第47話 最高の褒め言葉
布紐の製作を依頼してから3日後、ビシルの布紐を受け取ってき来た。
幅が5cmで長さが50cmの布紐を2本織ってくれた。
布紐の伸縮率は1.2倍はあったけど、肌ざわりはシルクほど滑らかじゃないし、糸が太かったから布が厚くなっていた。
「やっぱり専門の人に頼まないとダメだね」
「色も染めないとです」
今は素材そのままの白い色をしているけど、服や下着に合わせて色を染める必要がある。
「あれ、染色って誰がするの?」
「染色の職人がいるです」
糸紡ぎ職人が糸を紡いで染色職人が染色をするのが紡績工房で、機織り職人が布を織って仕立て職人が服を作るのが服飾工房になる。
糸と布で扱う工房が違うらしい。
つまり蜘蛛糸を売るだけなら紡績工房を立ち上げて、機織りと仕立ては外注でも良いということだ。
だけど、ビシルの布を作って服飾までした方が望んだものを作れるだろうし、間に商人が入らないからその分の値段も下げられる。
それなら服じゃなくて下着専門の方が良いかな?
下着専門なら競合相手も少ないし、他の生地と組み合わせて価格を抑えたり、逆に高価なものも作れる。
「調子が出てきたですね」
「ん? 調子って?」
「蜘蛛糸のことを色々と考えて楽しそうにしているです」
そう言えば、ここ数日は蜘蛛糸の生産とか使い方とかを考えていて、落ち込んだりはしなかった。
最悪の場合は蜘蛛糸の製造方法を渡すつもりだから、工房の方針とかを考えても仕方がないはずなんだけど、考え始めると『ああしたい』とか『こうしたい』とかを考えてしまう。
「結局、アルテュール様は物作りが好きですから、いっそ何も考えずに作りたいものだけを作っていけばいいです」
「それはちょっと無責任じゃないかな?」
「そういう体制を作ればいいです」
なるほど、そういう会社を作れば良いってことか。
どのみち僕だけじゃ全部はこなせないんだから、工房を幾つもまとめて会社を設立すると考えれば良いのか。
でも、そうなるとヘルベンドルプじゃ物流が不便だし敷地の広さも足りない。
メルエスタットにはガラス事業があるから、これからもっと住人が増えて手狭になると思う。
そもそも、メルロー男爵領がダンメルス王国の西端にあるから商売には適してない。
「ほら、また考え出したです」
そう言ってルジェナはくすくすと笑った。
確かに物作りや体制作りを考えるのは難しくて楽しい。ルジェナらしい気の使い方だ。
「この続きは今回のことが解決してから考えよう」
僕のにわか知識だけだと判断できないことが多いから、貴族学院で教育を受けた母さんの知識が必要になる。
特に法律に関しては勉強中で基本的なところしか教わってないから、母さんに判断してもらう必要がある。
「はいです」
その後はビシルだけではなくエシルの使い方を話し合ったり、今の下着をどうすれば快適になるかを話したりして過ごしていた。
それから2日後、待ちに待った人がやって来た。
「間に合わなかったみたいだな」
「――、遅いです!」
僕は割れんばかりの大声で怒鳴った。
母さんが手紙を出してから2ヵ月、事態が動く前に来てくれたら、穏便に済んだんだけど、こうなった以上、母さんの婚姻が決められる前に合流するしかない。
「おい、随分な言い様だな?」
「睨んでもダメです。一番悪いのは婚約者を捨てて逃げた人でしょ?」
「――うっ、聞いた、のか」
「ローザンネさんから聞きましたよ。ヴェッセルさん」
そう、僕が待っていたのは母さんの知り合いのAランク冒険者で瞬動無剣の二つ名を持つヴェッセル・ヴァンニさんだった。
「チッ、おしゃべりが」
ヴェッセルさんはそう言って僕の後ろに立っているローザンネさんを睨んだ。
「私は事実を言っただけですよ」
ヴェッセルさんがヴァンニ辺境伯家の次男で母さんの婚約者だったとローザンネさんが教えてくれた。
だけど、母さんが貴族学院の2年生だったとき、3年生のヴェッセルさんは貴族学院を自主退学して行方をくらました。
その結果、母さんとヴェッセルさんの婚約が解消されて、新たに婚約者を決めることになった。
