お昼休み
明桜学園高等部三年ーー飯島菜緒は一枚のプリントを険しい顔で見つめながら、パックのオレンジジュースを飲んでいた。
「影山ぁ!これどう思う?」
急に話しかけられて、右隣の席に腰掛け、ハンバーガーにかぶりついていた影山昴は「なにが!?」と驚いた声をあげる。
今は昼休みーー明桜の生徒は学食でも売店でも好きな方を選べるが、無料なのは学食だけで、売店はどちらかというと嗜好品が多いため、有料だが学生割引で格安にはなっている。
なので、学食に、飽きたという生徒の欲求もある程度満たされる仕組みになっている。
もっとも食堂は何箇所かあり、それぞれが違うテーマでメニューを出しているため、飽きたというのは高等部の生徒や長く勤めている教師陣ぐらいかもしれない。
「このプリント!みてないのか!?」
男勝りな話し方に鋭い目つき、短い黒髪から活発な印象を受ける飯島菜緒だが、こう見えて可愛いもの好きである。
「あーーみたみた、今年の新入生にあっちの世界を体験させるってやつだろーー?」
豪快な仕草でハンバーガーをたいらげ、次へと手を伸ばす。彼の目の前には大量ハンバーガーが山となって存在している。
影山昴なんて名前から彼は暗いというイメージを勝手に押し付けられるがそれを跳ね返して余るほど明るいーーというか活発な少年だった。
「それってなんの意味があるんだろうね」
話に入ってきた少年は黒髪の端正な顔立ちの少年ーー東総司だった、
中等部一学年体育主任、東総一郎の弟である。
彼らの話題の中心は、菜緒の手にあるプリントーー「夏期新一年生特別課外合宿」
と書かれたプリントである。
ここでの新一年生は中等部一年生のことを指す。
「兄さんが、教頭先生が急に会議にぶちこんできたってーーキレてた」
「発案者があの根暗教頭ーー?」
総司の言葉に菜緒が意外と、声を上げる。
「絶対なんか企んでるな」
影山の言葉に一同頷く。
「例年高等部に入ってからなのにね。向こうに行けるのは。早くても中等部三年でかなり優秀な生徒だけだったのに」
総司が詳細を口にすると菜緒も考え込むように顎に手を当て、真剣な眼差しを彼に向けた。
「魔法もろくに使えないーー足手まといがいるわけだろ?下手したら私たちが危ない」
そんな危険をおかしてまでやる意味があるのだろうか?
このプリントに書かれた文章では高等部の小チーム一つにつき、中等部一年生の生徒三名が参加。
小チームは高等部一年から三年の入り混じった、五人から十人までのチームで、それぞれ三年生になったら自分たちで相性や特性を考慮しながら組んでいく。
基本的に上級生が下級生をスカウトするのだ。
「一年って百人近くいるわけだろ?チームの数足りなくないか?」
現在チームの数は約三十二。普通に考えればどっかのチームに余りを押し込めばいいのだが、三分の一は今「向こう側」である。
「ローテーションでいくみたいだよ」
「そこまでしていく意味あんのかよーー」
昴が面倒くさいとばかりに呟く。
「でもーー一度経験すれば、訓練への心構えもかわるんじゃない?実際、向こう側にいくまで、魔法の習得なんて遊び半分だったし」
総司が言うと二人は「たしかに」と頷く。
「でも一度向こうにいったら最低でも二週間帰ってこれないし、向こうに先生は行けないーーってことは私たちが面倒を見ないといけないんじゃないか?」
菜緒の言葉に昴は「まじでーー!?」と叫んだ。話に混じりながらもハンバーガーの山が小さくなっていくのですごい。
横目でそんなことを考えながら総司は応える。
「いつもより院生が多く付くみたい」
「ふーーん」
それでも納得いかない様子の菜緒に今度は昴が言い放つ。
「わけのわかんねぇことをいつまで言い合っても意味ねえだろ!」
それもそうだと、菜緒はここでこの話を打ち切ることにした。
この訓練には裏があるーーそう密かに邪推しながらも菜緒はオレンジジュースを最後まで飲み干すと立ち上がった。
「とりあえず自主練だ!影山!総司!訓練棟にいくぞ!」
