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4 異質


──撃て!

──でも!

──いいから撃て!もう噛まれてんだよ!

叫び声が頭の中をこだまする。

手の中には、拳銃。目の前で叫んでいるのは、俺の先輩だ。

俺のせいだ。何もかも、俺が悪いのだ。

誇りを持っていた。人を助けるんだと、胸を張って警察官になった。その誇りを踏みにじったのは、他でもない俺だ。

何が人を助ける、だ。いざとなったら我が身可愛さに逃げ出す腰抜けの癖して、よくもまぁぬけぬけと言えたものだ。

銃を向ける。大切な人に。それはせめてもの償いであり、同時に自分自身への罰だった。

引き金に手をかける。涙が止まらない。それは大切な人を失うつらさか、それともこの結果を導いてしまった悔しさか。

泣く権利などありはしないというのに、滂沱としてあふれ出て止まらない。この期に及んでなんという厚かましさ、図々しさだろう。

全ては過ぎたことだ。だから、せめてちゃんと終わらせなければならない。

撃鉄(ハンマー)がゆっくりと持ち上がる。

──山上。

──ごめんな。

引き金を引く。

銃口から立ち上る煙と、干からびた後悔のみが、あとには残された。


 *


「朝か……」

 雀の声が聞こえてくる。ウイルス(本当にウイルスが原因かは知らないが)に侵される心配のない動物たちはいい気なものだ。

 隣のベッドでは、少女が規則正しい寝息をたてている。いわゆる朝チュン──ではもちろんない。大人としてこれでもわきまえているつもりだ。

 心残りや後悔、後ろめたさの記憶というのは、決まって忘れたころに夢の中に現れる。本当は忘れてなどいないのだろう。まるで忘れることを許さない自分自身の無意識が、逃避を図る俺の自意識を引き戻して断罪ずるかのように、執拗に感情を抉るのだ。だからこその心残り、後ろめたさというものだ。

 感傷に浸って暇など許されぬ過酷な世界に生きているというのに、心というのはまったくもって度し難い。

 ──生きるのに理由はいらない、か。

 まあ、あれこれ考えたところで、結局自分で自分の人生に幕を下ろす決断などできないのだが、もし仮にそうしたら彼女は馬鹿馬鹿しいと思うのだろうか。

 なんとなくそれは嫌だと思った。

 少女に起きる気配はない。声をかけ、体をゆすっても、面倒そうに「あと五分ー」といって寝返りを打つだけだ。

 ──全く、かなわないな。

 本当に夏希にはかなわない。見習いたいくらいの図太さだ。

 夏希をほっといて立ち上がる。ベランダに行って窓の外を見ると、昨日いたゾンビの群れは大方路上から去っていた。安堵しつつ、さてと自分のリュックを引き寄せて手を突っ込みごそごそとやる。

 取り出したのは、褐色の粒が入ったプラスチック製の容器。

 それから夏希が近くのコンビニで大量にとってきたという紙コップを二つとってミネラルウォーターを注ぎ、そしてその中に褐色の粒を入れ、やや執拗気味に攪拌。低温だとこうしなければなかなか溶けないのだ。

