表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
真夜中のヒッチハイカー   作者: 松田鶏助
1/1

序 交通事故

初めての投稿になります。

よろしくお願いします。

真夜中のヒッチハイカー




はじめに言っておくと、この物語に善人はいない。 

かれこれ、五十年も前の話だ。当時を言い表すのであれば、丁度スウィンギング・ロンドンと呼ばれる時代。

戦争が終わり、世界はラブアンドピースに包まれ、フリーセックスとドラッグ、ビートルズが大流行していた。

そんな時代にマシュー・ウェリントンがなにをしていたかといえば、スコットランドの片田舎である殺人事件を追う刑事として働いていた。当時二十七歳。同僚の中では仕事はできる方だった。

マシューは大人しい青年で、黒髪を流行りのマッシュルームカットでまとめていること以外、地味で大人しく目立たない。彼個人の特徴をあえてあげるのであれば、澄んだ湖色の瞳と、左目元の泣きぼくろだろうか。よく見れば可愛らしい顔立ちをしているが、それが霞むほどの没個性。それ故に、彼は潜入捜査によく向いていた。


冬のはじめのこと。マシューはスコットランド南部のロージアン州の街を転々としていた。

冷え切った真夜中の道路を暖房のまともに効かない車を転がし続ける。当たりを引けなければ明け方に近場のモーテルへ転がり込んで泥のように眠り、次の夜を待つの仕事。無為に思える生活を一週間近く繰り返しているが、これがマシューの仕事だ。そしてどんなに嫌気がさしても辞められないが、仕事だ。

マシューの狙いはこの地域に現れる連続殺人事件の解明。

この三ヶ月ほど、スコットランド各地で六人の男が車中で死んでいるのを発見されていた。被害者は全員白人男性。いずれも若者で、死因は不明瞭。直接の死因として考えられるものとして、どの遺体にも首筋に小さな穴が開いていたが理由は不明。犯人の唯一の手がかりとしてあるのは、三人目の被害者が、自分の手の甲にボールペンで書き残した『hitch』というダイイングメッセージだけ。

警察は、この事件の犯人はヒッチハイカーを装った殺人事件ではないかと仮定し、捜査を続けている。

スコットランドの地方警察はこの事件にマシューと、マシューの先輩であるケヴィン・クレイグをロージアン州の捜査担当に抜擢した。

しかしバディであるはずのケヴィンにはある問題があった。

『いいかマシュー。俺は今大事な時期なんだ。新婚の時期にどれだけパートナーと一緒にいられるかで、その後の離婚率は変わってくる。そういうわけで、俺はしばらく私生活が忙しい。悪いがお前にほとんどの捜査を任せる。心配するな。お前ももう一人前だろう?頼りにしているぞ』

つい先日結婚したばかりのケヴィンは、もっともらしく理由をつけて、マシューをスコットランドのど田舎へ押しやった。ちゃっかりとマシューの報告を自分のものとして上に上げて、自分は昼間に捜査をして夕方には帰っている。

そんな意地の悪い先輩の言葉を思い出しながら、マシューは大きくため息を吐く。暗い車内の中で、白い息が瞬く間に空気の中へと溶けていくのさえ、もはや見慣れた光景だ。

ヘッドライトの照らす先は、永遠の闇。走っても走っても終わりの見えない田舎道だ。酪農の盛んな地域でもあるロージアン州の道は、丘陵地帯でなだからかなものが多く、永遠に同じ麦畑の景色をひた走る感覚に近い。捜査をはじめて一週間。そろそろ自分の家のベッドが恋しくなっていた。

真夜中の道路を走ってヒッチハイカーを探すという作戦は、どうにも行き当たりばったりな気がしたが、上の命令には逆らえない。しかし今になってマシューは、あの時のもう少し意見しておけばよかったのではないかと後悔しはじめていた。

羊を数えるように、少し歪んだタイヤの反動が一定のリズムでマシューの尻に響く。

寒さも相まって、マシューは次第に意識が浮遊し始めるのを感じた。目はまだ、しっかりと開いている。しかし、頭が考えることを放棄しはじめた。目に見えるものをただ受け入れ、ぼんやりとした脳みそは思考を停止する。このまま完全に意識を手放して眠れたら、すんなりと眠れる気がした。

(ああ、だめだ。寝たらだめだ)

