第三十四章 導きのままに 其の二 (最終回)
「ケーファ師。マルリオス師は魔力があれば回復するんですよね? だったら僕が……」
いや、とケーファ師はゆるやかに首をふる。
「新月の夜は終わったが、まだ影響が消えたわけではない。君の魔力は強すぎる。今、君が師に触れたらますます師の魔力が君に吸い取られてしまう。言われたとおり、なるべく遠ざかっていてあげなさい」
「あの、でも治癒魔法なら」
「マルリオス師のこの状態はご病気ではない」
「どういうことですか」
壁にもたれかかっているマルリオス師はますますしぼんでいるように見えた。頬はこけて肌にはしわが寄り、目は落ちくぼんでまるで別人のようだ。
そのマルリオス師を同情するように見てケーファ師はおさえた声で言った。
「師はありのままの姿に戻られただけじゃ。年齢相応の姿に」
スティーノが三人の顔をかわるがわる見て首をひねる。
「それってどういうことですか。マルリオス師のこの姿が年齢相応?」
ラジュエルもすぐには理解できなかった。正直、今までマルリオス師の年齢など考えたこともない。だがその容姿から若いのだと思っていた。若くして優秀だから魔法使いの頂点に登りつめた人なのだと。
「マルリオス師はわしよりも、いや、アルダムド師よりも年上じゃ。齢120を越えておられるやもしれぬ」
「120?」
思わずスティーノと言葉が重なった。故郷の婆様も80ぐらいだった。そんなに年をとった人は見たこともない。
「師はご自分を若く見せるのを好まれたからの」
そういえば魔力で外見を変える人がいるのは知っていた。いつかラジュエルの魔力が奪われたとき、トゥーリオ師が魔法ですっきりとした体型になってたのを見た。アンジェニカ師は実は半分透けていた。あれはモルジェニカが実体の半分を担っているからという噂はおそらく本当だったのだろう。
「長く生きられた。長く、強く。だが人の寿命に永遠はありえない」
見ている間にマルリオス師はさらに小さく枯れるようにしぼんでいく。
「師匠……」
「言いたいことがあれば言っておきなさい」
ぐっと唇を噛む。嫌だったことはたくさんある。仲間を苦しめられた、闇の魔物と戦うときも、あんなに力がありながら助けようとはしてくれなかった。
だが、すべて今は終わったことだ。
「師匠、ありがとうございました。あなたのおかげで僕は強くなれました。強くなれたから、都を護ることができました。感謝しています」
マルリオス師の落ちくぼんだ目がぐっと見ひらかれ、しわの寄った唇が微かに動いた。だが、言葉にはならなかった。
三人の見ている前で、師は燃え落ちる紙のようにポロポロと崩れ、やがてその姿はひと山の白い灰の塊になってしまった。
ケーファ師が祝福の星印を自分の額に描いた。ラジュエルとスティーノもそれにならう。 あのとき、マルリオス師が都中の魔力をすでに集めていた。だからラジュエルに魔力が移行したときも時間がかからなかった。マルリオス師がいなければもっと苦労していたにちがいない。
「偉大な魔法使いじゃった。長く都の平和を守ってくださった。ふさわしい葬儀をしてさしあげよう」
「はい、あの」
「なにかね」
去りかけたケーファ師が振り向く。
「ダッジオ師のことです。あのとき、師匠たちはご遺体が見つからなかったから葬儀はできないとおっしゃいました。僕、そのときは納得できませんでしたけど、その後『全きもの』になった師匠と再会できたからわかったんです。マルリオス師は……」
「『全きもの』が亡くなる瞬間を見ることはできないし、ご遺体も見ることはできない、と言われておる」
「ご遺体も……。そうか、僕がアルダムド師から狼を譲られたあと、師がたき火の火を消すのが見えて、助けに戻ろうと思ったんです。そしたら狼が戻るべきじゃない、という態度を取ったので結局戻れなかったんですけど、そういうことでしょうか」
「おそらくは。狼はわかっておったのかもしれぬ。獣はしばしば人間には感じられぬことを感じるからの」
ケーファ師はまた向こうをむいて歩み去っていった。
「ラジュエル、大丈夫ですか」
スティーノがそっとラジュエルの顔をのぞきこんだ。
