第60話 意外な才能
見習いメイドたちを雇ってから数日、滞っていた清掃が行き渡るようになったし、人が増えたことで屋敷の中が明るくなった気がする。
それはともかく、この数日僕は屋敷と使用人の維持にかかる経費の算出に取り組んでいた。
算出した1ヵ月あたりの経費は、屋敷の賃料が金貨1枚で人件費は総額で銀貨7枚と銅貨4枚、食費が銀貨2枚とその他の雑費が銀貨4枚だった。
つまり、合計で金貨2枚と銀貨3枚に銅貨4枚となり、日本円に換算すると月140万4千円で年額に直すと1684万8千円になる。
「母さんの給金は月に金貨2枚だから、毎月銀貨3と銅貨4枚の赤字。……マジか」
吏爵ということで屋敷の賃料は割り引かれているけど、屋敷の維持にここまでお金がかかるとは思わなかった。
引き続き個別の詳細に月額と年額を算出し、最後にルジェナの生活費と酒代として僕が銀貨4枚を払うことを書き加えておく。
今まで渡していた金額より多いけど、屋敷の使用料という理由を付けておけば母さんも反対はしないと思う。
「どうぞ」
母さんに提出する報告書を書いていたら、扉をノックする音がした。
部屋に入って来たのはヘラルダだ。
「アルテュール様、ルジェナさんがお戻りになりました。今は倉庫で片付けをしています」
昨日、冒険者ギルドから『採取品を引き取りに来てほしい』という連絡があったので、ルジェナに回収を頼んでいた。
「それと、冒険者ギルドからの報告書を預かっています」
「分かった。報告書を読み終わったら倉庫に行くから、ルジェナに解体の準備しておくように言っておいて」
「畏まりました」
ルジェナへの伝言を頼んでから、冒険者ギルドの報告書に目を通す。
そこにはアンブッシュ・スパイダーとケイブ・スパイダーの予想される生息域と生息数に採取依頼を加味した場合の討伐難度と運搬にかかる手間などが書かれていた。
「んー、そうなったか。まあ、結論を出すのは実物を検証してからにしよう」
僕は読み終えた報告書を引き出しにしまってから、母屋の隣りにある倉庫に向かった。
ここの倉庫は建物の左半分が個室が並ぶレンタル倉庫のようになっていて、右半分の手前が作業スペースで奥に2台分の車庫がある造りになっている。
また、倉庫の扉は馬車の車体を入れることができるように大きな引き戸になっている。
少しだけ空いている扉から中に入ると、作業スペースに作業台が置かれ、解体用の道具や保管用のガラス瓶などが並べられていた。
「おまたせ、ルジェナ」
「準備はできてるです。で、右の袋にアンブッシュの腹部が4つ、左の袋にケイブの腹部が7つ入ってるです」
ルジェナに渡された解体用のエプロンを着ながら、作業台の脇に置かれている2つのズタ袋の説明を聞いた。
「うん、ありがと」
まずは右側のズタ袋の口を閉じている紐を解き、アンブッシュ・スパイダーの腹部を1つだけ取り出して観察を始めた。
ヴァイト・スパイダーは草や木に紛れやすい草色だったけど、アンブッシュ・スパイダーは土の中に紛れやすいように濃い茶色になっている。
「んー、ヴァイトより大きい気はするけど、そんなに変わらないかな?」
「個体差があるですから」
「それはそうだ」
ルジェナと話ながら採取品の観察を続けたけど、大きな傷は無いし、指示した通りに胸部と切り離した後で体液が漏れないように火で焼いてあった。
「うん、綺麗な採取品だね。それじゃあ、解体を始めよう」
まずは蜘蛛の腹部をひっくり返し、糸出器官の近くからナイフを差し込んで表皮を切り裂くと臓器の位置を確認した。
基本的な構造はヴァイト・スパイダーと同じで大小4つの糸袋もあった。
糸袋に張り付いている臓器をピンセットで掴みながら、小さいナイフで少しずつ切り込みを入れてゆっくりと剥がしていった。
「ルジェナ、トレー」
「はいです」
