第58話 母さんのお仕事
屋敷に戻ってしばらく経ってから母さんたちも帰って来た。
「母さん、おかえりなさい」
「ただいま」
僕たちが玄関に出迎えに来た時には、御者とヘラルダさんが馬車からトランクケースを降ろしている最中だった。
「ルジェナ、このケースには仕事の資料が入っているから執務室に運んでちょうだい。ファナは残り2つのケースをわたしの寝室に運んでちょうだい。ヘラルダは夕食の手伝いをお願い」
母さんはテキパキとみんなに指示を出してから僕のところに来た。
「アルには話があるから、部屋までついて来て」
「うん」
僕は母さんとステファナの後に続いて2階に上がった。
母さんの部屋はいわゆるスイートタイプの部屋なので居間と寝室に分けられていて、居間にはソファーセットだけでなく、簡単な調理ができるカウンターキッチンとダイニングテーブルセットも置いてある。
また、寝室の方には天蓋付きのベッドと鏡台が置いてあり、家主専用の衣裳部屋まで付いている。
「着替えて来るから、その間にこの手紙を読んでおいてね」
渡された手紙は開封済みで、封蝋にはメルロー男爵家の蜂と花の紋章が入っている。
「うん、分かった」
母さんがステファナを連れて寝室に行ったので、僕は居間の中央にあるソファーに座って手紙を読み始めた。
入っていた手紙は全部で4枚、1枚目には貴族らしい季節に合わせた挨拶とトビアスさんたちの近況が書かれていて、2枚目にはガラス工房の様子や販売状況、3枚目にはメガネの販売を開始したこととその反響が書かれていた。
そして、最後の1枚には……。
「魔力光視症?」
最後の手紙には魔力光視症という魔力が光って見える先天性異常を持って産まれた子どもの話が書かれていて、その子の父親から『メガネで魔力光視症を抑えられないか?』と問い合わせがあったことも書かれていた。
当然ながらメルロー男爵家の人たちはメガネについて理解をしているから、『そうした効果はありません』と返事をするつもりだったらしいんだけど、メガネを作った錬金術師であれば何か知っているかもしれないと思い、母さんに確認してもらうためにこの手紙を出したらしい。
おそらくトゥーニスさんに問い合わせた人は『視覚に作用する』という点に期待したんだろうけど、メガネには視力を補正する効果しか無いので答えは変わらない。
ちなみに、光という点で言えばサングラスがあるけど、あれには眩しさを軽減する効果はあっても特定の光を遮る効果は無い。
「いや、それ以前に魔力が光って見える理由ってなんだろう?」
普段は見えないけど、魔力霧やルドのように条件次第で見える場合があることは知っている。
だけど、魔力光視症の人は見えない状態の魔力が光って見えると言う。
見えないものが見える、……幽霊、とか?
「おまたせ」
あれやこれやと魔力光視症について考えていたら、いつもの服に着替えた母さんが寝室に繋がる扉から出てきた。
母さんはそのまま僕の隣りに座り、着替えを手伝っていたステファナは夕食の手伝いをするために部屋を出て行った。
「――母さん?」
「久しぶりにドレスを着たから、ちょっと疲れちゃって」
僕に抱き着いても疲れは取れないと思う……、役に立ってるなら良いけど。
「……それで、魔力光視症のことなんだけど」
母さんが離れてくれないので、僕はそのまま話を始めた。
「あぁ、それは気にしなくて良いわ。閣下の要望だからアルにも手紙を読ませたけど、気にする程のことではないわ」
「えっ、でも」
「先天性異常は怪我や病気ではないから治療はできないし、日常生活が不便だといっても、命の危険は無いでしょ?」
以前に重篤な疾患や異常を持って産まれた子どもは、そのほとんどが産まれてすぐに亡くなると聞いたことがある。
そうした人たちに比べれば命の危険は無いけど、突き放すような言い方が気になる。
「それなのに閣下が手紙にしたためたということは、何かしらの思惑があるからでしょうね」
「それなら、むしろ……」
「アルに閣下の要望を叶える自信があるなら受けてもいいけど、そうでなれけば安易に手を出すべきではないわ」
トゥーニスさんは誠実な人だとは思うけど、貴族らしい駆け引きもする人だから、何かしらの思惑がある可能性は高い。
魔力に関することだから興味はあるけど、トゥーニスさんの思惑に乗って失敗するぐらいなら最初から受けない方が安全だ。
「この件については、それらしい理由を付けて断わっておくわ」
「それじゃあ、『検証できないから不明です』って伝えておいて。魔力光視症の人がいないと検証できないのは事実だから」
「そうね、そう伝えておくわ」
メガネでどうにかなるようなことじゃないけど、検証もしないで『できません』とは言えないし、僕が錬金術師だったとバレた時に問題になるから『連絡が取れません』という嘘はつくべきじゃない。
「次はわたしの仕事を説明するわね」
「うん」
母さんに与えられた仕事は政務局の内政課に所属するフォッケル内政執行官の補佐で、その人が高齢で引退が近いため後任になることを前提に補佐役に任じられたらしい。
ちなみに、その内政執行官というのは領主の指示によって領政法の立案や改訂を行う役職なので、国政と領政の双方を勉強をした人でなければ就くことができず、今まで後任が見つからなったらしい。
「それで、今は徴税が始まる直前で忙しい時期だから、明日から働いてほしいと言われたのよ」
徴税自体は財務局の納税課の管轄だけど、徴税品の運搬と護衛は領兵が担当するし、運搬用の馬車を確保したり保管場所の割り振りは政務局の内政課が担当するので、関係部署は人手が足りなくなるほどに忙しいんだとか。
「それなら屋敷の管理は僕が何とかするよ。屋敷の備品や消耗品はヘラルダさんに聞けば分かるし、雇用に関してはルジェナが経験してるから、しばらくの間なら大丈夫だと思う」
母さんが忙しいのは2ヵ月程度らしいから、その間だけ人とお金の管理ができれば問題は無いし、母さんへの報告も欠かさないつもりだ。
「そうね、アルが引き受けてくれると助かるわ」
「うん、任せて」
なんだか、乗せられた気がするけど、母さんの役に立てるなら喜んで乗りましょう。
「ティーネ様、アル様、お食事の準備ができました」
「ええ、すぐに行くわ」
話が終わって一息ついたタイミングでステファナが呼びに来た。
引っ越して来たばかりの頃は手間がかからないように調理場で4人で食事をしていたけど、使用人を雇ってからは、僕と母さんは食堂の8人用のダイニングテーブルで食事を取り、ステファナとルジェナは調理場で他の使用人と一緒に食事を取るようになった。
2人がいない食事は違和感と寂しさがあるけど、お互いに立場があるからこの状態に慣れるしかない。
夕食を済ませた後のお風呂はいつものように4人で入った。
そして、湯冷めしないうちに寝ようと自室に向かっていたら、なぜか母さんに捕まった。
「あの、母さん?」
母さんのベッドに連れ込まれて、放してくれる様子がない。
「明日から忙しくなるから今夜ぐらいは、ね」
普段は毅然とした態度を崩そうとしないのに、今日は少し様子が違う。
母さんは何も言わないけど、行政館で何かあったのかもしれない。
「おやすみ、アルちゃん」
「うん、おやすみなさい」
……仕方がないから、今日ぐらいはおとなしく抱き枕になっていよう。