「うん、ありがとう」
マルリオス師のことはしばらく一人で考えたかった。あれほどの魔法使いが、こんなにあっけなく消えてしまった。かわいそうな気もするが、ケーファ師は寿命だと言われた。ついさっきまで若く健康な姿だったから心を揺さぶられたが、本当はもっとずっと前から少しずつ年をとってきていたのだろうと思って、もう一度ひとりで額に星印を描いた。
群衆の中からラジュエルを呼ぶ声がする。
みんなが口々によくやったとか、英雄だとかたたえてくれる中、呼ぶ声の主を探して歩くと、カディオルが呼んでいるようだった。
「ラジュエル、ミリュウと『荒野』だ。怪我をしてるみたいなんだ」
「あっ、ありがとう、カディオル」
急いで二人に駆けよった。二人とも意識がないが息はある。
そばにかがみ込んでゆっくりと治癒魔法を施した。チェルザードはピクリと目蓋を動かしただけだが、ミリュウの方は目を開いた。
「ラジュエル……」
「ミリュウ、大丈夫? すべて終わったよ。魔物ももういなくなった。……マルリオス師もだけどね」
「どういうこと?」
「詳しいことは君が元気になったらゆっくり話すよ。でも、もう都は危険じゃないんだ」
青白い顔に笑みが広がると、いつもの美しいミリュウになった。
「あとは救護班に頼んだらいいかな。怪我人は何人かいるらしい」
カディオル自身も何人か率いて救援活動を始めているらしい。
「こっちの人は誰ですか」
スティーノがしゃがんで、となりに倒れているチェルザードをのぞきこんでいる。
「ああ、その人はチェルザードといって……」
「ええっ! 『荒野』の?」
スティーノは慌てて飛びすさって、その拍子に尻餅をついてしまった。
「大丈夫だよ。怪我してるし、それに根っから悪い人じゃない。意識があっても君に悪いことなんかしないさ」
「ほ、ほんとですかあ? チェルザードといえば『荒野』の首領で極悪人なんでしょ?」
そんな風に都では言われていたのか。たしかに自分も彼と一緒にすごすまでは印象は最悪だった。カディオルもとなりにしゃがみこんだ。
「だいぶ具合が悪そうだな。アンジェニカ師が治療にあたっておられる。この人も診てもらうように手配しよう」
「アンジェニカ師? いつのまに」
師匠の何人かは神出鬼没だが、とくにアンジェニカ師は何を考えて行動しているのかよくわからない。長老と一緒に行方不明だとばかり思っていたのだが、ミリュウが都にいることを考えると、長老たちも見つかってしまったと考えるべきだろう。
「カディオル、つかまった人たちはどうなってるのか知りたいんだ。僕の仲間だった人たちも捕らえられてるかもしれない」
「ああ、それだけど、すまない、ミリュウが都に来てたとおまえに伝えたかったんだが、会える機会を持てなかった。でももう出会ってたんだな」
「運命ですねえ」
スティーノがひやかすように、にやにや笑う。
「いや、まあ、それはいいとして……」
「牢獄にいる人たちの監視は騎士団の管轄だ。おまえはさっきまでお尋ね者だったが、今じゃ都の英雄だ。私からも口添えしておく。直接騎士団の方に尋ねてみたらいい」
「うん。とりあえず、僕もみんなの救援と治療を手伝うよ。アンジェニカ師はどこ」
「王城の広間に怪我人を運び込んでいる」
動けないチェルザードは救護班の担架に乗せてもらい、ラジュエルはまだ弱っているミリュウを抱えて王城の広間に向かった。
広間には人々が寝かされてアンジェニカ師が歩き回ってはときどきその人たちに手を当てたり、助手らしい人たちに薬の話をしている。
「アンジェニカ師、僕もお手伝いします」
「あら、ラジュエル。では薬草の処方の方を手伝ってもらえますか」
「はい」
急いで助手の一人の方に行こうとするとアンジェニカ師がくすりと笑って小さな声で言った。
「モルジェニカがいます。でも内緒ね」
「えっ? あ、はい」
内緒ということは、ほかの人たちには見えない姿で来ているのだろうか。『全きもの』の中でもモルジェニカは半分人間のようで、よくわからない。言われたとおり処方をしている場所に行くと、柱の陰になかば隠れるようにそっとモルジェニカが立って、働く人々を見つめていた。
