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谷間の風のはじまるところ  作者: 猫洞 文月
イラスト大全集
4/166

第二章 トネリコの杖 其の一(イラストあり)

第2章 とねりこの杖


挿絵(By みてみん)

(イラストはiwajun様)


 窓の隙間から朝日がさしこんでいる。狼は目を覚ましているがまだ隣に横たわっていた。起き上がって扉を開けてみた。ふりつもった雪に朝日が照り映えて、そのまぶしさにおもわず目を細めた。昨日もらった堅パンと葡萄酒を口にし、狼の前にも置いてみたが食べなかった。

「おまえの朝ごはんはどうするんだ」

 訊いてみてから、野生の獣は獲物が捕れるときにはたらふく食べて、ないときにはかなり長いこと飢えを忍んで耐えるのだと、誰かが言っていたことを思い出した。

「パンは狼の食べ物じゃないんだな」

 つぶやいて、杖と食べ物を持ち山小屋の外へ出た。 

 ソルゴーネたちは、また来ると言っていた。彼らが来るまでここで待っていなければならないのだろうか。丘陵部と村の境目がどこかというはっきりとした境界があるわけではないが、村の一番はずれの畑からおよそ2000歩ほどのところを、羊飼いたちは村の外だと考えていた。そのあたりまでなら近づいてもいいのではないか。

 雪をふみしめながらゆっくりと村へ向かうラジュエルに、当然のことのように狼はついてきた。

 昨夜は古くからの友人のようだと思った狼なのに、今日は迷惑だと感じているのに気がついて、なんだか申しわけないような気がした。だが、狼を連れているために自分は家に帰ることばかりでなく村へ入ることすら許されないのだ。なぜあの老人は自分にこんなものを押しつけたのだろうかと、すこしいらいらする気持ちになった。

 そのとき、狼が急に後ろのほうへ向かって猛烈な勢いで駆けだした。自分が迷惑だと考えたのが伝わって帰ることにしたのだろうかと考えて、今度は逆に残念な気持ちになった。だが、それは思いすごしだった。

 狼が走り出してすぐ、雪の中を兎が逃げていく。逃げる兎に飛びかかった狼はあっという間に哀れな小動物を仕留めた。朝ごはんのようだった。

 ふう、とラジュエルは安堵のため息をついた。狼が自分から離れて去って行ったのではないことが、本当はうれしかった。それにしても、やはり野生の狼なのだ、飼い慣らされた犬とはちがう獰猛さを、その強靱な肉体に宿しているのだ。と思うと、昨夜自分を助けてくれたのが、あらためて不思議なことに思える。その気になればラジュエルの咽喉首をあっという間にかき切ることもできるだろうに。


 村の方から誰かが歩いてくる。

「おはよう!」

「元気か。夕べは大丈夫だったか?」

 思ったとおりソルゴーネだった。もうすこし会話がしやすい距離まで近づいて、ソルゴーネは足を止めた。あまり狼に近づきたくないのだろう。

「それで、話しあいはどうなった? 僕は村へ帰れるの?」

 いいや、とソルゴーネは首をふった。

「でも、婆様ばばさまは会いたいそうだ。その狼、なんとかならないかな。村長は村に猛獣を入れるのは絶対にだめだというし、婆様もだいぶ足腰が弱ってきてるから、この雪の中、ここまで連れてくるのも大変だしな」

「なんとか」

 ラジュエルは、狼が理解してくれないかと思いを込めてじっと狼を見つめた。

 ふいに、狼はきびすをかえして山小屋のほうへむかっていく。ここで待っているから行ってこいとでもいうように。

「わかってくれるのか……」

 これは狼が自分に与えてくれた約束だと思った。狼は自分を離れて去って行くのではない、村へ入って話しあいをしてくるあいだだけ、自分を解放してくれるのだ。自分も狼を裏切らないようにしないといけない。

「行っちまったな」

「ああ、でもまた僕は戻ってこなきゃならない」

「狼のためにか? やめろよ。どうせ獣じゃないか。今度行ったらおまのことなんか忘れてて喰われちまうかもしれないぜ」

 あの狼は、最初に出会ったとき自分を食べようと思えば食べることができた。それなのにそうしないでむしろ護ってくれたのだから、今後もそうするだろう。だがその信頼をラジュエルはソルゴーネには語らなかった。語ってもわかってもらえないだろうと思ったのだ。


