書籍第2巻発売記念 ヘラルダの休日
欠落錬金術師の異世界生活 ~転生したら魔力しか取り柄がなかったので錬金術を始めました~ 第2巻発売記念短編。
※ローザンネ一行が自領に帰り、アルテュールが魔力光視症の研究を始めた頃のお話です。
私がフェルデ吏爵家でメイド長として働き始めてから既に4ヵ月が経ちました。
雇われた当初は見習いたちに教育を施しながらお屋敷の仕事をしなければならず、母の協力があっても休みを取ることができませんでしたし、仕事が回るようになってきたと思ったら、ローザンネ様方が逗留することになり、唯一のメイドとしてお屋敷を離れることができなくなったのです。
しかし、つい先日ローザンネ様方がご領地へお戻りになったことで、ようやくお休みをいただけたのです。
という訳で、羽を伸ばすついでに買い物でもしようかと思い、北区の中央広場まで来てみました。
「おじさん、赤ベリーのジュースを1杯頂けますか?」
長いこと歩いて喉が渇いたので、お店巡りをする前に露店で飲み物を注文しました。
店主さんは搾汁器で赤ベリーを搾り、木製のコップに果汁を注いだら2倍の量の水で割って、最後に小さじ1杯の蜂蜜を加えてかき混ぜました。
「はいよ、おまちどうさん」
お金を払ってからコップを受け取り、広場に設置してあるベンチに座って飲みます。
赤ベリーは酸味が強い果物ですが、水で割ることで爽やかな味わいになり、蜂蜜のほのかな甘みも加わって、この暑い時期にピッタリの飲み物です。
「はぁー、……こうしてのんびりできるのも久しぶりですね」
新興のお家ということで忙しいことは考慮していたのですが、お屋敷の環境が整う前に貴族様のご逗留があるとは思いませんでした。
今はリヴィオ準男爵様が訊ねて来られるだけなのでどうにか対応はできていますが、早いうちに来客の対応ができるようにあの子たちを教育しなければいけませんね。
まあ、それはそれとして、今日はお休みを堪能しましょう。
「美味しかったです、ごちそうさまでした」
「おう、また来てくれよな」
空になったコップを店主さんに返し、中央広場から大通りを歩いて北大門の方へ向かいます。
この大通りには王都方面から流れてきた品物を扱う商会が建ち並んでいるので、眺めているだけでも楽しいですが、せっかくなので目に付いた服飾店に入ることにしました。
店内には夏物の服がずらりと並び、ちらほらとお客さんもいるようです。
「いらっしゃい。何をお探しですか?」
「秋物の服は販売していませんか?」
まだ暑い日は続きますが、次にいつ休めるか分からないので、今のうちに秋物の服を買っておきたいのです。
それに、季節外れだと少し安く買えますからね。
「それなら2階にありますよ」
私は2階に上がり、秋物の服を見ていきます。
ここで売っているのは庶民用の服なので、装飾が少なくて地味な色合いの服が多いです。
しばらくの間お店の中を見て回り、普段着に良さそうなブラウスを2枚とボレロを買ってお店を出ました。
「次は化粧品を見に行きましょう」
服に続いて化粧品を買うために雑貨屋に入りました。
高級な化粧品は装飾品店で売っているのですが、あちらはちょっとお高いので雑貨屋で売っている二級品を買いに行きます。
「えっと、無くなりそうだったのは、確かクリームと口紅と――」
自分の分はもちろんのこと、見習いメイドたちにも化粧品と化粧道具を購入しておきます。
あの子たちは化粧品に縁がない生活をしていましたから、まずは勉強をさせないとティーネ様の身支度を任せられません。
「……お腹も空きましたし、食事にしますか」
化粧品を購入して雑貨屋を出たらお腹が『くぅー』っと鳴ったので、食べ物屋を探すことにしました。
大通りのお店はハズレが無くて良いのですが、ちょっと値段がお高めのお店が多いので、脇道の方でお店を探してみます。
大通りから外れると大衆食堂や居酒屋が多くてどのお店にするか悩みましたが、今日はテラス席があるちょっとオシャレなお店に入ることにしました。
「いらっしゃいませ、こちらへどうぞ」
案内されたテラス席に座り、鹿肉のローストとバゲットパンに芋と青菜の煮込み、あとは食後の紅茶も注文しました。
「お待たせしました」
注文してから30分程で店員さんが料理を運んできました。
私はスライスしたバゲットパンに鹿肉のローストを乗せ、香草入りの粉チーズをふりかけて食べました。
噛む度に鹿肉のうま味と濃厚なチーズの風味が口いっぱいに広がり、香草がアクセントになって味が引き締まっています。
煮込みの方は香辛料と果実油が使われていて、少し辛めの味付けになっています。
「あら? あら、あら、あら、なにやら見覚えのある後ろ姿だと思えば、『売れ残りの子豚ちゃん』じゃないですか。私服でしたから気付きませんでしたわぁ」
食事を終えて紅茶を飲んでいたら、背後から独特な話し方で聞き覚えのある声がしました。
振り返って見れば、そこには金色の髪と空色の瞳をした女性が立っていました。
「……お久しぶりです、ペトロネラさん」
