Scene-9~やさしさとして、思い出として/死神ビール~
とにかく暑い!
汗がキーボードの上に落ちてきそうなほど次から次と溢れ出てくる。
先週からエアコンが壊れていて、生きているだけで死んでしまいそうになる。
今年の夏は尋常じゃない。
こんなに暑いのに仕事をしなければならない。
里中史也は駆け出しの小説家だ。
大学時代の募集したコンクールで入賞し、一躍脚光を浴びた。
しかし、世間はそんなに甘くはなかった。
小説家を本業としながらも、小さな地元紙のコラムなど書いてかろうじて生計を立てている。
最初に入ってきた印税でマンションを購入し、未来は明るいはずだった。
しかし、そんなものは一時だけで、今は食っていくのがやっとの状態だ。
だから、壊れたエアコンも修理する金がない。
この仕事の収入が入ったら真っ先にエアコンを直そう。
そのことを糧にして今はやるしかない。
夜になると昼間よりは過ごしやすくなる。
史也の部屋は12階建てのマンションの8階にある。
風があれば、エアコンなしでもそこそこ涼しい。
しかしこの日は全くの無風状態。
キッチンへ行き冷蔵庫の扉を開けると缶ビールが1本だけ残っていた。
お気に入りのバドワイザーだ。
早速取り出してプルトップを開け、一気にのどの奥へと流しこんだ。
部屋に戻って、中身が半分ほどに減ったビールの缶をキーボードの脇に置いた。
その後はキーボードを叩いてはビールを一口飲みながら仕事に没頭した。
しばらくして時計に目を向けると、ちょうど12時だった。
どうりで腹が減ったわけだ。
再びキッチンへ向かい冷蔵庫の扉を開ける。
ちょうど食べたいと思っていた冷凍のピザが入っていた。
オーブンで暖めてからタバスコを捜して再び冷蔵庫の扉を開けた。
ドアポケットにタバスコを発見し、取り出した。
そして、ふと視線を移した先には缶ビールが1本入っていた。
ラッキー!もう1本あった。
迷わずに缶ビールを手に取って再び部屋へ戻った。
一気に飲んだビールのせいか、満腹感からか史也は急に睡魔に襲われた。
そんな時、ビールの缶を見て不思議に思った。
そのビールは見たこともない銘柄のものだった。
なんの意味だか分らないが死神の絵が描かれている。
何ともセンスのないデザインだ。
しかし、こんなものどこで買って来たんだろう?
そうこうしているうちに史也は転寝をしてしまった。
ピピピッ、ピピピッ、目覚ましのアラームが鳴って史也は目が覚めた。
目覚ましをかけた覚えはなかったが、目をこすりつつも再びキーボードを叩き始めた。
ふと時計に目をやる。
12時だった。
うん? 12時? おかしいぞ! あたりを見回すと、飲みかけのバドワイザーの缶が置かれているほかは何も変わったことはなかった。
夢でも見てたのか・・・ まあ、いいや。
残ったバドワイザーを飲み干すと、腹が減ったのでキッチンへ行って冷蔵庫の扉を開けた。
冷凍のピザを取り出し、オーブンで暖めた。
タバスコを出すためにもう一度冷蔵庫の扉を開けると、見たことのない銘柄の缶ビールが入っていた。
なんだ? このビール? まあ、なんでもいいか!
一口飲んでパソコンに向かう。
また睡魔に襲われる。
アラーム音で目が覚める。
時計を見ると12時だった。
やっぱり、なんかおかしいぞ。 これは夢なんかじゃない。 いったいどうしちまったってんだ?
史也はキーボードの脇の缶ビールを手に取ってみる。
すると、缶に印刷されている死神が笑ったように見えた。
目をこすって再び見てみるとそこに死神の絵がなくなっていた。
あれっ? 死神はどこへ行ったんだ。
その瞬間、史也は背筋が凍るのを覚え振り向くと、大きな鎌を振り下ろす死神の姿が飛び込んできた。
闇の奥から声が聞こえてくる。
誰かに体をゆすられているような気もする。
だんだん、意識が戻ってきた。
恐る恐る目を開けた。
「ねえ、ちょっと! 大丈夫? 里中、しっかりしなさいよ」
「うわっ! 死神」
「なに! 誰が死神だって?」
そこにいたのは、大学のクラブの部長、佐々岡香奈だった。
やっと思い出した。
史也は大学のクラブの歓迎会で、部長の香奈に無理やり飲まされて酔っ払ったあげく、眠り込んでしまったのだった。
「夢で良かった」
史也は体を起こすと辺りを見回した。
店は閉店時間を過ぎたらしく、他の客はいなくなっていた。
「さあ、帰るわよ! 大丈夫? 歩ける?」
「ああ、大丈夫です」
店を出ると香奈はタクシーを拾って乗り込んだ。
香奈を見送ると、史也も下宿に帰ろうと歩き出した。
すると、暖簾をしまうために外へ出てきた店主に呼び止められた。
「お兄さんが今日飲んだビールは特別なビールなんだ。1本余ったから持って帰んな」
店主が差し出したビールを見て史也は凍りついた。
そのビールには、死神が史也の首をぶら下げている絵が描かれてあった。