自分の仕事を思い出し、マシューは必死に自分の意識を手繰り寄せる。

自分の体の支配権を取り戻したのと同じくして、マシューの視界に金色の人影が飛び込んできた。

「っ!?」

慌ててブレーキを踏み込み、車体を急停車させる。反動で体が前のめりになり全身の血がコップを揺らした水のように前方へつられ、どすんと何かにぶつかった衝撃がハンドル越しに痺れるように伝わった。

心臓がどくどくと早鐘を打つ。 

とてもブレーキが間に合う距離だったとは思えない。

たった今しでかした事の重大さに理解が追いつくのと同時に、全身から冷や汗が吹き出た。

マシューは震える手でシートベルトを外すと、ヘッドライトはつけたままでドアを開き、車から飛び降りた。灯りの先にいるものを確かめる必要がある。

「大丈夫ですか!?」

車の前方へ声をかける。車の前には、誰がが蹲っていた。くすんだ緑のモッズコートから伸びる足の先には黒いハイヒール、腰までありそうな長い金髪が傷んだコンクリートの上に広がっている。


(死んだか?)


嫌な予感に視界が眩んで行く。

血は出ていないようだが、息さえしていないようにみえた。しっかり確認しようと、マシューは倒れている女に近寄り、顔を覗き込む。

女は美しい顔をしていた。均等な眉に鼻筋の通った顔立ち、皮膚は白磁のように白く、薄い桃色の唇と金の睫毛がよく映えている。状況を忘れて思わず見とれていると何の予兆もなく、突然パチリと瞼が開いた。

その瞳の色を例えるなら、それは夕闇を連れてくる空の青緑。

珍しい色の美しさに一瞬心臓が跳ね上がるが、青白いヘッドライトに瞳孔を縮ませたブルーグリーンの水晶がぐるりと回り、マシューを見上げたので、マシューは思わず後ろへ後ずさってしまう。

「……あれ?なにがあったんだ?」

想像よりも低い声が、耳殻に響く。彼女……あるいは彼、は、ゆっくりと体を起こし、不思議そうにあたりを見回した。

数秒遅れて現状を思い出したマシューが、慌てて彼を介抱しようと手を貸そうとするが、その必要もなく彼はすくっと立ち上がってコートについた土埃を払い始めた。

「……どこか、痛むところはありませんか?すみません、前を見ていたつもりなんですが……」

「痛む……?ああ、なるほど。僕が轢かれたのか」

狼狽えるマシューとエンジンをかけたまま停止している車を見て、合点がいったように彼は言う。

「大丈夫だよ。多分、掠ってびっくりしただけだ。気絶しちゃったのは情け無いけどね」

「でも、気がついてないだけでどこか怪我をしているかもしれない。早く病院へ行った方が……」

「あんた、いい人だねえ。最近は轢き逃げも多いし、僕だって当たり屋かもしれないのに」

へらへらと笑いながら彼はマシューに向き直り「それじゃあ」と続ける。

「折角だし、エディンバラまで乗せてってくれないかい?知り合いがいるんだ」

「え、ええ……構わないですよ、俺の家もその辺りですから」

「どうも」

マシューの躊躇ったような返事を聞くと、彼は助手席のドアに回った。マシューも運転席側から乗り込み、ドアを閉めてシートベルトをかける。しかし、少し待っても彼が乗り込んでくる気配はない。

こんこん、と窓ガラスを軽く叩く音に振り返ると、彼が少し困ったような顔で笑っていた。

「ごめんね。開け方、分かんないや」

窓ガラス越しに聞こえるくぐもった声にマシューは慌てて助手席側のドアノブを引き、ロックを解除する。カチリ、と軽い音がしてドアは外側に薄く開いた。その隙間にねじ込むように彼の細長い足が入り込み、平たい体が折りたたまれて狭い車内に詰め込まれる。

自分の見窄らしい体形と比べる気さえ起きないモデル体形にいちいち目をやってしまいそうだ。

「それじゃあエディンバラまでよろしく頼むよ。運転手さん」

「……マシューで構いせんよ。ついでにあなたの名前を聞いても?」

「僕かい?そうだなあ……。それじゃあ、ジャッキーって呼んでくれ」

ジャッキー(Jackie)。それはきっと、愛称なのだろう。本当の名前がジャック(Jack)なのかジャクリーン(Jacquelne)なのか気になったが、なんだか触れてはいけない気がした。

