7.お姑さん
ピッカピカに磨かれたこの大理石は、どこまで続いているんだろうな。
ーーって真剣に考えるくらい長い長い廊下だった。天井は高いし、部屋はいっぱいあるし。先に進む騎士さんが居なければ、私は絶対に迷子になる。
騎士さん、格好いいなぁ。ついうっとり見ちゃう。ナトンが剣術のお稽古をしてるのを見て、すっごく憧れたなぁ…。こう、ズバッ!と剣を振りかざす姿とか、本当に素敵。
私もやりたい!って言ったら、お父様に本気の説教をくらったな。なぜに。
「ご令嬢、殿下がこちらでお待ちです」
はう!この騎士さん、お声まで格好いい~!
「ありがとうごさいました」
私は家庭教師に「50点」と言われるお辞儀をした。心をこめてしたのに、騎士さんにはクスリと笑われてしまった。なぜに。
「ルシィ!」
「わあ!」
扉が勢いよく開いて、笑顔のマリユスが私を出迎えてくれた。……あービックリした……。
「よく来てくれたね。さあ、こっちだよ」
「う、うん」
嬉しそうなマリユスに手を引かれて、案内された卓につく。先に着座しているこの人って…。
「紹介するね、ルシィ。私の母上だよ。ーー母上、こちらは私の婚約者のルシィ・ド・アルトワ嬢です」
「は、初めまして。ルシィでございます」
「……まあ、小猿のようですね」
「母上!」
マリユスが大きな声を出す。王妃様は、私の50点のお辞儀を見て、小猿と言ったのだ。おお…鋭い洞察力。さすがはマリユスのお母様だ。
「鬱陶しいから、早く座りなさい、小猿」
「はい。では失礼します」
「母上…」
早々に座っていいと言ってくれたので、私は遠慮なく座る。ん?マリユスが泣きそうな顔をしている。どうしたのかな?お腹が痛いのかな?
「これが、貴方の選んだ子なの?マリユス」
「はい、母上」
「小猿、貴女は王子の妃になる覚悟は、ありますか?」
「ありません」
キッパリ言うと、部屋の空気が凍りついた。あれ?私、マズいこと言ったかな?でも、嘘はつけないよね。お妃様になる覚悟なんて、ないもん。
「……………………」
「こ、これから妃になる心構えを身につければ良いでしょう。ですね、母上」
「……これは、鍛えがいのある小猿だこと…!」
ゴゴゴ…と背後から音が聞こえる(気がする)。王妃様になんかスイッチが入った。ま、マズい予感…!
「まったく、侯爵家ではどのような教育をしたのかしら。マリユス、婚約者を変えた方がよろしいですよ」
「お断りします。絶対に変えません」
「……貴方が苦労するのですよ」
「苦労だなんて。ルシィに関する全ては、私の喜びです」
「…つまらない男になったこと。貴方は、兄を支える優秀な補佐にさえなれば、よろしいのです」
「王妃様、それは違うと思います」
あ、思わず口を挟んでしまった。でも、このお母様、あまりにも息子を抑えようとするんだもん。
「マリユスは、マリユスです。兄を支えるだけの存在ではないと思います。今だって、もう優秀だもの。いつも一生懸命頑張っているもの」
「ルシィ…」
「だから、そんなに追いつめないであげてください」
「…小猿が、小賢しいことを…!」
王妃様が、扇を握りしめて怒っている。……ちょっと違う。怒っているフリをしている?
それに、王妃様の言うことって、私のことに関しては、本当にその通りなんだよね。覚悟はないし、教育も真面目に受けていないし、何といっても小猿だし。
マリユスが苦労するの、目に見えるよね。お母様としては、心配するよね。
「でも、私に対する王妃様のご心配は、もっともです。私も、婚約者を変えた方がいいと…」
「ルシィ」
途中で遮られた。なぜに。
「…母上。ルシィはこのように素晴らしい女性です。私は生涯、ルシィ以外の女性を好きになることはありません。ですから、絶対に婚約者を変えたりしませんので」
「……そうですか」
フイと横を向いて、王妃様はマリユスから目をそらす。あ、分かった。この二人、お互いすれ違っちゃってるんだ。
「マリユス。王妃様はね、マリユスをとっても心配しているんだよ」
「……え?」
「そして、王妃様は、私をも心配してくれているの。だって、お妃様になる覚悟がないと、お妃教育が辛いでしょう?」
「……………」
「そしたら、マリユスも辛いし苦労するから。王妃様って、ちょっと表現が意地悪だけど、本当は皆を心配しているんだよ」
「……そうなのですか?母上……」
マリユスは、王妃様を見つめる。その視線を受けて、王妃様は顔を少し赤らめて、横を向いたまま、「表現が意地悪、は余計です」と言った。
「母上…!ありがとうございます。私はルシィさえいれば、どんなことも出来ます。もちろん、兄上を支える立派な王子になります」
「……よろしくお願いしますよ」
「母上には、ルシィのお妃教育を是非お願いいたします」
「げげ!」
「何ですか!淑女が、その口の利き方は!」
「ひええ…済みません…!」
「……良いでしょう、マリユス。この小猿は、私が!徹底的に!鍛え上げてあげましょう!」
う、嘘!?マリユスったらひどい!王妃様の瞳が、ランランと輝き出した!お、お妃教育なんて、絶対に無理だよう~!
