8.小姑さん
最近、ルシィが頻繁に王宮へ行ってしまっているので、私はたいてい一人だった。とってもつまらない。
でも、ルシィがヘトヘトになって帰ってきては、「代わって、マリィ」とよく言っていたのに。悲壮感が漂っていたのは、始めの1ヶ月くらいで、今はすっかり元気に王宮へ通っている。
ーー代わって、とも言われなくなった。
代わってあげたい!という気持ちと、私では王子様にも王妃様にも好かれないだろう、と意気消沈する気持ちと、半々だった。
いつも、周りに褒められていたのは、私だったのにな。ルシィよりうんと頑張っても、結局好かれるのはルシィなんて、頑張ることが無駄に思えてしまう。
ーーいけない、いけない。
私ったら、またルシィを貶めてしまった。皆に褒められて育ったツケが、いま回ってきたのだわ。ーーそう戒める。
「こんにちは、マリィ」
「いらっしゃい、ナトン」
最近では、ナトンがよく遊びに来てくれるようになった。私もナトンと過ごす時間は好きだから、訪問はとても嬉しい。
でも、つい探してしまう。
先月までは、ナトンと一緒に王子様も我が家に遊びに来てくれていた。いまは……いない。
ーー当たり前よね…。
だって、王子様の訪問の目的は、ルシィだもの。ーールシィが居なかったら、我が家に来る理由が、ないもの…。
「ね、マリィ。たまには気分を変えて、うちに遊びに来ない?」
「……ナトンのお家?」
「そう。昔は行ったり来たりだったのにね。いつの間にか、アルトワ侯爵家に入り浸るようになっちゃった」
ごめんね、とナトンはおどけて言う。つられて私も笑ってしまう。
「ふふ、そう言えば、そうね。では、お言葉に甘えて、今日は公爵家にお邪魔しようかしら」
「どうぞ、お姫様」
ナトンは完璧なエスコートで、私を馬車まで誘導する。もともと騎士を目指しているから、背筋は伸びて、恐ろしく姿勢がいい。柔らかい笑顔は、整った顔立ちを更に好意的にするものだった。
「…ナトン、背が伸びた…?」
「そう言えば、そうかも。昨日ベッドがキシキシしてた」
「まあ、ふふっ」
こうしていつも、私を笑わせてくれる、優しいナトン。いつの間にか大きく成長しているのね。
ーー意識すると、なんだかドキドキしてしまうわ。
「最近、妹が反抗的でね」
「まあ、アナイスが?」
「そう。なんだかピリピリしててさ。どうしてだろう?」
「私も、最近会っていなかったから…。でも今日会えるなら、嬉しいわ!」
「うん、ありがとう、マリィ」
キュッと手を握られた。まあ、ナトンたら。背だけではなく、手までずいぶん大きくなったのね。
「そう言えば、母上がマリィと刺繍をしたいって」
「えっ!夫人が?!」
「うん。いやかな?」
「とんでもないことよ、ナトン!エヴルー公爵夫人の刺繍は、お金を出してでも習いたい!って言う人が大勢いるのよ?!感激だわ…!」
「良かった。マリィは読書の次に、刺繍が好きだもんね」
「ええ!」
さすがはナトンですわ!私のツボを分かってくれている!現金な私は、もう嬉しくなって、公爵家到着が待ち遠しくなった。
公爵邸は、さすがに見事な佇まいだった。王都の家なのに、これほどの規模を誇るなんて。地位と経済力の高さを物語っていた。
ーーお父様が、縁を結びたがるはずよね。
幸いなことに、公爵も公爵夫人も、とても優しい人たちだった。ーーやっぱり、これ以上の良縁はないわよね。私は自分自身にそう言い聞かせる。
「ただいま戻りました。婚約者を連れてきましたよ」
「お、お邪魔します…」
久しぶりすぎて、緊張してしまう。昔はこの広い家で、かくれんぼとかしていたのに。
「お兄様、お帰りなさい…あっ!」
「ただいま、アナ。マリィを連れてきたよ」
「お久しぶりです、マリィお姉様」
ペコリと綺麗なお辞儀をするアナイス。まあ!なんて可愛くなったのでしょう!
「お久しぶりです、アナイス。とても綺麗なお辞儀だわ」
「ふふ、ルシィお姉様より上手かしら?」
「ええ、ルシィよりも上手よ」
ううん、アナイスは相変わらず可愛くて、なにも問題がないように思えるけれど。ナトンとなにかあったのかしら?
「我が家にお姉様が来て下さった、と言うことは、私とご一緒して下さる、ということですよね?お兄様」
「え、いや、もちろん僕と…」
「お姉様を借りますわね、お兄様」
言うなりアナイスは、私の手を引っ張って2階に連れて行く。振り向くと、ナトンが呆然としていたが、苦笑いしながら、「アナ、失礼のないようにね」と兄らしい言葉をかけた。
部屋に入ると、アナイスはメイドにお茶の用意を命じて、人払いをする。ーーあら、真面目な話なのかしら…?
