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7 彼らのいない明日

 敵は葬り去った。

 いろいろなものを得、あるいは失って。

 いろいろなことがあって、それでも今日を生きていることを素直に喜べるほどには、俺はまだ楽観的にはなれない。

 しかしながら、そんな自分を受け入れて付き合う方法は、学ぶことができた。

 とりあえず今はそれでいい。希望なんてものは、あとからおいおい考えればよいことだ。

 あのガレージでは、格納されていた軽トラの鍵が棚の上に置いてあるのが、その後偶然発見された。

 こんなものがまだいい状態で誰にも手を付けられず置いてあるとは思いもしなかった。ラジコンや監視カメラなど、今回の作戦のために用意した物にしても、電源がある限りは非常に有用な道具になりうる。街を探せば他にも使えるものがたくさんあるかもしれない。まぁそれも、ゾンビ共が減るのを待ちつつ、おいおいだ。

 夏希とは、まだ喋っていない。その場を適当に片しつつ夏希が落ち着くのを待ってから、ゾンビが来ないうちに車に乗ってそそくさと引き上げたはいいが、密閉空間で無言というのは少々気まずい。

「ねぇ」

 と、思っていたところで、夏希が不意に声をかけてきた。あまりにいいタイミングなものだから、まるで心を読まれたかのような気になって、心臓に悪い。

「ありがと。その、いろいろ。……一人じゃ、どうにもならなくなってたと思うから。たぶん」

「どういたしまして」

 なんとなく、ばつが悪い。照れくさいというのではなく、ただ夏希より俺のほうこそ助けられたふうな感じがあって、素直に礼を受けたい気分になれないからだ。

「どうすんだ。これから」

「とりあえずお礼と挨拶かな。道具を貸してくれた人とか、あと……美奈と仲良かった人達に」

「そうか」

 誰かが死んだことを伝えるのは、辛いことだ。ましてやそれが自分や相手の親しかった人物の訃報ならば特に。

 まあでも、こんな世界で生きているからにはそういうことは向こうも何度か経験済みのことだろう。何度経験したとて慣れるような事柄ではないとも思うが、しかしそれは仕方のないことだ。死に慣れてしまうこと、命を悼む心をなくしてしまうこと。それは、何より悲しいことだと思う。それが他人の命でも、自分の命でもだ。

「よし、一番近いところを教えてくれ。今日中に一件か二件は行けるだろう」

「え?あ、そうか。うん、わかった」

 徒歩では一日かかる場所も、車ならすぐだ。移動速度、移動範囲が大きいというのはまったくもって馬鹿にならない。

 車なんて運転したのは久々だ。船に代わる新たな乗り物に、すこしだけウキウキしつつハンドルを握る。

「山上さんは、どうするの?」

「そうだなぁ。やることも特にないし、お前さえよければ、お前に付き合うよ。俺もそいつらに礼を言わなきゃならんだろうし」

「えー。山上さんだって私を手伝っただけだし、別にいいでしょ」

「そうもいかん」

 借りた道具がなければ、作戦はより困難なものになっていた。ひょっとしたら死んでいた可能性もある。礼を言うのは必然だ。

「そう。まぁいいけど。……じゃあさ、それが終わったら、どうするの?船に戻る?」

「あー……」

 どう、すればいいだろうか。

 船に戻るか。いや、しかし、何故だろう。またひとりになると思うと、何故だかたまらなく怖い。今までずっと一人だったというのに。

 生きたいと、思ってしまったからだ。抜け殻のようだった人生に、価値を見出してしまったから。これから生きる時間を、豊かで意味あるものにしたいと思ってしまったから。

 だから、ひとりになるのが怖いのだ。また無味で乾燥したあの日々の繰り返しにもどるのが、怖い。

 夏希はどうだろうか。唯一の友達を失った彼女もまた、これからはひとりだ。強いとはいえ、彼女はまだ高校生なのだ。だれかが、そばで見守ってやらねばならぬのではないか。

「あのさ。提案なんだが、その、これからも一緒に行動しないか?お互い一人だし、なんつーか、やっぱり誰かがいたほうがいいと思うんだよ。一人だけで生きるのは、あまりに虚しい」

 ついに俺は、そう口に出した。

 すると夏希は、「なにそれ、下心?」と微かに笑いながら言った。

 その笑いは、何故だか、笑っているのに、泣いているように思えた。だから俺は、うまく笑い返すことができなかった。

「ちげーよ。ただ、俺はな」

「いいよ。わかってる。心配なんでしょ?私のこと。でも、駄目なの。それだけは駄目」

「なぜ」

「私きっと、一緒にいると山上さんに甘えちゃう。そしたら絶対、迷惑、かけちゃうから。さっきだって、一歩間違えれば山上さんが死ぬところだった。また目の前で親しい人に死なれたら、……しかもそれが私のせいだったら、今度こそ私、耐えられなくなる」

「そんなこと」

「ある。あるんだよ。だから、ぜったいに、駄目」

 念を押して言い切られ、ぐうの音も出なくなる。

 俺は、こいつに何もしてやれないのだろうか。悲しみを背負うか、すべてを捨てて修羅になるしか、彼女に道はないのか。そんなに悲しいことを、俺はただ、黙って見過ごしてもいいのか。

 彼女が語ったのは、たんに彼女だけの話ではない。それは、俺の過去におきた出来事であり、そしてまた未来にも起こりうる事柄だ。

「……俺さ、こう見えて警察官だったんだよ。みんなを守る仕事に、誇りをもってた。そんなやつがさ、いざ目の前で大災害が起こって、どうしたと思う?……逃げたんだよ。誇りも責任もかなぐり捨てて、ただ自分が生き残りたいがために。結果守るべきものも、大切な人も失って、残ったのは後悔だけだったよ。死のうかとも思った。でも、死ぬ勇気もなくて、お前と出会うまで、ただぼーっと生きてた」

