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ショートショートの小宇宙

ワクチン

作者: 駿平堂

 長く続いた争いの時代も終結し、久しぶりに訪れた平穏な暮らしを享受していた人類を次に脅かしたのは、とある伝染病の恐怖であった。そんな病魔に立ち向かうべく世界中の科学者が研究を続け、遂にエフ博士がここにワクチンの開発に成功した。


「やった、やったぞ」

 喜びを噛みしめるエフ博士の手に置かれたのは一粒の白い錠剤である。人類を救うであろう希望の塊であった。

「やりましたね、博士」

 そう言うのはアール助手だ。彼の顔は、人類を救うことになるであろう偉業を成し遂げた達成感で満ちていた。

「ああ、長年人類を苦しめてきた病魔から、遂に解放される時が来たのだ」

「全人類がこのワクチンをどれだけ待ち望んだことでしょう」

「うむ。本当に喜ばしい限りだ。ただ一つ不安なのは、このワクチンの副作用が社会にどれだけの影響を及ぼすことになるかだな」

 ワクチンの完成に舞い上がってはいるものの、博士は一抹の不安を感じていた。どれだけ研究をしても、とある副作用を失くすことができなかったのである。

「病気で死ぬことに比べたらなんでもありませんよ。こんな副作用。排尿頻度が増加するだけなんですから」


 翌日のメディアはどこもこのニュースを大々的に取り上げた。人類の希望の光であるのだから当然だ。そしてその副作用についてもワイドショーなどで議論が交わされたが、現在の生活に大きな影響を与えることはない、というのが大半の意見であった。それまでの病魔による死の恐怖と比べたら、ただトイレに行く回数が多くなるだけの症状など気にするに値しなかったのである。

 

 しかし、いざ人々が高頻度トイレ生活を始めてみると、それが想像していたよりも困難であることが明らかになった。通勤の電車の中で尿意に襲われ駅のトイレに駆け込み、そのせいで遅刻する人。仕事中に何回もトイレに行き、作業の効率が下がる人。夜中に排尿感で何回も目を覚ましてしまい、不眠気味になってしまった人。中には人前でお漏らしをしてしまい、家に引きこもるようになってしまった人もいた。

 実際に社会がこのような状況になったことを受けて、ワイドショーの様相もガラッと変わってしまった。


「ですから、社会は一時間に一回以上トイレに行くことを前提とした生活スタイルにシフトチェンジしなければならないんですよ。それとお漏らしをしてしまった人を馬鹿にしたりしないことです。もはや誰の身にも起こりうることなんですから」

「全くその通りですね。ではここで休憩時間とさせていただきます。視聴者の皆さまも、今のうちにお手洗い等お済ませください」

 

 このような休憩時間はテレビだけでなく、映画や演劇、コンサートでも設けられた。また大人でもオムツをすることが当然になり、ファッションアイテムの一つとなった。自動車会社はトイレ付きの自動車を開発し、将来的には排泄物を燃料として活かすことを目標にすると発表した。

 このような情勢の中で、政府も動き出した。まず、漏らしてしまった人のための専用ダイヤルの設置だ。漏らしてしまった際にその番号にかけると、専門の処理班が迅速に処理をして着替えまで用意してくれるという制度だ。さらに新たにトイレを設置する際には、政府からトイレ補助金が支給されることになった。


 しかしそれを聞いて面白く思わない人たちがいた。一度この病に罹患したものの回復して免疫がついている人、もともと抗体を保持していた人、あるいは個人的な希望で接種を断った人など、様々な理由でワクチンを接種していない人たちだ。彼らはもはや排泄頻度的マイノリティになっていた。職場では他の人が度々トイレ休憩で席を立つ中黙々と働き、映画やテレビを見れば必要のないトイレ休憩を押し付けられる。そして今度は税金を使ってトイレの設置補助やお漏らし専用ダイヤルの設置ときた。もう限界であった。


「トイレは万人に必要だが、万事に必要ではない」

 こんなスローガンをかかげ、排泄頻度的マイノリティは頻繁にデモ活動を行った。彼らの主張は、自分たちにもトイレ休憩と同じだけの休憩を認めること、自分たちに税金の優遇措置を適用することなどであった。彼らの主張も一理あったが、一連の混乱でただでさえ社会の生産性が低下しているこの状況ですんなりと受け入れられるものでもなかった。世論は賛成派と反対派に二分され、社会は混迷を極めていった。


「さすがにこれはまずいのう。まさか、あの副作用が社会にこんな影響を与えるとはの」

 排泄頻度的マイノリティのデモの様子を映すテレビを眺めながら博士がつぶやいた。

「ええ、これはワクチンを開発した我々の責任です。一刻も早く、副作用を抑える薬を開発しましょう」


 それからというもの、博士と助手は寝る間も惜しんで薬の開発に尽力した。そしてついに動物実験を成功する段階まで至った。

「もう少しですね」

「ああ、動物実験では完璧な結果じゃった。今度はわしとお前で試してみよう」

 そうして二人は薬を飲み込み、緊張のうちにしばらく無言の時間を過ごした。そしてお互いが催すことが無く一時間が過ぎたところで、博士と助手はこの薬が人体にも有効であることを確信した。二人が喜びの言葉を口にしようとしたその時、沈黙を切り裂いたのは予想もしていなかった音だった。

 

 ぷー


「すみません、緊張しているせいか、お腹の調子が」

「ははは、構わん構わん」

 

 ぶー

 

 今度は博士から発せられた音に、二人は思わず顔を見合わせた。

「博士、これはもしかして」

「うむ、おそらく、そういうことじゃろうな……」

 実験の結果、排尿頻度は通常レベルまで戻ることが認められた。そしてそれと同時に、放屁頻度の大幅な増加が確認された。

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