、カチャを先頭にして歩き出した。
冒険者ギルドがある広場から大通りを南に進むと、武器屋や道具屋など、さまざまなお店が並んでいて、通り沿いの露店では買い食いをしている冒険者たちを見かける。
そんな活気のある大通りをしばらく歩くと、南西門の前にある広場に到着した。
ここは僕たちが町に入る時に通った南東門と違って、戦利品を入れた荷袋を担いだ冒険者が数多く出入りしていた。
そんな冒険者たちを横目に、僕たちは広場から東へ延びる通りへと入った。
そして歩き始めてすぐに、どこかから怒鳴り声が聞こえたかと思うと、建物と建物の間の薄暗い路地から何かが転がり出てきた。
「なっ!?」
驚いたカチャはその何かに向けて槍の穂先を向け、ルジェナは僕の前に立って頭の上にずらしていたゴーグルをかけ直した。