――その薬草はもう少し煮詰めてくださいね。
「はい」
言われる方はアンジェニカ師に言われていると思っているのかもしれない。モルジェニカの方も見ずに返事をしている。ラジュエルが彼女の方を見ると、にっこり笑って唇に片手を当てた。黙っていろということだろう。
「あの、さっきはありがとうございました」
人々に聞こえないよう小さい声でお礼を言った。
――あなたの力です。それを思いだしてほしかっただけですよ。
言ってモルジェニカは軽く顔をふって働く人の方を指した。
「手伝います」
モルジェニカにあまり構わない方がいいのだろう。ラジュエルが参加すると人手はいくらあっても足りないというようにあれこれ手伝わされた。
アンジェニカ師やカディオル、スティーノたちと一緒に都中を行ったり来たりして働き、夕方にはさすがに眠くなってきた。昨日は一晩中魔物と戦っていたのだ。疲れてはいるが心地良い爽快感がある。『魔傷』はもうまったく傷まない。
カディオルが、今日は早く休んでこいと言ってくれたので、今では人々の休憩場所になっている王城の一部屋で休ませてもらうことにした。
都の建物はいくつか壊れてしまったので、王城に避難してきた人々で混みあっている。そこへラジュエルにケーファ師から伝言と、一人が伝えに来た。
「明日、『学びの塔』に来てほしいとのことです」
「わかりました。あの、マルリオス師のご葬儀は」
「明後日だ」
翌日『学びの塔』に呼ばれたのはスティーノと二人だった。
修理が始まっている『学びの塔』の一室でケーファ師は忙しそうに人々に対応していたが、二人を見ると一部屋に呼びいれて三人だけになった。
「君たちが都のために尽力してくれていることに礼を言う。ところでマルリオス師のことじゃが……」
「はい」
「師が亡くなった現場を見たのはこの三人だけじゃ。そこで君たちに頼みがある。師がどのようにして亡くなったのか、誰にも言わないでいてくれまいか」
「あ、はい」
「スティーノも大丈夫かね」
「わかりました」
スティーノは口の中でもごもごと、誰にも言わない誰にも言わないと覚えるように繰り返した。
「都がかつてないほどの危機に瀕していたことは人々もわかっておる。マルリオス師はそのさなかで命を落とされたとだけ公表するつもりじゃ。理由はわかるね」
「はい」
それはマルリオス師にとって不名誉なことだからだろう。マルリオス師を信じている人は多い。人々を混乱させないためにケーファ師はそう決めたのだと思われた。
「スティーノは今後正式な魔法騎士団員に任命されるじゃろう。ラジュエルにはわしから提案があるのじゃが」
「なんでしょう」
「『学びの塔』の師匠になってもらえぬか。獣学を復活させようと思う」
「獣学をですか」
それは嬉しいことだった。ファードル師に禁じられた獣学。そのいさかいが元でファードル師とダッジオ師が命を落とした。だが、獣学が必要な学問であることは今までの出来事で明らかになってきた。
「ありがたいご提案ですけど……」
「何か言いたいことがあれば言いなさい」
「僕はこれから国中を旅して、古代の魔物に苦しんでいる地方があれば助けて回りたいと思っていたんです。『谷間の風のはじまるところ』から帰ってくるときも変な魔物にたくさん出会いました。都はもう『見えない魔物』はいなくなったし、立派な魔法使いも大勢いらっしゃるから大丈夫だと思うんです。そして旅をしながら、獣学を学びたい人がいれば教えていきたい。そうやって獣学や古代魔法をゆっくり広めていきたいと思っていました」
「なるほど」ケーファ師はにっこり微笑んだ。「君らしいの。自分の信じた道が一番よいとわしも思う。獣学は……また考えよう」
「ダッジオ師の息子さんが『学びの塔』で学びたいと希望してました。彼なら訓練すれば獣学の師匠になれるんじゃないですか? きっとダッジオ師も手伝ってくれるでしょうし」
「なるほど」
ケーファ師はふと窓の方を振り向いた。
「ということじゃが、もちろん手伝ってくれるのじゃろうな?」
窓からさしこむ光がぼうっと揺らめいたと思うと、そこにはダッジオ師が立っていた。
――俺が、ですか?
