第55話 縁故採用
翌日から生活環境を整えるために動き始めた。
最初に向かったのは辺境伯邸で、到着の報告と面会の申請をしたんだけど、辺境伯様は領内の視察に出かけていて不在だったので、面会の予定が決まったら連絡をくれることになった。
次に、引っ越したばかりで屋敷の食料庫が空だったので、商会が集まる北区の中央広場まで馬車で行き、小麦に肉や野菜などの食料品を購入し、塩と砂糖に胡椒などの香辛料も購入した。
ついでに、道中は護衛をしていてお酒を飲めなかったルジェナのために、ワインだけでなく蒸留酒も多めに購入した。なお、お酒の購入代金は僕が全額お支払いしました。
他にも細々とした日用品や消耗品を購入したり、母さんは爵位に合わせてドレスや普段着を買い揃えたりもした。
そうして生活環境は徐々に整って行ったんだけど、残念ながら使用人の雇用が進んでない。
その最たる原因はコネが使えないことだ。
元は日本人なので縁故採用に対して良いイメージが無いんだけど、この世界では技能は二の次で、出自や人柄を保証してくれる縁故採用が主流になっている。
そもそも、この世界で日本のように求人募集をして応募者が来たとしても、それが本人かどうか分からないし、履歴書を書かせたとしてもその内容が事実かどうか調べる術がない。
極端な話、応募者が犯罪者だったとしても本人が言わなければ分からない、ということだ。
そんな環境なんだけど、カウペルス家と縁を切ったから実家のコネは使えないし、寄親に近い立場の辺境伯様はヴェッセルさんを連れて町を離れているから頼むことすらできない。
仕方がないので、領政府の雇用課という部署で使用人として雇えそうな人を紹介してもらっているんだけど、雇用課で紹介される人というのは縁故採用から漏れた人だから、色々と問題がある人が多くて採用が進んでいないという状況だ。
と、まあ、そんな感じで2週間を過ごしていたら、髪を短く切り白い軍服を着て身だしなみを整えたヴェッセルさんが訪ねてきた。
ちなみに、その姿がいつもと違い過ぎて笑いそうになったのは、内緒だ。
「屋敷は気に入ったか?」
ヴェッセルさんは応接室のソファーに座り、お茶を一口飲んでから母さんに声をかけた。
「ええ、とても気に入ったわ」
「そうか、それは何よりだ」
この屋敷を用意してくれたのはヴェッセルさんで、行政館で鍵を受け取った時に添えられていた手紙には、屋敷の住所と整備を済ませてあることが書かれていた。
まあ、実際に屋敷の整備をしたのは辺境伯家の使用人らしいんだけど。
「今日は様子を見に来たってのもあるが、言伝もある」
「言伝?」
「ああ、親父との面会が決まった。日程は5日後の午後2時、場所は行政館の応接室だ。それに加えて、今回は吏爵の叙爵式を行うことになった」
「ちょっと待って、叙爵式なんて聞いてないわよ?」
「そりゃあ、普通はやらねぇが、ティーネは外部から来た女吏爵なんだ、周知は必要だろ?」
言われてみれば、今まで辺境伯領で働いていなかった女性がいきなり吏爵として働くことになれば、様々な軋轢が生まれる。
つまり、辺境伯様は叙爵式を行うことで、周知と牽制をしてくれるんだろう。
「……辺境伯様に『承知しました』と伝えてもらえるかしら?」
「ああ、伝えておく」
「それで、ヴェルの話はそれだけかしら?」
「ん? いや、もう1つあってな……」
ヴェッセルさんは言葉を切ってから、給仕をしているステファナにちらりと視線を向けた。
「ドロテアのことを覚えているか?」
「確か迎賓館を担当していた、ご年配のメイドよね?」
母さんはヴェッセルさんの婚約者だった頃に、親交を深める目的でこの町に来たことがあって、その時は辺境伯邸の迎賓館に宿泊していたらしいので、その時に会ったことがあるんだろう。
「ああ、そうだ。実はそのドロテアの娘がメイドの仕事を探しているんだが、今は紹介できるところが無くてな」
「それで紹介してくれる、と?」
「ステファナが給仕をしてるくれぇだから、メイドは雇えてねぇんだろ?」
「ええ、メイドは良い人がいなくてね」
母さんは肩をすくめておどけて見せたけど実際はかなり大変で、寡婦ということで見下すような態度を取る人や雇用条件をつり上げようとする人が多くて、この2週間で雇えたのは、Fランク冒険者兼料理人のバルテルさん32歳と、北区の商会で馬丁をしている男性の息子のロドルフさん17歳の2人だけだった。