 コップを持って夏希のいる寝室に戻ると、彼女は起き上がってふわぁと欠伸をしているところだった。

「ほらよ、俺のとっておきのコーヒーだ。冷たくて悪いがな。昨日の礼だ」

「お礼?助けてもらったのは私だと思うんだけど。まいいや、ありがと」

 認識がかみ合ってないのは、俺の自意識過剰ゆえだろう。

 夏希がコーヒーを啜り、溜息をつく。

「ミルクが欲しい」

「ガキか。いや、ガキだったな。悪い」

「うっさい」

 照れ隠しの憎まれ口をひとつ。それから夏希が乾パンを持ってきて、二人して齧る。

 なんと平和な朝だろう。だがそれは見かけだけだということを、俺も夏希も知っている。

 動き出すのは、夜明け以降早ければ早いほどいい。夜闇が俺たちの敵である限りは。

 休養は大事だが、ゆっくり休むのはほどほどにして支度を済ませ、部屋をあとにする。

「山上さんは、どうするの?これから」

「そうだな。とりあえず船に戻る。無理だったら、まぁ他にゾンビ共がいなくなるまでやり過ごせそうな場所を探すよ」

「そ」

 階段を下りながら話す。これからは別行動だ。何かやり残したことはないか。

「そいやお前、銃の使い方わかんのか?」

「そりゃ素人だけど。山上さんはわかるの?」

「訓練を受けた経験はある。実射の経験もな」

「へー、意外」

 一階のエントランスに着き、ふと夏希に銃の手ほどきをしてやることを思いつく。せっかくの武器も、正しく使えなければ宝の持ち腐れだ。たかが五発しかない拳銃ごとき、本当に追い詰められた時には大して役に立たないかもしれないが、とれる手段は多いに越したことはない。

「ちょっと構えてみろ。引金(トリガー)に指は置くなよ」

 俺が言い、夏希がその通りにする。

 夏希がとった姿勢は、最も基本的な、銃を正面に置く所謂アイソセレススタンスに近いものだった。

 筋はいい、と思う。俺が初めて銃を持った時よりは、少なくとも様になっている。

「そうだな、重心はもっと前だ。そう、それと腕は伸ばし切らないほうがいい、反動を受けきれない。サイトの見方はわかるか?」

「後ろの凹みと前の出っ張りを合わせればいいんだよね?」

「そうだ。首は傾けず目の真ん中で狙え。あとはそのままでも撃てるが引き金がかなり重いと思うから、撃鉄を起こしてから撃つといい。……もしものときは、今教えたことを忘れるな」

「うん。ありがと」

 これでもう、思い残すことはない。夏希といた時間は不思議なものだったが、それももう終わる。

 夏希は銃をホルスターに戻すと、武器のスコップを持ち直した。俺も鉄パイプを装備しなおす。外に出れば、もう気は抜けない。

「じゃあ、いくよ」

 ガラスのドアを動かし、外に出る。幸い見える範囲に奴らはいない。

「じゃあ、元気でね」

「あ、ちょっと待て」

 夏希を静止させ、昨日目覚まし時計を置いた場所を見に行く。

 奴らが弄んだのだろうか、場所が少し変わっていたが、それを見つけて手に取る。

「ほらよ。まだ使えるんじゃねーのか、良かったな」

 時計を夏希に差し出す。だが、夏希はそれを受け取ろうとはしなかった。

「いいよ。山上さんが使って」

「なんでだよ。お前のだろ」

「いいから。山上さんが拾ったんだから、もう山上さんのもの」

「そうか。じゃあ貰っておくか。……それじゃ、死ぬなよ」

「そっちもね。生きてたら、またどこかで」

「ああ」

 手を振り、別々の方向を向いて歩き出す。別れの余韻に浸れればよいが、すぐに気持ちを切り替えなければならない。それができない奴から、おそらく死ぬのだ。

 夏希にもらった周辺の地図の写しと方位磁針をポケットから出して眺める。もちろんそんな余裕がない時も多いだろうからあらかじめ覚えてきてはいるし、そもそも前職が前職なので街の地理にはもともと明るいのだが、動き出しから間違えるのも嫌なので、一応、だ。

 海の方角は向こう、か。奴らが少なければいいのだが、まぁ気を抜かずに行こう。

 最初の角を曲がる。ゾンビは──数匹ほどいる。

 否、いた、だ。そいつらは、今となってはゾンビですらない。体の多くの部分が抉れ、失われたただの死骸だ。昨日通ったときにはなかったから、誰か別の生存者が、昨夜のうちにここで戦ったのだろうか。

 それにしても妙だ。ただの死体ではないのは明白だが、退治されたゾンビの死骸にしてもおかしい。恨みがあったとしてもここまで死体を損傷させるというのは不自然だし、何より普通に戦ってできる傷じゃない。これではまるで──肉食動物かなにかに食い荒らされたあとのようだ。

 これをやったやつがまだ近くにいるかもしれない。思わず背筋が凍り、周囲を警戒する。例えそいつが人間でも、正気を保っているとは限らない。むしろ、こんなことをする奴が正気である訳がない。

