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3 拠点と晩ごはんと生きる意味

「安全なのか?」

「ゾンビにそこそこ重いあのドアを器用に開けるなんて真似できないし、鍵があるから少なくとも部屋は安全だよ。ほら、あれみて」

 夏希がぴっちり閉じたドアを指さす。そこには、ガラスを俺たちを襲うべくドアにひたすら拳を叩きつけるさっきのゾンビがいた。

「ゾンビ共、人間だった頃の知性なんて欠片も失われてるのか」

「あと非力だしね。腐った死体だから当然だけど。病気の獣相手してるみたい」

 確かにあの様は獣だ。ああはなりたくないと、常々思う。

「それにしても、『これでも喰らえ!』なんて現実でいう人はじめて見た」

「俺も初めて言ったよ」

 エレベーターはもちろん動かないので階段を使用する。港からここまで決して楽ではない道を駆けてきたというのに、夏希は依然軽快な足取りで段を上る。俺とてこの程度でへこたれはしないが、それにしても強かな娘だと思う。

「何階まで行くんだ?」

「五階」

「ほかの住人やゾンビは?」

「二階と五階のゾンビは駆逐済み。ほかの階はバリケードで封鎖してある。住人は……ほかにもいたんだけど、いまは私と友達だけ」

目的の階まで登りきり、共用廊下を歩渡ってあるドアの前で立ち止まる。「ここだよ」と言いながら、夏希が部屋のひとつの鍵を開け、取っ手に手をかける。

そのままの姿勢で固まり、深呼吸を一つ。夏希がここにたどり着いたからと言って、向こうもそうだとは限らない。緊張するのは当然だ。

恐る恐る扉を開ける。中から音は聞こえない。

「美奈?」

 はぐれた友達の名であろう、夏希のその呼びかけに対し、返事は返ってこない。

 靴を脱いで部屋の中に入る。夏希に追従して廊下を抜けあたりを見回すが、少なくともリビングには誰もいない。

「美奈」

 再度の呼びかけ。返事はない。

「まだ、来てないみたいだな」

 言葉を失った夏希の代わりを務めるように、あるいは厚かましくも教えを授けるように、俺はそう言った。

 まだ、そう、まだだ。まだ来てないというだけで美奈とかいうその娘がたどり着けないと決まったわけではない。

 ……既に日が落ちてる中、今夜中にここへくるのは厳しいのではないか、とは言えなかった。

「そう、か。じゃ、待つしかないか」

 納得した様子で、夏希が鞄からランプを取り出し、点灯させて床に置く。

「適当に座ってていいよ」

「ああ」

 言葉に甘えて荷物を降ろし、ソファに腰を下ろす。

「はい、お茶」

「いいのか」

「去年まとめ買いした、賞味期限近いやつだから。遠慮せず飲んじゃって」

「ありがとう」

 夏希からカップをもらって中身を啜る。

夏希が隣に座りソファがわずかに軋む。ふと、先の言葉に気になる点があり、夏希に問いかける。

「ここに住んでたのか」

 カップをもつ手元に目を落とし、夏希が答える。

「そう。美奈もね、ここの違う階――三階に住んでたんだ」

「幼馴染か」

「そう、幼馴染」

 青白いランプの光が、夏希の横顔を照らす。暗い部屋で唯一の光源であるその光が、不意に点滅し、夏希が手を伸ばすが、ついに消えてしまう。

 外から入る光もなく、ほぼ完全な暗闇が出来上がる。俺はポケットからライターを取り出し、カチッと火をつけた。

「ありゃ。電池切れか」

 夏希がランプを手に取り、電池蓋を開ける。

「ストックはあるのか」

「一応、それなりには。あ、でも」

 夏希がスマホのライトをつけて立ち上がり、リビングから出ていく。ややあって戻ってきた夏希の手には、筒状のものが握られていた。

「これ。蝋燭。こっちのほうがよくない?」

 蝋燭にしてはかなり大きいが、光源は何にしても貴重なので頼もしい。

 ライターの火を蝋燭に移す。小さく灯ったオレンジ色の火は、あたりを仄かに照らした。

「やっぱり蝋燭じゃちょっと頼りないかな。まいいや、電池はあんまり消費したくないし」

 再びソファに座った夏希は足元に学生鞄を置き中身を検める。

「目覚ましも結構使っちゃったなぁ。補充できるといいけど」 

「それは……すまん」

「なんで謝るの?さっき使ったから?別に役に立ったんだからいいじゃん、多分あれしか方法なかったし。勿体なさで必要な時すら使わないのはただの間抜けだよ」

「まぁ、そりゃそうだな」

カップの中身を呷る。なんてことないただの緑茶だが、思えば飲んだのはひと月ぶりだ。

ふと、俺はぽつりと呟くように言った。

「強いな、お前は。生き残るわけだ」

 この娘は強い。逃げるだけの俺なんかよりもずっと。

「そんなことないよ。ひとりだったらたぶんとっくに死んでた。美奈がいたから、ここまで折れずになんとかなったんだよ」

 その返答の声は、たしかに弱弱しさがあり、嫌な説得力を備えていた。

「美奈とはね、幼稚園から高校までずっと一緒だったんだ。珍しいでしょ、今時。それでね、みんながゾンビになった時も一緒にいて、ほかの友達も家族も死んじゃったけど、一緒にこの世界を生き延びてやろうって約束したんだ」

