モザイク俳優
「テレビに出ていましたよね?」
そう街で男に話しかけられて、私は始め喜んだのだが直ぐに奇妙に感じ、最終的には不審に思った。
私は俳優をしているが、脇役専門の三文役者で舞台やカラオケ映像の端役ぐらいでしか出番がない。テレビになど出た事はないから、この男が私を観るはずがない。不審に思ったのはその為である。しかしそこで私はふと思い出したのだ。二度だけ、私はテレビに出た事がある。ただし、私自身の名前はおろか顔も出はしなかったのだが。何故なら私の顔は、モザイクで隠されていたからだ。
「何かの勘違いではないですか? 私はテレビに出た事など……」
慌てた私はそう言った。
すると、その男は軽く噴き出すと「ハハハ」と笑い始めた。
「顔に書いてありますよ、テレビに出た事があるって。演技が…… いえ、嘘が下手なんですね。きっとあなたは根が良い人なのでしょう」
斜に構えたような態度。堅気に生きているようには見えなかったが、チンピラともまた違っていた。
不気味に思っていると、男は自分の職業を名乗った。
「失礼。僕は雑誌記者をやっていましてね。職業柄、あなたのような立場の人には敏感なんですよ」
“雑誌記者!”
そう聞いて、私は青い顔になった。
「いや、何の事だか」
誤魔化そうとしたのだが、男は朗らかに笑って言う。
「安心してください。記事にしようなどとは考えていませんから…… ただ、ちょっとコネを作りたかっただけで」
どうやら私を安心させようとしているようだ。信用しても良さそうに思えた。
私は溜息を漏らすように、「いや、しかし、よく分かりましたね。顔はモザイクで隠れていたのに」と言った。
男は可笑しそうにすると、
「いや、だって、あなた、とても特徴的な体形をしているじゃないですか」
と、弧を描くようなおどけたジェスチャーで私の身体を表現した。
「まぁ、確かに……」
私は肥っている。おまけに禿げている。間違っても女性にモテるようなタイプではない。それに演技も下手だ。当然、役者だけでは食っていけず、アルバイトをしている。だから金になるテレビの仕事があると誘われた時はビックリした。
「あなたの演技は最高でしたよ。よく悪人を演じ切りましたね」
男はそう私を褒めてくれたが、斜に構えたような態度の所為でリップサービスなのか皮肉なのかは判断しかねた。演技が下手な事は自分が一番よく分かっている。巧いはずがない。だからこそ、こうして直ぐにバレてしまったのだろうし。
私が請けたテレビの仕事とは、“盗撮されたノンフィクション映像”として、買い物かごを盗む犯人役をやる事だった。
つまりは、“やらせ”だ。
テレビのワイドショーでは、“レジ袋有料化の悪影響で買い物かごを奪う人物がいる”というニュースを流したいらしく、その為の映像が必要であったようだ。
レジ袋が有料になったので、代わりに買い物かごをいくつも盗んで、そのまま持ち変えろうとする男が店員から注意をされてキレて暴れるという設定だ。私はそのキレて暴れる男の役をやった。
はっきり言って、馬鹿馬鹿しかった。
どうもテレビ局側としては、レジ袋有料化を悪く言いたかったようなのだが、そんな映像ではただ単に社会不適合者が暴れているだけにしか思えない。レジ袋有料化を悪者にするのには無理がある。
もっとも、テレビ局の人間達もそんな事くらい分かっていたのではないかと私は思っている。きっと上からの命令で嫌々いい加減な仕事をしているのだ。
正直、自分でも酷い演技だと思っていたから、もうそんな仕事は入らないと思っていたのだが、何故かしばらくが経ってから、似たような仕事が再び入った。今度は悪徳太陽光設置業者の役で、説明会に来た住民を「呼んでいない! 帰れ!」などと罵倒し追い返そうとする芝居だった。これはどうやら太陽光発電へのネガティブキャンペーンの為に撮られた映像であったらしい。やはり私は馬鹿馬鹿しいと思っていた。こんなので、太陽光発電に悪い印象を持つ視聴者がいるのだろうか?
