第23話 食事会
男爵邸に帰って来たら玄関でローザンネさんが待っていた。
今は若草色で刺繍の少ないシンプルなドレスを着ている。
こうして見ていると可憐な少女にしか見えないし、物騒な二つ名を持っているとは思えない。
「ローザンネさん、……なぜここにいるのかしら?」
「もちろん、おねえさまをお待ちしていたのです」
「……いつから待っていたのですか?」
「つい先ほどです」
ローザンネさんは無邪気に答えているけど、多分、母さんの気配に気が付いたんだと思う。それができるのがローザンネさんだから。
自分で言っておいて意味が分からないけど、ローザンネさんは王宮近衛騎士に匹敵する実力だって聞いた。
まあ、それがどれだけの強さなのかは知らないけど、ディーデリックさんより強いって聞いたから、気配ぐらいは分かるんだろう。
「私はおねえさまとアルくんを夕食にお誘いするために待っていたのです。急なことで申し訳ありませんが、ご同席していただけますか?」
「わたしたちは正装を持っていませんが、構いませんか?」
「ええ、おねえさまはドレスなど着なくともお美しいですから、何の問題もありません」
そして母さんはしばらく悩んだあとに承諾した。
「……分かりました。アルテュールにも良い経験になるでしょう」
「ありがとうございます。では準備が整いましたらお呼びしますので、それまではお部屋でお待ちください」
―[メルエスタット メルロー男爵邸 食堂]―
突然、男爵家の人たちと食事をすることになったんだけど、普通は屋敷に泊まる初日に食事会をするんだとか。
今回はフルネンドルプの惨事があったところに、僕たちがガラス事業の話を持ってきたことでトゥーニスさんとトビアスさんがさらに忙しくなってしまったことと、ローザンネさんとヘールトさんが不在だったこともあって、食事会を省いたらしい。
このことをユリアンナさんから聞いたローザンネさんが『忙しさと歓迎は別の話です』と言って食事会を開催した。
食事会はトゥーニスさんの家族の紹介から始まった。
僕はユリアンナさんとマルニクスくん以外の人とは面識があるから、全員を紹介してもらう必要はないんだけど、食事会とはそう言うものらしい。
男爵家の家族構成は男爵のトゥーニスさんと奥さんのユリアンナさん、嫡男のトビアスさんと奥さんのローザンネさん、そして2人の息子のマルニクスくん、最後はフルネンドルプに行っていて不在のトビアスさんの弟のヘールトさんを入れて6人家族だ。
ちなみに、マルニクスくんはまだ1才で食事会には参加できないから、紹介が済んだら部屋に戻された。
「フルネンドルプのことは口惜しいが、マルティーネ嬢がガラス事業の話を持って来てくれたおかげで、復興の見通しが立てられる」
トゥーニスさんは左手を胸に当ててから目を閉じて軽く頭を下げる。
そして、他の人たちもトゥーニスさんに倣って頭を下げた。
それを見て、母さんも軽く頭を下げる。
「本来であれば情報を与えてくれた錬金術師に感謝を述べたいところだが、表に出たくない者に無理に会って感謝を述べるのは迷惑にしかならぬだろう。だが、例え言葉が届かぬとも、我がメルロー男爵家は名も知らぬ錬金術師殿に感謝を捧げる。そして、その情報をわが家にもたらしてくれたマルティーネ嬢にも同じく感謝を捧げる」
トゥーニスさんが食事会の前に挨拶をしたんだけど、偶然と利己的な理由だったからそこまで言われると却って心が痛い。
「それでは、乾杯」
こうして会食が始まった。
食事会が始まる前に客間で母さんからざっくりとテーブルマナーを習ったけど、基本は『相手を不快にさせないことを心がけるように』と言われた。
こうした少人数の食事会では、食事と会話を交互に行う。
料理を出されたら会話を止めて食事に集中する、そして食事が終わった人同士で会話を始めて、次の料理を出されるまでは会話を楽しむ。それを繰り返すらしい。
