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第38話 静かに眠る


 "ありがとう――"


「……」


 アイザックはしばらく、彼らが消えていった空を仰いだ。

 自分は何かを救ったのだろうか。

 よくは分からない。アイザックはただ、気に入らない相手に抗っただけだ。

 あるいは誰もが、人に勝手に思いを託して、時にはそれが報われることもある――そういうことなのかもしれない


「そうだ、ルカは……」


 アイザックは不意にそれを思い出し、彼らのもとへ駆け寄っていった。

 カタリナとヘレナが膝をつき、横になったルカを見守っている。

 改めてその姿を見ると、ルカの状態がよくわかる。

 殆ど皮と骨だけの身体で、肌も死人のように青白い。アンチヒールを受けた時の状態に似ているが、もっとひどい。


「ごめんなさい、アイザックさん」


 ヘレナが絞り出すように伝える。


「石化が解除されてすぐ、このような状態に……何度も回復魔法を使っているんですが、一向に治る気配がありません」

「気にするな。分かっていたことだ」


 アイザックは静かに応えた。

 ルカは石になったまま、ずっとガルラ・ヴァーナから精気を奪われていた。

 普通の憑依状態だって人間にとって命を削られるに等しいのに、石化したままでは枯渇するのも当然だ。


 彼らがルカにできることは、石から解放して最後に新鮮な空気を吸わせてやることぐらいだった。

 アイザックは横たわるルカの手を握る。ルカは目を細め、顔をほころばせた。


「ずいぶん逞しくなったね」

「生きるのに必死だっただけだ。あんたがいなくなって、俺がどれだけ途方に暮れたと思ってる」

「悪かったよ。ぼくはただ、怖くなったんだ。愛弟子を自分の運命に付き合わせる図々しさに、あの時突然気付いてしまった」


「馬鹿馬鹿しい。弟子を途中で突き放す薄情さに比べたら、そんなのずっと真摯だ。それに――」

「うん、そうだね。それに、結局君がガルラ・ヴァーナを倒してくれた。僕にできなかったことを、君が継いでくれた」

「……」


 アイザックは憎まれ口を叩き、ルカは笑いながらそれを受け止めていた。

 傍から見れば、もっと他に言い方があるだろうと思うところだ。ルカは今、死に向かいつつあるのに。


 だが、彼らにとってこれがもっとも安らげる会話だった。

 かつては生活の一部で、もう何年もの間できなかった、普段通りの師弟の会話。


「アイザック、ガルラ・ヴァーナはいなくなったが、おそらくアンデッド被害はこれからも続くだろう」

「……なんだって?」

「――リザレクション・フォールダウン、あの魔法の影響はとても大きい。世界の法則が正されるまで、おそらく十年から数十年の猶予が必要だ」


「これからもあの世から死者が蘇り続けるってのか」

「そう。これからも人類はアンデッドと戦うことになるし、そのためには僕らの魔法が必要だ。そこでお願いなんだが、君にこの魔法の創始者になって欲しい」

「創始者……?」


 この魔法――アンデッド戦に特化した回復魔法は、ルカが編み出したものだ。

 自分は半人前の弟子に過ぎない。


「僕が作ったのはあくまで"型"だよ。これならアンデッドと戦えるという理論だけだ。だが君はそれを実戦で確かめ、調整と応用を繰り返して戦術へと昇華させた。――石化してたとはいえ、ガルラ・ヴァーナと戦う君の雄姿は見えていた。君はこの魔法をちゃんと自分のものにしているよ」


「屁理屈はやめろ。アンデッドと戦える魔法なんて、ルカが思いつくまで誰もやろうとしなかったんだ。あんたはそれを形にした」


「……アイザック、これは名誉だけの問題じゃない。一時とはいえ魔王の配下を騙った僕が創始者ということになれば、この魔法は忌み嫌われることになる。だが魔王を破った君が編み出したことにすれば、逆にはくがつく。より多くの人がそれを学ぼうとするだろう。それがアンデッドに対する抑止力になるんだ」


「ルカ……! お前はこんな時までそうなのかよ! 自分のことを犠牲にして、世の中が平和だったらそれで満足みたいな顔しやがって!」


 アイザックは悔しかった。魔王の再来に備えて人知れず尽力した人間が、最後の最後だというのに自らの功績を人に譲り渡そうとするのが理解できない。

 ルカは師匠だ。自分よりずっとすごい人なのに、本人がそれを認めようとしてくれない。


「そうだ。生憎だけど僕はそういう人間なんだよ。表舞台より裏方のほうが心地いい、象徴になれるほどの器じゃない」

「自分のしたことも、その辛さも誰にも知られなくていいのかよ」

「いいや、君が知ってくれているじゃないか。君と、その仲間たちが」


 そういってルカがカタリナとヘレナを見やる。

 二人は力強くうなずいた。


「アイザックはうだつの上がらない私の生き方を変えてくれた。ルカさんがアイザックの師匠なら、あなたがいたから私とアイザックは出会えたんだと思う。きっと、全てはつながっている」

「ルカ様は教会の改革者、組織の中には私を含めあなたのことを尊敬する者がたくさんいます。その行いを知らなくても、築いてきたものは決してなくなりません」


 ルカは二人の言葉を聞いて満足そうに笑みを浮かべる。

 アイザックはその表情を見て、虚しさを覚えつつも、ルカの思いを受け入れざるを得なかった。

 やがて、彼の手にヒビのようなものが入る。そしてそれはすぐに身体中に広がっていく。

 肉体の限界、生命の最後の時が近いのだ。


「アイザック、君は僕とは違う人間だ。人の上に立つ、英雄の器を持っている。だから僕にかける言葉は別れを惜しむ悲嘆なんかじゃなく、宣言であるべきだ。……最後にその立派な姿を見せてくれるかい」

「……」


 アイザックは、自分が英雄だなんて思わない。ルカのためという目的と、仲間がいたからなんとかここまでやってきただけの存在だ。

 だが今、自分が見せるべき立派な姿とは何か。それだけは心得ていた。

 それは自分が、もっとも欲しかった言葉だからだ。


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「……ありがとう」


 その一言を最後に、ルカの身体は砕け散った。

 身体の破片は地面に落ちるとさらに小さな塵になり、すぐ風に乗って空に巻き上がる。


 人知れず世界を守った男は、最後に望外の喜びを得て天に旅立った。


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