第45話 姉弟喧嘩再び
ヘルベンドルプを出立してから3日目の昼過ぎにメルエスタットに到着した。
町の様子は活気があって、以前よりも人と馬車の台数が多くなっているような気がする。
そして、男爵邸の近くにあるガラスの販売所に数台の馬車が止まっていて、ガラスの販売は順調そうに見えた。
そのままガラスの販売所を通り過ぎて男爵家の敷地に入り、迎賓館の前で馬車が止まった。
「さあ、降りますよ」
母さんの指示に従って馬車から降りると、迎賓館からディトネルと一緒にトビアスさんも出迎えに来てくれた。
「姉上にしては遅かったですね。忙しかったのですか?」
「ディットは随分と暇になったみたいですね」
会えば息を吸うように嫌みを言い合う姉弟。
「今回のことは私が主導していますから、補佐官の仕事は別の者にさせています」
「そうですね。補佐官の仕事は別の者でもできる仕事ですからね」
つまり、母さんはディトネルに『その程度の仕事しか任されていない』と言っているわけだ。
「――っ、あねっ」
「お久しぶりです。トビアスさんお元気そうで何よりです」
「――えっ?! えぇ。お久しぶりです、マルティーネさん」
ディトネルの言葉に被せるように母さんはトビアスさんに挨拶をした。
突然話しかけられたトビアスさんは驚きつつも返事をして、言葉を遮られて言い淀んだディトネルをチラチラと見ている。
「気にする必要はありません。挨拶の手順を守れない子には反省する時間が必要でしょうから」
いわゆるホストとゲスト挨拶の手順で、始めに『ホストが歓迎の言葉を述べて、ゲストが感謝を伝える』と母さんに教わった。
この場合のホストは迎え入れるメルロー男爵家のトビアスさんで、ゲストは男爵家を訪れた母さんになる。ディトネルの立場もゲストになるから、本来ならトビアスさんと母さんが挨拶をしたあとにディトネルからもトビアスさんに感謝を述べるはずだ。
その手順を飛ばして話しかけたから母さんが呆れているんだろう。それとも、面白がっているのかな?
「――っ、トビアス殿、申し訳ない。久しぶりだったから気が急いてしまった」
「まあ、そのようなときもあるでしょう。私は気にしませんよ」
なんだか言い訳がましい物言いだったけどディトネルはすぐに謝罪した。
注意されたらすぐに対応できるから、能力はあるんだろうけど、その『不本意、極まりない』と言いたげな表情をどうにかしないと本性を隠せないと思う。
「それにしても、わたしに会えてそんなに喜ぶなんて、かわいい子ね」
「喜んでなどいません」
「そうねぇ、ディットはわたしを売りたいだけですものね?」
「――っ、何と言う物言いをするのですか、私は姉上の幸せを願っているだけです。泥にまみれた生活から救い出し、美しいドレスと高価な宝石を身にまとう世界に戻して差し上げるのですよ?」
白々しいけど、体面を取り繕うのが貴族だと思えば不愉快に思うだけで済む。
「それよりトビアスさんにお願いがあるのですが、よろしいでしょうか?」
「あ、はい、何でしょう?」
母さんはディトネルの芝居がかった返答を無視してトビアスさんに話しかけた。
「奴隷商を呼んでいただけますか? 奴隷契約をアルテュールに渡します」
「マルティーネさん、それでは」
「ええ、子爵家に行くのはわたし1人です。アルテュールはトビアスさんとローザンネさんに預けます」
これはディトネルが帰ったあとに母さんが手紙で頼んだことで、もしもカウペルス家に連れ戻されることになったら、奴隷商を呼んでステファナの譲渡と一緒にガラス事業に関する情報を洩らさないように制約魔法をかけてもらう予定になっている。
ちなみに、隷属魔法は制約魔法に幾つかの魔法を重ねて作られた魔法で奴隷商なら誰でも制約魔法を使える。だから制約魔法は奴隷商の副業にもなっている。
「分かりました。ではすぐに連絡を入れますので、私は失礼させてもらいます」
「はい、お願いします」
トビアスさんは母さんとディトネルに会釈をしてから行政館の方に向かって歩いて行った。
「姉上、何を勝手なことを。子どもは連れ帰って屋敷の仕事をさせます。それに奴隷はカウペルス家の所有にするつもりですから、このまま連れて行きます」
カウペルス家は全てを取り込んでから、母さんを結婚させるつもりらしい。
もしかして、カウペルス家もガラス事業を狙ってるんだろうか? だから情報を持っていそうな奴隷が欲しい? でも、それだと母さんを結婚させる理由が分からない。
「ディット、まだ正式にカウペルス家に籍が戻ったわけではありません。現段階でわたしの資産について口を挟むことは許されません」
「ですが、子どもにもカウペルスを名乗ることを許すと伝えたはずです」
確かにそんな話も出たけど、僕は『要らない』って言ったし、カウペルス家から見ても僕は要らない存在のはずだ。それなのに、いまさら何のつもりだろう?