「観ながら思わず笑ってしまいましたよ。そもそも、誰が撮っているんだ?って思って。隠し撮りにしては角度がおかしい。手振れも少なくて映像が確りし過ぎている。これが普通の撮影でなくて何なんだ?ってね」
男は可笑しそうに語り終える。
そうなのだ。私の下手な演技以前の問題として、シチュエーションからしておかしい。隠し撮りの映像には思えないのだ。きっと多くの視聴者が疑問に思っていたに違いない。
「あの…… 私は役者と言っても下っ端でして、紹介できるような立派な知り合いはいませんよ。そりゃ、役者仲間の一人や二人はいますが。コネ作りにはならないかと」
付いて来る男におずおずとそう話すと、ちょっとだけ首を竦めて彼は返した。
「いやー。コネ作りって言いましたけどね、別にそれだけに限らないんですよ。何かネタがあれば買うつもりでいます。
テレビのあんな仕事が来るくらいなんだから、他にもネタを持っているでしょう? ものによっては大金を出しますよ」
“大金?”
その言葉には魅力を感じたが、私は直ぐに落胆した。金になるようなネタなど持っていない。
「いや、それもないですね。残念ながら。私にはそもそもテレビの仕事なんか来ないのですよ」
それを聞くと男はにやりと笑った。
「“やらせ”の仕事以外は?」
私は目を大きくする。男が狙っているのはやはりテレビの“やらせ”のネタではないかと思ったからだ。
「あの仕事はお世話になっている人から紹介してもらったんです。裏切る訳にいかない」
きっぱりとそう言うと男は楽しそうに笑った。誤魔化しているのかもしれない。
「そう警戒しないでください。言ってみただけです」
そこで男は足を速めて私の前を遮ると「今日はこのくらいにしておきましょう。これ、名刺です。何かネタが見つかったら連絡をください」そう言って名刺を手渡して来た。男の名前と所属部署と暴露ネタで有名な某雑誌社の名前が書かれてある。
どうしようかと迷ったが、私は「分かりました」と言ってその名刺を受け取った。
それからしばらくが過ぎた。私の生活は相変わらずに苦しかった。もうアルバイトで糊口をしのぐ歳でもない。テレビの仕事は実入りが良かった。誘ってくれた人に連絡を取ってみたが、「都合良く何度もあんなおいしい仕事が来るはずがないだろうが! 図々しい」と叱られてしまった。
そりゃそうだ。ただでさえ私の演技は下手なのだ。その上、何度も同じ人物が出れば、バレる可能性は高くなる。
ネガティブキャンペーンの仕事をした事で、私は少しばかりレジ袋…… ビニール袋の海洋放出問題について調べてみた。
たくさんの海洋生物が、ビニール袋を誤飲して死に至っているのだという。また、不要なビニール袋の使用は資源の無駄遣いで、資源の節約という意味でも価値があるらしい。昨今、円安や資源不足の影響で原油は高くなっているから、もし有料のままだったなら小売店などは更に追い込まれていたかもしれないという事だ。もちろん、自然分解するビニール袋の研究開発にも悪影響だろう。
太陽光発電についても様々なネガティブキャンペーンが行われているが、エネルギー自給率が上がれば、国全体に様々な恩恵がある。化石エネルギーの輸入量が減れば、富の国外への流出を防げるし、安全保障上も価値がある。ペロブスカイト太陽電池という新技術には、ゲームチェンジャーになり得る可能性すらあり、仮にそれで太陽光発電が世界中に普及すれば、エネルギー資源の奪い合いで起こる紛争も減るかもしれないという事だった。
私はレジ袋有料化や太陽光発電を悪者にする為に悪役を演じたが、どうにもそれらを悪者にしたがる連中の方が悪者である気がする。アパートの部屋で賞味期限ぎりぎりの安物の弁当を食べながら、なんとなく、私は雑誌記者のあの男の名刺を眺めてみた。
“悪は暴かれ、裁かれるべきではないのだろうか?”
