第3話 手遅れになる前に
さてさて、現在は6月、麦の収穫の時期で納税の時期でもある。
「アル、今日から麦の収穫だけど、大丈夫?」
「僕は大丈夫だよー」
「ファナもお願いね」
「はい、ティーネ様」
麦の収穫は脱穀するまでが農家の仕事だ。
畑はそれ程大きくないから、麦を刈って干すまでなら母さんとステファナの2人でも大体2日で終わる。その後2週間ぐらい乾燥させてから脱穀する。
農家は人頭税を麦(5才以上1人一律、50kg入りを2袋)で納税することが決まっている。
ただし、不作などの理由で納税できない場合は貨幣(銀貨5枚)で納税することもできるし、理由によっては減税や免除されることもある。
そのため、収穫が始まる前に徴税官が村に来て、畑の様子や住人の数を確認して不正がないか調査する。
この村を担当する徴税官のケティエスさんも、先月の中頃に来て調査を開始している。
と、まあ、それはさておき、最近になって村長の息子アウティヘルが母さんに絡んでくるようになった。
去年までは遠巻きに見ていることが多かったのに、今年に入ってからやけに自信満々(?)でアプローチしてくる。
でも、何で?
こう言っては何だけど、去年までは『大人しそうな青年』と言った様子だったのに、今では『高校デビューを果たした自信家』と言った様子になっている。
母さんは美人だから惚れてしまうのは仕方がない。
それは、もう、本当に、仕方がない、とは思う。だけど、何を勘違いしたのか、母さんが結婚を望んでいると思っている。
村長一家は村を治める関係上、嫡男と予備の次男が15才から18才までの3年間は領主家で教育を受ける決まりがある。
教育内容は文字の読み書きと計算、あとは緊急時に馬を走らせるための馬術と魔物や盗賊などから村を守るための武術を習う。
そうした教育を受けて、村長一家は村の自警団を鍛えて村を守っている。
つまり、村の女性たちから見れば最優良の結婚相手ではある。
だけど、子爵家の令嬢として育った母さんにとって、その程度の地位も能力も大した意味はない。
「ティーネ、女2人では大変だろう? 今年からは俺が手伝ってやる」
「いえ、麦の量は昨年と同じですから、手伝いは必要はありません」
アウティヘルは許可もしてないのに母さんを愛称で呼び、満面の笑顔で手伝いを申し出ている。
それに対して、母さんは冷やかな視線を送りながら手伝いを断っている。
「ふっ、何を言っているんだ。結婚したら一緒に暮らすんだ、夫に遠慮する必要はない」
「あなたは、何を言っているのですか?」
本当にこの男は何を言ってるんだ?
結婚の申し込みすらされたことがないのに、結婚することが決まっているみたいな話し方をしている。
「ああ、ティーネが慎み深いのは良く分かっている。子どもと一緒に家を追い出されて苦労してきたんだ、これからは俺が幸せにしてやる」
「本当に何を言っているのでしょう。わたしは結婚しませんよ?」
どうにも、話が通じない。
母さんははっきりと『結婚しない』と言っているのに、それを理解しようとしない。母さんの言葉を自分にとって都合の良いように解釈している感じがする。
「ああ、そうか、なるほど、ティーネは結婚を控えて神経質になっているのか。仕方がない、今日は帰るが手伝いが必要ならいつでも言ってくれ」
一方的に話して勝手に納得して帰っていた。
何となく、『鏡に写る自分を見て話している男』を想像させられる。
「……母さん?」
「アルは彼が父親になったらどう思いますか?」
母さんの言葉にアウティヘルが父親になった想像を……ムリ、想像したくない。
「家出していい?」
「ふふ、その時は一緒に家出しましょうね」
母さんは僕の頭を撫でながらそう言った。
まあ、それ以前に結婚なんてさせないけど。
「ティーネ様、彼はいったいどうしたんでしょう?」
「さあ、分からないのよね。領都に行っている間に何かがあったのだとは思うのだけど」
「そう言えば、領都に行っていましたね」
被害はそれほどでもなかったけど、年明けに村が魔物の襲撃を受けた。その際に防壁の一部が壊されてしまい修理が必要になった。
そこで、アウティヘルが領都に行って、男爵家への報告と修理用の資材を購入して帰ってきた。
領都で何があったのか分からないけど、帰って来たらあの調子だった。
「村長様は何と仰っているのですか?」
「それが、村長さんも『結婚の了承を得た』と聞いたらしいのよ」
「――っ、何ですか、それは!」
ステファナが怒ることではないと思うんだけど?
