RED AUTUMN
遥彼方様主催「紅の秋」企画参加作品です
《さて問題だ。
あるバクテリアについて考えよう。
バクテリアは小さく、一つ一つは肉眼では見えない。
だが、数が集まると赤く染って見える。
そんなバクテリアを一つビンの中に入れる。
このバクテリアは丸一日で分裂する。
バクテリアでビンが真っ赤に染まるのに3840日かかったとしよう
では、最初にバクテリアを二つ入れたとしたらビンは何日で真っ赤になると思う?》
そんなメールが届いたのは朝の4時を少し廻った頃だった。
差出人は宮田真一。俺が勤務する研究所の同僚だ。
枕元の携帯でこのメールを見た時の俺の絶望をどう表現すれば良いだろうか?
「かんべんしてくれよ。
何、訳の分からないメールを打ってるんだ。
あいつ、暇なのか?」
枕に顔を埋めて俺は呻いた。
いや、暇なわけがない。昨日から明日にかけ、あいつは寝る間もないほど忙しいはずだ。
「だとしたら、頭の使いすぎでクラッシュしたのか」
と、考えているとまた、メールがきた。
《すぐ来てくれ
俺にはお前の力が必要だ
女神のところで待つ
パスワードはさっきの問題の答えだ》
俺は少し考える。
どうやら頭がクラッシュしたわけでもなさそうだ。
俺は渋々起き上がる。シャワーを浴び、熱いコーヒーを飲んで眠気を覚まそう。
あいつが助けを求めるとは余程ことだから。
《3839》
4つの数字を入れるとなんなくドアのロックは解除された。
狭く短い廊下を抜けるとそこは『地母神殿』だ。
『地母神殿』とは御大層なネーミングだが、言ってしまえばスーパーコンピュータのオペレーティングルームだ。
大きさは一辺20メートル程の正方形。
俺が入ってきたドアの正面の壁一面がメインディスプレイになっていて様々な情報を映し出してくれる。
今は真っ黒で何も映っていない。
それは女神様が休止していることを意味する。これは異様な風景、いや、あってはならない風景だ。
ガイアは、300テラフロップスを誇るスーパーコンピュータ『天空神』と16ビット量子プロセッサ4本で構成された量子コンピュータ『時空神』を配下に従えたハイブリッドコンピュータ。
その圧倒的な演算能力は地学、気象、軍事、薬学、それこそあらゆる分野の研究者から憧れの眼差しを注がれている。
俺も計画書を出した口だ。
何度も、いや、何十回だったか?
とにかく幾度となく肘鉄を食らわされながらようやく来年の3月に1週間の使用許可が許されている。
昨日、今日、明日は、メールを送ってきた宮田が使う許可を貰っていた。だから、本来なら宮田は女神との短い会瀬を楽しんでいなくてはならないはずなのだ。
しかし、来てみればこの体たらく。
余りのつまらなさに女神様をふて寝させるとはどういう了見だ。
俺は少し腹をたてながら宮田を睨み付けた。
宮田は部屋の真ん中に設置された丸テーブルに座っていた。
テーブル一面に分厚い書類や携帯タブレットが散らばっている。
「なにやってんだおまえ。
プログラムになにか手違いでもあったのか?
ガイアを止めるなんて言語道断だろ。
計画に致命的な支障が発生したら速やかに報告することになって……」
「計画は順調さ!」
大声で説教をしようとした俺を宮田は更に大きな声で遮った。
普段怒っていても大きな声を出さない宮田が大声を出した。それだけで俺は普通でないなにかが宮田の身に起きたことを察した。
「……
一体何があったんだ?
