第5話 小さな溝
微笑んだら好きって、この人は本当に何を言っているんだろう? ストーカーみたいな思考回路をしていて本当に気持ちが悪い。
「……あの、それだけ、ですか? それだけの理由で『あなたを好いている』と思われたのですか?」
「それだけ、だと! あの娼婦は『好きじゃなければ、笑顔は向けない』と言っていた!」
「娼婦? あぁ、アウティヘルさんは領都に行った時に娼館に行ったのですか」
「――っ、あ、いや、その、知り合いに、無理やりに、だな」
なるほど、領都から帰ってきたら態度が変わっていたのは卒業したからだったのか。しかも、娼婦の発言を鵜呑みにして『好かれている』と勘違いした、と。
「俺は行く気はなかったんだ。ただ、あいつに連れていかれて……だな」
アウティヘルは必死に娼館に行った言い訳をしている。そんなに必死になるなら、行かなければ良いのに。
「いえ、別にアウティヘルさんが娼館に行ったことなど、どうでもいいのです。ですが、笑顔で挨拶をしただけでそう思われるのでしたら、今後はアウティヘルさんに挨拶する際には『虫けらを見るような目』で挨拶をすればいいのですね?」
「――っ、母さん、それはちょっと可哀そう、だと」
母さんの目がちょっと怖いです、しかも悪役令嬢っぽいので止めてほしいです。
「あぁ、ごめんなさい、アル。そうよね、虫けらだと踏みつぶしてしまいそうですものね。それでは……馬糞でどうかしら? 踏みたくないでしょ?」
「ティーネ様、アル様の教育上良くないので止めてください。せめて石ころ程度にしておいてください」
アウティヘルどころか、村長さんとケティエスさんも背筋を伸ばして顔を青ざめさせている。
こわい、わが家の女性たちはお怒りです。もう止められません、ごめんなさい。
「あ、そ、それで、結婚の申し込みとは、どの様にされたのですか?」
いち早く正気に戻ったケティエスさんが、結婚を申し込んだ過程をアウティヘルに聞いた。
好意がどうこうと言うより、結婚の申し込みとその返事が正しいものなら、母さんに非があることになる。
「えっ、あ、ああ。防壁の補修が終わった報告をした翌日、ティーネに『君の花を手折って良いか?』と聞いたら、『良いです』と返してきただろ?」
「……? それが、どうして結婚の申し込みになるのですか?」
母さんがその時の会話を思い出そうとしている間に、ケティエスさんが不思議そうに質問をした。
「は?! 知らないのか?」
「ええ、知りません。ですから聞いたのですよ?」
アウティヘルはこの場にいる全員を見渡したけど、誰も知っている人はいなかった。
「……あいつに聞いたんだ、有名な作家が書いた物語になぞらえて『君の花を手折りたい』と言って結婚の申し込みをするのが最近の流行りだって」
物語からの引用か、『月が綺麗ですね』って言うのと同じか。
でも『君の花を手折りたい』の君の花って多分女性のことで、それを手折りたいってなると、結婚の申し込みと言うより『あなたを抱きたい』って意味に聞こえるんだけど?
「何と言う名前の作家ですか?」
「確か、ミード・ナイ……何とか、だったと思う」
「変わったお名前ですね。……ですが、聞いたことはありません」
子爵家にいた時に物語も読んだけど、そんな作家は聞いたことがない。他国の作家かな?
