形見
斗真は自宅のダイニングにある四人がけのテーブルに顔を伏せて、あからさまに落ち込んでいた。
春陽に六月、七月と会いにいったが全く相手にしてもらえず文字通り門前払い。
どうやら学園に入れないでと守衛さんに頼んでいるらしい。
湖春さんに頼んで理由を聞いてきてもらったが、言えないの一点張りだった。
そんなこんなでなにかと理由をつけられて会ってもらえずーーしつこい男は嫌われるよと、出かける間際の妹に追い打ちをかけられて凹んでしまったのだった。
「ぼく、そんなに悪いこといったのかなーー?」
斗真が消え入りそうな声でつぶやく。
喧嘩したことは過去に数えるほどあるが、ここまで長引いたのは初めてだった。
「トーマくん?さっきから女々しすぎてお姉さんイライラしてきちゃうんだけど」
突然背後から声が聞こえて、斗真は飛び上がった。
「ひとり?」
大人の落ち着いた雰囲気を纏いながらも、人懐っこい笑顔をうかべて部屋に入ってきたのは、斗真を幼い頃から母親がわりに面倒見てきてくれた女性である。
「渚ちゃん!」
星野渚、斗真の父親の妹である。
普段から夕飯を作りによく来てくれるのだ。
「今日は早いね」
まだ夕方の四時過ぎだった。
「ずっと有給溜まってたから午後から休みとったんだけど、結局こんな時間になっちゃったよ」
そう言って苦笑を浮かべながら冷蔵庫を開けると、買ってきた食材を収めていく。
「今日は気合い入れて揚げ物でもしたかったんだけどねーー疲れたから焼いてもいい?」
「何でもいいよ、ぼくも手伝うよ」
斗真がどう言って立ち上がろうとすると、渚は制止して斗真の真向かいの席にどっと腰を下ろした。
そして缶酎ハイをあける。
プシュッと空気の抜ける音がした。
「あーーー!これよこれ!久しぶりの酒はおいしーわ!」
「渚ちゃんおっさんみたい」
一口飲んで感極まった様子の渚に斗真がさらりと一言。
「あんたねーー!そういう余計な一言がおおいのよ!
こんな美人に向かっておっさんとは何事か!」
渚がまくし立てると斗真はしまったとばかりに顔を強張らせた。
「こういうところが春陽に嫌われた理由なんだよね」
「あーーもう!今度はうじうじしだしたーー!」
斗真がどんよりとした空気を背負い出し、渚がため息混じりに叫んだ
「斗真!男なら即断即決!爽やか系男子がモテるのよ」
「その二つ揃ってる人いる?」
斗真が突っ込むと渚は酎ハイを飲みながら自信満々に答える。
「いるわよ!私の今彼」
ふふっと不敵に笑う渚に斗真は驚愕の声を上げた。
「渚ちゃん彼氏できたの!?」
「そうよーー婚活パーティー三回目、ようやくいたのよ私の好みの年下爽やか系イケメンが!」
酎ハイ一杯で酔っているのか、渚はよりも高めのテンションで語り出した。
「人の結婚ばかり祝ってた私にもようやく春が来たわーー」
「その人と会わないでここ来てていいの?」
斗真が尋ねる。
「今日夜勤なんだって」
渚がため息混じりに答える。
なんとなく会えなくて寂しそうだ。
「夜勤?」
「警官なのよ、その人」
自慢げに言う渚の話だと五歳年下の警察官らしい。
「とりあえずおめでとうーー今度こそ長く続くといいね」
「だから余計な一言が多いっていってんでしょーが!」
渚の突っ込みに斗真は口を押さえてごめんと小さく謝った。
それから上下ベージュのスーツからラフな格好に着替えた渚と台所に並んで立つ。
野菜を洗っている斗真の隣で渚が手際よく野菜を刻んでいく。
「そういえば、母さんってどんな人だったの?」
最近よく母の夢を見るせいか、気になって斗真は尋ねた。
こういう話題は父親の方がいいんかもしれないが、父に尋ねるのに少し抵抗があった。
母の話をする時、父は悲しそうな顔をするからだ。