「名乗るのを許すだけでしょう? お父様の手紙には『離れの小屋を与える』と書いてありましたから、外に出ないように軟禁するつもりなのは明白です」
「それは当然でしょう。欠陥品がいると知られたら、わが家の恥になりますからね。ただ、衣食住だけは保証しますよ」
連れて行きたいのか、それとも連れて行きたくないのか、よく分からない。
ディトネルは『自分が主導している』と言ったけど、どうにも他の人の意思が見え隠れして、言動がブレているように感じる。
「お父様とディットが何を考えているのか知りませんが、これはわたしが決めたことです。そして、アルテュールはカウペルス家の籍には入っていませんから、あなたたちの指示に従う義務はありません」
「……まあ、いいでしょう。連れて行く人数は少ない方がお金も手間もかかりませんからね」
「分かればいいのです。わたしは男爵閣下にご挨拶に向かいますが、ディットも付いて来ますか?」
「私は出立の準備を始めますので、遠慮させていただきます。男爵殿には出立前に挨拶をするとお伝えください」
母さんたちの話が終わって4人で行政館へ向かう。
その途中で僕は今回のことを考える。
ディトネルはゼルニケに頼まれてカウペルス子爵を動かしたんだと思う。
時期的に見てゼルニケの目的がガラス事業なのは確実だし、ディトネルはサンデルス商会からの支援が目的みたいだった。
だけど、カウペルス子爵の目的だけが見えてこない。
母さんの絶縁状を撤回できるのは父親のカウペルス子爵だけのはずだし、母さんに宛てた手紙も出している。
だから今回のことに関わっているのは確かなんだけど、その理由が分からない。
「アル、大丈夫よ。まだ間に合うはずだから」
考え込んでいた僕に気を遣って母さんはそう言ったけど、母さんにも確証があるわけじゃない。
母さんが一方的に手紙を出しただけだから、動いてくれるか分からない。むしろ動いてくれない可能性の方が高いかもしれない。
だけど、時間は待ってはくれない。数日後には母さんはカウペルス領の領都カウスタットに出立してしまう。
到着したからと言ってすぐに全てが終わるわけじゃない。
絶縁状が正式に撤回されるには、第三者の立会の元で絶縁状に撤回する旨を記載してサインをする必要がある。
実際には、紋章院が撤回を受け入れた時点で撤回されていると見做されるけど、貴族のやり取りだから、そうした儀式も必要になる。
面倒な儀式ではあるけど、時間稼ぎには丁度良い。
「ローザンネにも会ってやってくれ、今は彼がいるから『会いたくない』と私邸に籠もっているのだよ」
僕たちは行政館でトゥーニスさんにそう言われて、私邸に行ってローザンネさんに会った。
「おねえさま、本当に行くのですか?」
「仕方がありません。お父様の手紙には召喚状が添えられていました。無視すれば反逆罪が適用されます」
召喚状の話は聞いてない。
子爵からの手紙を読んだ時にあんな顔をしたのはそれが理由なのかな?
「それよりも、アルのことをお願いね、ローズ」
「お任せください。アルくんのことはしっかり守ります。それと、出立まではこちらに泊まってください。その、迎賓館にはディトネルさんがいるので」
「ええ、そうね。そうさせてもらうわ」
何やらローザンネさんが言い淀んでいる。
母さんもそうだけど、ローザンネさんもディトネルと何かあったんだろうか?
気にはなるけど、聞いて良いのか分からない。
その後、奴隷商が来てステファナの奴隷契約の譲渡と母さんに制約魔法をかけてもらった。
それから3日後、母さんはディトネルと一緒にカウスタットに向けて出立した。




