2 拳銃と目覚まし時計
「そう。──これでも?」
直後、左のこめかみに冷たく硬いものがあてられる感触。
それは、拳銃だった。
「お前、そんなものどこで」
「警官のゾンビが持ってたんだ。で、どうする?弾は入ってる分しかないから、あんまり無駄にはしたくないんだけど」
頭はそのまま、目だけを左に向ける。そして案の定視界に入った円形のシリンダーを見て、俺は顔をしかめた。マニュアルセーフティのない()回転式拳銃なら、素人でも引き金を引くだけで撃ててしまう。
「俺を撃ってどうする。お前、船の操縦なんてできんのか」
「できなくてもできるようになんとかする。ここでぼーっとしてるよりは少なくともマシでしょ。言っとくけど本気だから」
「……わかった。俺の負けだ」
銃が降ろされる。ボディにはSとWが絡み合ったデザインのマーク。偽物の可能性も捨てきれないが、いずれにせよ少女には似合わない、無骨な道具だ。
彼女の言う合流場所がどれほど遠いかは知らないが、着くまでに日が暮れる可能性は高い。……やはりこのまま行かせたくはない。
「一つ、条件がある」
「何?」
「俺も行く」
俺の言葉を聞いた瞬間、夏希が驚いた顔をする。
「なんで」
なぜ、なのだろう。見捨てることで生きながらえてきた俺が、今再び誰かに死んでほしくない、と思うなど。
「嫌か?」
「嫌じゃないけど、その、戻れなくなるかもしれないんだよ」
そうだ。そのくらいわかっている。
最悪は奴らに襲われるなどして命を失うことだが、そうでなくともうまく船を寄せた港まで戻ってこれるとは限らない。いや、むしろもう二度と戻れないと思っておいたほうがいいだろう。
「ま、いいさ。どうせ取るに足らん命だ。役に立つならそれでよし、野垂れ死んで元々だ」
吐き捨てるように、あるいは自分を窘めるように俺は言った。
我ながら心にもないことを言った自覚はあるが、しかしそうであるべきなのだろうとも思う。大事な人も、誇りさえも失い、なおも惨めたらしく安寧にしがみつこうとする俺などは。
「そう。でもさ、私と一緒にいるうちは簡単に死なないでよね。出来れば私と別れた後も」
今度は俺が驚き、夏希のほうを見る。
「何、その顔。自分の命が惜しまれるのがそんなに不思議なわけ?」
「いや、まぁ……そうだな」
「……私のために死なれるなんて嫌だから。それだけ」
なんだ、そういうことか。……まぁ、そんなものだろう。
自分の命すら危ういのに、見知らぬ赤の他人の命まで心配できるなど、大抵の人の心はそんなに清くできてなどいないのだ。
そんな自分の考えと行動が矛盾していることについてはあえて考えず。
俺は自分が何を目的としているかすらわからぬまま、ただ決めたことを実行すべく準備に取り掛かった。
*
「もう日が暮れかかってる。拠点ってのはまだ遠いのか?」
閑散とした――否、人でなくなった化け物はぽつぽついるが、所詮足のすこぶる遅い奴らが数匹いる程度、気を付けてさえいれば問題にもならない──街中を走り抜けながら、前を走る湿った制服姿の女子高生に問う。車でも使えればいいが、ただでさえ奴らがうろついている中、そう都合よく手に入れられるはずもない。俺がクルーザーなんぞを拾えたのは、運がよかっただけに過ぎない。
幸いなことに、日が暮れるよりずいぶん前に上陸可能な岸を見つけることができた
俺たちは、奴らの大群に追われることもなく、順調に目的地への道をひた走っていた。
携える武器は拾い物の鉄パイプにスコップ、それから例の拳銃。拳銃は、もともと入っていた装弾数分、すなわち五発のみの弾が込められ、セットで奪ったのだというホルスターに仕舞われて夏希の腰にいつでも撃てるようぶら下がっている。鉄パイプやスコップごとき拳銃や刃物に比べたら使えないと思ったら大間違い、殴ってよし、打ち払ってよし、おまけに弾切れや刃こぼれもなしという優れものだ。長さがあればゾンビどもを近づけさせないことにも役立つし、何より殴打による破壊はゾンビに効く。原始的だが、包丁などの下手な刃物よりよほど使い勝手がいいというものだ。──そもそも奴らと接触しない、というのが最も有効な戦術の基本、ではあるが。
