第51話 形勢逆転?
僕が覚えている限りガラスの製造方法に関係する書籍を読んでもらった記憶はない。とはいえ、言葉が分かるまでに読んでくれた書籍の内容は理解できてないから、そんな書籍があってもおかしくはない。
これは、かなり形勢が悪い。
でも、これで子爵が『ガラスの情報を話せ』と言っていた理由が分かった。
ガラスの製造方法を比較して判断するつもりだったんだ。
理屈は分かるけど、どんな理由でも情報を出してしまえば取り返しがつかない。
それに、子爵は『ガラスの情報を売ったこと』ではなく、『益になると知りつつ黙っていたこと』が罪だと言っている。
技術情報については『模倣されたり情報を抜かれる方が悪い』という風潮があるから、それを罪には問えないけど、それが裏切りによる結果だった場合は背信の罪として裁くことができる。
ちなみに、この背信を問えるのは貴族の特権で、爵位を持たない人は背信の罪を問うことはできない。
こんな風に法律が偏っているのは、上位者が優先されるように作られているからだ。
と、まあ、それはさておき、僕は母さんが子爵家にいたときに、ガラスの製造方法を知らなかったことを証明する必要があるわけだ。
その方法の1つが子爵が言ったように、技術情報を比較することなんだけど、技術情報を開示することはできない。かといって、逆に僕が教えてもらって『技術情報が違います』と言っても信じてもらえるか分からない。
「子爵様は『透明なガラスの製造方法に関する書籍』と言いましたけど、それを見せてもらうことはできますか?」
「おまえは、自分が見せないものを人に見せろと言うのか?」
そう言うだろうとは思った。僕だってそう言われたら『わがままなヤツだ』と思うから。でも、内容を知れば僕の手札が増えるから、できれば見せてほしい。
「だけど、母さんがその技術情報を売ったというなら、それを知っている僕に見せても問題はないと思うんですけど?」
「そして、おまえが判断するのか? それを私に信じろと?」
「いえ、別に信じてもらう必要はありません。母さんの無実を証明するために知っていた方が早いと思ったからです」
子爵が『盗まれた技術情報』だと思っていれば、いまさら隠しても意味はないはずだ。
ただ、本当に情報が違った場合に、子爵家の技術情報が洩れる可能性を考えて、僕に技術情報を開示するように言っているんだと思う。
子爵はしばらく考え込んでからディトネルに書籍を持ってくるように言った。
「良いんですか?」
「このまま睨み合っても意味がないからな。ただし、見せるのはガラスに関する記述の部分を書き写したものだ」
「書き写した? もしかして他の技術情報も記載されているんですか?」
「そうだ、だから安易には見せられない」
子爵が譲歩してくれるとは思わなかった。
それについてどんな思惑があるのか分からないけど、複数の技術情報が記載されている書籍にもちょっとだけ興味があったりする。
それからしばらくして、ディトネルが3枚の紙を持って来た。
「父上、確認を」
「ああ」
先にボスマンが内容を読んで問題がないことを確かめてから渡してきた。
僕はそこに書かれている内容を読んで、ちょっと困惑している。
「あの、ガラスに関する記述と言っていましたけど、これだけだと情報としては不十分ですよね?」
「ほう、本当に分かるのだな。その通りだ、それはガラスの製造だけではなく、他にも応用が利く技術を使ったものだ。その技術の根幹は別に記載されている」
なるほど、随分と譲歩したと思っていたけど、僕が技術情報を理解できているかは半信半疑だったから、ガラスの技術情報の一部だけを見せたということか。
しかも、その書籍はガラスの製造方法の書籍ではなく、その技術と使い方をまとめた技術書で、ガラスに関しては技術の応用の1つでしかないということだ。
だけど、その技術が現在実用化されていないということは、この技術が不完全だった可能性がある。
「子爵様はこの技術を再現できたんですか?」
「……まだ、実験途中だ」
やっぱり再現はできてないみたいだ。
子爵は本当に母さんがこれを完成させたと思っているのだろうか?