「体を使って教えるのは君の息子さんじゃが」
――俺、もう死んでるんですよ。人使い、荒いなあ。
ケーファ師が笑い、ラジュエルもつられて笑った。スティーノは初めて見る『全きもの』になったダッジオ師に目を丸くしている。
「じゃあ、僕はいいんですね。都を旅立っても」
ケーファ師は笑みを浮かべたままゆっくりうなずいた。
「いつかまた、都に戻ってきてくれると嬉しい。できればわしの命のあるうちに」
「どうかいつまでもご健康で長生きしてください、ケーファ師。きっとまた来ますから」
「ラジュエルには騎士団の方から栄誉団員の称号をという話も出ておる。騎士団長やら王室づき魔法使いの仕事にはまだ君は若すぎるが、旅を終えて戻ってきた頃にはそういう話も出るかもしれんの」
「そういえば、マルリオス師の後任はどなたになるんですか? ケーファ師ですか?」
気を取り直したスティーノがたずねるとケーファ師は首をふった。
「わしはもう年をとりすぎておる。それに王室の仕事も気苦労が多いものじゃよ。わしは今まで通り『学びの塔』の総長の仕事だけ続けるつもりじゃ。マルリオス師の後任にはトゥーリオ師を推薦しようと思っておる」
「トゥーリオ師は大丈夫なんですか? あの、言葉を……」
奪われたと聞いた。マルリオス師の策略に利用されるために。
「ああ、アンジェニカ師の治療を受け、もう大丈夫じゃ。騎士団長にはまた別のものが選ばれると思うが。トゥーリオ師はマルリオス師の仕事をよく手伝っておったし、魔力や人望も若いながら優れておる。まだ正式に就任はしておらぬが、ほぼ決まりじゃろう」
ところが翌日に予定されていたマルリオス師の葬儀は急遽、中止になった。
ラジュエルやアンジェニカ師の魔法ですっかり回復したヴァーリオ王子が猛反対したのだ。
「マルリオスは私を陥れ、父上の健康をもてあそんだ極悪人で大反逆者である。国を挙げての葬儀などもってのほかだ」
というのである。
ケーファ師がなんとか彼をなだめ、魔法使いたちだけで小さな葬儀をあげることとなった。
だが今回の騒ぎで『学びの塔』の学生もほとんどは出席せず、騎士団や王室づき魔法使いの一部だけが参加する、寂しい葬儀だった。
ラジュエルもカディオルとスティーノと一緒に参加した。スティーノはもう少しでカディオルにマルリオス師の最後の話をしそうになったが、ラジュエルが止めた。
「どうしてですか。カディオルなら大丈夫じゃないですか?」
「僕もカディオルなら大丈夫だとは思うけど、ケーファ師との約束だろ?」
「まあ、そうですけど。ああ、でも言いたい! 極悪マルリオス師の最後があんな風だったって」
その気持ちはわかる。だが、黙っているように言ったケーファ師が正しいのだとも思う。 葬儀がほぼ終わり、棺桶がゆっくりと都から運び出される頃、にわかに空がくもりビュウビュウと風が吹き出した。
向こうから黒雲とともに飛来する魔物がいる。
なんだろう、見逃されていた古代の魔物かと思いラジュエルは身構えた。騎士団もそれぞれ魔法の構えをとる。
近づいてくると、どこかで見たことのある竜だった。
「グッチェ?」
見上げると声がふってきた。
「おらおらおらあ! グッチェ様がやってきたぞ。どこだ、敵は!」
「グッチェ、もういいんですよ。何もかも終わったんです!」
空を見上げて大声で叫ぶ。
「なんだあ? ああ、小僧か。無事だったか! ヴァガスの野郎はどうした、生きとるか!」
相変わらずやたら声が大きい。
「戦いは終わったんですってば! 今、マルリオス師のご葬儀の最中です」
「なに、死んだか、あの野郎。誰がどうやってやっつけた」
大きな竜を旋回させながらグッチェが叫ぶ。
「話しますから降りてきてください。都じゃなくてあっちの草原にでも」
「誰ですか、あれは。騒がしい人ですねえ」
「うん、グッチェっていうんだ。チェルザードの知り合いで、『荒野』の別の集団の首領で」
ちらりと話しただけで、また『荒野』が『荒野』がと騒ぎ出すスティーノを収めるのに時間がかかった。カディオルが苦笑しながら、
「私が話しておくから、おまえはあいつと話してこい」
と言ってくれた。
