第69話 公私混同は良くない
ローザンネさんがお茶会で宣伝してくれたおかげで、フィット・アンダー・シリーズが少しずつ認知されるようになり、ヘンドリカさんがお客に呼ばれるようになった。
それにより貴族女性が購入してくれるようになったんだけど、実はヘンドリカさんの販売数よりも工房での販売数の方が伸びている。
最初は何が起きたのか分からなかったけど、詳しく話を聞いたら、貴族女性たちが購入する場に同席した侍女やメイドが商品を知り、その場では買えないので日を改めて工房に買いに来るようになったんだとか。
予想外ではあったけど、そのおかげで工房での販売数が伸びているので、このまま行けば黒字に転じるのもそう遠くないと思う。
まあ、つまり、まだ赤字ってことなんだけど。
などと考えながら工房の報告書を読んでいたら扉をノックする音が聞こえたので、入室の許可を出した。
「どうしたの? ヘラルダ」
「大変申し訳ないのですが、カチャに任せている作業を他の者にさせることはできないでしょうか?」
カチャに任せている作業とは蜘蛛の解体だ。
今は週に3回ほど冒険者ギルドから蜘蛛の腹部を回収して、解体作業をしてもらている。
ヘラルダはそのせいでカチャのマナー教育が遅れていると文句を言いに来たらしい。
「まあ、そうだよね……」
そもそもカチャはフェルデ家の使用人として雇っているから、ファクチュア工房の仕事を手伝わせるのは筋が違う。
とは言え、現状でカチャ以外に蜘蛛を解体できるのは僕だけだし、冒険者ギルドやお客の出入りがある工房で作業すれば情報の秘匿が難しくなる。
だから、人の出入りが制限されているこの屋敷で作業するのが最適なんだけど、誰でも良い、という訳にはいかない……。
「分かった。解体作業ができる人を探してみるよ」
カチャは『兄たちに教わった』と言っていたから、もしかしたら孤児院に解体作業ができる子がいるかもしれない。
あとでカチャに聞いてみよう。
「ああ、そうだ、話は変わるんだけど、カチャが朝の訓練に参加してる理由を知ってる?」
カチャの話をしていて、気になっていた事を思い出した。
本来、朝の訓練の時間は朝食の準備をしているはずだし、訓練に参加するくらいなら、その時間を解体作業に充てて、午後にマナーの教育を受ければ良いと思うんだけど。
「それが――」
カチャは亡くなった兄たちが『一度は王都へ行ってみたい』という話をしていたのを聞いて、自分も行ってみたいと思っていたらしく、僕が貴族学院に入学するために王都に行くことを聞き、その時に同行しようと目論んでいるんだとか。
「ん? その話がどうして訓練に繋がるの?」
「それについては、ルジェナさんが――」
まだ王都に行けるとは決まっていないけど、その場合は護衛としてルジェナを連れて行くことになっていて、もしもの場合に備えて道中の護衛として冒険者も雇うことになっている。
なので、カチャを連れて行けば守る人数が増えて護衛の負担になってしまうんだけど、ルジェナとしては冒険者の実力も信用できるかも分からないから、できれば裏切る心配がない人を1人は連れて行きたい思っていたらしい。
そこにカチャが王都に行きたいと思っていることを知り、護衛できるだけの実力を身に付けたら『王都行きの同行許可を貰えるように推薦する』と約束したんだとか。
「いや、聞いてないんだけど?」
「ティーネ様はご存じですよ? それに、ルジェナさんの意見にも一理あると思いますよ?」
護衛のことはルジェナが一番理解しているから、まあそうなんだろう。
「んー、まあ、まだ6年以上先の話だから、その時に決めることにするよ」
「確かに今決めることではありませんでしたね」
6年後の状況なんて分からないから、今は決めようがない。
「あとはカチャに話を聞くから呼んでもらえる?」
「畏まりました」
ヘラルダとの話が終わり、解体作業のことを聞くためにカチャを呼んでもらった。
「アル、入るぞー」
返事を待たずに部屋に入ってくるあたり、ヘラルダが文句を言いに来る気持ちがよく分かる。
まあ、ノックをしたのがせめてもの進歩か?
「カチャ、返事を聞いてから入室するように」
「なんだよ、アルまでそんな細かいこと言わなくても良いじゃん」
あぁ、失敗した。これは解体作業を頼んでいる場合じゃなかった。
事の良し悪し程度は判断が付くと思っていたけど、教育を受けてないから肝心の判断基準が身に付いてない。
なるほど、こういうところが『雇いたい』と思われない理由なのか。
「……カチャは僕の王都行きに同行を希望しているとヘラルダに聞いたけど、本当?」
「うっ、メイド長め……、ま、まあ、そうだな」
「そのために戦闘訓練に参加していることも?」
「ルーねぇがファナねぇと同じぐらい戦えるようになったら連れてってくれるって」
ステファナと同じぐらいの強さとなるとDランク、冒険者が護衛依頼を受けられるのはEランクからだと聞いているから、なかなか厳しい条件だ。
「残念だけど、今のままならどんなに強くなったとしても、カチャを王都へ連れて行くことはできない」
「はぁっ、なんでだよ!」
「理由は、さっきの入室のし方やその口調だよ」
貴族学院の生徒は各自の屋敷から通学することになっているし、貴族以外の推薦状を受けた生徒は、推薦状を出した貴族が屋敷に住まわせるか住居を用意するので、学生寮のような施設が無い。
つまり、僕が貴族学院に通うことになればメルロー男爵家に逗留する可能性が高く、そこで今のような態度を取れば、カチャだけでなく僕も屋敷から追い出されることになる。
こればかりは、いくらメルロー男爵家の人たちと懇意であっても、貴族の体面を守るために必要な措置だから、慣れ合いで終わらせることはない。
「そう、なのか……」
肩を落として落胆している姿を見ると、さすがに罪悪感が募る。
「まあ、もしもカチャがDランク冒険者と同等の戦闘技術を身に付け、メイドとしてのマナーを覚えたら、僕の王都行きに同行することを許可するよ」
「っ、ほんとか?!」
「うん、約束する」
カチャに蜘蛛の解体を任せて、マナー教育を遅れさせてしまった責任があるから、せめてもの償いとして魔力操作訓練ぐらいはしてあげよう。
まあ、その程度のことで強くなれるかは分からないけどね。
「王都行きの話はともかく、カチャを呼んだ本題なんだけど、孤児院にカチャと同じように蜘蛛の解体ができる子は居るかな?」
「オレと一緒に兄ちゃんたちから解体を教わってたのが居るぞ、……まだ11歳だけど」
「11歳ということは、もう働き始めてるんだよね?」
「ああ、働いているぞ。たぶん、今は道を掃除する仕事をしてると思う」
その子はカチャと一緒に冒険者の仕事を教えてもらってたけど、兄たちが居なくなり教えてくれる人が居なくなったから、とりあえず町中の仕事をしてお金を貯めているらしい。
「その子に蜘蛛の解体を頼めるかな?」
「受けるかどうかは分かんねぇぞ?」
「まずは仕事の話をしたいから、一度ここに呼んで来てもらえるかな?」
「おう、分かった」
何はともあれ、これでカチャにマナーの勉強をする時間を与えられるし、フェルデ家とファクチュア工房の仕事を切り離すことができる。
「公私混同は良くないからね」
後日、カチャが連れて来たマンフレットという男の子が蜘蛛の解体を引き受けてくれて、まずは週に3日、量が増えればその分だけ仕事を引き受けてくれることになりました。