ルジェナが差し出した鉄製のトレーに糸袋を乗せた。
「ふぅー、やっと1つ、か」
その後も糸袋を傷つけないように慎重に残りの3つを取り出し、最後には糸液を絞り出してガラス瓶に保管した。
「はぁー、疲れた」
今回の解体では物質化を使ってないけど、作業自体が細かくて疲れた。
「お疲れです。残骸を処分してくるですから、少し休憩してると良いです」
ルジェナは解体した残骸が入っているバケツを持って、倉庫の裏にある焼却炉へ向かった。
「なあ、何してんだ?」
「――カチャ?」
ルジェナと入れ替わるようにしてカチャが倉庫に入って来た。
「何って、魔物の解体だよ」
「は? お坊ちゃんのアルが何でそんなことしてんだ?」
「お坊ちゃんって……。まあ、何故と言われても、これは僕の研究だから人任せにする訳にはいかないんだよ」
工房の立ち上げや錬金術のことは伏せて、蜘蛛糸の研究のために自分で解体して素材を集めていることをカチャに説明した。
糸袋とか糸液と言ってもカチャには分からなかったみたいだけど、蜘蛛の解体をしていることは分かってくれた。
「そういうのは冒険者ギルドの仕事だと思ってた」
「まあ、本来はそうなんだけど――」
最初から糸液の採取依頼にできれば楽だったんだけど、冒険者ギルドに任せると糸液の情報が洩れる可能性があるから任せられなかった。
それに糸液が混ざらないように、管理を徹底したかったという理由もある。
「ふーん、そうなのかー」
「……いや、分かってないよね?」
分かりやすく説明したつもりだったけど、カチャは途中から聞き流していたらしく視線を逸らした。
「――んがっ?!」
「何をサボってるです? カチャ」
戻って来たルジェナに背後から後頭部を叩かれ、カチャは両手で頭を押さえて蹲った。
「くぅー、いきなり何すんだよ、ルーねぇ!」
「マノンがカチャを探していたですよ? 目を離したら居なくなった、と」
なるほど、何をしに倉庫に来たのかと思ったら、ただのサボりだったのか。
それにしても、いつの間に『ルーねぇ』なんて呼ぶ仲になったんだろう?
「いや、――っ、そうだ、オレはアルの手伝いに来たんだよ!」
「は?」
「え?」
そんな取って付けた言い訳が通用すると本気で思っているのかな?
「ほほう。じゃあ、カチャに解体をお願いしようかな?」
「おう、いいぞ。マナーってのはよく分かんねぇけど、解体は兄ちゃんたちに教わったからな」
揶揄うつもりで言ったんだけど、カチャは戸惑うことなく袋からアンブッシュ・スパイダーの腹部を取り出した。
「あれ、ほんとに解体できるの?」
「あったり前だ。オレはこんなだから冒険者ぐらいしかできねぇって思ってたから、兄ちゃんたちに教えてもらってたんだよ」
カチャが『兄ちゃん』と呼んでいるのは血縁の兄ではなく、孤児院で面倒を見てくれた男の子たちのことで、数年前に孤児院を出て冒険者になったらしい。
その兄たちに野営や戦闘の訓練だけでなく、解体の手ほどきも受けていたらしく、低ランクの魔物ならほとんど解体できるんだとか。
しかも、野営時に食料が無ければ、比較的どこにでも居て大人しくて簡単に捕まえられる昆虫系の魔物を食べることがあり、解体することにも抵抗は無いらしい。
「た、たべ、そ、そうなんだ。……それなら、なんでメイドになったの」
「そりゃあ、冒険者なんていつ死んでもおかしくねぇからな」
なんでも、カチャに手ほどきをしていた兄たちは、3ヵ月ほど前の依頼中に魔物に襲われて亡くなったんだとか。
冒険者が危険な仕事だと理解していたけど、実際に身近な人が亡くなったことにショックを受けて、冒険者としてやっていけるのか不安になったそうだ。
そんな時にメイドとして雇いたいと言う変人が来たから、採用されるとは思わず揶揄い半分で面接を受けたんだとか。
「……変人、ね」