だけど、カウペルス家はこの頃に2回目の鉱山開発に失敗して、莫大な借金を抱えることになってしまい、関りを持ちたくない貴族たちに縁談を断られていた。
そしてその状況を知ったヴァーヘナル侯爵がカウペルス家の借金を肩代わりする代わりに母さんを愛妾にした。
その後、ヴェッセルさんが戻って来た時には僕が生まれていたらしい。
ちなみにローザンネさんは母さんの1つ年下で、母さんのことを『おねえさま』と呼ぶのは、ローザンネさんがディトネルの元婚約者で、その頃からそう呼んでいたからなんだとか。
こちらもちょっとした出来事がきっかけになって婚約が解消されたらしいけど。
「別に逃げたわけじゃねぇんだ、俺にも事情があったんだよ」
「その事情に振り回された母さんが悪いってこと?」
死にそうなところを助けてくれて感謝しているし、その強さに憧れもある。だけど、それとこれは別の話だ。
「俺だって悪かったと思ってるから、こうして頼み事を聞いてんだろ」
「じゃあ、用意できたんですか?」
「おう、苦労はしたがしっかり用意した」
「分かりました。ローザンネさんも良いですか?」
「仕方がありません。おねえさまが許すというなら、私ももう言いません」
母さんは頼み事の代わりに、今後一切その件でヴェッセルさんとヴァンニ辺境伯家に対して文句を言わないと約束をした。
「それで、状況はどうなってんだ?」
母さんが手紙を出してからの状況をヴェッセルさんに伝えた。
「召喚状ってことは、何かの嫌疑でもかかってんのか?」
「分かりません」
「聞いていた状況とは違うな」
絶縁状の撤回だけなら、同行を拒否してヴェッセルが来るのを待つことができたんだけど、召喚状を拒否すると罪を認めたことになって犯罪者として捕縛されてしまう。
つまり召喚状が出された時点で行かないという選択肢はないということだ。
「僕たちは犯罪を犯していません」
「……まあ、そうだろうが、そこがはっきりしねぇと、コレは渡せねぇぞ?」
ヴェッセルさんはジャケットの内ポケットから直径5cmのメダルを取り出して僕に見せた。
「分かってます。それをはっきりさせるために僕も連れて行ってください」
「アル様?!」
「ファナ、僕が行く必要があるんだよ。母さんには言えることと言えないことがあるから」
母さんには制約魔法がかかっていて、ガラスの技術情報について話すことができない。
ヴェッセルさんが来なければ、僕が迎えに行く予定だったけど、ヴェッセルさんが来たなら任せて、ここで待っているように言われていた。
でも、ヴェッセルさんは召喚状の理由次第では手を引くと言っている。もしも、直前でヴェッセルさんに手を引かれたら、全てが手遅れになってしまう。
だから、僕も一緒に行く必要がある。
「その気があるなら連れてってやる」
「はい、お願いします」
「それで、あと何日の猶予があるんだ?」
母さんがカウスタットに向けて出立してから今日で12日目、カウスタットまでは約3週間かかるから、残りは9日程度。
「9日、出立は明日だから8日ってことか。まあ、それだけあれば十分間に合うだろう」
母さんたちは馬車で移動しているけど、こちらは馬に乗って行く予定だ。
ここからカウスタットまでは早馬で1週間らしいから、早ければカウスタットに到着する前に合流できるはずだ。
「おまえたちの準備はできてんのか?」
「できてます」
もしも、ヴェッセルさんが来なかったら、僕たち3人でカウスタットに向かうことにしていたから、準備はできている。
「そうか、それなら明日の朝に出立する」
「はい。……それと、その、さっきのは八つ当たりでした、ごめんなさい」
「いいさ、俺が悪かったんだからな」
「まあ、それもそうですね」
「おい?!」
僕はヴェッセルさんに対して複雑な気持ちがある。
もしも、ヴェッセルさんと母さんが何事もなく結婚していたら、僕は生まれなかったかもしれない。それに、魔物に殺されそうなところを助けてくれた。さらに、戦闘訓練も付けてくれた。
憎めば良いのか感謝すれば良いのか、良く分からない。
「まったく、そのふてぶてしいところはティーネにそっくりだ」
「ありがとうございます」
母さんに似ていると言われるのは、僕にとっては最高の褒め言葉だ。