おまえ、さっきからおかしいぞ」
俺は丸テーブルに備え付けられたイスの一つに座る。
うっすらと生えた無精髭、窪んだ目。
徹夜あけなら疲れてはいるだろう。
だが、俺たち研究者は一日程度の徹夜など日常の話で大したことはない。研究が上手くいっているならむしろハイにすらなれる。
なので、この宮田の憔悴ぶりは考えられない。
「ああ、おかしいか。
おかしいならどんなにいいことか。
なあ、坂巻!」
宮田は地の底に佇む湖面のような暗い光をたたえた瞳で見つめながら、俺の名前を呼んだ。
「是非、俺の間違いを指摘してくれ。
俺が考え違いをしているって言ってくれ」
「だから、落ち着けって。
一体なんの話をしているんだ」
「ああ、そうだな。順序だてて話そう。
……
俺がやっていたのは簡単に言えばハザードマップを作ることだ。
ただし、全地球規模のハザードマップだ。
そのためにガイアを使ってシミュレーションをした」
「悪いが前も言ったと思うが、そんなことしても発散するだけだ。
かの有名なバタフライエフェクトを知らない訳じゃないだろ」
「ブラジルで蝶が羽ばたくと東京で竜巻が起こる。
ふふ、まあ、場所とかきっかけが何でもいいな。
俺かおまえが、ここで咳でもくしゃみでもしたらロサンゼルスで突風が吹く、と言い換えてもいい。
バタフライエフェクトの肝は『複雑系』の世界では初期値のほんの僅かな違いが結果を大きく変える、ってことだ。
勿論、知っている。
だが、俺がやろうとしたのは天気予報じゃない。
むこう何年の間にどこでどんなことが起きる可能性があるかを見たかった。
海では津波の危険性、山では崖崩れの可能性が高いだろう?
出てきた無数の危険性を平均化すればその地域地域で起こるえるリスクを数値化できる。
リスクが数値化できればどんな施策を優先するべきかわかるだろう。
そうなれば限られた資源の最適化が可能になる。
それが俺の考えだ」
俺はテーブルに置いてあったポットの匂いを嗅いでみる。
コーヒーのようだ。
俺は適当なコップにそれを注ぎ、宮田の話を聞きながら一口飲んだ。
「それで、なにが問題なんだ?」
「見てもらったほうが早いだろう」
宮田はそういうと傍らにあるキーボードを叩いた。
正面のメインディスプレイが光を取り戻す。
画面一杯に地球の3Dモデルが現れる。
見慣れた青い地球がゆっくりと自転していた。
「これが俺が予想した明日の気象だ」
宮田は言った。注意して見たが特に変なところはない。
「他にも結果はあるがこうなる確率が一番高い。
そして、これが次の日の結果だ」
宮田はもう一度キーボードを叩くと画面が16分割された。
それぞれの画面に小さくなった地球がゆっくりと回っている。
「これも結果はもっとたくさんあるが確率が一番高いやつを高いやつから順に16個表示している」
キーボードが叩かれる。
画面が更に分割され、256個の地球が画面に現れた。
「まあ、こんなことを八回もやれば四億を越える結果が出てくる。
裏の結果も考慮すると気が遠くなるデータ数だ」
「そりゃ、そうだろ。指数問題だからな」
「そんな膨大なデータの海で、俺は妙なごみを見つけた」
「ごみ?」
「これだ」
宮田はテーブルに設置されたコンソールを使いメインディスプレイの一部を拡大して見せた。
「なんだこれ?」
拡大画面には赤茶けた地球が映し出されていた。まるで火星か何かのようだった。
「全地球規模の異常気象に包まれている地球だ」
「はあ、なるほどごみねぇ。確かにごみだな」
「だが、結果の一つでもある」
「なんだよ、自分でもごみっていってたじゃないか。
こんなのは机上の空論だよ」
「何でそう言い切れる?」
「そもそも何億分の一の更に何億分の一の確率だ。そんなのを気にするより巨大隕石がぶつかるのを心配したほうが良いんじゃないのか?