彼女は私がメイド見習いをしていた時の同僚で、技能は及第点ギリギリでしたが容姿端麗ということで男爵家に雇用された女性です。
ただ、私を『子豚』呼ばわりしたことで分かるように、性格に難がある人です。
「あー! もしかして、お屋敷を追い出されたから私服なんですかぁ?」
「失礼な! 休日だから私服なのです!」
「あら、あら、引き取り手が見つかったんですねぇ、おめでとうございますぅ」
そう言ってから正面の席に座り、飲み物とデザートまで注文しました。
「何か用でもあるのですか?」
「今日はとても貴重な品物が買えたのでぇ、この喜びをおすそ分けしたく思ったんですよぉ」
何が『おすそ分け』ですか、『自慢しに来た』の間違いでしょう。
男爵家から勧誘を受けた時も、相談したいと言いながらも『困っちゃいますぅ』とか言って自慢していましたから。
「興味はありませんので、どうぞ他の方におすそ分けしてください」
「そんなことを言って良いんですかぁ? 後悔しますよぉ?」
ペトロネラさんは余裕のある表情で切り返してきました。
正直なところ、彼女が有用な情報を持っているとは思えないのですが、今まで見たことがない程に自信満々なので、こちらの自信が揺らいでしまいます。
「……お聞かせていただきたいです」
「うふふ、当然ですよねぇ」
悩みましたが、頭を下げてでも聞かせてもらうことにしました。
ペトロネラさんの勝ち誇った表情は癪にさわりますが、私的な感情で有用な情報を聞き逃すのはメイドの矜持に反します。
「少し前から売られるようになった新しい品物なんですけどぉ、生産数の少なさからお客を限定して販売しているんですよぉ」
「それは、どのような品物なのですか?」
ペトロネラさんが周囲を伺いながら真剣な表情で顔を近づけてきたので、私も顔を近づけました。
「(最新の下着よぉ)」
「……はい?」
あまりに予想外の答えだったので、間の抜けた返事になってしまいました。
日中のこんな場所で話す内容ではないので声を潜めたのは分かりますが、まさかあの真剣な表情から『下着』という言葉が出てくるとは思いませんでした。
美に執着しているペトロネラさんのことなので、装飾品や化粧品の類いだと思っていました。
「それには伸縮する新素材が使われていて、着け心地が良い上に体にフィットすることで美しく魅せることができるのよ」
「は? 伸縮する素材、ですか?」
最近発売された伸縮する素材で作られた下着。
心当たりがあるどころか、それってアルテュール様の工房の商品ですよね?
「ええそうよぉ。これがまた殿方からの評判が良いらしくてねぇ。お屋敷の侍女たちが自慢していたのよぉ」
「へ、へー、そうなのですか……」
言われてみれば、うちのお屋敷には既婚の女性がいないので、殿方からの評価というのは聞いたことがありませんでした。
「でもねぇ、お値段がとんでもなく高くてぇ、上下の1セットで銀貨6枚もしたのよぉ?」
「――はあっ?! ぎ、銀貨6枚!?」
あまりの高額に驚いて、つい声が大きくなってしまいました。
一番安い下着ならば1セットで青銅貨8枚ぐらいで買えますし、私が以前に着ていた下着が銅貨3枚、総シルクの下着ともなれば銀貨2枚以上はする高級品です。
私たちに渡された下着は試験を兼ねた試作品なので無料でしたが、まさかシルクの下着よりも高価だとは思いませんでした。
試作品なので値段は分かりませんが、全種類渡なので金貨2枚以上はするのではないでしょうか?
高価過ぎてちょっと怖いです。
「うふふ、驚いたでしょ? 高価過ぎて私でも1セットしか買えなかったんだからぁ。だけどぉ、アレには金額に見合うだけの価値があるのよぉ」
「価値、ですか?」
「そうよぉ、あなたには関係のない話しでしょうけどぉ、夜のお勤めが捗るのよぉ」
それについては分からなくもないです。
ティーネ様のようにスタイルが良いと、私でも見惚れてしまいますからね。
「本当はあなたに売っているお店を教えてあげたいのだけどぉ、さっきも言ったようにお客が限定されているからぁ、勝手に教えることはできないのぉ。ごめんなさいねぇ」
ああ、なるほど、工房ではなくお店と言ったのは私に北区のお店で買ったと勘違いさせて、無駄な苦労をさせようと思っているのでしょう。
「その限定が解かれる日が待ち遠しいですね」
「そうねぇ、うふふ」
ここで私がフィット・アンダー・シリーズを所持していると伝えれば、ペトロネラさんは悔しがるかもしれませんが、事情を説明したら色々と強請られそうで怖いので、秘密にしておきましょう。
「幸せのおすそ分けも終わったしぃ、そろそろ帰るわねぇ」
「そうですか、今日は貴重な情報をありがとうございました」
ペトロネラさんは私を揶揄うことに満足したらしく、笑顔で帰って行きました。
相変わらずの性格に苛立ちましたが、商品の評価を持ち帰ればアルテュール様からご褒美を頂けるので、お茶を驕る程度なら安いものです。
「本当にありがとうございます、ペトロネラさん」




