第16話 交渉成立
利益配分が決まって、ガラス事業に関する契約を交わした。
「契約はこれで終わりだ」
「はい。それでは全ての情報を開示しましょう」
「その前に聞きたいのだが、ガラス事業が稼働するまで手伝ってもらえるか? むろん報酬は出す」
「……そうですね、そこまではお手伝いします」
ガラス事業が稼働しないと僕たちにもお金が入って来ない。だから、手伝うのは問題ない。しかも別途報酬付きなら断る理由はない。
「それと、領都にいる間は屋敷に泊まると良い」
「よろしいのですか?」
「計画を進めるために、そなたとドワーフの意見も聞きたい。村に帰られると簡単に相談ができん。それに、保護が目的でここに来たのだろ?」
「ふふ、助かります、閣下」
まだバレてないと思うけど、宿屋が知られるのは時間の問題だ。そうなれば、いつ襲われてもおかしくない。
だけど、男爵邸に泊まれるなら身の安全は確保できる。
これで僕がここに来た目的は達成できた。
そして、透明なガラスの製造方法からレンズの製造方法と利用方法を開示した。
ガラス事業を稼働させるには、透明なガラスを作るガラス職人と精巧なレンズを作る錬金術師が必要になる。
「まずは、奴隷商でガラス職人と錬金術師を探す」
「奴隷商ですか、……見つかるでしょうか?」
「可能性は少ないが、いるなら確保しておきたい」
「そうですね。では、人員の確保はお任せします」
錬金術師は職人を見下している人が多いので、ガラス職人と一緒に仕事をしてくれるか分からない。
出自はどうあれ奴隷であれば主人の命令を断ることはできないから、奴隷の錬金術師が確保できれば都合が良い。
「ガラス工房の炉を確認するのはルジェナに任せます」
「そうしてもらえると助かる。建物の補修に必要な資材や人員ははこちらで用意するから、書面にまとめて提出してくれ」
「分かりました。錬金術に関する道具はどうなさいますか?」
「それは、錬金術師に決めさせる」
「そうですね、それでは道具類はガラス職人と錬金術師が来てからにしましょう。ですが、最低限ガラス炉のテストをする準備だけはしておきましょう」
「そうだな、素材と燃料は用意させておく」
母さんとトゥーニスさんが主導して、トビアスさんが内容を書き留めていく。
僕はお茶を飲みながら『忙しそうだな』とその様子を見ていたら、『キュルゥ』と音が鳴った。
音がしたのは僕の後ろ、そっと振り返って見たらルジェナが顔を赤くしておなかを押さえていた。
「そろそろ、夕食の時間だったな」
ルジェナのおなかの音が聞こえたらしく、トゥーニスさんが夕食の話をしてくれた。
「トビアス、ユリアンナに部屋と食事の用意するように伝えてくれ、ああ、それと宿屋に置いてある荷物はメイドに取りに行かせるが良いか?」
「何から何まで、ありがとうございます」
「トビアス」
「分かりました、それも指示しておきます」
トゥーニスさんの指示を受けたトビアスさんが部屋を出て行った。
その様子を見ていたトゥーニスさんは母さんに向き直って真剣な表情で話を続けた。
「私はこの件ばかりに関わっていることはできない。今後はトビアスを主体として動かして行きたいのだが、構わないか?」
「トビアスさんですか?」
「ああ、これを成功させればトビアスの自信にもなる」
爵位を継ぐのに功績は必要ないけど、あった方が周囲の評価が良いし、本人の自信の拠り所にもなる。
トビアスさんは文官だから功績をたてる機会が乏しい、むしろ功績で言えばローザンネさんの武功の方が多くて、次期当主なのに『妻のおまけ』と揶揄されることがあるらしい。
だけど、トビアスさんがガラス事業を成功させれば、そんなことを言われずに済む。
「むろん、失敗しないようにセビエンスを補佐に付ける」
セビエンスさんは男爵家の執事長で普段はトゥーニスさんの補佐をしていて、男爵家の取りまとめを任されている。
今回はトビアスさんの教育係みたいな立場で補佐をさせるらしい。
「分かりました。では、詳細はトビアスさんと決めれば良いのですね?」
「そうしてくれ」
トビアスさんは不用心なところがあるからちょっと心配だけど、セビエンスさんが補佐するなら大丈夫だと思う。
「人材を確保する目的で明日の午前中に奴隷商人を呼ぶ。ステファナの譲渡もその時に行う」
「分かりました」
「見つかるかは分からんが、技術の根幹となる錬金術師とガラス職人は勧誘するより楽だからな」
ガラス職人はともかく、錬金術師は貴族との関係が深いから、勧誘しても来てくれないだろうとトゥーニスさんが説明してくれた。
男爵家で抱えている錬金術師もいるけど、ポーションの作製をしているので手が空かないらしい。
だから、奴隷から探す方が効率が良いのだと。