エンジンを掛け、温まりもしない暖房を入れる。

僅かな振動を尻に感じながら、マシューはアクセルを踏み込んで車を発進させた。

暗い田舎道をライトの光が滑っていく。なにか話した方がいいかと考えあぐねていると、ジャッキーの方から話しかけてきた。

「マシューはここらへんの人なの?」

「……いいえ。住んでいるのはエディンバラです」

「ありゃ?そうなの?都会っぽい喋り方だからてっきりもう少し南の方かと思った」

「いや……その通りです」

マシューは少し面食らったような顔をして、ジャッキーの顔へ少し視線を映した。

「出身は、確かにロンドンです。大学からはこっちなので、もうほとんどこちら側の人間ですけど」

「道理で。ここらへんにしちゃ垢抜けているわけだ」

隣でジャッキーがいたずらっぽく笑う気配がした。

「まるで探偵みたいですね」

「ああ、他にもいろいろわかるよ?」

「へえ?例えばどんな?」

「そうだねえ……。職業は警察で今は仕事中。好きなものはチェリーゼリーのタルトで今日はそれを二個も食べた。あとは仕事仲間が煙草を吸っている。かな?」

悠々と言い連ねるジャッキーに、マシューは運転していることさえ忘れて一瞬振り返る。視線の先でジャッキーはいたずらに成功した子供のような笑顔でこちらを見ていた。

「当たり?」

「当たり……です」

面食らったマシューの顔を見て、ジャッキーがふふっと口の端を更に釣り上げる。ちらりと除いた大きめの八重歯が月明かりに艶かしく輝いて、何故か少し心臓がざわめく。

「どうしてわかったんですか?」

「なあに、簡単なことだよワトソン君」

少し芝居がかった口調でジャッキーが言う。もしかしたらピーター・カッシングの演じたホームズの真似をしているつもりなのかもしれなかったが、それにしては下手だった。

「実は君が助け起こそうとしてくれた時、胸ポケットの警察手帳と肩のガンホルスターが見えたんだ。こんな時間に飲み残しのコーヒーがドリンクホルダーにあるのは、夜を徹した仕事だから。あとは後部座席の隅にパイ屋のパッケージのゴミ袋があって中にはケーキの銀紙が二枚。チェリーゼリーパイっていうのは、君の口の端にまだゼリーの食べかすが付いているから」

どきりとして、慌ててマシューは口の端をぬぐった。確かに、手には少し赤いゼリーが付いていた。恥ずかしさを誤魔化すように最後の謎について聞いた。

「仕事仲間の煙草は?どうしてわかったんです?」

「それはこの車に煙草の匂いがついているのに、車の灰皿には煙草の灰一つないからね」

「え、そんなに匂いますか」

マシューが鼻をひくつかせて確認しようとするが、自分ではあまり分からなかった。確かにこの車には先輩のケヴィンと乗っていた時期もあったが、ケヴィンが結婚と共に禁煙を始めてからは煙草の匂いがすることもなかったはずだ。

「んー、僕は鼻がいいから、少し気になるのかもね」

窓の外へ視線を映移しながらジャッキーが言う。もしかしたら自分が慣れているだけで、まだ匂いが残っているのかもしれないとマシューは思うことにした。

自分のことを暴かれた次は、段々とジャッキーのことが気になってきた。

「ジャッキーは、どこに住んでいるんですか?」

「実は家出中の身でさ。今は知り合いの家を転々としている」

「へえ、家族と喧嘩でも?」

「いや、同居人と喧嘩しただけ」

「そう……早く帰れるといいですね」

同居人。彼氏でも彼女でもなく。それはジャッキーにとってどんな相手だろうか。いつから家出を?夜道を歩いていたのは知り合いの家に行くため?

ぽつぽつと疑問が浮かんでいき、マシューはふと気が付く。

『なぜジャッキーはこんな時間にあんな場所を歩いていたんだ?』

ジャッキーを轢いた場所は、本当に辺鄙な場所だった。田舎町の国道。近くにあるのは広大な麦畑ばかりで、昼間でさえあまり歩行者を見ない。エディンバラに知り合いがいるというが、まさかそこまで歩いていくつもりだったのか?そんなはずがない。車では小一時間だが、歩けば半日の距離だ。ならば、なぜだ。

もしかして、あそこで車を待っていたのではないか?