「いえ、あの、ですから婚約者を変えた方が…」
「いいえ!王妃の名にかけて、小猿を淑女にしてみせますわ!」
ああ…王妃様に火が付いちゃった…。どうしてこうなってしまったんだろう…。
王妃様は立ち上がり、「小猿、明日から王宮に来るように」と強い目力で私に命令した。…はい逃げられません断れません。
王妃様が退出したあと、私たちはソファに移動して、なんでかマリユスに抱きしめられた。
「マリユス、ちょっと、離れない?」
「駄目、まだ、無理」
マリユスは私を膝の上にのせて、背後からぎゅっとする。あの、重くないですか?
「マリユス、重くないの?」
「全然。僕だって、結構鍛えているんだよ」
「え、すごいね、マリユス」
王子としていっぱい勉強しているのに、さらに体まで鍛えているなんて!一体いつ寝るのさ!
「ルシィ、ありがとうね」
「?なにが?」
「僕のこと、分かってくれて。……母上との誤解を、解いてくれて…」
「ううん。私は何もしてないよ」
「でも、母上の言い方が、キツいでしょう?ルシィは、何で分かったの?」
「え?王妃様、優しいよ。表現がちょっと意地…独特だけど。きっと、強くなろうと頑張っちゃったんだよ」
「ルシィ…!」
マリユスが、私の肩に顔をうずめる。ーー泣いてる?うーん、泣かす要素、あったかなぁ。言い過ぎてたら、ごめんなさい。
「好きだよ、ルシィ。もう好きすぎて、どうにかなりそうだよ…!」
「えっと、ほどほどでお願いします」
「ねえ、ルシィ。明日から王宮に来るなら、もう家に帰らないで、王宮に居ればいいよ。ね、そうしよう!」
「マリユスってば。それはだめだよ」
「ええ~」
不満そうにマリユスが揺れる。もう、わがままだなぁ。
「ね、マリユス。私やっぱりお妃様なんて無理だよ。いまから、婚約者を変えた方がよくない?」
「……ルシィ。今度同じこといったら、監禁するからね…!」
ゴゴゴ…と背後から音が聞こえる(気がする)。やばい、やっぱりこの二人、親子っ!
「監禁して、いかに僕がルシィを好きか、こんこんと教えてあげるからね…!」
「はいすみませんもう言いません」
「ルシィ。僕は君と一緒に居たいだけなんだ。お妃教育が嫌なら、僕が王子を降りたっていいんだ」
「え…マリユス、それは…」
「本気だよ。だから、ルシィは無理しないでね」
「うん…」
「ルシィは、僕が王子じゃなかったら、いや?」
「ええ?!そんなこと、考えたことないや」
ふふ、そうだよね。だからルシィが大好きなんだ!と嬉しそうに抱きしめるマリユス。
うーん、マリユスのことは嫌いじゃないけど、好きだとは言い切れないのに、良いのかな…?
「そうそう、僕、いま騎士団長に稽古をつけてもらっているんだ」
「騎士団長!」
「うん。僕、きっと強くなるよ。騎士よりも」
「騎士よりも、強く?!」
「そしたら、僕を好きになる…?」
「騎士より強い、マリユス…?それってすっごく格好いい…」
うっとりとマリユスを見つめる。ただでさえ美形なのに、そんな、騎士みたいに強くなったら…。それって最高に格好いいんじゃない?!
想像したら、ちょっと胸が高鳴った。マリユスは、そんな私を愛おしそうに抱きしめ直した。
◇◇◇◇◇
なぜか王宮でお妃教育を受けることになった、とお父様に話したら、諸手を上げてよろこんだ。「王妃様自らお教え下さるとは!なんたる栄誉!」と大喜びだ。ーーそこまでは良かったのだが、それまでの経緯を話したら、すっごく怒られた。ゲンコツを2回ほどくらう。なぜに。
そんなわけで、売られた子牛は、売られ先の王宮にて、お妃教育を受ける。私が言うのもなんだけど、これは猫に小判、豚に真珠だ。
マリィに代わってもらおうとも考えたけれど、とりあえず、マリユスには即バレる。ううん、奥の手にすらならない。
「よく来ましたね、小猿」
「よ、よろしくお願いいたします…」
姿勢が悪い!角度が悪い!口調が悪い!……とにかく、ダメ出しばかり。おう…今までさぼっていたツケだな、これは。
でも、王妃様は、うちの家庭教師よりも丁寧に教えてくれる。……ものすごく口が悪いけど。そしてちっとも甘くないけど。だから、私は逃げ出さず放り出さず頑張っていた。
勉強もよく分からない私に、王妃様は自ら教えてくれた。これまた丁寧で分かりやすい。
「あっ!こういうことですね!」
「そうです。正解ですよ」
「なるほど。よく分かりました。王妃様は、教えるのがとても上手ですね!」
「……おだてるものではありません」
あ、照れてる。この数ヶ月で、王妃様のことがだんだん分かってきた。優しいのにそれを隠し、褒められると、照れ隠しにむっつりする。
ふふ、とっても素敵な女性だ。
「私も、王妃様のように素敵な女性になりたいです」
「……いいえ、私のようになっては駄目」
「なぜですか?」
「私のように、感情を押し殺す必要はないのですよ。周囲に誤解されますから」
「王妃様は、とっても親切で優しいです。私、すぐに分かりましたよ?王妃様の厳しさは、全部、自分以外の誰かのためだもの。それって、本当に素敵です」
私も、王妃様みたいに格好いい女性になりたいな。そう思ってニッコリ笑った。
そしたら、王妃様は涙目で私を抱きしめる。
「いいえ…。貴女は今のままで大きくなりなさい。……ルシィ」
「…!はいっ!」
王妃様が、私を名前で呼んだ!わあ、嬉しいな!
ーーと、想定外に王妃様からも気に入られてしまった。なぜに…。