「アウティヘルさんのお話を聞いていると、聞いたことや教えられたことばかりを参考にして、暴走しているようにしか見えませんね」
ケティエスさんが厳しい発言をしているけど、確かにそう見える。
「あの、ケティエス様は立会人のはず、話し合いに参加されるのは……」
「あぁ、申し訳ありません。少々不思議に思ったもので口を挟んでしまいました。申し訳ありません。以降は立会人として見守ることに徹します」
話し合いに参加し始めたケティエスさんに村長さんがくぎを刺すと、本人も『でしゃばり過ぎた』と謝罪をしてから口をつぐんだ。
「母さんは何で『良いです』って答えたの?」
アウティヘルが言った言葉は分かったけど、母さんが何でそう答えたのかも気になる。
「お花が欲しいと言う意味だと思ったから許可したのよ?」
わが家には小さいけど花壇がある。
母さんが好きな花で名前はシュガーローズ、春になると甘い香りがする小さな花を咲かせるのが特徴の薔薇の一種で、母さんは乾燥させたシュガーローズの花びらをお茶に混ぜて飲んでいる。
「そう言えば、最近はお花を欲しがる人も増えたよね」
「そうなのよ、他の方たちも試してみると言っていたから、アウティヘルさんも同じだと思ったのよね」
そうか、母さんはお茶に使う花と混同していたのか。
「じゃ、じゃあ、ティーネは私と結婚しないのか?!」
「それは、始めに宣言しましたよね?」
アウティヘルが縋るような目で母さんを見る。うん、その目を潰したい。
だけど、ようやく理解してもらえた様で安心した。
「……なあ、マルティーネさん、息子はあんたと結婚したいと言っているし、何と言っても次の村長だ。将来を考えれば、息子と結婚するべきだと思うが?」
将来と言われると一抹の不安がある。
ステファナはいずれ男爵に返すことになるから、その後は母さんと2人暮らしになる。そうなると、今の規模の畑は維持できない。
でも、正直アウティヘルが父親になるのはつらい。家出したくなるぐらいに。
「誰かと結婚する必要があればそうしますが、それはアルテュールと一緒に決めます。ですが、何を言われてもアウティヘルさんと結婚することだけはありません」
母さんがきっぱりと断っているけど、これはこれで心配になる。
村は閉鎖的な社会だ、その頂点にいる村長にここまで言えば悪感情を持たれる。
「――ふざけるな! 今までわしがどれだけ助力してやったと思っている! 寡婦ごときがわしに逆らうなど許されると思うな!」
まずい、やっぱり切れた。
「寡婦ごとき、ですか」
ぽつりとケティエスさんが呟くと、村長さんは凍ったように動きを止めて、冷や汗を流しながら周囲を見渡した。
「……いや、その、私は息子のためを思って、ですな」
この世界でも子持ちの寡婦は立場が弱い、女性が1人で子どもを育てるのは厳しい。だから寡婦になった女性は庇護してもらうために、条件が悪い男性が相手でも結婚するし、捨てられないように男性の望むままを受け入れる。
そして、男性は寡婦を『扱いやすくて従順な娼婦』のように扱う。
村長さんもそう思っているんだろう。
そうしなければ生きていけない人が、今までに何人も居たに違いないんだから。
子どもを預かる託児所があれば少しは改善するんだろうけど、この未発達な世界ではそこまでして女性が働くことを望まれていない。
そんな世界でも母さんは僕を育ててくれている。知れば知るほど僕は母さんに感謝するばかりだ。
「双方ともに納得できたと思いますが、他に何か聞きたいことはありますか?」
これ以上の話し合いは不要だと思ったんだろう、ステファナが最後に質問があるか聞いてきた。
ステファナが1人1人と視線を向けると首を横に振る。
少し気になることもあったけど、これ以上話し合いを続けたくないから、僕も黙って首を横に振った。
「では、結論としては、アウティヘル様の求婚は『意味が通じない』ものとし、『求婚の了承もされていない』とします」
そう宣言してから、もう一度全員を見渡した。
「では、ケティエス様、念の為この件は報告書を書きますので、領都に帰還された際に男爵閣下にお渡しください」
「分かりました、……村長殿の件は?」
ステファナが報告書を書くと言った時に、村長が驚いてステファナを見た。
「……必要はないでしょう。誰しも感情的になることはありますからね」
「そう、ですね。まあ、次に来た時におかしな報告をしなくて済めば、私はそれで良いのですが」
ステファナとケティエスさんがさっきの村長さんの発言について話し合っているけど、今回は報告しないみたいだ。
村長さんもほっとした様子で体から力を抜いた。
これで、アウティヘルの問題は解決したけど、村長一家との間に溝が出来たのは確かだろう。
今回の件で母さんの立場が悪くならなければ良いんだけど。