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ライ麦畑を読んで・・・

作者: 安岡 憙弘

             ライ麦畑・・・を読んで

                                安岡 憙弘よしひろ

 第一楽章 コイン

the 1st movement

 私の手許に一枚の金色、いや黄金色とも言えない事の無いコインがあったのだった。そのコインの表には女性の肖像画の様な姿と共にBANK OF CANADAの文字が浮き出るようにして刻印されていたのだ。そう、それはカナダの1$硬貨こうかであった。私はその一$コインを左手に固く、固くコインが左手の握力と私の高い平熱で溶けてしまうかの様な感じでギュッと握り閉めたまま、トロントの私が借りているバチェラーという独身用アパートメントを出て、アパートの外の通りへ歩き出した。

 通りの途中には日本食レストランがあった。私は日本の大切にしている文化の1つに、いんようという陰陽師の思想があることをふと想い出した。陰と陽とはつまり私が今握っている1$コインの様に表裏一体となって離れ難いもの。もの、例えば男と女の様な物の事だと私は理解していた。ふとそんな事を想いながら私は行き慣れたレストランの前を通って、今度は日本にもあるミュージックストアへと早足で歩いて行った。


 第二楽章 サウンド・オブ・ミュージックのように

the 2nd movement

 そのミュージックショップには音楽に関するものは何CDやVHSの価格の安さを利用していつも2Fのクラシックコーナーへ足を運ぶことが通例となっていたが今日は1Fのサウンド・トラックコーナーへと店員に案内されて連れて来られたのであった。私のお目当ては映画サウンド・オブ・ミュージックのサウンド・トラックであった。私は見慣れぬ英語の羅列られつに少しとまどいながらもなんとか目的の品を見つけてレジでトラベラーズチェックで支払いを済ませた。英語ではタイトルに“The sound of・・・”とTheが付くのであった。私は初めそのタイトルを直訳して“音楽の音”というのがタイトルであると信じていたが、やがて考えが変わった。この映画の幕開けは、ジュリア・ロバーツ、失礼。ジュリー・アンドリュースふんするトラップ家の家庭教師フロイライン・マリアが広大な草原の真ん中で両腕をひろげてあの名高い出だし、「ザ・ソング ウィハブヒァ、イッツザサウンド・オブミュージーック」と歌いかける所で始まるのだった。私は家に帰って、生暖かくなった1$貨幣をオーブンの上においてそれからCDのフタを開けて始めて、カナダのCDには歌詞カードがついていないことに気付いたのだった。そうなると独断で判断せざるを得ないが、私が思うに、サウンドとは英語の“音”よりも“静けさ”又は“健全”の訳の方が良く似合うと思わずにはいられなかった。つまり“静けさの音”がより良い訳し方に思われた。私は冷蔵庫から冷たいCANADA製の味に爽やかさののたっぷりと含まれた牛乳をコップに一杯飲んで、それから又あのコインを握って、今度は南の野球場の方へ向かって歩き出した。


 第三楽章 チェス

the 3rd movement

 私は、南の方へ、地図も持たずにひたすら何とか言う有名なタワーを目標にして、靴擦れして痛いのも構わずに歩き出していた。

 私はいつでも見知らぬ場所を歩く時は必ずと言って良い程地図を持たないので確実に困った事になったのだった。

私は歩きながら、ホームステイ先の家族の事を想い出していた。当時11歳の息子がチェスで良い成績を納めたらしく、階段の所に賞状が飾ってあった。チェスと言えばこちらの人にとっては、大人から子供まで、夢中になって興じる余興であった。私はチェスのあの白黒のチェック模様は美しいと思うが、チェスは大の苦手であった。

 途中でグレン・グールドコンサートホールの前を通り、ベンチに腰かけたグールドの像のとなりで休憩をした。

 チェスをしても必ず敗ける私は、いつもチェスの代わりに将棋に興じていた。私がグールドから教わったものの1つに、対話(dialogue,ダイアログ)という考えがあった。

 私は昔から、皆でワイワイガヤガヤするよりも、人や、物と対話する事が大好きであった。

この事はすでに私の『安岡憙弘第二詩集』の中で書いていることであったが私にはチェスや将棋でさえも2人ではなく1人で遊ぶ方が実がある気がしてならなかった。そんな私だから今こうしてこんな所に、銅像と並んでたった1人で座っているのだろう。

 私はより強く左手に握ったコインを握りしめた。私の記憶では、私はそれからトロントブルージェイズの本拠地のドームの周りを歩いて一周した。私はいつだって決まって目的とする建物に辿たどり着いても中に入らずに戻ってくるのだった。私はそのままずっと南の方へ南下してついでにオンタリオ湖も見てやろうと湖の見える所までやって来た。


最終楽章  Sleeping Beauty

the Final movement

 湖にはたくさんのヨットが白く、鮮やかに、空のブルーとよく調和した感じで停泊していた。

 私はしばらくそのなにもかも忘れさせてくれるような景色と水の臭いを感じていたが、さすがに歩き慣れぬ者が無理をしたツケが回ってきて、木陰のベンチで休むことにした。私は無計画にこの様な所まで来てしまったことを後悔しながら、オレンヂのバックに入れてあった『ライ麦畑でつかまえて』を何故だかわからぬが取り出して、読み始めた。

主人公のホールデンには、私と同様に妹がいた。その妹をホールデンは〝眠り姫〟と呼ぶ箇所かしょがあった。寝ていたからだった。私はその部分を読んで、白雪姫のことを考えていた。

 白雪姫には七人の小人がいて、

毒リンゴを食べた白雪姫が王子様のキスで目覚めるまで護り続けるという話しだっただろうかと、私は疲れてもうろうとした頭で考えた。

 王子様との話は良いとして、何故七人の子供が登場しなければいけなかったのだろうか。私なら七人の小人など登場させはしない。しかし、いつも決まって疑問には、答えがあるとは決まってはいないのだ。時には、考えを止めることが必要な事もある。

 私はそう想って本を閉じて、再び、家路を辿りはじめた。途中、1人の、白人女性が道端で金銭を他人に乞うていた。その若い女性は私にはどうしても物を乞うている人間には見えなかった。しかし私は、弱い人間の力になりたいという観念に取りつかれた人間であった。その為に千も万もの困った事に遭遇することになったが私はこの様な生き方しか出来ないのでその握っていた1$をその女性に渡した。私の1$コインは、ついに他人のものとなってしまった。私は家に何とか辿り着いて、再びあのサウンド・オブ・ミュージックを聴いてみた。すると不思議に今までの疲れがスッと楽になる感じがした。

 私の1$コインは、今頃誰の手に渡っているのだろう。28歳になった今、21,2歳だったあの頃から、もう何年もの年月が経っている。ドブに捨てられたのかそれとも誰か大金持ちの人間の数ある1$の中の1つとなってしまったのか。

 私はそういうことは、えて問わないでおこうと思う。だって、どんな人間にでも、夢見るという権利はあるのだから。






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