迫る影
初めての異世界ーーーー
地球が満月のとき、「こちらの世界」は新月ーー
そのせいか、夜の闇は深く暗く感じた。
でも、不思議なことに無数の星が瞬く様は地球と変わらず美しいーー
まるで、淡く煌めく羽衣が夜空にかかっているようだ。
飯島菜緒をはじめとする先輩たちが周囲を警戒するなか、春陽はうずく好奇心と、湧き上がる不安と恐怖に苛まれながらも一歩ずつ足早に進んんでいく。
先頭は別のチームがいき、春陽たちのチームが最後尾の総勢八十人余りの大移動だ。
少人数の方が身を隠しやすいし連携も取りやすいのだが、一ヶ月に一度しかこちら側に来れない上に、空気や地質の調査、地形の測量に未踏の地への調査など課題が山積みのために人員は多くいた方がいいとなった。
今回は新入生が諸々考慮して危険に晒されるリスクは上がるが、基地のある洞窟まで徒歩数分。
基地に辿り着くまでに、「脅威」と遭遇したとしても煙幕や発光弾を使えば高い確率で逃げ切れる。
実際に、春陽が周囲を警戒して集中していたせいもあるが、あっという間に基地のある洞窟まで到着した。
一堂は安堵に胸を撫で下ろす。
最後尾の春陽が所属するチームが入ったところで、洞窟の入り口で待機していた院生が結界を張る。
院生は握り拳大の鉱石を入り口におき、春陽の聞いたことのない言葉で何かを呟いた。
この瞬間、鉱石は火花を散らしながら結界魔法『光の壁』が発動される。
何度見ても魔法って不思議だと感動しながら春陽は菜緒に呼ばれて洞窟の最奥へと足を踏み入れた。
入り口には木々で隠れてわかりづらいが縦ニメートル、横五メートルほどの大きさで、暫く歩くと急に視界が開ける。
そこはコンサートホールのように大きく開けた空間で、春陽は眼下に広がる空間に感嘆の息を漏らした。
先人達が何十年もかけて建設した地下三階、地上二階の洞窟内の居住スペース。
春陽達が通ってきた入り口は地上一階の入り口で、ほぼ反対方向と、二階の方にも別の出入口があるらしい。
ホールは地下三階から地上二階までの吹き抜けとなっており、ここで毎日朝礼をはじめとした全体集会が行われる。
ちなみに設計でわざと吹き抜けにしたわけではなく初めから大きな穴が広がっており、ここを中心に居住区を広げたということらしい。
「ようこそーーアジトへ」
そう言って出迎えたのは黒い短髪に精悍な顔つきの大柄な青年だった。
ここで少し余談だがーー魔法にはついて説明しよう。
春陽が今まで学園で教わったことは以下の通りだ。
『黒の書』によると魔法にはいくつか種類があり、発動方法も様々だ。
身体強化魔法など己の内側で発動される魔法は感覚のみで発動できるが、己の外側に顕現させる魔法は少なからずとも呪文のような言葉がいる。
それはこちら側の世界は地球とは違って『魔素』とやばれるものがありーー魔素は酸素や水素のように空気中だけでなく土壌にも水中にも含まれていることが今までの調査でわかっている。
魔素は万物に変換する奇跡の元素ーー
ある科学者は興奮してそう謳った。
そしてその魔素は少なからず意思をもっておりーー黒の書には『精霊』というふうに記されている。
魔法を発動する時呪文を紡ぐとその言葉に従って精霊は姿形を変える。
己が発する魔力と混ざり合って、魔法の発動を補助してくれるのだという。
そして魔素が濃厚な場所では結合しあって鉱物状の結晶になるという。
入り口で使っていたのが、それだ。
魔法の種類にもよるが結晶は呪文ーー命令を言うとそれに従って性質と形を変える。持続時間は大きさと、発動する魔法によってことなるが、さきほどの『光の壁』で握り拳大の結晶だと六時間は継続して魔法を発動することができる。
「はじめましてーーというわけではないね。入学式の時に挨拶したがーー私は去年の首席卒業生であり、今回の合宿の全責任を任された藍堂司という」
話は戻るが、春陽達を含めた新入生はホールに唯一あるお立ち台にたって話を進める青年に視線を注ぐ。
「私が宣言しようーー君たちを無傷で元の世界に返すことをーーー」
藍堂の話のあいだあいだで、誰かの話し声が春陽の耳に届く。
「灼熱の藍堂先輩だ」
「歴代では東先生に次ぐ魔法の才能だって評判だったらしいぞ」
灼熱の藍堂ーー恥ずかしい呼び名だ。
一体誰がそんなダサい名をーーと春陽含め一部の女子はそう感じた。
「先輩がいるんだーー心強いな」
誰かがそう呟く。春陽は全体の士気が高まっているのを感じた。
なるほど、普段の生活ではダ……こほん、こちらの世界では心強い呼び名かもしれない。
この人がいれば安全だと、この人がいるから大丈夫だと。
そう精神が安定して過ごせれば冷静さを失わず、怪我するリスクも避けられるかもしれない。
「さすが藍堂先輩だな」
新入生は全員ホール前方に集められ、それ以外は後方で待機している。
藍堂の演説を聴きながら、士気が高まっていく新入生を見つめて菜緒はつぶやいた。
「暑苦しくて好きではありませんが、ああいうのをカリスマというのでしょうね」
美智佳が、皮肉を混ぜながらいうと、菜緒は苦笑しながらうなづいた。
「そういえば、黒川先生におかしなことを聞かれましたわ」
ふと、思い出したように美智佳が話し始める。
「あの人が前回、こちらにいた時、数時間ほど一人で行方不明になった騒ぎが、あったこと覚えてまして?」
「ああ、あの時は焦ったなーーまさか自分の班員が突然いなくなるとは思わなかったよ」
菜緒が苦々しくいうと、美智佳は同意とばかりにうなづいた。
あの時はとても焦った。
忽然と、今まで隣にいた人間が消えたのだから。
何度思い出しても背筋が凍るような感覚におそわれる。
「で、黒川先生になんて聞かれたんだ?」
「それが、いなくなる前と後で、彼は同じに見えるか?と、聞かれましたわ」
美智佳の言葉に菜緒は疑問が浮かぶ。
「どういう意味だそれは」
「さあ……」
顔を見合わせて訝しげに眉を潜める二人を、少し離れたところでその話題の渦中の人物は見ていた。
そして、その人物は春陽へと視線を向ける。
彼女は即刻消さなければならない――我々の目的の障害となる前にーーー