過去の影
「魔法とはどれだけ具体的にイメージできるかに大きく左右される」
春陽は明桜学園の一室ーー四角いコンクリートに囲まれた広い部屋で授業を受けていた。
いや、授業というより訓練と言った方が正しいーー
無機質な部屋はやたら天井が高く、3階建ての建物が余裕で入りそうだ。天井近くの壁の一部はガラス張りの長窓がはめ込まれており、そこから見学もできるようになっている。
「まずは基礎魔法ーー身体強化から始める」
淡々と授業を進行しているのは中等部一年体育主任ーーと表ではなっているが、正確には「基礎魔法学」担当の戦闘向けの体術を教える教員である。
中等部一年では身体能力を向上させたり、魔力をコントロールしたりと、基本的なことをみっちり教え込む。生徒の得意、不得意、相性などを考慮してクラスーーさらには四、五人の小グループを編成していく。
ここにいるのは二十名ほどの生徒がいて、壁に縦に書かれた物差しと真剣ににらめっこしている。
脚力に魔力を溜め、筋力の密度を上げーー高く跳ぶ。
ようするに、垂直跳びを魔法を使ってする。
「魔法に、目覚め、この訓練を始めて一か月頃経つわけだがーーもうそろそろこつを掴んできた頃だろう」
この基本的な魔法はこれから始める本格的な魔法を習得するにあたって大事な足がかりとなる。
一見地味だが、とても大事な訓練であり、このコツを掴むのが遅いか早いかで、魔法使いとしての明暗が分かれると言っても過言ではない。
「次、佐倉ーー」
春陽は名を呼ばれ、強張った表情のままうなづいた。
授業が終わり、春陽は黒川奈津子が担当している保健室にいていた。
担当というのは魔法という特殊な授業ーー訓練のせいで怪我人が多く、一つでは足りないという理由で保健室は中等部だけでも全部で6箇所ある。
各寮、本校舎、訓練棟ーーなどに点在している。
黒川が担当しているのは本校舎の一室だ。
ちなみに明桜の特殊な授業の関係上、保健室にいるのは養護教諭だけでない、看護師や医師の資格を持っているものが数人待機している。
黒川は養護教諭と看護師、両方の資格をもち、日々職務に当たっている。
「軽い捻挫ね」
湿布を貼りながら黒川先生は軽く呟く。
春陽は礼を言いながら大人しく処置をうけている。
「垂直跳びの授業だったわね、なんメートル跳たの?」
「まだ二メートルちょっと…です…東先生の五分の一も跳べませんでした」
「佐倉さん、東先生と比べることがおかしいのよ、あれは化け物よ、化け物」
黒川の言葉に春陽は苦笑する。
「東先生って凄いんですか?ーーいえ、実際凄いんですけど」
「凄いっていうか天才ねーー私が学生の頃は学園始まって以来の天才とかいわれてて、ちやほやされてたわーー」
当時を思い出しながら黒川は答える。
「私は落ちこぼれだったからすっごく羨ましかった。自在に魔法が使える彼を見て憧れすらいだいたわ」
懐かしむように目を細める。
あの時は自分のことだけで必死だったーーだから羨ましかった。
まっすぐ前だけを見ているあの慧眼がーー
「先生落ちこぼれだったんですか?」
「う!自分で言ったか仕方ないけど、ストレートに聞かれると痛いわね」
「す、すいません」
春陽の言葉に黒川は大げさに胸を押さえて顔を歪めてみせた。
「魔法があまり上手くないから養護教諭になったのよーーここの卒業生はみんなここの教師か研究員とかになってるけどね!」
つまり人に教えられるほど魔法を使いこなせず、研究できるほど魔法に対して精通していなければ興味もない。
その言葉の裏側を読み取って春陽は苦笑した。
「もちろん、外に、行った人たちの方が断然多いわよーーでも、私にだってここで出来ることがあると思ったのよーー」
黒川は生徒たちを本当に心配して気遣ってくれるーー春陽は初めて会った時から彼女の人当たりの良さに癒されていた。
「先生はすごいですよーーだってここを生きて卒業できたんですからーー」
春陽の言葉に黒川は沈黙した。
「私はーー臆病だったからーー大怪我を負った時もーー」
黒川はそこで言葉を切った。
あの時は本当にもうダメだと思った。生きてこちらの世界に帰れるとは思っていなかった。
結局ーー運が良かったーーただそれだけだったのだ。
無事に卒業できたのはーー
だが、卒業できるかなんて、結局は運次第なんて、そんなことを目の前の少女には言えない。
「先生ーーそういえば、聞きたいことがあるんですけどーー」
黒川の戸惑いを察知したのか、春陽は話を切り替えた。
「私たちの体のどこかにある花紋って一般の人って見えるんですか?」
入学式のその日に、魔法が使えるようになるにはある儀式を行わなければならないと説明され、各自その儀式を受けた。
儀式と言っても謎の黒い石に手を置きながら、謎の言葉を口にするという簡単なもので、春陽もそのひんやりとしたーー金属にも似た触り心地の大きな石に触れながら言葉を紡いだ。
春陽の腰まである黒い、四角い土台に人間の頭はどの大きさのゴツゴツした石ーー
後から聞いた話では、それは「門」の一部だという。
「ルカ・テデル・マディーシア」
そう言うと、石が光り出し、春陽の手を渡り、全身を包み込んだ。そして、春陽の太ももに赤い花のような痣ができたのだ。
それをーー花紋とよんでいる。
儀式を受けたものーーすなわち魔法が使える者は皆、この花紋が身体のどこかにあるのだ。
「儀式を受けてない人が見えるかってことよね?ーーそれは難しいんじゃないかしら」
黒川は考えながら口にした。
「魔力を持ってる人なら見える可能性もあるけど、あれは特殊な波長の色彩らしくて、一般の人には見えずらいらしいわよ」
詳しいことは研究している森崎先生に聞いてねーー
そう言う、黒川は春陽の処置を終えて道具を片付け始める。
「じゃあ、見えたらやっぱり魔法の才能があるということでしょうか?」
春陽の言葉に黒川は言葉につまる。
「そうかもしれないわねーー儀式も受けてないのに見えたらすっごい才覚を持った魔法使いになるかもねーー」
黒川はなんとなしに言ったが、この言葉が春陽を追い詰めていることに気づかなかった。