その頃は長老やフリーナたちの無事も確認できていた。牢獄に入っていた『荒野』の仲間も釈放されていたので、彼らと連絡を取り、都の外の草原に竜を降りたたせたグッチェには、人々が集まるまで待ってもらった。
集まったのは長老や、ミリュウと一緒にいたフリーナたち。牢から出してもらった『荒野』の仲間たちがまだ体が不自由なチェルザードを運んでやってきた。
チェルザードも少しずつ回復の兆しを見せていた。
話はできたが体がまったく動かなかった状態から、寝たまま少し手足が動かせるようになってきていた。モルジェニカによれば、これから訓練すればすくなくとも杖を使って歩けるぐらいには回復するだろうとのことだ。
「首領のことだもの、またすぐ前みたいに剣の名手に戻れるよ」
怪我もなかったフリーナは、かいがいしく彼の世話をしながら明るく微笑んで見せた。
「ああ、そうだな」
「それにしても回復が早いですね。さすがというか」
「おまえの治癒魔法、あれが効いたと思う。モルジェニカもそう言っていた」
「そもそも怪我をしたのが魔力によるものだったからでしょうか」
「そうだと思う。俺自身も緑の石をしばらく持っていたからな。すこしはその恩恵にあずかっているのかもしれん」
「この子もお父さんに早く剣術の稽古つけてもらうの、楽しみにしてるよ」
フリーナがそばに座って笑う。
「この子? えっ? 子供?」
「ここにね」
ふふっとフリーナはいとおしそうにお腹を撫でた。
「えっ? あっ? おめでとうございます。いつのまに」
「気がついたのが、あの襲撃のあとだったんだよね。だから首領に報告するのが遅れたけど」
チェルザードも穏やかに微笑んだ。
「おまえ、旅に出ると言っていたが、ときには戻ってきて二世におまえの魔法を見せてやってくれ。これが獣学だと」
「もちろん! でも、ダッジオ師の息子さんも『学びの塔』で獣学やることがもう決まったんです。あ、ダッジオ師、ご家族に会いに行ったかな」
「ああ。やっと行った。かみさんにど叱られたらしいぞ。どうしてもっと早く戻ってこなかったのって」
「叱られて当然だよ」
フリーナが憤然と言い、周りのみんな笑った。
グッチェはネリスという別の『荒野』の首領と一緒に竜に乗ってきていた。ラジュエルやチェルザードの話を聞いて、ネリスはすぐに事情を理解したが、グッチェはいつまでも
「ああ、ちっきしょう。俺ももっと活躍できてたのによう! いいとこ持ってかれちまったぜ」
とぼやいてネリスに小突かれた。
「何言っとる。おまえ、俺たちのとこにたどりついたときは息も絶え絶えだっただろうが」
「いや、あれはな……一生懸命走ってたからちょっと息があがってただけだ」
「よく言うぜ。こいつに助けられたんだろ? ラジュエルってか。礼を言うぜ。今じゃ都の英雄だそうだな。『荒野』出身の魔法使いが都の英雄か。世の中何が起きるかまったくわかんねえな」
「いや、『荒野』出身ってわけじゃないですけど……」
「まあ、いいってことよ。細けえことは。な? 飲もうぜ」
ネリスにがっちりと肩を組まれてビールを飲まされた。この人もグッチェと同じ性格だなと思ったが、断る理由もない。浮かれ騒ぐ仲間と一緒に、今夜はゆっくり飲んで食べて楽しむことにした。
トゥーリオ師もだんだんと回復してきていた。まだ声はしゃがれているが、体はすっかり動くようになっていた。
お見舞いに行くと、
「僕の美声が台無しだ。王室づき魔法使いの総長にって要請されたけど、こんな声でほんとに言葉学魔法が使えるのか心配だよ」
と笑った。
「大丈夫ですよ。だんだん回復してきてるんでしょう? それにあの言葉の玉、すごくありがたかったです」
「そう? よかった、あれが僕の最後の魔法にならなくて」
「縁起でもないですね。師匠にはまだまだ活躍してもらわないと」
そのときドアがノックされ、お盆に薬湯と飲み物を載せたアンジェニカ師が入ってきた。「ラジュエルも疲れたでしょう。一緒にこれを飲むといいですよ」
それはトゥーリオ師の部屋でよく出されたオレンジ色のすっきりした飲み物だった。
「いただきます。これ、好きだったんです。体にいい飲み物なんですね」
「処方はまた教えてあげます。旅に出るんですって?」
「ケーファ師からお聞きになったんですか」
「ええ」