 まるで映画みたいな話だと思った。過酷な世界で紡がれる友情劇。

 できればその結末が悲劇であってほしくはない、と思うのは傲慢だろうか。

 来訪者はいまだ現れない。今も暗い、かつてより遥かに暗い夜道を彷徨っているか、動くのをやめてどこか安全な場所を見つけて休んでいるか、あるいは、既にこの世にはいないか──。

「だから、ここであきらめる訳にはいかない。……今日、美奈が来なくてもさ、私は待つよ。一週間たっても、一年たったってここで待つ」

 強い眼差しで夏希が見つめる炎は、決して揺らがず、ただ真っすぐに燃えている。その灯はむしろ心細いほど仄かなものだったが、何故だか俺はそれが少し眩しく思えた。

 見習うべきその芯の強さを、小人たる俺は恨めしく感じ、つい水を差してしまいたくなる。

「……無駄かもしれないとは、思わないのか。もうお前と再会するのはあきらめて、どこか別の場所で息をひそめているかもしれない。もしくは動きたくても動けない状況にあるかもしれない。あるいは、もうすでに──」

「じゃあ探しに行く。助けが必要な状況なら、なおさらだよ。……死んでたって、死体を見るまではあきらめない。たとえあの子や世界に裏切られたって、私だけは私自身を裏切りたくないから

 強い決意のこもった口調。驚いて夏希の顔を見る。その表情には、一部の迷いも見受けられない。

「やっぱり強いよ。お前は」

 まったく清々しいほどに頑強だ。いっそ笑いすらこぼれる。本当に、どっかの誰かとは大違いだ。

「……ねぇ、ご飯にしよっか。昼はごちそうになっちゃったから、今度は私が食べさせてあげる」

 話は終わりとばかりに夏希がいそいそと立ち上がり、食事の準備をする。

 しばらくして出てきたのは──ビニール袋に入れられた、なんだかよくわからない、炒飯のようなものだった

 袋入りなのは洗い物を減らすためなのだろうが、それにしても食欲を減退させる見た目だ。

「いただきまーす」

「い、いただきます……美味い」

 なんだこれ、と夏希に問いかける。

「ごはんと野菜とウインナーと、あとはタコスチップスにサルサソースとマヨネーズいれて混ぜただけのなんちゃってタコライス。ごはんはアルファ化米だけど、割といけるっしょ?」

「ああ。でも野菜や肉なんて、俺が食べてしまっていいのか?」

 食べられるだけで上等なのだ、そのうえ栄養のある物となれば一層貴重だろう。少なくとも一か月質素な食事を耐えてきた俺にはそう思える。

「まぁ、もう消費しないとまずいやつばっかだから。もう一か月だし、ここらへんが缶詰じゃない野菜とかが食べられるラストチャンスだよね」

「正直また玉葱が食えるとは思わなかった。ありがとう」

「どういたしまして」

 実際本当に有難い機会だ。しっかり味を噛みしめながらいただく。

 それにしても、火も使わずに混ぜただけというがなかなかどうして悪くない味だ。

 とても美味しいとまでは言わないが、こんな世界で食べる食事としてはかなり上等なものだろう。

 袋の底までしっかりプラのスプーンで掬い、丁寧に平らげる。

「美味かった。ごちそうさん」

「お粗末様でした」

 食べ終わり、袋とスプーンをまとめて捨てる。

 それから、食後にはきちんと歯磨きをする。ミネラルウォーターを飲む以外の用途で使うのは勿体ないが、虫歯になっても歯医者などないので歯を磨かない訳にはいかない。

 その後しばらくは装備の点検をしたり、中身のない雑談をしながら過ごしていたが、やがて時間が経ち、そろそろ寝ようかという頃合いになる。

 両親の寝室だったという部屋に案内され、並んだベッドでそれぞれ横になる。

 別々の部屋で寝ないのは、鍵がかかっているとはいえもしも何かあった時に分断されないためだ。提案したのはもちろん俺ではなく夏希だ。聞けばこのベッドはいつもは美奈とかいう娘が寝ており、なるべく汚すなと言われた。