「子爵様、信じるかどうかはお任せしますが、この技術情報はメルロー男爵に渡したものとは全くの別物です」
「……どうやってそれを証明する?」
「証明できる、とまでは言えませんけど、まず、この技術を使おうと思ったら通常の規模の工房ではできないと思うんです」
子爵に渡された紙の内容を要約すると『珪砂を粉末状に砕き、ガラス成分だけを溶かす専用の溶解液で溶かし、ガラス成分とそれ以外の不純物に分離する。その後ガラス成分が溶けた水溶液を中和して、結晶誘発剤を入れてガラス成分を再結晶化させる』となる。
僕は最初に『この技術は塩から混ざりものを取り除く技法を元に作られた技術ではないか』と説明した。
この世界の塩には小さな砂が混ざっていることがあるから、料理で塩を使うときは塩を水に溶かして塩水だけを使っている。
この『溶かして分離する』という着想が似ているからそう思った。
とはいえ、ガラスは水に溶けないから専用の溶解液を作ったんだと思う。
その溶解液の作り方や性能は分からないけど、ここで問題になるのはその量だ。
紙に書かれているのは、珪砂が10gに対して溶解液が300mlで中和剤も300mlとなっている。
つまり、10gのガラスを作るのに600mlの液体が必要になる。
これで300gのガラスのインゴットを作るには30倍の18lの液体が必要になり、インゴットを10個作るには、さらに10倍の180l液体が必要になる。
この180lとは大体お風呂1杯分だから少なく感じるけど、溶解液と中和剤を安全に作るには相応の広さが必要になると思う。
液体の入れ替えや中和剤を入れたり結晶化を待つ間の保管とか、とにかく場所を取る。
それに毒ガスの発生や溶剤の処理などにも気を使わないと、工房の周りが汚染されてしまうかもしれない。
「この技術の正否はここに書かれている記述だけだと判断できないけど、普通の工房の規模だと面積が足りない。それに周辺への環境被害も気になるから、この技術を取り入れて工房を作るなら周りに何もない場所じゃないと、何かあったときに大惨事になると思う」
ここまで説明して子爵たちを見ると、目を丸くして驚いている。
おもむろに後ろを振り返って2人を見ると、こちらはこちらで呆れたような表情をしていた。
やり過ぎた? いや、もう押していくしかない。
「……本当に、違うのか?」
「ええ、違います。この溶解液と中和剤のことはここに書かれていないから、確証はないけど、作るのにかなりの手間がかかるんじゃないですか?」
「――っ、そうだ。まあ、まだ完成はしてないがな」
実験中と言っていたのは、溶解液と中和剤のことだったのか。
「それと、もう1つ。この技術で透明なガラスを作ったとして、300gのガラスを銀貨6枚で売って、利益が出るんですか?」
溶解液や中和剤を作るのに手間がかかるだろうし、溶かすのに2時間かかって、不純物が沈殿してから上澄みだけを移し替えて中和する。さらに結晶誘発剤を入れて再結晶化するのを待つのに1日かかる。
これを銀貨6枚で売ったら赤字になりそうだ。
「……それをマルティーネが解決したのだと、思っていた」
「いえ、父上、それが真実だとは限りません。そもそも、子どもの言うことを真に受けてどうするのです。確かにこの技術にはそうした不利な面がありますが、それを姉上が解決したからこそ売ったのでしょう?」
子爵の方は納得できたみたいだけど、ディトネルは反論してきた。
確かに僕が言ったのは推測でしかないし、何かの手段があるのかもしれない。
「それを解決できる人がいないから書籍があるのに運用されてないんでしょ?」
「姉上が解決したんだろう?」
「どうやって解決するんです? 母さんは学者でもない普通の女性ですよ? それに、そんな母さんが解決できて、他の人が解決できないというのは、関わった人たちは『私は無能です』と公言しているようなものじゃないですか?」
ディトネルは腹を立てて睨んでくるけど、そんな子どもみたいな言い分は通らない。
「そもそも、この屋敷にいたときの母さんにそんなことをしている余裕がなかったことなんて、あなたが一番知っているでしょ?」
そう言って僕はディトネルを睨みつける。
子爵はともかく、ディトネルは弱っている母さんに嫌みを言いに、わざわざ来ていたぐらいなんだから、よく知っているはずだ。
「本当に違うのだな?」
「違います。詳しくは言えませんけど、メルロー男爵に教えたのはガラス炉を使いますから、こんなに手の込んだことはしません」
ガラス炉を使うことは誰にでも分かることだけど、今の凝り固まった思考をしている子爵には十分だろう。
「……1つ聞きたい」
「なんですか?」
「おまえならこれを完成させることができるか?」
「さあ? 情報の全てを見せてもらってないから、何とも言えません」
技術情報の内容には興味があるけど、溶解液とか中和剤とか劇薬みたいだから関わりたくない。
「これで納得してくれましたか?」
子爵は腕を組んで目をとじて考え込んでいる。
その一方でディトネルは相変わらず睨んでくる。
「分かった、マルティーネに対する背信の嫌疑は取り下げる」
「――っ、ありがとうございます」
「父上っ?!」
良かった、これで罪に問われることはない。
「だが、マルティーネは子爵家の所属に戻す」
あぁ、やっぱりそう来たか。