「マリィお姉様。この度はご婚約おめでとうございます」
「…ありがとう、アナイス。これからよろしくね」
「お礼に間がありましたね。お兄様との婚約は、不満ですか…?」
「まあ!不満なんてないわ!」
不満なんて、あるわけない。ナトンは身分も高く、見目も麗しい。万人に羨まれる婚約だわ。
ーーそれにしても、アナイスったら、ずいぶん大人びているのね。確かに、年齢はひとつしか変わらないけれど。ルシィよりも、はるかに大人だわ…。
「でも、お兄様のこと、好きではないのでしょう?」
「そんな、好きよ、もちろん」
「幼なじみとして、でしょ?」
「………」
「はあ。やっぱり。この婚約って、お兄様が強引に決めたのね。もう!」
「アナイス…」
そっか。アナイスがナトンにピリピリしていたのは、ーー私のことを思いやってのことだったのね。嬉しいわ…。
「マリィお姉様。お兄様は、ずっと昔から、マリィお姉様が好きなのです。それで、今回の暴挙に」
「ぼ、暴挙だなんて!」
「私としては、マリィお姉様が私のお姉様になってくれるのは、本当に嬉しいのです。お兄様のやったことは、女の敵ですけれど…」
「そ、そこまでは…」
「これを機に、お兄様のことを、少しずつ好きになって欲しいのです。もちろん、マリィお姉様に別の好きな方がいらっしゃれば、私はお姉様を応援しますけれど」
「アナイス…」
『別の好きな方』
ーーそう言われて、ふっと王子様がよぎってしまった。脈など、全然ないのに。たった一度お話しただけなのに。
そんな私を見て、何かを悟ったのか、アナイスは大きなため息をつく。
「…ルシィが、ナトンのことを好きなの」
「ルシィお姉様は、お兄様というより、騎士が好きなのよ。だから、今回の婚約については残念だな、と思っているくらいよ」
「……あ、アナイスってスゴいのね……」
「マリィお姉様」
ずい、と顔を近づけるアナイス。う、迫力負けする…。
「お兄様はね、ひいき目なしに、すっごくモテるんです。だから、マリィお姉様が婚約破棄しても、お兄様にはすぐに婚約者が出来ますわ」
「………え…?」
「なので、マリィお姉様には好きにしていただいて、大丈夫ですよ!お好きな方がいれば、お姉様はその方と縁を結べば良いのです」
「そんなこと…」
「出来ますわ。なので、ご遠慮なく」
キッパリハッキリ言うアナイスに、私は絶句した。
ーーナトンが、別の女性と…婚約?
そんな。そんなこと。
ーー嫌だわ……。
「……いえ、好きな方は居ませんわ。私、ナトンと婚約破棄しないわ、アナイス」
「本当?」
「ええ。もちろん」
「良かったぁ!」
駆け寄って、私に抱きつくアナイス。ふふ、可愛い。私もきゅっと抱きしめ返す。
「嬉しいわ、お姉様!どうぞよろしくね!」
「ええ。アナイス。私も可愛い妹が出来て、とっても嬉しいわ!」
私たちは顔を見合わせて笑い合う。ーー婚約って、家族が増えることなのね。なんだか嬉しくなってきたわ。
私は、私のズルさを断ち切れるかしら。なんだかアナイスにしてやられた気がしなくもないけれど。
ーー未練、というほどの想いではないわ。
きっと、そう。だって、ナトンが私以外の女性と婚約する、と言われた時の方が、胸が凍りつくようだったもの。
ルシィ…。いま、どうしているかしら…。
◇◇◇◇◇
マリィを見送って、応接室でアナイスはナトンと話し合う。
「どうだった?」
「まあ、脈がない、というわけではなかったわ」
「と、言うと?」
「お兄様には別の婚約者をあてがう、と言ったら、それは嫌だって」
「本当?やった!」
「お兄様……」
妹をだしに使わないでよね。情けない。
ーーそれにしても……。
マリィお姉様、意外にフラフラしてるのね。王子様の、どこが良いのだか。一度しか話したことないのに。まして、王子様はルシィお姉様にゾッコンだって。
マリィお姉様、多分第2王子があまりにも『王子様』らしいから、憧れたのでしょうね。そんな素敵な王子様が、ルシィお姉様を好きになったものだから、ショックで打ちのめされたのでしょうね。
ーーバカバカしい。
王子様への憧れはやめられない。でもお兄様も取られたくない、なんて、ずるいと思うわ。
悪いけど、お兄様。協力するのは、ここまでだからね。マリィお姉様は好きだけど、フラフラした気持ちなら、お兄様の婚約者にはなってほしくないな。
ーーお兄様には、世界で一番幸せになってもらいたいもの。
小姑はそう思った。