「では、わたしたちは明日の午後にオプシディオ商会に行くついでにガラス工房も視察をしてきます」
「ふむ、それなら、ディーデリックを護衛に付ける」
「よろしいのですか?」
「そなたらに何かあればこちらも大変なことになる」
ディーデリックさんは男爵家の3人の護衛騎士の内の1人で、領主に仕える衛兵や領兵とは立場が違う。
しかも、強さは冒険者で言えばAランクと同等の実力があるらしい。
「ありがとうございます」
「商会が引き下がらないようなら、私が対処しよう」
「それでしたら。……アル、明日の話し合いはあなたがしなさい」
母さんが突然僕に話を振ってきた。
「――っ、僕が話すの?」
「これも経験です。うまく交渉できなくとも、わたしも居ますし、最悪の場合でも閣下が助力してくださいます。気負わず務めなさい」
「……うん、頑張る」
確かに、これは貴重な経験になる。
母さんもトゥーニスさんも助けてくれるなら、やらないのは損だ。
「アル、わたしは閣下ともう少しお話がありますから席を外しなさい」
「? はい。それじゃあ、外に行って良いですか?」
何の話をするのか分からないけど、聞かれたくないみたいだから、夕食まで庭の東屋で待機することにした。
―[メルエスタット メルロー男爵邸 応接室 SIDE,マルティーネ]―
「子どもに交渉をさせるとは思わなんだ。確か5才だったな、大丈夫なのか?」
「ええ、問題はありません。あの子の将来を考えれば今から色々な経験をさせてあげたいのです」
属性が欠落しているにも関わらず高度な魔力操作と膨大な魔力を持っている。あの子に属性があれば賢者と呼ばれてもおかしくない程に。
ですが、現実は魔法が使えないあの子に重くのしかかる。せめて、可能な限りの教育と経験をさせてあげるのが、母親としての務め。
……いえ、アルテュールを不完全に生んでしまった、わたしの贖罪。
「あまり無理はさせるなよ」
「ふふ、ありがとうございます。ですが、あの子なら大丈夫です。とても賢い子ですから」
そう、あの子は賢い。
自ら魔力の物質化を会得した上、魔力を目に見えるようにするなど、大人でもできないことを、易々と成し遂げる。その上、常識外の錬金術を扱う。
あの子なら、いずれは属性がなくとも魔法を使えるようにするかもしれません。
「それで、話とは何かね?」
そうでした、話が逸れてしまいましたが、本題は別にあります。
「昨日もそうでしたが、何やらお屋敷の雰囲気が慌ただしい様に感じます。もし、何か問題が起きているのでしたら、お聞かせ願えませんでしょうか?」
昨日から屋敷の様子がおかしいことと、ローザンネさんが居ないことも気になります。
「……好奇心、と言う訳ではないか」
「ええ、今回の件は閣下とは事業提携するようなものです。もし男爵家に何かあれば、わたしたちも被害を受けます。本当は契約を交わす前に聞くべきことですが、閣下のことは信頼していますので、後回しにしました」
閣下は堅実な方なので、良くない借金をしたりはしないと思いますが、場合によっては稼働したガラス事業を奪われる可能性もありますから、確認しておく必要があります。
「……そうだな、いずれ知られるだろうから伝えておくか。……フルネンドルプが魔物の群れによって壊滅した」
「――?! 壊滅、ですか」
「そうだ、だからローザンネが領兵を率いて魔物の群れを討伐しに行ったのだよ」
フルネンドルプは数年前から開拓が始まった村で、森に街道を通すための要所として作っている村だと聞きました。
「襲って来たのは鬼種のゴブリンとオーガだ。防壁が完成する前だったから守り切れなかった」
ゴブリンとオーガは人を食らう鬼種で、ゴブリンは女を苗床にするので特に嫌われています。
村が壊滅したということは、男は食い殺されて女は捕まり苗床になっている可能性があります。つまり、迅速に対応する必要があるから、ローザンネさんが討伐に出たのでしょう。
彼女は王宮近衛騎士に匹敵するほどの強者ですから、オーガに負けることはないでしょう。
「一応、幾つかの冒険者パーティも付けている。森の中なら冒険者の方が得意だからな」
「そうですか。……では、その件が原因で資金が不足しているという事ですね?」
「ああ、魔物の討伐や村の再建に多大な金がかかる。だが、あの村を再建しないことには街道を通すことができん」
村が壊滅したのは気の毒ですが、資金不足の理由としては理解できる範囲です。
昨日、蜜宝石を購入しなかったのは、資金が無かったからだったのですね。知らなかったとは言え、少々酷なことをしてしまいました。
「分かりました。それでは、できるだけ早急に新しいガラス工房を稼働させる準備に取りかかります」
「ああ、よろしく頼む」
借金による資金不足でなければ問題はないでしょう。




