第25話 ガラス工房 始動
―[メルエスタット ガラス工房 リーン]―
ロンバウトさんとの話し合いをしてから3週間後、準備は佳境に入っている。
工房の改装工事が終わり道具や素材も集まり、これからガラス事業の試験運用が始まる。
工房で働く錬金術師はロンバウトさんの他に銅級錬金術師のオーラフさんが見つかって2人体制になった。
錬金術師を探すのではなく、錬金術科に通っていた人を探すことにしたおかげで、見つけることができた。
ガラス職人は見つからなかったから、引退したガラス職人のコーバスさんに頼み込んで、奴隷たちに仕事を教えてガラス職人に育ててもらうことになった。
ガラス職人の候補にはアウフステさん21才、フリッツさん19才、ディルクさん17才、メルヒオさん17才の4人が決まった。
彼らは皆が借金奴隷で10年程度で解放される。彼らに決めた理由は借金の理由が当人には無いことと、解放後も従業員として働く意思があったからだ。
現状はこの7人をエルドルスさんが監督して、ガラス事業を運営していく。
錬金術師に育成する子どもについては、ロンバウトさんの話をトビアスさんに伝えたんだけど『できることは多い方が良い』と、錬金術師として育成する方針のままになった。
「コーバス、始めてください」
今日、この工房に居るのは技術情報を知っている人たちだけだ。
ガラスを作る作業を確認するために集まっている。
「おう。――始めるぞ、ロンバウト」
「はい!」
エルドルスさんの言葉を受けたコーバスさんは、職人たちをぐるりと見渡してからロンバウトさんに領域球を発生するように合図を送る。
発生した領域球を確認するとコーバスさんは柄が長いスコップのような物でガラスを掬い上げて領域球の上に移動させる。
「アウフステ!」
「はい」
次にアウフステさんが柄が長く先端が斜めになったスクレーパーと呼ばれる道具で溶けたガラスをスコップから剥がしながら領域球の中に入れる。
「純化!」
ガラスが領域球の中に入ったことを確認してから、ロンバウトさんが純化を発動すると、ガラスから徐々に不純物が分離して領域球の下部から排出される。
排出された不純物はフリッツさんがスコップで受け取った。
不純物が完全に分離したら領域球の下部から純化したガラスを排出し、コーバスさんが受け取ってからガラスを加熱炉に入れて、下がった温度を上げる。
そして、温度が上がったらアウフステさんと協力して台形の金型に入れてガラスが冷えるまで待つ。
「よし、あとは、このまま熱が抜けるまで待てばいい」
職人がガラスを作るところを初めて見たけど、ガラスの粘度が高くて扱いが大変そうだった。それに温度が下がるのが早くて、純化する間だけでもかなり温度が下がったように見えた。
僕がレンズを作った時は成形の直前まで加熱を使い続けていたし、完成するまで領域球から取り出さなかったから、1つずつ作業をするとここまで大変だとは思ってなかった。
「不純物って随分と少ないんですね」
「そりゃあ、窓に使う珪砂を使ってんだ、不純物なんぞ、微々たるもんだ」
フリッツさんが排出された微量の不純物を見ながら質問をしたら、コーバスさんが呆れたように答えた。
珪砂は隣のドナート男爵領で取れる赤みがかった珪砂だ。
珪砂は重量に対して単価が安く他にも採掘できる場所があるからドナート男爵領から離れた場所には輸出できない。
しかも、ドナート男爵領は岩山と森の多い土地で、農地の開拓が難しく食料自給率が低い。加えて主な産業が安価な珪砂や石材の販売が中心だから、領地の運営状態はよくないらしい。
幾つかの場所で鉱物が発見されているから、詳しく調べれば鉱物資源が出る可能性は高いんだけど、ドナート男爵は鉱物資源を探すよりも、農地を広げながら交易のための街道を通そうとメルロー男爵領に向けて森を切り開いているらしい。
「それは、もしや……」
「そう、フルネンドルプはドナート男爵領に向けた街道を作るための村なんだよ」
現状は山と森を迂回して交易を行っているけど、それだと輸送にお金も時間もかかる。そのため、ドナート男爵領に必要な食料は日持ちするものしか輸出できていない。
メルロー男爵家は鉱物資源が欲しい、ドナート男爵家は食料が欲しい。
双方にとって利益のある事業だったから、森を切り開いて街道を通すことになったんだけど、フルネンドルプが壊滅したことで、この事業に遅れが出てしまった。
「片付けが終わったから、工兵と護衛の冒険者のパーティを送って、外壁の補修を始めるところなんだよ」
「建物の被害はどうだったのですか?」
「扉や窓は壊されていたけど、家が倒壊していたのは火事になった数軒ぐらいだったらしい。他は修理すればまた住めるようになる」
フルネンドルプの再建が終わっても、街道を通すために森を切り開くのは何年もかかる大変な事業だ。
だけど、ガラス事業が始まった以上、この街道は急いで通した方が良いだろう。
母さんとトビアスさんの話を聞いている間にガラスが冷えたらしく、コーバスさんが金型からガラスを取り出して確認している。
「おう、もういいぞ」
コーバスさんは冷えたガラスを作業台の上に置いて皆に見せた。