「だ、だって、孤児の女を雇いに来るのなんて娼館ぐらいなのに、メイドだって言うから……」
孤児院に労働者を探しに来る場合は、人がやりたがらない仕事の場合が多く、メイドを探しに来た人は初めてだったらしい。
「そ、そんなことより、どの部位が必要なんだ?」
「ん? ああ、えっと部位というより臓器の一部なんだけど――」
カチャが解体できるなら僕としても助かるので、解体作業を見せながら糸袋の採取方法を説明した。
「解体ってより料理みたいだな。まあこんくらいならオレにもできるぞ」
「えっ、カチャって料理できるの?」
面談の時に『荷運びの仕事をしていて力仕事が得意』と言っていたけど、料理ができるとは聞いてない。
「ん? 焼くのはできるぞ」
「……焼く?」
「おう、焼いて塩をかければ大体食える」
なんたる、ワイルド。
しかし、それを料理と言ったらバルテルに怒られると思うけど……。
「道具を借りるぞー」
カチャは蜘蛛の腹部にナイフを入れて2つに割ると、開いた状態を維持するために鉄串を刺して作業台に固定した。
「内臓はナイフを使わない方が楽なんだよ」
そう言ってカチャはドロッとした体液と臓器の中に両手を突っ込み糸袋を掴むと他の臓器との間に指を差し込んで剥がしていった。
「ほれ、終わったぞ」
ドロッとした体液と臓器の中に平然と手を突っ込んだ時にはドン引きしたけど、カチャは僕がやるよりも早く綺麗に糸袋を取り出して見せた。
「おお、完璧だよ(自分ではやりたくないけど)」
まさかカチャにこんな特技があるとは思わなかった。
「ふふん、すげぇだろ!」
「うん、うん、すごい、すごい。それじゃあ、残り1つと隣りに置いてあるケイブ・スパイダーもお願いね」
「えっ?」
「その代わり、今日はマナーの勉強をしなくていいから。じゃあ、よろしくね」
勢いついでに残りの解体もカチャに任せて僕はそそくさと倉庫を出た。
◇◇◇
カチャに解体を頼んだ翌日、早速糸液の検証を始める。
今回は2種類の蜘蛛から採取しているので、糸袋の種類毎に分けて全部で8つのガラス瓶に保存してある。
その中でC液とD液は糊のような粘着性と乾燥時の硬化の仕方で分かるので除外し、残りの糸液は真綿にすることでA液とB液も分かった。
まあ、ここまでは想定通りだ。
次は異種同液の混合実験をしてみる。
この実験は蜘蛛の種類が違っても糸液が同じなのかを検証する実験で、糸液を混ぜて真綿にすることで検証する。
まずは両種のA液を同量ずつ瓶に入れ、よくかき混ぜてから真綿にしてみたけど、出来た真綿は単種で作った真綿と違いは見られず、強度にも違いはなかった。
続けて錬金術で合成を掛けてから糸状にしてみたけど、こちらも違いは見られない。
「これなら種は違っても同じ糸液だと判断して良さそうだ」
次にB液でも同じ検証をしてみたんだけど、こちらは違う結果が出た。
単純に混ぜただけだと細切れで糸くずのような状態になってしまったし、錬金術で合成を掛けても劣化した輪ゴムのように引っ張るだけで千切れてしまうほどに脆かった。
「混ざってない? それとも混ぜると脆くなる?」
どちらの糸液も単種で糸化すれば伸びきっても簡単には切れないのに、混ぜると切れるということは、B液は『似て非なるもの』ということだ。
その違いを分析してみたいけど、残念ながらその違いを分析する方法が無い。
まあ、今は『混ぜなければ良い』ということが分かれば十分だろう。
「終わったです?」
真綿器を回し続けていたルジェナが疲れた声で聞いて来た。
「まあ、一先ずはね」
ヴァイト・スパイダーとの混合実験は残っているけど、糸液が使えることは分かっているから、混合できなくても大した問題は無い。
「終わったのなら、片付けて良いです?」
「そうだね、片付けよう」
僕は次のことを考えながらルジェナと一緒に道具を片付けた。