 山で遭難してもう戻ってこないと思っていた、と両親と妹、弟たちは泣かんばかりに喜んで、かわるがわるラジュエルを抱きしめた。

「コンジュに会ったかい」

 まだ幼い妹と弟に囲まれているラジュエルに母が温かいスープを運んできた。

「いや、まだ。でも大丈夫だったって聞いたよ。婆様のところにいるんだって?」

「ああ、そうだ。聞いたかい? 変なこと言ってたって。光の玉が飛んできて、どうしても行かなきゃいけないと思ったんだって。ほんとに馬鹿な子だよ。あんな子のためにおまえがこんな目に遭うなんて」

 母はなおもぶつぶつ言っていたが、本気でコンジュのことを怒っているわけではないのが伝わってくる。その証拠に、スープを食べおわったラジュエルが婆様のところに行くというと、

「これをあの子に持っていっておやり」 

 とスグリの蜂蜜づけをもたせてくれた。コンジュの好物だった。


 婆様の家は村の中央に近い、村長の家のそばにあった。神殿もみなそのあたりにある。近づいてみると、雪の中、杖をつきつき婆様のほうから歩いてきた。

「婆様、危ないから家の中にいろよ!」

 早足でちかづいて差しだした手を、婆様は払いのけた。

「ふん、年寄り扱いしおって。待ちくたびれたわ。早くお入り」

「元気だな、婆様は」

「あたりまえじゃ!」

 家の中では、コンジュがふいごで暖炉に風を送って盛大に火を燃やし、すっかり暖まっていた。

「薪をくべすぎじゃわ。家を燃やす気か」

「だってラジュエルが来るんだから、あったかいほうがいいと思ったんだもん」

 頬を赤くほてらしているコンジュも元気そうだ。ラジュエルが椅子に座るとすぐコンジュは台所から器を持ってきて、暖炉のそばで温めた葡萄酒を注いでわたした。

「忌み人に会ったそうじゃな」

「ソルゴーネから聞いた? 狼のことも?」

 婆様はうなずくと戸棚から蜂蜜の壺を出してきて机においた。

「力をつけておかんといかん。蜂蜜はいい。こういうものが今のおまえには必要じゃろうよ」

「ああ、そういえば、コンジュにもうちの母さんからお土産があるよ」

 スグリを渡すと思ったとおりコンジュは、ぱっと顔を輝かせた。

「ありがとう!」

「光の玉が見えたんだって?」

 うん、そうだよ、とコンジュは無邪気に答えた。

「あれはお姉ちゃんだと思う。お姉ちゃんが生きていた頃、よく一緒に追いかけたのと同じ光だった」

 コンジュの姉は昨年、13才で流行病はやりやまいで命を落とした。コンジュよりも年が近く、よく一緒に遊んだだけに、彼女のことを思い出すと今でも胸が痛む。

「どう思う? 婆様。僕が雪山で忌み人に出会ったのとコンジュを惹きこんだ光の玉はなにか関係があるんだろうか」

「わからん」

 そっけなく婆様は首をふった。わからないことだらけだ。婆様ならすべて知っているのではと期待していただけにすこしがっかりした。

「あの人はなぜ僕に狼を託して死んでしまったんだろう……」

「死んだのか」

 婆様の目がはじめてきらりと光を見せた。もとは藍色だったが年古りて灰色に濁った目はなんとなくあの老人を思いおこさせた。

「なんか変なことをたくさん言っていた。『全きもの』……だったかな」

 ぴくりと婆様の指が驚いたように動いた。

「ほかになにか言っておらなんだか」

「ええと、なんだったかな。自分は古い魔法の担い手だとか言ってた。予言者だとも」  婆様の目が、なにかを思い出しているように揺れた。

「魔法使いだったのかな、あの人は」

「忌み人がみんな魔法使いってわけでもない」

「知ってるよ」

 本当は詳しく知っているわけではなかったが、子供扱いされたくなかった。

「古い魔法ってなんだろう。新しい魔法ってのもあるの?」

「さあねえ。もともと魔法というのは潜んでいる力を使うことだってあたしゃ教わった。新しい魔法とやらを使うやからもいるかもしれんが、しょせん古いものをちょっと目先を変えてみせて新しいって騒いでるだけじゃないかと思うね」