そこにあるのはインゴットの形をした透明なガラスだった。
「おぉー、これは綺麗だ」
トビアスさんはガラスのインゴットをクルクルと回しながら眺めている。
素材として使うから、使う時に必要な分だけ溶かせばいいように、片手で持てる程度の大きさにしてある。
「コーバス、次はレンズだ」
トビアスさんの様子を見て気を良くしたエルドルスさんが次の指示を出した。
「レンズは通しでやるぞ。ロンバウトは純化でオーラフが成形だ」
コーバスさんの指示で、溶けたガラスからレンズを作るまでを確認する。
作るレンズは比較するためにルジェナに作ったレンズと同じ物を作ってもらう。
「よし、始めるぞ」
コーバスさんが声を上げてからガラス炉から溶けたガラスを取り出し、アウフステさんが領域球にガラスを入れて、ロンバウトさんが領域球の中で純化をかける。
「純化!」
純化したガラスを受け取ったらガラスを加熱炉に入れて下がった温度を上げる。
そして今度はオーラフさんが発生させた領域球にガラスを入れる。
「成形!」
オーラフさんがレンズの図解を見ながらレンズの形に成形していく。
錬金術で成形を行う時はイメージが重要だから、レンズの図解を用意して細かく幅や厚み曲線などを書いてある。
ガラスが冷える前に取り出してしまうとレンズが変形してしまうから、完全に冷えるまでは領域球から取り出さない。
「……あの、冷えるまでこのまま領域球を発動してないとダメなんですか?」
「あん? そう言う話だったろうが」
オーラフさんが領域球を維持した状態で聞いたけど、コーバスさんの返事はそっけないものだった。
「領域球を維持するだけなら、そんなに魔力は食わないだろ?」
「ロンバウトさんは純化しただけじゃないですか」
「じゃあ、替わるか? こっちは回数が多いぞ?」
「……いえ、頑張ります」
ロンバウトさんは黙々とガラスを純化していく必要があるから、魔力の消費が激しい。
オーラフさんは精密なレンズを作ることに集中力が必要だし、ガラスが冷えるまで領域球を維持する必要があるからその間は動けない。
インゴットの時と同じぐらい待ってからレンズを領域球から取り出した。
「どうです?」
心配そうにオーラフさんが聞いてきた。
「ルジェナ、確認をお願いね」
「はいです」
母さんがルジェナにレンズの出来を確認させる。
今はルジェナ以外にメガネを使っている人がいないから、レンズの確認はルジェナに頼んだ。
「…………? これ、何か変な感じです?」
ルジェナはうまく表現できないみたいだけど、レンズがおかしいみたいだ。
多分、イメージが不足してどこかに歪みが出たんだろうけど。
「何が変なんだい?」
「あぁ、その、ちょっと待ってくださいです」
トビアスさんにそう返事をすると、ルジェナは格子状の線がはいっている定規にレンズを当てて形状を確認したり、挟んで厚みを測る道具を使ってレンズの厚みの確認をしていく。
「このレンズですが、厚みに偏りがあるです。だからその部分で見え方が変わってしまうです」
レンズは綺麗な湾曲を描かないと歪んで見えてしまう。
成形はイメージに左右されるから、イメージが曖昧な部分に歪みが出てしまったらしい。
ルジェナが格子状の定規の上でレンズを左右に動かすと歪んでいる場所で線が曲がって見えた。
「……失敗、ですか」
「初めてでこれなら十分だと思うです。物作りは失敗から始まるですから、気にするぐらいなら回数をこなすです」
ルジェナは励ますようにオーラフさんにそう言った。
見た目には分からない程度の歪みだから、何度も作れば歪みが無いレンズが作れるようになると思う。
錬金術師の2人には正確なレンズを作れるようになってもらう必要があるし、メガネの販売を開始する前に度数の違うレンズを作ってもらう必要もある。
「そう言えば、メガネのフレームは誰が作るんでしょうか?」
オーラフさんが心配そうにトビアスさんに質問をした。
多分、フレームも錬金術で作るように言われるかと心配しているんだろう。
「それは、彫金師に依頼することが決まっている」
彫金師とは貴金属や宝石を使った装飾品を作る人で、トビアスさんにルジェナのメガネを見せた時に『質素な印象』を受けたらしく、彫金師にレンズを渡して見た目の良いメガネを作ってもらうことが決まっている。
彫金師に関しては、売れるかはっきりしないメガネのために雇うよりも、依頼だけをした方が良いということだ。
「そうですか。……その、メガネが売れなかったら、私らはどうなります?」
今度は売れなかった時を想像してトビアスさんに質問をした。
オーラフさんは随分と心配性みたいだけど、メガネはガラス事業の一部でしかないからそこまで心配する必要はない。
「解雇とかはないよ。今はガラスの……インゴットでいいのかな? それが売れたら十分だからね」
当初の予定通り、素材としてガラスのインゴットを売ることが一番で、並行してメガネを売る。その後レンズを使った商品を少しずつ販売していく。
「レンズは歪みがあったみたいだけど、ガラスの純化とレンズの成形ができたからあとは、練習あるのみだね」
こうして、ガラス事業の試験運用が始まった。