母さんはステファナの頭を撫でながら、村長さんと話した内容を教えてくれた。
始めは自警団の誰かに行かせようと思ったらしいんだけど、『これも経験』ということで、アウティヘルを領都に行かせた。
特に難しい内容ではないし、領主家で教育を受けていたから勝手も分かっているだろう、と送り出した。
そして、帰ってきたアウティヘルは領都に行ったことで自信が付いたのか、堂々と意見を言うようになり、防壁の修理を完遂させた。
これに、村長は喜び『あとは結婚して跡継ぎを作ってくれ』と言った。
その時に母さんの話が出たそうで、アウティヘルは『結婚を申し込む』と村長に言ったらしい。だけど、母さんは結婚を申し込まれたこともないし、そんなに会話をしたこともないと言う。
それなのに、村長には『結婚の了承を得た』と報告したらしい。
「母さん、どういうこと?」
「それが、分からないのよ。村長さんにも『了承していません』と伝えたら『ああ、分かっている』と仰っていたのだけど」
村長さんは結婚しないことを理解している?
「ティーネ様、彼が帰ってきてから、何かありませんでしたか?」
「……何度か村長さんの家で会ったけど、挨拶を交わした程度ですよ?」
そうなると、本当に意味が分からない。
結婚どころか話をしていないのに、どうやって結婚の了承を得るのか。
……でも、これはちょっと良くない傾向だ。
悪人とまでは言わないけど、最近の彼の発言と態度を見ていると、ストーカーみたいで恐ろしさと気持ち悪さが混在して不安になる。
「母さん、これ、ちゃんと断らないと、母さんが悪く言われるかもしれないよ?」
「そうねえ、手遅れになる前にはっきりさせておいた方が良さそうね」
「できれば、他の人、……そうだ、徴税官のケティエスさんに間に入ってもらうのはダメかな?」
徴税官なら話し合いの見届け人としても十分だろう。
「迷惑じゃないかしら?」
「でも、村の人に頼むのは……」
村の人だと、村長の意見に迎合したり、逆に反発したりする可能性があるから、公正な判断ができるとは言い難い。
「ティーネ様、私が交渉してきます」
「ファナ?」
「男爵様からも、自分の判断で対処して構わないと命令されています。それにケティエス様とは男爵家で何度かお会いしたことがありますから、話を聞いていただけると思います」
何だかステファナは怒っているみたいだけど、それには僕も賛成する。
今回のことは、母さんとアウティヘルの問題だから、母さんからケティエスさんに頼むと公平とは言い切れなくなる。
母さんの護衛をしているステファナから頼むのも公平とは言えないけど、ステファナの主はメルロー男爵だから、言い訳は立つだろう……多分。
そして、話し合いは麦の刈り取りが終わってからすることにした。
「アル、ファナ、まずは麦の刈り取りを始めましょう」
「うん」
「はい」
気を取り直して麦の刈り取りをはじめた。
刈り取り作業は、母さんが麦を刈って僕が麦束を縛ってステファナが干していく。疲れたら休憩して、母さんとステファナが作業を交代して再開する。
それを繰り返して3日で全ての麦を干すことができた。
「少々遅れましたが、終わりましたね」
「アル、ファナ、ご苦労さま」
「僕は、あんまり、役に立てなかった」
アウティヘルの件で始めるのが遅くなったのもあるけど、僕が足を引っ張ってしまった。
縛るだけと言っても、自分と同じぐらいの高さがある麦を縛るのは大変だった。
結局、遅れた分は母さんとステファナが手伝ってくれて何とか終わった。
「それでは、ファナ。話し合いの調整をお願いね」
「はい、お任せください」
収穫が終わって、麦が乾くまで時間がかかるから、その間に村長とアウティヘルとの話し合いの場を設ける。
始めは母さんから村長さんに伝える予定だったけど、そこで拗れたら面倒だから、それもステファナに調整してもらった。