どうせ、もうテレビの仕事は来ないだろう。ならば最後にあのネタを売って、大金を手に入れた方が頭の良い選択に思えた。これは世の中にとって正しい事でもある。
雑誌記者の男に連絡を取ると、あるビルに来るようにと指示を出された。
「大っぴらには話せない内容です。行く事も行き先も僕の事すらも誰にも話さないでください。
そこで話を聞きます」
その指示を私は了承した。そもそもそんな話を気軽にできるような仲間はいない。役者仲間ともここ最近は会っていないのだ。
指定された場所は薄汚い人気のないビルだった。ただ廃ビルではないらしく、多少は人の活動の跡がある。奥に進むと応接室のような部屋があった。狭かったが、一応、お茶が出してあり、男はソファに腰を下ろしていた。向かい合う形で座る。
男が言った。
「いやぁ、来てくれて良かったですよ」
私を籠絡するような感じの嫌な笑顔だった。レコーダーが置かれてあった。それに向けて話してくれという。
金は前払いで50万。話し終えたら、更に50万。面白い話だったなら、もっと上乗せしてくれるそうだ。
別に話振りで金を上乗せしてくれる訳ではないのだろうが、俳優であるというプライドを刺激された私は気合いを入れて雄弁に語った。男は意外に聞き上手な一面があるらしく、「ほほー」などと私の話す内容に大袈裟に感心してくれた。私を話し易くする為のリアクションなのだろうが、それでも私は気を良くしてたくさん喋った。
ある程度話したところで一休みすると、たくさん喋って喉が渇いていた私はお茶を飲んだ。不思議な味のするお茶だったが特に気にしなかった。また話し始めた。
ところがだ。
話している途中で、私は何故だか眠たくなってしまったのだった。
「あれ…… おかしいな」
と私が呟くと、男はにやりと笑った。その笑顔で私は察した。
「まさか、さっきのお茶に」
そう呟くと、男は驚いた顔を見せた。
「おや? 気が付きましたか。思ったよりも鋭いですね。そうです。さっきのお茶は強力な眠り薬入りです」
おどけた口調。
「なんで……」と私が言うと、男はこう返した。
「“なんで”も何もないでしょう? 自分が危険な告白をしようとしているって事は分かっていたのじゃないですか? 国が関与している悪どい仕事をバラそうなんて。首輪くらい付けられているとは思わないんですか?」
私は目を大きくする。その瞬間、酷い眩みがして倒れそうになった。
「そうです。僕がその首輪です。あなたがあの話を暴露をしようと雑誌記者を装った僕に連絡を入れて来たら殺すって役割の。どうです? 僕の演技はなかなかのものだったでしょう? プロの俳優さんでも見抜けなかった」
「どうして……今までは…」と朦朧とした意識の中で私は絞り出すように言った。男は楽しそうに返す。
「ええ。実はちょっと前にトップが変わりましてね。用心深いと言うか、心配性と言うか、ちょっとでも不安要素があったら“殺っちまえ”ってタイプの人でして」
それから男は縄を見せた。
「安心してください。苦しまずに殺してあげますから。薬で意識のない状態で、首を括れば何も分からないままあの世逝きですよ。良かったですね」
それを聞いて私は逃げ出そうと立ち上がった。がしかし、立ち上がれずに転んでしまった。
「嫌だなぁ。上半身は起こしていてくださいよ、仕事がやり難くなる」
男はそんな私を無理矢理に起こした。
「そうだ。あなたが死んだら、葬式の写真はテレビに出たあの時のやつを使いましょうか。なにせ、あなたが一番輝いていた瞬間なんだし」
その酷い冗談を、男は自分で笑った。その笑い声を聞きながら私の視界は急速に真っ暗になっていった。
「――あ、でも、モザイクがかかっているから誰だか分からないですね。キャハハハ!」
そして、その笑い声と共に私の意識は完全になくなったのだった。