第23話 投獄
『我は魔物たちの一なる王となる。我という頂点の元、魔物の世界に調和が訪れるのだ』
ばしゃっと冷たい水をかけられ、アイザックは覚醒する。
自分の状況よりもまず、今のはなんだという気持ちでいっぱいになった。
あの光景はエルフの隠れ里なのか? 少年はガルラ・ヴァーナと名乗っていたが、魔王の過去を覗き見たとでも言うのだろうか。
しかし疑問を解き明かす暇もなく、アイザックは現実に引き戻される。
「しっかり目が覚めただろ? 休憩時間は終わりだ」
バケツを持った二人組の男が、にやにやとこちらを見て笑っている。
周囲は暗く、自分の手足は縛られて磔刑のような形になっている。ここは地下の独房だった。
教会の兵士に昏倒させられた後、アイザックは教会が一時拠点としている町まで連れ去らわれた。
途中、目覚めて外の様子をうかがったところ、どうやらロレンズの領地内から出たわけではないらしい。ここは確か、北西の町の一つだ。
ロレンズは教会との関わりを断っているが、領内の町全てがそれに追従しているわけではない。ここは特に教会の影響が強いと聞いたことがある。いわば教会信奉区の飛び地だ。
町長から収容施設を借りた教会の者たちにアイザックは拘束され、いわゆる"拷問"を受けている最中だった。
「もう少し寝かしといてくれないか。今大事なところだったんだ」
「なんだ、怖気づいたか? またこれのお世話になるのは嫌だもんなあ」
そう言って片方の男が鞭をちらつかせる。
アイザックは見当違いの発言に辟易したが、彼らはそれを知るよしもない。
「お前が全部話してくれれば、俺たちもこんなことしないで済むんだぜ?」
「話すことなんてない」
「とぼけるな! お前がルカの養子だったことはすでに調べがついているんだぞ!」
「養子じゃなくて弟子だ。……それがどうした。ルカは魔王を倒した勇者パーティーの一員だろ。罪人のように呼ばれる筋合いはない」
「はっ。全部知らないフリか? それとも本当に利用されてただけかもな」
話しているだけでむかむかしてくる。それでもじっと堪えて、言わせるままにしておいた。
恐らく彼らも、実際にアイザックがどういう立場なのか計りあぐねているのだ。できるだけ情報を与えず、情報を聞き出す必要があった。
「天上治癒師ルカは人間を裏切って魔王の配下になったのさ。英雄の醜聞ってので市民には隠されてきたが、王室並びに教会の上層部では周知の事実だ」
「……教会の上層部? なるほど、ならお前たちもつい最近知ったということか。どう見ても下っ端にしか見えないからな」
「この……っ! 減らず口を!」
男が鞭を大きく振りかぶり、アイザックの身体に叩きつける。
封魔の術がかけられているのか、回復魔法は使えない。激痛のはずだが、アイザックは小さく肩を震わせるぐらいで堪えた。
「大体、お前を治癒師として育ててたって時点でおかしいんだよ。なんで魔王がいなくなって平和が訪れた時に弟子なんか取るんだ? しかもお前のそれは、傷を癒すよりアンデッドを倒すことに特化しているっていうじゃねえか。まるでアンデッドがはびこる今の世界を予測してたみたいだ。今まで何の疑問にも思わなかったのか?」
「……それは矛盾している。魔王がアンデッドを生み出すなら、なおさら俺に対アンデッドの魔法を教える理由がないだろう」
「まだまだ人間の味方です、っていうアリバイ作りのつもりだったんだよ。やっぱりお前は利用されてたのさ。大体、どんな魔法だろうと使えるやつが一人じゃ何の役にも立たないじゃないか」
「馬鹿か、人間一人に魔法を教えるのにどれだけ労力がいると思ってやがる。ルカは純粋に後継者を探していたんだ」
「どうだかな」
「魔物が魔物を従えるのは分かる。それは本能だからな。だがルカは人間だ。魔王に与する理由がない」
「知るかよ。この国を転覆させたら王にしてやるとでも言われたんじゃないか?」
「あいつがそんな凡俗な野心を持つものか。第一、魔王を倒したやつがなんで倒された相手に鞍替えするんだ」
「だから、そんなこと知らねえって言ってるだろうが!」
男は腹いせのように鞭を激しくしならせた。
それでもアイザックの眼光は鈍らず、ずっと彼らを捉えている。男は更に憤って、何度もアイザックの身体を叩き続ける。
無論、魔法を封じられているアイザックは、何らかの方法で痛みを緩和しているわけではない。ただ単純に、痛みを我慢しているだけだ。
アイザックには一目見て分かった。あの鞭は革紐をいくつか束ねて取っ手をつけただけの急造品だと。
彼らも、おそらく専門の拷問官ではないのだろう。簡単に相手に煽られて、痛みに頼った責め方しかできない。手首で振るだけでも十分なのに、意味もなく大振りに振るうので、囚人と同じペースで消耗してしまう。
「……回復魔法の修練は自己完結的だ。つまり"自分を傷つけ、自分で治す"」
「何?」
「動物では駄目だ、身体の構造が違うからな。他の人間はなおさら駄目。骨を曲がったまま固定したり、内側の毒を放ったまま表面の傷だけ治したり、そういう事故が多くて責任を取れない。練習は必ず自分の身を使うし、傷の種類や程度に分けて何度も繰り返す。昔は見習いが根を詰め過ぎて、練習中に亡くなることもあったらしい。……まあこれはあくまで又聞きだけどな」
「一体何の話を――」
「痛みには慣れている、という話だ。そろそろ無駄なことは辞めたらどうだ」
そう言って笑ってみせる。対外的にはまだ余裕がある、というふうに見えたはずだ。
男が一瞬気圧されたように息をのみ、それをごまかすためから更に鞭を大きく振り上げる。と、そこでもう一人の男が制止した。
「お前は一旦休め。交代だ」
彼はすでに息が上がっていた。尋問にしろ拷問にしろ、こちらの方が立場が上、と示せなければ意味はない。
とはいえ交代したもう一人のほうも、すでに及び腰になっていた。
アイザックは再び鞭に打たれながらも、頭の中ではもう別のことを考えている。
ルカに対するほんの僅かな懐疑と不信。そして――
「……もしかしたら、ようやく会えるかもな。ルカ」
決意とともに呟かれた言葉は、鞭の音にかき消されて誰にも届くことはなかった。