 何を言うべきか迷って、口をついて出たのはそんな昔話だった。俺しか知らない、俺にしか語れない物語だ。

「そんな俺だが言う。そんな俺だから言う。……自分勝手に生きろ」

 一見せずとも矛盾している。そんなことはわかっている。だがその矛盾を、許容することを教えてくれたのは夏希だ。

「死なないなんて、約束はできない。最後には後悔に終わるかもしれない。でも、それでも、全てが無駄と決まったわけじゃない。誰かに迷惑をかけたり、犠牲にしたりして生きることが駄目だなんて誰も言ってない。……たとえ自分が嫌いになっても、それでも生きていていいと。生きることに理由なんていらないと、言ったのはお前だろ」

「でも」

「それにな、お前が心配だっていうだけが理由じゃない。俺だって、一人で生きるのは怖い。ほとんどの人はそうなんだ、多分。第一お前はまだ子供だ。甘えてもいいだろ、別に」

 言ってしまった。思っていたこと、すべて。俺自身の、弱さについても。

「それで」

「ん?」

「それで、もし、ほんとに後悔することになっても。それでも自分勝手に生きろっていうの?」

「……。そうだ」

 夏希が、目を抑えて俯く。そして、震えた声で、次のことを言った。

「残酷なことを言うね。ひどいよ」

「ああ。全くその通りだ」

 言葉とは裏腹に、本心から罵っている雰囲気ではない。

 ただ、自分の言ったことのために泣かれるのは、むず痒い。

「美奈のお墓」

「え?」 

 急に脈絡のない単語を言われて、思わず聞き返す。

「最期に、立ち会ってもらっちゃったから。ちゃんとしたの建てるまでは、付き合ってもらわないとね」

「あ、ああ。そうだな」

 いけない。今度はこちらのほうが泣きそうである。

 かの少女は、自分のあとに夏希の隣に立つ者がこんな男でも許してくれるのだろうか。

 ──あの子を悲しませたら、許さない。

 そう、誰かに言われているように思えてならないのは、ただの俺の妄想だろうか。善処させていただきます、と俺はそう口の中だけで呟いた。

「あとそういえばさ。さっき、初めて名前、呼んでくれたね。なんでお前に戻っちゃったの?」

 さっきとは、いつだったけと記憶を探り、思い出す。なんだこいつ、ちゃんと聞いていたのか。

「お前が返事しないからだろ。くだらないこと覚えてんな」

「えー。今度はちゃんと返事するからー」

「呼ばねえ」

「なんでー。……ちょっと、なんで止まるの」

「前見ろ、前」

 うわ、と夏希が声を出す。進行方向には、かなり大きめなゾンビの群れ。

「もう目の前なんだがな。迂回すると今日中にはマンションに戻れなそうだし……こういう時は、アレ使うか」

 リュックから、もらった目覚まし時計を取り出す。それから、さっき使ったのとは違う小さなラジコンを取り出し、ガムテープでぐるぐる巻きにして両者をくっつけた。

「ねえ、それあとで私が遊ぶためにとっておいたやつなんだけど」

「でかいほうでいいだろ」

「室内で動かせないじゃん」

「じゃあまた取りに行けばいい。でかいほうが使いでがあるからここで失くしたくない」

 ぶーぶー文句を言う夏希をよそに、窓からラジコンカーをだして走らせる。

 しばらくしてやかましくなりだしたそれは、ゾンビを引き付けて明後日の方角に走り去る。目覚ましの音もゾンビの呻きも聞こえなくなったころ、再びアクセルを踏んで走り出した。

「てかさー、なんで無理矢理突撃しなかったの?車ならゾンビくらい轢き潰せるでしょ」

「バッカお前、そんなことしたらバンパー凹むし血が付くだろ。無理な運転で壊れたら替えがきかないし、荷台にでも乗られたらコトだ」

 軽口は、照れやそれに類する感情を紛らわすためのものだ。

 さっきの車内とは打って変わった賑やかさで、目的地へと到着する。

「ほうら、ついた。気を付けて出ろ、……夏希」

「え?なんて?」

「お前……!」

「冗談だよ。怒んないで、ほら、騒ぐとゾンビが寄ってくるよ」

 まったく調子のいい娘だ。さっきまでのことがまるで嘘のようだ。まあでも、これだけ元気ならば、もう心配する必要もあるまい。

 いっそ全て嘘であってほしい、とは。全部が全部、ただの悪い夢であればいいのにとは、思わないではないが。

 しかし残念ながらこれが現実なのだ。大切な人がもうこの世にいないことも、別の大切な誰かに出会えたことも、全てひっくるめて。

 だから、なんとか折り合いをつけてやっていくしかないのだろう。それでいつの日にか、あるいはいつの日にでも、あんなこともあったと思い出せるように、覚えておくことが、日々へのせめてもの償いになるのかもしれない。

 今度こそ頑張れよと、去ったはずの大事な人に、言われた気がした。

 あとは任せましたからねと、死に際を看取った前任者に告げられたような気がした。

 よく耳を澄ませて聞こえてくるのは、怪物の呻き声だけではない。少女の呼ぶ声が、確かに聞こえる。

 だから俺は、足を踏み出すことを、もう恐れない。

 俺たちの未来に幸あれ、とそっと祈って。彼女の呼ぶほうへ、俺は歩き出した。


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