東総一郎は机に座りながら熟考していた。
総一郎がいるのは本校舎の一室にある自分専用の研究室である。
建前上研究室となっているが実際になにか研究をしているわけではない。
ただ特殊な授業を行う上で機密性を重視した結果、教員一人につき一部屋与えられている。
明桜学園は、表向きはあくまで普通の学校なので、もちろん一般教科も実施されているのだが、職員のほとんどは明桜学園の卒業生や関係者だ。
総一郎もそこで授業の見直しや計画を立て、準備に勤しんでいるのだが、現在同級生であり戦友である森崎新が来室中のため、昼食を兼ねてコーヒーブレイクをしていた。
「仁科教頭はなにを考えているんだろうね」
総一郎が座っている机の背後には簡易なソファとテーブルがあり、そこでコーヒーをのんでいた森崎が話しかける。
「新しく発見された開門方法についての会議だったのにそこにとんでもないことをいってきたから流石にみんな驚いてたよねーー」
穏やかな口調で話してはいるが、内心怒りを滲ませているのを長い付き合いの総一郎は感じ取っていた。
「開門方法とかいっているが、実際ほとんど不可能じゃないか」
不満げにいう総一郎に森崎は苦笑した。
「でもこれであの門がなんなのか一歩近づいた気がするよ」
「『門番』の存在かーー言われてみればあんな危険な門だ見張りがいない方がおかしい」
総一郎の言葉に森崎は頷く。
「黒の書」ーー異界へと、通ずる謎の巨大な門と一緒に発見された、見たことのない文字で書かれた古く、分厚い黒の表紙の本である。
この解読をしているチームに森崎は所属している。
その黒の書にーー
黒白の門番、偉大なる母の御子、継がれし翼を持ちて憐れな迷い子にーーその尊き血を以ってして道を繋ぎーー蒼き地へと導く
ーーと、書かれていることがつい最近わかったのだ。
「月見里校長ーー月見里家の記録では、発見された当時、こちら側にも向こう側にもそれらしき人物がいた記録はないーーまぁ、門番が人の形をしているとも限らないけど」
森崎の言葉に総一郎は相槌をうちながらコーヒーを口につける。
「問題はその門番が何処へ行ってしまったのかーーあの門はなんなのかーーあの世界は何なのかーーまだまだ分からないことだらけだ」
ため息混じりに、森崎はまくし立てた。
「ここ数年死者が出ていないのは先人達の努力の賜物だーーこの状態を維持しつつ、向こう側を開拓していくためにーー更に優秀な人材を育成していかないとならないーー今回の合宿のーー仁科教頭の最終的な狙いはそこだろう」
総一郎が淡々と言うと、森崎は憂いを帯びた瞳でコーヒーカップの水面を見つめる。
「しかしーーそれで未来を失ってしまったら元も子もないだろう」
彼は瞳を閉じて吐き出すように言った。
「俺は賛成だ」
総一郎の言葉に森崎が驚きの声を上げる。
「安全性ばかりを重視しすぎて研究材料の採取や地図の作成も予定よりはるかに遅れてきている」
「しかしーー」
「はじめは驚いたが、より緊張感を持って魔法の取得に励むようになるだろう」
「それはーー恐怖で支配しているのと同じだーー僕は反対だ」
真っ向から互いの主張を否定しあい、段々と空気が険悪になっていく。
「ーーーやめよう、すでに決まったことにどうこういっても不毛だ」
先に緊迫した空気を解いたのは森崎だった。
「さてと、ぼくは研究室に戻るとするかな」
そそくさと立ち上がり「コーヒーご馳走さま」といって部屋を出て行こうとする森崎に、総一郎は質問を投げかける。
「再び門をくぐれるようになったらーーお前はどうする?」
総一郎の言葉に、森崎は逡巡した後、いつもの温和な雰囲気は何処へーー眼光を鋭くして言った。
「彼女を探しにいくよーー見つかるまでこちらには戻ってこないーー」
扉がしまり、部屋が静寂に包まれる。
総一郎は机の上に立てかけてある写真立てへと視線を移す。
そこには高校生時代の、総一郎、森崎新、黒川奈津子ともう二人ーー男女が笑顔で撮られた写真がある。
「オレもこっちには戻ってこないだろうなーー二度と」