「マシュー?どうしたんだ、黙りこくって」

「……少し、眠気が来ただけです。良ければもう少し話しませんか?」

考えが飛躍しすぎたことに気が付いて、マシューは平静さを取り戻そうとハンドルを握りなおして息をつく。

まさか捜査中の刑事が、うっかり連続事件の殺人犯を轢いて助手席に座らせるなど、そんな可能性があるわけがない。あったならばそれはもう、天文学的な確率の元に決められた運命としか言えないだろう。

確かにジャッキーの素性は怪しいものではあるが、断定するには材料が不確かだ。

ひとまず用心だけはしようと、マシューは左肩のガンホルスターにしまわれた黒い相棒のことを意識して、なんてことの無いようにジャッキーの話に相槌を打った。

一時間のドライブの内で交わされた会話は実に取り留めのないものだった。流行りのロックバンドのこと。アメリカとソ連の冷戦問題。数年前に流行った映画のことなどなど。ジャッキーは博識で、エディンバラに着くまで話題が途切れることがなかった。

夜中の二時頃、エディンバラの中心街近くへ到着する頃にはお互いに現首相への悪口で盛り上がっていた。

「ああ、このあたりで停めてくれ」

ジャッキーに指示され、マシューは街角の街頭の側へ車を停めた。

「この近くに知り合いが泊っているんだ。今日はそこへやっかいになるよ」

「こんな夜遅くに尋ねて大丈夫ですか?」

「まあ、多少は嫌がられるだろうけど、断られるような仲じゃないから平気だよ」

「待ってください」

車から降りようとするジャッキーを引き留めて、マシューは慌てて手帳のメモを引きちぎり、急いで自分の家の電話番号を書き付けた。

「これ、もしも怪我が酷くなったら連絡してください。慰謝料とか、いろいろあるでしょうから」

ジャッキーはぽかんとした後、困ったように苦笑してメモを受け取った。

「本当、優しいね君は」

「責任を果たしたいだけです」

「そうか、そうだねえ……。ねえ、これ別の要件で使ってもいいかい?」

「別の?」

マシューが首をかしげると、ジャッキーはメモを唇に当ててにやりと口角を釣り上げる。

「例えば君を呼び出す口実に、とかね?」

「……え?」

それがどういう意味で言われた言葉なのか、浮かんだいくつもの可能性をマシューはすぐに掴み切れなかった。答えを選びあぐねていると、けらけらと景気のいい笑い声が響く。

「冗談だよ。まあ、気が向いたら飲みにでも誘わせてくれ」

車のドアが開き、ジャッキーの折りたたまれた足が外へと延びる。

「じゃあね。マシュー。また会えたら会おう」

「……ええ。また会いましょう。ジャッキー」

雪の降り始めた夜道へ消えていくジャッキーを見送る。少ししてマシューはジャッキーとは逆方向へ車を発進させた。ゆっくりとアクセルを踏み、バックミラー越しにジャッキーの歩いていく方向を確認する。緑色のコートが角から四番目の安宿の中へ消えていくのを見て、マシューはアクセルを強く踏み込み、二ブロック向こうのクリーニング屋の駐車場へと車を停めた。

深く息を吸って、吐く。左肩のガンホルスターから銃を取り出して銃の弾数を確認し、元に戻した。

車から降りると冬の夜の空気が容赦なくコートを突き抜けてくるが、仕方がない。マシューは少しでも寒さを凌ごうとコートの襟を立て、夜空を睨み上げた。

ジャッキーはいいやつだ。出会ってまだ数時間も経っていないが、マシューはそう思った。

しかし同時に、ジャッキーが連続ヒッチハイク事件の犯人だという可能性がまだ残っている。

もし、犯人だとして、今夜自分を攻撃しなかったのはなぜか。恐らく警察だからだ。

ならば犯人は次の獲物を諦めるのか?

否、六人も殺している異常犯がそんなことをするとは思えない。

ジャッキーが犯人であるなら、自分から逃げるべく今夜にでもここを発つ可能性がある。

そうならないためにも、確認をしなければならない。ジャッキーが連続殺人犯で無いという事実の確認を。

マシュー・ウェリントンの今夜の仕事はまだ終わっていない。

仕事の続きをするため、マシューはジャッキーの入っていった安宿へと足を向けた。






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