 どちらもよくわからなかった。魔法なんていうものは物語に出てくるものだとぐらいにしか認識したことがなかったのだ。

「僕はこれからどうしたらいいんだろう。あの狼を連れている以上、もう村には帰ってこられないし」

「おまえは律儀に狼との約束を守ろうとしているんじゃな」

 婆様は『約束』という言葉を、しかも相手が老人ではなく狼と言ってくれた。婆様にだけは思いのたけを語ってもいいのだ、わかってくれる人なのだという気がする。

「僕も魔法使いにならなきゃいけないんだろうか」

「そりゃ、おまえ次第さ。なりたいか、なりたくないかは自分で決めることだ」

 なりたくなんかない、と夕べまでは思っていた。でも、狼と過ごした一晩のうちに、それが完全に本当の気持ちではないことにも薄々気づきはじめていた。

「古い魔法なんて、どうして手に入れたいと思うのかなあ」

「そりゃ大きな力は誰だって手に入れたいさ」

「婆様が死者の声を聞くようなもの?」

「あたしの魔法なんて本物の魔法に比べたら霞ぐらいのもんだ。本物の魔法は大地をゆるがし星々を降らせ、忘れられた太古の魔物を従わせるという。大魔法使いともなれば、人の生死すらつかさどるという。そら恐ろしいような話じゃね」

 そら恐ろしい。それはラジュエルの気持ちに近かった。そんな大それた力が自分にやってくるとは思わない。なにかの間違いかもしれない。もしかしたら、自分はただ狼を預かっただけで、魔法使いになる必要などないのかもしれない。

「もし魔法使いになるつもりがなかったら、すぐにこの村に帰ってこれると思う?」

 わからん、と婆様はまた言った。

「滅多にないようなことが、おまえの身の上に起きている気がするよ。誰にでも訪れる運命ではない。選ばれた者だと思っておくんだね」

「でも婆様、こんな不幸なことに選ばれたい者なんていないよ。どうせ選ばれるなら、領主様の姫様の婿に選ばれるとか、そういう嬉しい運命なら喜んで受けるのにさ」

 ふぁふぁふぁと婆様は歯の抜けた口でおかしそうに笑った。

「嬉しいか嬉しくないかは、おまえの問題さ。物事にいい悪いはない。その運命がよいものか悪いものかはあとになってみなければわからない。別の言い方をすれば、おまえがどう扱うかで出来事はよくもなれば悪くもなる」

「あの忌み人も同じようなことを言ってたな」

「そうかね。古い魔法を知るものは似たような考え方をすることもあるんだろう」

「婆様は古い魔法の担い手なの?」

「いや、古い魔法については少し聞き知ったことがある程度だ。その忌み人は魔法の担い手だと言っていたのかね。もし本当なら、おまえは大変な人物に出会ったのかもしれん」

 そう言われてもう一度、あの老人について思い出してみた。

 あのときは、忌み人であることが気になってしっかり見ていなかったかもしれない。そんなにすごい人だとは思ってもみなかった。すごい人だとわかっていればもっとよく話をしたのに。でも、今から彼を探し出してみても凍えた死体を発見するだけのような気がした。それに狼が案内してくれなければ同じ場所には行きつけそうにない。

「僕は村を出て行くしかないと思う? ほかになんかいい方法はないのかな」

「ないだろうね」

「他人事だと思って」

 あまりにあっさりと言われ、すこし腹ただしい気持ちで婆様をかるく睨むと、ひっひっと笑われた。

「そうさ。あたしにとっちゃしょせん自分のことじゃない。でも、人ひとりができるのは本当は自分のことだけさ。他人になにかやらせたつもりになっても、本当に自分で決めないことにはなんにもならないものさ。とくにこういう大事なことはね」

「でも領主様はたくさん家来を連れているよ。えらくなれば人に言うことをきかせることだってできるじゃないか」

「権力や金に従わない人間もいることを、まだ知らないか。そうだね、おまえはまだ若いから」

「あの忌み人の老人は権力に従ってなかったんだろうか」

「忌み人はなにも村にいられなくなった人ばかりじゃない。なんらかの理由で自ら忌み人になるものもいる」

「……魔法使いになりたいとか?」

 冗談のつもりで言って見あげると、妙に真剣な眼差しに見据えられた。

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