「楓姉さんのことねぇ、謎の多い人だったかなーー」
星野楓ーーそれが斗真の母親の名前だった。
「うーーんこれは話していいのかなーー??」
渚が困った様子で小さく呟いたのが斗真の耳にまで届いた。
「兄さんから、楓姉さんと出会った時のこと聞いた?」
斗真が首を振ると渚は更に顔をしかめた。
どうやら話すべきか悩んでいるらしい。
「斗真ももう十二歳だしーーいいかなーー二人だけの話よ?」
楓はそういうと、手を動かしながらも話し始めた。
「楓姉さんはーー記憶喪失だったのよ」
最初の一言目から斗真は驚きだった。
「山奥で倒れていたのを兄さんが発見してーーそれが最初の出会いだったらしいの」
大学生の頃山岳部だった父さんが、一人で山に登った時に母さんと出会ったらしい。
その山は一般の登山客も多く、道のりがすぐわかるようにマップや標識もあったが、父は何故か道をそれて迷ったーーつまりは遭難した。
そして一本の立派な楓の木にたどり着いた。
そこに眠るように横たわっていたのが母だった。
どうやら楓は本名ではなく記憶喪失で自分の名前も思い出せない母に、父が仮につけていたのが、そのまま定着したらしい。
「すっごく綺麗な人だし、知的で聡明で優しくて黙っているだけで周りに百合だの牡丹だの見えそうなくらい華があってーーまあ、ようするに気にならないほうがおかしいわよね」
色素が薄くいから外国の人かともおもったけど、該当する失踪届けも出されていないーー本当に謎の多い女性だった。
「とりあえず行くとこないならって母さんが引き取って、あれやこれやとあっという間にうちに溶け込んじゃって、兄さんが大学卒業して就職するのをキッカケに結婚って、感じだったかなーー」
簡単に説明するが実際は、色々紆余曲折があったに違いないーーと、勝手に想像しながら渚の話を飲み込んでいく。
「ぶっちゃけ最初、私は警戒心丸出しでまぁ……なんていうの?気に入らなかったのよねようするに」
星野家の末っ子で可愛がられて育った渚にとって突如湧いて出てきた美女ーーあっという間に両親のお気に入りになり、ずっと渚の味方をしてきてくれた兄まで
夢中の様子で、ぶっちゃけ嫌っていた。
「でもまぁ、すぐ仲良くなったけどーーだって本当にいい人なんだものーー」
記憶がなくても滲み出ている聡明さ、上品さ、そして優しさーー悔しいくらい完璧で、渚が羨望の眼差しを向けるようになるまでそう時間はかからなかった。
「かわいい甥姪に会えたし!姉さんには感謝しかないわ!」
渚が笑っていうと、斗真まで自分のことのように誇らしい気持ちになる。
「そういえば」
ふと、渚が思い出したように呟いた。
そして突然小走りで自分が鞄を置いているソファまで走ると一つのペンダントを手にとって戻ってきた。
「これ、あげるわ」
眼前に差し出されたのは青い石のついたペンダントだった。
「大学受験の時にお守りだって姉さんがくれたんだけど、記憶を無くした時に身につけてた石なの」
斗真が手に取ってみるとひんやりとした肌触りのいい感触が伝わってきた。
透明度の高いガラスのようなーーでも感触や見た目よりもずっしりとくる重さから鉱物の結晶かもしれない。
「なんの石かわかんないけど綺麗よね」
渚の言葉を聞きながら室内の明かりに照らしてみると青色の濃淡が混ざり合い絶妙な光を放つ。
「斗真にあげるわーーううん、返すーーかな?姉さんの形見なんだものきっと、姉さんが守ってくれるわ」
斗真はその言葉を聞きながらも、返事ができなかった。宝石のように輝く美しい青が、斗真の心を掴んで離さなかった。
まるで母に優しく見つめられ、見守られているような感覚がした。
この石が母親の過去を暴くどころか、とんでもない事実を斗真に告げることなど知らずにーー
ただ、見つめていた。