アンジェニカ師はトゥーリオ師に薬湯を、ラジュエルには飲み物を差しだした。
「残念だな。君とは都でもっと一緒に仕事したかったのに」
「ケーファ師もいつでも来なさいって言ってくださいました。一回りしたらまた都に来たいと思ってます」
「そのときには僕も結婚してるといいけど」
トゥーリオ師が意味ありげにアンジェニカ師の方を見た。
「えっ? アンジェニカ師?」
急にドキドキし始めた。考えてもみなかったが、そうであってもおかしくない。
「でもまだ返事はもらってない」
「私は半分しか人間ではありませんから」
「そんなこと気にしなくていいのに」
トゥーリオ師は言ったがアンジェニカ師はあいまいに微笑んで部屋を出て行った。
「いい返事がもらえるといいですね」
「ありがとう。そう願うよ。君も幸せになれよ」
「ありがとうございます」
言って幸せな気持ちで部屋を出た。
都はよくなる。トゥーリオ師が総長ならみんな安心だ。
いろいろと落ちついた頃、ようやく『学びの塔』の学友たちと一緒に食事をすることができた。管理人さんがはりきっていろいろご馳走を作ってくれる。
「また旅に出るんだって? 名残惜しいよ。僕の作った『尽きないパン』は美味しかったかね?」
「ええ。ほんとに助かりました。いろいろあって、途中で無くしてしまってすみません。でもあれのおかげで森の中で食べ物探さなくてよかったから」
「そうかい、そうかい。また作っておくよ。他のものも開発したんだ。毎日エールが出てくる壺とかバターの壺とか」
スティーノが焼きたてのパンを頬ばりながらうらやましそうに口をはさむ。
「へええ、すごいじゃないですか。旅しながらバタつきパンとエールですよ」
「いいんですか? そんなに」
「ううん、実はまだ開発中でときどき酸っぱくなりすぎたりすることもあるんだけど」
「私、それ、直せるんじゃないかも思うわ。アンジェニカ師や長老にいろいろ食物関係の魔法を教わったの」
ラジュエルのとなりでミリュウが言う。
「ほんとうかい? いや、君なら大丈夫だ。ラジュエルはいい嫁さんもらったねえ」
「いえ、まだ嫁って決まったわけじゃ……」
「決めてないのか、ラジュエル。それはだめだぞ。男として」
向かい側からカディオルに厳しく言われる。
「あ、いや、ごめんなさい。あの、その、ミリュウがまだどんなつもりだか……」
「私は……」
両手で握りしめたパンを顔の前に持ってきてミリュウがぱっと赤くなる。スティーノがジャガイモとソーセージを頬ばりながら言う。
「とっとと決めちゃいなさいよ。ちなみに僕も故郷で婚約者、決まりましたからね」
「そうなの? おめでとう」
「私は肖像画を見せてもらったぞ。きれいな方だ」
「でしょ? でしょ? これ」
「スティーノ、手を拭いてからにしろ」
カディオルに言われてバターで汚れた手をハンカチでそそくさと拭くとスティーノは懐から美しく縁取られた小さな肖像画を取り出した。目の大きいかわいらしい女性が描かれている。
「ほんとだ。きれいだ。……持ち歩いてるんだね」
「そりゃそうですよ。ラジュエルも描いてもらったらどうですか。旅に出るんでしょ?」
「うん」
そうだった。いつまで続くかわからない旅に出るのに、ミリュウに待っていてほしいなどというのは申し訳ないことだ。
でも言っておかないと。せめて自分の誠実な気持ちだけはわかってほしい。それでミリュウがどんな返事をするかわからないけれど。
「ミリュウ、僕は旅に出るつもりなんだ。君のことは誰よりも大切だと思ってる。だけどもし君が待ってるのが嫌だったら……」
「私も一緒に行くわ」
「えっ? でも旅は大変だよ。宿に泊まれるとは限らないし、変な魔物のいるところにも行かなきゃいけないかもしれない」
「覚えてない? 最初出会ったときも私は旅をしていたのよ。そして狼が助けてくれた。だからあなたに出会えた。そこに戻るだけのことよ。あなたと一緒なら旅はきっと楽しいわ。私、野や山で眠ることだって平気だもの。狼も一緒に来てくれるのかしら」
「もちろん、狼も一緒だよ」
「決まりですね! おめでとう、ラジュエル」
「おめでとう」
「やっと決めたか」
友人たちがやってきて口々に祝福し、飲み物で乾杯していく。