カトラリーの使い方も大まかに教えてくれた。
外側から使って食事が終わったら、お皿の右側下に並べて置けば良いらしい。
どれを使うのか分からなかったら、母さんの真似をすれば良いと言われた。
食事は前菜から始まってカットされたパンとスープが出て、次にソテーされた魚料理が出た。口直しはさっぱりした味のカットフルーツだった。
僕に出されるのは通常の半分程度の量にしてもらっているから、どうにか食べきれている。
何度か失敗したけど皆が笑顔で流してくれたから、何とかここまで食事ができている。
そして、今日のメインは魔牛のお肉だそうです。
魔牛と聞くと強いとか大きいとかの印象を持ちそうだけど、この魔牛は小さくて早いんだそうです。あくまで牛としては、だそうですが。
「マルティーネ嬢はアルテュールくんを貴族学院に入学させようとしているが、あの学院は貴族のための学院だ、貴族や政治に関わらない庶民が行くような所ではない。それでも学院に入学させたい理由は何だ?」
貴族学院に通っているのは、貴族家の子女が2割、貴族家から爵位を継承せずに分家になった家の子女が4割、一代爵の子息が2割、そして残りの2割が庶民だと母さんに聞いた。
本当の貴族と呼べるのは全体の2割で、それ以外は貴族を支える行政官になるために通っている人たちばかりなんだとか。
「アルテュールが『錬金術を学びたい』と望んでいるのです。わたしはその願いを叶えるだけです」
「錬金術? しかし、錬金術にも属性は必要だったはずだが?」
全員の視線が集まる。でも僕はまだ肉料理を食べているから何も話せない。
子ども用に小さくカットされたお肉なんだけど、母さんの食べ方を観察してからだったから食べ始めるのが遅かったし、音が出ないように切るのは難しくて時間がかかる。
「実は錬金術の本には属性が必要とは書いてなかったのです」
「だが、錬金薬を作るには水属性の他に複数の属性が必要だったはずだ」
「それは『錬金薬を作るなら』であって、ガラス事業と同じ使い方であれば、属性は必要がないらしいのです」
母さんに貰った錬金術概論という本には、『錬金薬は素材の成分に属性を付与し、それを合成することで作られる』と書いてあった。
だけど、そこ以外には属性という言葉が書かれていないことに気が付いた。つまり、それ以外には『属性は使わない』という結論になった訳だ。
「なるほど、それも錬金術師殿から聞いたのか?」
「ふふ、ご想像にお任せします」
時系列が違うから誤魔化すしかないんだけど、そろそろこの設定にも無理が出始めているかな。
「それと、アルテュールに属性はありませんが、魔力が無いわけではありません。アルテュールならば属性が無くとも立派な錬金術師になれると信じています」
母さんにそんなことを言われると、恥ずかしいけど嬉しい。
「さすが、私のおねえさまです。おねえさまがアルくんを想う気持ちはとても美しいです」
「ローザンネさんにはマルニクスがいます。マルティーネさんを見習ってあの子を愛してあげれば良いのですよ」
「お義母様、私は心からマールちゃんを愛しています。私はあの子を『私を越える剣士』に育ててみせます」
ローザンネさんを越える剣士となると王宮近衛騎士になる必要がある。
「ローズ、マルニクスは嫡男なんだから、君ほど強くなくて良いんだよ?」
「そ、そうだな、ローザンネには悪いが、強さよりも領地運営の能力を身に付けてもらわんと領民たちが苦労することになる」
トビアスさんとトゥーニスさんが方針を転換しようとしている。
ローザンネさんがどんな訓練をしているのか知らないけど、2人の反応を見ていると普段から非常識な訓練をしていそうだ。しかも、ローザンネさんは人の話を聞かないところがあるからマルニクスくんは苦労しそうだ。
……うん、マルニクスくんの未来に、幸あれ。