 とても、悪い予感がする。


「いやぁぁあぁぁぁぁぁあぁああぁああああああぁあぁあ‼」


 緊張がピークに達した頃、突如として甲高い悲鳴がほど近いところから聞こえてくる。

 ──夏希の、声だった。

 それまで考えていたことがすべて消え去り、気が付いたら走っていた。これまでの人生で最高速ではないかというほど夢中になって、声の聞こえたほうへ。

たどり着いた先で、セーラー服姿の少女が蹲っている。

 傍らには、死体。

「嘘……そんな……なんで……」

呆然として流れ出る夏希の言葉の中に、俺は確かに「美奈……」という呟きを聞き取る。

あまり考えたくはないが、この遺体こそが、夏希の言う美奈なのだろう。

その有様は、さっき見たものと同じく、食い荒らされたように抉れた傷口から(はらわた)がこぼれ、片腕が失われていた。

そう。その少女は諦めてなどいなかったのだ。夏希と同じように拠点を目指し、そして不運なことに目的地を眼前にして何者かに襲われたのだ。

これではっきりした。これをやったやつは、相手が人間だろうと構いはしない。

惨たらしいことこの上ない。精神を病んだ人間でも、果たしてここまでやるだろうか。

「……て」

 ──まだ生きている、のか。

 おそらくもう助からないだろうが、腹に穴が開いているのだから空気をいくら吸っても抜けていくだけだろうに懸命に呼吸を試み、口を動かして必死に何かを伝えようとしている。

 助けて、と言いたいのだろうか。

 ──いや、違う。

「逃げ、て……」

「美奈?美奈っ‼」

 やがて少女はやけに低い唸り声をあげ、ついにこと切れた。ただ一言、それだけを言い残して。

 やはり。

 まだ近くに彼女を襲った奴がいる。

「夏希、ここにいたらまずい。立て」

「でも、美奈が」

 夏希がこちらに向けたそのあまりの表情に、ずきりと胸が痛む。

 ついさっきまでの毅然として勇壮な戦士の面影は薄れ切っていた。そこにいたのは、悲嘆に暮れる憐れな少女だ。

 だがそれでも、見捨ててやる訳にはいかない。

 最期の生の欠片を振り絞って友達を助けようとした健気な少女のために、なにより彼女自身の命と、昨日語った誇りを守るために。

「もう死んでるよ。お前に言ったんだろ、逃げろって!耳腐ってねーなら動け、それとも……」

 裏切るのか、と少女に告げる。自分を、或いは友達を。

 自分だけは自分を裏切らないと、夏希は昨日言った。ならばそれを証明すべきだ。

 少女が目を見開く。それから自分を恥じ入るように、息をひとつ。

「……わかった。ごめんね」

 夏希が立ち上がる。まだ現実を受け入れがたいといった様子だが、その目にとりあえずのところ迷いはない。

 早く逃げようと動き出す。直前、視界の端、路地の向こうに人影が見えた。

 女性だ。ぼさぼさの長い髪、汚れた衣服。

 口に何か赤い塊を咥えている。中から白いものが覗くその物体は、よく見ると人の腕であったのだとわかる。

 それはまさしく、そいつであった。

 人のようで、ゾンビのような出で立ち。

 そいつは、俺たちの姿を見つけると──走った。

「嘘だろおい……!」

 夏希とともに全力で逃走する。

 まずい。

 相手がゾンビか人間かわからない。もちろんゾンビが走るなど通常は考えられないのだが、しかし嫌な予感がする。

 曲がり角を曲がる瞬間、俺はそいつがまだ追ってきているか確認するために背後を向いた。

「なっ……!」

 そのとき目にはいった光景に、俺は心底驚愕した。

 夏希は今のを見ただろうか。できれば見ていないでほしい。

 後ろを向いて奴が追ってきていないことを確認し、近くに身を隠せる場所はないかと夏希に問いかける。夏希は、「ある」とだけこたえ、しばらく走った後民家のうちのひとつの玄関を開けて中へと入る。


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