「あとちょっとのはず。多分この分なら日が落ちるまでには着く思う」
「そうか」
対して夏希は、時折手にもった地図を確認しながら言う。
今どき紙の地図など時代遅れもいいところだが、スマホの地図アプリも機能しない今それしかないのだから仕方あるまい。
通れぬ道やゾンビの密集地帯もあり、実際地図通りとはなかなかいかないのだが、あるのとないのとでは大違いだ。
大きな障害もなく、およそ順調に進むが、夏希の足はなかなか止まらない。だんだんあたりの暗さが増していき、それに応じて焦燥感が次第に募っていく。
やがてそろそろ自分たちと奴らの優位が逆転するかという頃、ようやく先行する夏希が止まる。
「あれだよ」
指さす先にあったのは、なんてことのない、ただのマンションだった。
「うわぁ……いっぱいいる」
マンションの入り口前の路地には、まるで俺たちを待っていたかのように、両手の指ではきかぬ数のゾンビが低いうめき声をあげながらうろうろしていた。
物陰に隠れ、様子をうかがう。
「どうする?」
「どうするってまぁ、どいてもらうしかねぇんじゃねえか?それか強引につっこむか」
後者は危険だろう。あんなにいては避け切るのは難しい。腕や足でもつかまれたらおしまいだ。前者にしたって、それが簡単に出来れば苦労しない、というやつだろう。
「日が落ちきるまでになんとかしたいな。何か使えるものは?さっきの目覚ましとか」
「あー、一応あるけどここからだとどう投げてもうまくあいつらを誘導するのは難しいと思う。山上さんは何か持ってる?」
「そうだなぁ……いや、ちょっと待て。地図見せてくれないか」
思いついたことが可能か確かめるため、夏希から地図を借りる。
いける。少なくとも地図上は、道は通じている。
「何か思いついた?」
「ああ。目覚まし一つくれ」
「だから、ここからじゃ──」
「ああ。だから回り込む」
夏希が合点のいった顔をし、それからベルが鳴るタイプのアナログな目覚まし時計を手渡される。海水に濡れたものだが、一応動くらしい。
「待っててくれ。すぐに戻る」
「気を付けてね」
「ああ。そっちもな」
時計をいったん仕舞い、武器を持って立ち上がる。夏希を残してその場を離れ、目的地から遠ざかるが、別に逃げる訳ではない。
先ほど記憶した道順を頼りに進む。途中何匹かゾンビがいたが、走って回避し、あるいはパイプで頭をかち割り沈黙させ、目的の場所に到達する。
「ここだな」
建物の陰から顔を出す。
視界に写るのは、先ほどもみたゾンビの群れ、そしてその向こうには夏希が隠れる植垣がある。丁度反対側に回り込んだ格好だ。
「十分、てところか」
目覚まし時計のセッティングをし、その場に置く。
あとは戻るだけだ。
来た道を急ぎ足で引き返し、夏希のところまで戻る。
「置いてきた」
「おかえり。その、しくじってないよね」
「無論だ」
血の滴る鉄パイプをみて夏希が問う。もちろん、噛まれてなどいない。
「あと何分?」
腕時計を見やる。設定した時間まで、およそ三分。
「正確に設定できないのが、アナログの難点だな」
「デジタルだと音が小さめなの多いんだよね。あと壊れやすいし」
投げることもある以上、壊れやすいのは確かによくない。
「そろそろだ。準備しろ」
果たして、閑静な住宅街の中に、目覚まし時計の音が響く。
字面だけなら平和な朝の一幕のようにも思えるが、実際は日暮れ間際のほの暗さ、街灯もつかず荒れた街の様相、極めつけはふらふらゾンビ共ときては、目覚めの朝どころかまだ布団の中で悪い夢をみているのではないかと思いたくなる光景だ。
音に釣られ、興奮したように唸りながらゾンビ共が動き出す。その行動は反射なのか、或いは獲物を見つけるという明確な意思を持っているのかなど考えたくもないことだが、ともかく思惑通りだ。
「いくぞ」
やつらが移動した隙に、素早く動く。
「一体追ってきてる!追い払って!」
「これでも喰らえ!」
投げたのはただの小石だが、倒せずともそれなりに効果はある。
うまく頭部に当て、追ってきたゾンビを怯ませることに成功。その隙に本来は自動だろう透明なドアを手でこじ開けた夏希に「はやく、こっち」と案内され、俺は建物の中に入った。