「それなら丁度良い。ざっと紹介すると、ドロテアの娘はヘラルダという名で歳は16、私塾を出てっから読み書きと計算はできるが魔法は使えねぇ。メイドの仕事はうちの屋敷でドロテアが仕込んだから一通りできる(……まぁ、ちょいと見た目はアレだが)」
最後の一言は聞き逃すとして……、私塾というのは読み書きと計算だけを教える小さい学院で、私人が運営しているから塾と呼ばれている。
特徴としては入学対象者の年齢が不問で在学期間が2年と短いことだ。
「せっかく紹介してくれるのだから優先して面接をしましょう。そうね……、時間が空くのは明日の午後が一番早いのだけど、来れるかしら?」
「今はドロテアの手伝いをしてるだけだから問題はねぇだろう。ここに来るように伝えておく」
「ええ、お願いね」
面接とは言っているけど、お世話になっているヴェッセルさんから紹介された以上、多少の問題があったとしても『雇わない』という選択肢は無い。
「できれば、あと何人かメイドを紹介してもらえないかしら?」
「うちで教育しているメイドはヘラルダが最後なんだよな……」
辺境伯家では、いつ人員の入れ替えがあっても対応できるように、常に使用人の教育を行っていて、技能と礼儀作法を学んだら正式に雇用するか別の働き口を紹介するらしい。
そして今年は3人のメイドが結婚退職したらしく、3人は辺境伯家で正式雇用となり、1人は別の貴族家で採用され、残ったのがヘラルダさんだったんだとか。
「でもそうなると、商業ギルドで紹介してもらうしか手段がないのよね」
「それはうまくねぇな。それにアルの工房のこともあっから、商業ギルドは止めといた方が良いだろう」
商業ギルドでも労働者を斡旋しているけど、会員登録すれば誰にでも仕事を紹介する、という方針だから有象無象が集まりやすく、なおかつどこかの間諜が紛れていることもあるので、安易に手を出さない方が良いらしい。
「でも、雇用課で『もう紹介できる人がいない』と言われてしまったのよね」
「そうか……、それなら孤児を雇ったらどうだ? 技能は期待できねぇが、仕事を覚えて正式雇用するまでは生活の保証と駄賃程度で済むし、何より紐付きじゃねぇのが良い。教育はヘラルダに任せれば問題はねぇだろうし、何ならドロテアにも協力するように言っとくぞ?」
そう言われると、技能面を除外すれば条件は良いかもしれない。
その技能面についても教わっていないだけで無能という訳じゃない、はずだ。
「……そうね、一から育てた方が忠誠心も高くなるから安心よね。でも、それはヘラルダさんの面接をしてからの話ね」
まだ決定じゃないけど、とりあえずメイドの雇用が何とかなりそうで良かった。
「ヴェッセルさん、僕もお話をして良いですか?」
「おう、良いぞ」
2人の話が一区切りしたみたいだから、次は僕の話を聞いてもらう。
「前にお願いしてた工房長のことなんですけど、蜘蛛の調査に時間がかかるから、もうしばらく先でも良いですか?」
冒険者ギルドなら魔物の分布をある程度は把握していると思うけど、そもそもこの町の周辺に蜘蛛の魔物がいるとは限らないし、仮にいたとしても安定して狩れるほど生息しているとは限らない。
それに別種の蜘蛛がいれば糸液が使えるか検証もしてみたい。
加えて今後は冒険者ギルドに採取依頼を出すつもりだから、依頼のランク設定と採取方法や金額を決める必要もある。
検討することが多くてすぐに動きだせない。
「それで構わねぇが、俺は依頼で出かけてることが多いから、いつ契約できるか分からねぇぞ?」
「急いでる訳じゃないから、契約は準備が整ってからで良いです」
「それなら準備が整ったら屋敷に連絡を入れておけ。都合がつく時に対応してやる」
「はい、お願いします」
ガラス事業の時と違って今回は急ぐ理由がないし、ヘルベンドルプとレーヴェンスタットでは環境が違うから調査報告を加味して事業計画を練り直す必要がある。
「それじゃ、用事も済んだことだし俺は帰るぞ」
「ええ、今日はありがとう。色々と助かったわ」
「おう、気にするな」
ヴェッセルさんはそう言ってから、手をひらひらと振りながら帰って行った。




