第35話 生命の流れ1
アイザックは、再びガルラ・ヴァーナと対峙した。
接近する際に高所は取ったが、ガルラ・ヴァーナ自身の巨大な姿の前では、それほど大きな利点にはなり得なさそうだ。
「ようやく戻ったか。他の二人はどうした?」
「お前なら予想がついているんじゃないか?」
「ふん……大方ここに向かっているアンデッド共を察知して食い止めているか、あるいはそのまま撤退するかだろう」
アイザックは肯定も否定もしなかったが、ガルラ・ヴァーナは気にせず続ける。
「しかし、最早どちらでもいいことだ。ここが見つかった以上、こちらも本格的に動かなくてはならん。今までは数を増やすために小規模の村を襲うぐらいだったが、ここからは街や城も視野に入れる。我と人類とで、もう一度戦争をして貰うぞ」
「ふざけるな。アンデッドになってしまった者の中には、無辜の人々や彼らを守っていた人間たちもいる。お前が使い捨ての兵士のように扱っていいやつらじゃない」
「だが、今は我が命令を守る忠実なしもべたちだ。何故彼らが我が支配を受け入れているか分かるか? アンデッドとなった時点で彼らもまた魔物になったからだ。力の掟に逆らえない我らと同じ種族にな。人間も少しは我らの苦しみが身に染みただろう。……もっとも、自我は失われてしまったがな」
「馬鹿馬鹿しい。そんな八つ当たりみたいな理由なんか知るかよ。魔物同士のジレンマを勝手に押し付けやがって……戦争なんか絶対にさせるものか」
「この身を滅ぼせばそれも叶うだろう。だがお前一人でそれができるかな?」
ガルラ・ヴァーナの挑発を受け、アイザックは手を天にかざした。
頭上に無数の白光が輝く。
「――ヒーリング・ジャベリン・レイン!」
光が槍の形状となって展開される。天空を埋め尽くすような圧倒的物量だ。
アイザックがかざした手を振り下ろすと、それは勢いよく地に放たれた。
ガルラ・ヴァーナは触腕を盾にして自身の身体を守る。しかし意外なことに、光の槍はガルラ・ヴァーナに届かなかった。それどころか彼を避け、全て何もない地面を貫いていた。
「――!?」
地面に突き刺さったヒーリング・ジャベリンは、本来なら何の意味もなさない。
しかし突如小さな火花を放ち、隠されていた魔法陣を浮かび上がらせた。魔法陣は不安定に点滅を繰り返し、そのまま掻き消えていく。
「高度な魔法ほど、ちょっとした干渉で不調を起こすものだな」
「貴様……まさかこれを狙って?」
その魔法陣の数々は、ガルラ・ヴァーナが用意していた罠や強化魔法の基点となるものだった。
完全に破壊したとは言い切れないが、もう即座に発動できるような状態ではない。
「この魔法陣に流れる力も、アンチヒールと同じ属性のものだ。つまり俺の使う回復魔法とは反発し合う関係、やろうと思えばこれぐらいできる」
「ふん……だが悪あがきだな。お前一人を相手にする分には、小細工は必要ない」
「そうかよ。だったら――試してみな!」
そう言ってアイザックはガルラ・ヴァーナに飛び掛かる。手にはルカの杖を握り、瞳を爛々と輝かせて。
すぐに触腕がしなり、鞭のように襲い掛かってくる。
「プロテクション・パネル!」
空中に魔法の足場が形成され、それに飛び乗ることで攻撃を回避する。
無論ガルラ・ヴァーナは続けて何度も触腕を伸ばすが、アイザックのほうが一歩速い。
空中の足場を利用した対巨体用の三次元戦闘。巨人ムスペルとの闘いで培った経験が、それをより精度の高い技術へと押し上げていた。
「小バエのように飛び回るのが貴様の戦い方か? 煩わしいな」
「苛々してくれるようで嬉しいよ。お前ら屍体を倒すのが俺ってのも皮肉が利いてて気に入った!」