「ええと、ノコイディ村に一度来てくれる? 家族に紹介したいんだ。君の故郷にも行こうと思う」
ううん、とミリュウは首をふった。
「私の故郷にはもう会いたい人はいないわ。身内は叔父だけ。……助かってよかった。これもあなたのおかげ」
「そういえば、身内が増えるんだ。チェルザードに子供さんができたって聞いた?」
「そうだったわ。私にとっては従兄弟になるのね。楽しみ」
「あっ、そうか。ってことはラジュエルがあの『荒野』の極悪人の身内になっちゃうわけですか」
「私も極悪人の身内なんだけど」
友人たちが笑ってスティーノを小突いたり、魔法合戦の真似をしてふざけている。温かい宿舎の外で、静かな夜がふけていく。こんな風に友人たちとふざけて笑うことも、もうできなくなる。それはすこし寂しいことだった。
でも今日はもうすこし騒いでいよう。明日も『学びの塔』の講義はない。これからも『学びの塔』は続くし都の日々も日常に戻ってゆく。そしてラジュエルの新しい生活も始まるのだ。これからはミリュウと一緒に。
今回は荷物を運ぶ丈夫な馬を二頭ケーファ師が準備してくれた。ミリュウが疲れたら乗ってもらってもいい。
管理人さんの『尽きないパン』『どんどん出てくるエールの壺』『いつでもバター』を大事に袋に入れ、着替えや故郷の父に持たせてもらったナイフや鍋など、来たときよりも荷物が多い。
支度をしていると、ヴァーリオ王子が呼んでいると告げられ、午後に王城へ出向いた。
こんなに順調に王の間に通されたのは初めてだ。門のところまでお付きの人が迎えに来てくれてそのまま案内されて広間に行く。途中出会う人々に丁寧にお辞儀をされた。
壇上の中央の玉座には家臣に付き添われて王が座り、そのとなりに王子が立っていた。
「ラジュエル」
高いところから王子に呼ばれて、礼儀というものは結局覚えなかったなと急に恥ずかしくなりながら頭を下げた。だが王子が気にした様子はない。
「旅立つと聞いた。その志は尊重するが、もう一度訊きたい。都に残り王室づき魔法使いになるつもりはないか。おまえが望むなら、総長かそれに並ぶ地位を用意することも可能だが」
「いえ、ありがたいお言葉ですが。あの、僕にはそういうの、できないんじゃないかと思うんです。田舎の方が性に合ってるっていうか」
「そうか」
思いのほかやさしく王子は答え、すこし寂しそうに笑みを見せた。
「おまえにはまだ礼を言っていなかった。ほしいものがあればなんなりと申せ。あのとき地下道で声をかけてもらえなかったら、私は今ここでこうしていられたかどうか。本当に感謝する」
「よかったです。都に秩序が戻って、殿下が正当な地位に戻られて。僕はそれだけで満足です」
「なんと無欲な」
お付きの人がとなりから王子に何ごとかささやいた。
「なるほど。それでは身分証明書と通行許可証はどうだ。王家の発行した身分証明書と通行許可証があれば王国内のほとんどのところで困らないはずだ。領主たちにも通達の手紙を出しておく。直轄の駐屯所もところどころにある。旅の拠点にすることができるだろう」
「あっ、それはとてもありがたいです」
「また都に戻って来たまえ」
じっさい王子の提案はありがたいものだった。都に来る旅では狼を連れていたので怪しまれ宿に泊まれないことも多かった。
「すみません、できればこの狼は安全で僕の仲間だということも書き添えていただけないでしょうか」
「ああ、それは大事だな」
王子はお付きの人に何か言い、彼は一礼して下がっていった。
その日オルビエ公にも呼ばれて都の豪華な邸宅を訪れることになった。
オルビエ公とカディオル、そして同じく招待されたスティーノとミリュウと一緒にぜいたくな装飾品の並ぶ食卓に招かれた。そこにスティーノの親戚のミリキも来ていた。
「いろいろご苦労だったね、ラジュエル。カディオルが君のことを絶対に信頼できる友人だと主張していたが、息子の見る目が正しかったことが証明されたな」
「お二人ともあの裁判の時はありがとうございました。すごく心強かったです。僕は犯罪者扱いだったのに勇気をもって助けてくださって」
「何を考えているのかわからない魔法使いたちより、よく知っている身内の言うことの方が信じられると思ったのだ。私もスティーノがこれほど成長したのを見て嬉しく思うよ」
