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愛闘

作者: 恵

1920年1月

神奈川県横須賀市、山本大尉宅で男の子が生まれた、その子は山本正次と名付けられた


1931年満州事変

正次の父が列車の爆発に巻き込まれなくなった正次とその母には反勢力によって爆破されたと知らされたと知らされた正次は11歳で会ったが勇猛果敢であったがために仇うちを願った


そして1941年正次は横須賀の海軍学校を卒業後艦上航空隊に入隊した正次は入隊前から練習機での模擬戦や着陸離陸の腕前は誰も勝つことができないと言われるほど強かったそのため入隊直後、艦上航空隊に入隊を志願したそしてなおかつ命を惜しむ人間だった、そのため仲間の中では弱者と言われた。


真珠湾攻撃


艦上攻撃機、を護衛する任務に正次はついた簡単に言えば艦攻に寄ってくる敵を撃ち落とせとのことだ。

正次が乗っていたのは零式艦上戦闘機、戦闘に特化した機体である今ではゼロ戦と言われ特攻機と言われるそんな機体も乗る人が良ければ最強の武器になった、正次が乗るとなお最強であった真珠湾攻撃で正次は艦攻五機を守り抜き機体に3発被弾したものの帰還し着艦時五機を始めに着艦させ短い距離で着艦するという技を見せた、

だが艦に戻ると正次は艦長室に乗り込み「どういうことだ!」といい艦長がどうしたと聞くと「空母が一隻もいなかった!」と言われ艦長は驚いた顔をしていた

正次が食堂に行くと祝いを起こってていた正次の部下が正次に近付き、


「正次さん、これ戦争負けましたね。」


と言うと正次は、


「ああ、負けた。」


と返した。

それから日がたち戦闘機、燃料食料の補給のため本土に戻ったすると母が

今日中に結婚しなさいといい幼なじみと結婚することになった実を言えば前から惚れていたそうだ、幼なじみも正次を好いていたそうだだから3日間に増えた時喜びと同時に恥ずかしさが襲ってきたそうだ、新婚の初々しさではなかったがとても幸せそうであった


ミッドウェー海戦


編隊長に出世し正次は発艦の準備をしていたその時アメリカ軍機襲来の放送が鳴り正次の編隊は飛び立った乱戦の中空母赤城が沈没し次々と空母が沈められ帰る場所を失いラバウルに飛んでいった他にも飛んできた機もあり彼らは皆編入が決まっただが、


横須賀海軍航空隊


正次だけが搭乗員教育のため本土に戻された戻って少したった時正次のもとにラバウル航空隊に編入した何人かが特別攻撃で戦死した知らせが入った、

正次は最初どういうことか理解ができず特別攻撃がなんなのかなぜ戦死したにもかかわらず作戦で死んだとなっているのかだがそれはすぐに分かることになった

教育しもう少しで戦闘に出せるそうなった時だ、上官から神風特別攻撃隊の人数分の志願書が渡された正次は上官に一撃必中の作戦と教えられその内容を聞き絶望した、

ついに負けが決まった、そう正次は思った。


正次は一時休養を申し出、家に帰ったちなみに子供が生まれていた正次いい父であったそうだ、子は言葉もまだ喋れないが正次はいつも子に戦争は嫌だなと言っていた休みが終わると妻に「俺が次帰る時、それは俺が死を決めた時だ」と言った。



特攻


自分の育てた生徒たちが出撃する日が来たその日、正次は生徒たちに

「俺が敵艦まで送り届ける!」といった生徒たちは乗れるのか?と思っていただが、出撃する時護衛機隊の中に二一型があった真珠湾攻撃時の機体があったそれに正次が乗り込み全機出撃した、


出撃から数分敵機が現れたが正次の生徒の機はその上を飛んでいった狙われはしたが正次がすぐに撃ち落とした、敵艦の近くにたどり着くと生徒たちは突撃を開始しただが一機のみたどり着くことができたのみだった正次は突撃する生徒たちを見ていた正次は、「くそ、くそ、くそ!」といった、正次は基地への帰還を始めた帰還中、正次は泣いていた日本に絶望しながら。


一死必勝


1945年


正次は特攻に志願していた初めて特攻を目の当たりにしてからずっと自分が育てた若者たち将来ある人たちが尽く死んでいった正次はいつか自分もと考えていただがどれだけ時間がたってもその時は来なかっただから志願した、志願した時上官は驚いていた志願すると思っていなかったことがわかっただが結果的に志願してしまった正次は3日間の休みをもらい横須賀へ帰った、家へ帰るつもりでいたがあったのは焼け野原のみだったすると近くの防空壕から正次の妻と子の声がした空襲で家はなくなったそうだった、


正次は言おうとしていたことが言えなくなっていた、だが理解出来ていたようで妻はこういったそうだ「たとえ死んだとしてもあなたは帰ってくる」と正次は泣いていた3日しかなかったいや3日もあったその間思い出を話したりしたそうだ子とは遊び子にまた遊ぼうねと言われた最後の日遺書を書き家をあとにしようとした時正次は御守りを渡され家をあとにした、


基地へ帰ると正次は決められた遺書を書き3日間兵舎で待機となり、そして3日後出撃し帰ってくることはなかった。


特攻に成功したか、どうかは本人と通信師にしかわからない命が途絶える瞬間を聞いた者は精神的苦痛が計り知れないものだっただろう戦争は悲惨なことばかり悲惨じゃない戦争などない戦争は絶対にしてはならない




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