「結局来なかったな……美奈、大丈夫かな……」

「どんな娘なんだ?」

 仰向けになって呟く夏希に対しそれを聞いてよいものか迷ったが、気になったので聞いた。

「優しい子。私より落ち着いてて、どんくさくてたまに頼りないけど、でもしっかりしてる。本を読むのが好きで、いろんなこと知ってる。そんな子」

「そうか」

 多く返すのも野暮な気がして、短くそれだけ言う。

 一人じゃないのは、いいことだ。

 誰かと気持ちを共有できるというのは、それだけで救われる。こんな世界なら殊更、他者の存在は重要だろう。

 そうすると俺は、一人で誰にも看取られず孤独のまま果てるのだろうか。これから先、一人でいることに、俺は耐えられるのだろうか。

 ──まぁ、どうでもいいことだ。

 なにより、裏切り者には相応しい末路だろう。

 横になりながら、そんな益体もないことを考える。

 いつもはある船の揺れが、今日はない。それが心地いいのか悪いのか判別がつかないが、なかなか眠れる気になれない。

 そういう時に限って考えても埒のないことばかり考えてしまう。過去のこと、今のこと、そして、未来のこと。

「なぁ、これからどうする気だ」

 背を向け寝転がったまま、夏希に話しかける。

 答えが返ってこなかったらそれまでだが、向こうもまだ寝付いていないようだった。

「どうするって、さっきいったじゃん。美奈を待つ。待っても来なかったら探す」

「いや、そういうことじゃなくて、何と言ったらいいかな……これから先、一年後も十年後も、ゾンビから逃げながらこんな生活を続ける気か?」

 我ながらなぜこんなことを聞いているのかと思う。かなり間が開いた後、「何それ」と返答が来る。

「いや、大した話じゃないんだけどさ。いつ死ぬかわからない世界で、必死こいて命つないで、それで得るものなんてせいぜい生きてるって事実だけだろ。娯楽も大半が失われてさ。なんとなく生きなきゃって思って生きてるけどさ、そもそもなんのために生きてんだろうなって。……何のために、俺たちはこれから生き続けなきゃならないんこれから生き続けるんだろうな」

 言いながら、自分の中にわだかまる感情の正体を認識する。

逃げたいのだ。現実から。もう無理に生にしがみつく必要はないのだと、そう思って苦しみから解放されたい。しかも努力する理由を否定することをわざわざ他人に委ねようとする図々しさときている。

裁きを待つ罪人のような気持ちで夏希の言葉を待つ。やがて返ってきたのは、まったく予想しなかった返答であった。

「何言ってんのっていうか、もしかして気づいてない?」

「何が」 

 後ろを振り向くと、夏希が唖然とした表情でこちらを見ていた。

「ゾンビはいつか、そう遠くないうちにみんないなくなるってこと」

「それはっ……どういうことだ」

 思わず食い気味で聞き返す。ゾンビが消えていなくなるなど、そんなもの都合のいい絵空事としか思っていなかったからだ。

「だってさ、ゾンビって人を襲うけど、噛むだけで何も食べないんだよ?ただでさえ動く死体なのに、そんなんでずっと動き続けられる訳ない。ずっと観察してたって言うならさ、見たことないの?力尽きて動かなくなるゾンビ。私は見たよ。もうそうなった後はただの死体と変わらないけど」

確かに、その光景は俺にも覚えがある。むしろなぜ今まで気付かなかったのだろう、こんな簡単なことに。

──いや、むしろ自らすすんで気付くことをやめていたのかもしれない。ゾンビは永遠に生きるのだと、そういうステレオタイプに納得した振りをして、無意識に未来への希望から目を背けていたのかも。

「何も無いなら作ればいいじゃん。ゾンビがいなくなったあと、生き残った人たちを集めて、イチから始めればいいんだよ。農業やったり、あと家畜飼ったりとかもしてさ。大変そうだけど、でも結構楽しそうじゃない?」

それは希望の話だった。俺が無意識に考えないようにして遠ざけていた、眩しすぎる未来の話だった。

「だいたい生きるのに理由なんていらないんだよ。生きなきゃいけないなんて決まりはないし、そりゃ生きるのをやめることだってできるけど、でも逆になんの理由もなくとりあえず生きることだってできるし、そうやって生きたって別に構わなくない?人生の目的とか、生きがいとか、確かにあるといいけど、なかったら生きたらダメとか考えるだけ損でしょ」

 至極当たり前のことを言うように──いや、彼女にとっては実際当たり前なのだろう──はっきりとそう告げられ、なんだか恥ずかしくなる。達観した、というほどには渇いていないその人生観は、老人の説教よりむしろ腑に落ちる。

「──まさか年下に人生の教えを頂くとはな。いや、馬鹿にしているわけじゃない。ただ、少し情けなくてな」

「少しってかだいぶ情けないよ。てかキモイ。いい大人の癖に女々しすぎ」

「キモッ……⁉。いや、その通りだな。返す言葉もない」

「まぁ、いんじゃないの?誰だって迷うことはあるでしょ。女子高生に教えられんのはどうかと思うけど。てかもう寝ろし」

「ああ。おやすみ」

「おやすみ」

 慰めているのか貶しているのかいまいちわからないような夏希の言動だが、彼女なりに気遣ってのものかもしれない。

 彼女は優しい。加えて賢く頑強で、その上勇気がある。世が世なら大物になっていたに違いない。いやなんならこの世界でも何か大きなことをしでかすのではないかとすら思える。それこそ彼女の言うように、本当に文明を再建させてしまうかもしれない。

 もしそうなったら、そのとき俺はどうしているだろうか。彼女と同じ希望をまっすぐ見ることができるのだろうか。

 俺が俺を許すことができる日は、来るのだろうか。

 そんなことを考えながら、俺は眠りにおちた。


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