老紳士もやさしく声をかけてくれる。オルビエ公が言った。
「ところでヴァーリオ殿下のお誘いを断ったと聞いているが、念のため私も訊こう。我らの城の専属魔法使いになる気はないか。給与の面では王室と同格、王室よりも自由が多いと思うが」
「あ、でもそちらにはカディオルが」
「私はいずれ父のあとを継ぐ。魔法の仕事だけしていられるわけではない。それにおまえがいてくれたら我が領地も安泰だ。もっともあんまり期待はしてないけど。やりたいことがあるんだろ?」
「うん。ごめん。もっと、なんていうか、根っこのところの仕事をやりたいんだ。ダッジオ師に習ったような」
「残念だけど、旅の途中で遊びに来てくれ。歓迎する」
「僕も歓迎しますよ。狼も一緒で大丈夫です。もちろんミリュウとお子さんも」
「気が早いだろ、スティーノ」
ミリュウが赤くなり、みんなが笑った。
ご馳走が次から次へと出てきてケーキやめずらしい飲み物も出て、そのあと人々はダンスを始めたが、明日には旅立とうと思っていたのでその頃にはミリュウと帰ることにした。「ミリュウ、遅くなっちゃったけど大丈夫? 出発をもう一日延ばす?」
「ううん、平気。もうすっかり準備もできてるの。叔父とフリーナや長老たちにも挨拶してきたし。あと、挨拶してない人は、ええっと大丈夫だと思う」
「じゃあ、今夜はゆっくり休んで、朝は早めに出発しよう。まずどこへ向かう?」
「あなたの故郷でしょ? 楽しみだわ」
「そうだね。ノコイディ村はほんとに田舎なんだ。でもクレーナ子爵領あたりまでは宿があると思う。そこから先は通行許可証があってもちゃんとした宿がないかもしれないけど。旅人なんてあんまり通らないところだから」
ミリュウがそっとラジュエルの胸に顔を寄せた。
「羊飼いは大空の下で寝るんでしょ? 星々が空いっぱいに広がるところで、羊たちと一緒に火を炊いて」
「うん。雨だと濡れないところを探すけどね。だから天気を読むのが大事なんだ」
「これからは私もそういうこと、学んでいくわ。ああ、嬉しいわね。まだまだ世の中には見たこともないことや知らないことがいっぱいあるんだわ。それをあなたと一緒に経験していけるなんて」
ものすごく楽しいことを待っているようにミリュウは夜の街に両手を広げて大空をあおぎみた。もうすっかり体の方も大丈夫なようだ。
新月をすぎた月はもう西の空に沈み、ひそやかな空には星がいっぱいに輝いている。もう人々をおびやかす魔物はいない。狼は今頃ラジュエルの宿舎で管理人さんに食事をもらい休んでいるだろう。
ラジュエルはそっとミリュウの体を抱き寄せた。
「ミリュウ、一緒に行くって言ってくれて本当にありがとう。約束するよ、一生をかけて君を護る。君のこと、大事にしていくって」
「私もあなたを大事にするわ。何があってもこれからはずっと一緒にいる。約束ね」
誰もいない街角で、そっと唇をあわせた。
ずっとこうしていたいと思う。でも都での日々はもう終わる。これから本当に、まったく経験したことのない生活が始まるのだ。
そんな日々もミリュウと一緒ならきっと輝くものになるだろう。そして狼も一緒に。
「おやすみ。また明日」
ミリュウのイラストはiwajun様にいただきました。
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今回で最終回です。最後までおつきあいくださり本当にありがとうございました<m(__)m>
いつもの二倍量ぐらいですむかとおもっていたけど、三倍になってしまいました(;^ω^)
大団円を途中で区切るのもなんかなあと思っていたら増えてしまったけど、満足です。
これまで毎週、アップするたびにすぐに読んでくださった方がいらっしゃり、その方々のおかげでここまで続けてくることができましたことを心から感謝いたします。本当にありがとうございました
ご感想などいただけたら大変うれしく思います。
ところで公募小説の方に本腰を入れないといけないため、しばらくなろうはお休みします。皆様のご多幸をお祈り申し上げます。またいつかどこかでお会いできたら幸せです。
小説家 猫洞 文月