攻撃を掻い潜りながら、アイザックはガルラ・ヴァーナの本体に接近していた。
まずは一発、ヒーリング・ブロウを相手にぶち当てるつもりだ。
あれは対アンデッド用回復魔法の基礎であり、同時に神髄でもある。アイザックは中・遠距離のジャベリンよりもこちらのほうを得手としていた。
――あと数歩。
そう考えたその時、触腕から数本の黒い光が迸る。
まるで乱反射のように瞬く光線が、周囲の足場を一掃する。
そしてその内の一本が、空中で身動きの取れないアイザックを捉えた。
命を握られたに等しいその一瞬、彼は光線を見据えて杖を振るった。既に回復魔法の白光に包まれていたルカの杖は、アンチヒールの黒光と反発し合う。
アイザックは身体を回転させ、その衝撃を推進力にガルラ・ヴァーナの本体に辿り着いた。
「喰らえ――!」
勢いを増したヒーリング・ブロウが、ガルラ・ヴァーナの右頭頂部に叩きつけられる。
白光が輝く。
光を浴びた部分を中心に、霊体の輪郭が大きく歪んた。
渾身の一撃は確かに魔王を直撃し、一瞬その風船のような図体がぐらりと揺らぐ。
だが手ごたえを感じたのもつかの間。すぐに触腕がアイザックを捕えようと蠢き、彼は身を翻して距離を取る。
そして十分離れたと思った時には、既に霊体の損傷が修復され始めていた。
「この程度で我を倒すとは……大言壮語も甚だしいな」
魔王の言葉を受け、アイザックは舌打ちする。
この世ならざる霊体の身体は、その力が弱まるほど姿が曖昧になっていく。
ガルラ・ヴァーナの姿が原形を保っていることは、まだ十分な余力があるということだ。
否。正確に言えば、ルカという宿主から精気を吸い取って力を補給しているのだろう。
今度はこちらの番、とばかりにガルラ・ヴァーナの腕が薙ぎ払いを仕掛ける。
アイザックは跳躍してそれを避け、同時にライトピリングを展開する。
「コンカッション!」
光球は殆ど即座に炸裂した。威力は限りなく微小、ほぼ目くらまし目的の光だ。
だがガルラ・ヴァーナは、光のカーテンをもろともせず触腕を伸ばす。彼にとっては二、三度攻撃を当ててしまえば倒せる相手。小手先の技にいちいち翻弄されることはない。
――だがその油断が、アイザックにはチャンスとなる。
「集合せよ!」
光のカーテンの向こうでは、アイザックが残ったプロテクション・パネルを集めていた。
光を貫いて触腕が目の前まで来た瞬間、パネルを密集形体に移行して拘束する。さながらそれは、手錠のようだった。
「だが、こんなもの――」
「『ヒーリング・ジャベリン・ピアッシング』!」
ガルラ・ヴァーナが力任せに手錠を砕こうとするが、それより速くアイザックが魔法を発動させる。
光の槍が両の触腕を等間隔に貫き、まるでくさびのように固定する。
これには流石に、ガルラ・ヴァーナも苦悶の表情を浮かべた。
「貴様――!」
「ようやくその仏頂面も変化が出て来たな。どうだ? いくらか人格を調整したところで、戦闘の最中にまったくの無感情ではいられないだろう?」
「――っ。愚かな。こんなことで我が魔力を無力化したつもりか?」
苦し紛れにも聞こえるが、ガルラ・ヴァーナの言葉は事実だ。
アイザックが魔法で動けなくしているのは、人間でいうところの手首からひじのあたりまで。
魔法の放出口となる触腕の先端部分は無傷。アイザックはまさに切っ先を突き付けられている状態だった。
「魔力の通り道がいくらか滞っているが、このまま貴様の生命を枯渇させるには十分だ!」
そう言ってガルラ・ヴァーナは、実際にアンチヒールの黒光を放とうとした。
だがその光にさらされながらも、アイザックはニヤリと笑う。
「上等だ、やってみろよ――お前を釘付けにするまでが、俺の役目だからな」