確率的にはそっちのほうが高い気がする」
「そうだな……
俺も最初はそう思った。
だから、シミュレーションを続けたんだ。
そして、三つのことが分かった。
一つはこの赤いモデルは進化する。
こいつはさらに暴風、竜巻、荒れ狂う乱流のるつぼと進化するんだ」
「乱流のるつぼ?」
「そうだ、至るところが暴風に包まれ、海岸線は巨大な津波に呑みこまれる。
まるで、炭酸水を振って封を開けたようなものだ。
地球のあらゆるところが白濁した気泡に覆われたような状態になるんだ」
「赤い地球から白い地球か」
「そうだ、そして赤い地球から白い地球へは一方通行。
不可逆反応なんだ。
一度この赤い地球に落ち込むと白い地球まで一直線。
俺たちの青い地球に戻ることはない」
メインディスプレイの地球はいつのまにか赤い地球から白い地球に変わっていた。白い雲のベールを纏った美しい地球はそこにはなく、厚ぼったい包帯を巻き付けたミイラ男のような姿だった。
「母なる大地からミイラ男か」
俺は手に持っていたコーヒーを一気に飲み干した。
「だが、だからなんだというんだ。
おまえの心配は杞憂を地でいってるぞ。
お前が心配しているのは何十億もあるアミダくじで一本のハズレを引くのを怖がっているとしか思えない」
俺の言葉に宮田はなんとも言えない笑みを浮かべた。泣いているようにも見えた。
宮田は俺の言葉を無視するようにコンソールに向きあう。
「俺はシミュレーションを続けた。
一ヶ月後、
二ヶ月後、
三ヶ月後……」
宮田がキーボードを叩く度にメインディスプレイの画面には無数の地球、シミュレーションの結果、が映し出された。
ひとつひとつの地球は小さ過ぎて目視できないので、あたかも青と白のもやがたゆたうアニメーションをみているようだった。
「うん?」
俺は異変に気付く。
画面の下。赤い傷のようなものが現れた。
最初は髪の毛程であったものがシミュレーションが進むにつれ不気味な赤い染みとして広がっていく。
「お、おいこれは!」
俺は半分腰を浮かして叫ぶ。
と、シミュレーションが止まる。
「シミュレーションを開始して3839日目の結果だ」
メインディスプレイの半分が赤く染まっていた。
「シミュレーション結果の半分が赤い地球に落ち込んでいる。
さっき、お前は一本のハズレを心配するのはナンセンスと言っていたな。
じゃあ、この結果をどうみる?
二本に一本ハズレとしたら心配しないか?
いや、いや、いや。
違う。
この問題の本質はそこではない。
これが次の日の結果だ!」
宮田はほとんど殴り付けるようにキーボードを叩く。
同時にメインディスプレイが切り替わった。
真っ赤に染まるディスプレイ。
「なっ!これは?
たった、一日で……なんでこんなことに」
「錯覚なんだよ」
宮田が微かな声で呟く。
「錯覚?」
「地球の気象システムは安定したものだと俺たちは錯覚してたんだ。
今日がこうだったから、明日もこんなもんだ、とな!」
「なにが言いたいんだ?」
「さっきのバタフライエフェクトだよ。
気象システムは『複雑系』だ。
本来、『複雑系』は絶妙なバランスで成り立っている。
そのバランスの幅は恐ろしく狭い。
『単調』と『混沌』の狭間に存在する領域が豊穣な『複雑系』、俺たちの住む世界だ。
俺たちは丁度『S』字の上と下の線を繋ぐ縦の所に住んでいるようなもんだ。
それがどんなに危ういことなのか誰も意識もしていない。
俺たちが住んでいる、いや、生存できる気象環境を『青の夏』と仮に呼ぶとする。
風も波も起きない単調な死の世界を『黒の冬』、荒れ狂う暴風の世界を『白の冬』と呼ぶ。
どちらも生命が生息できない死の世界だ。
この二つの季節を繋ぐ季節にも名前を付けよう。
『黒の冬』と『青の夏』を繋ぐのは『紫の春』。
『『青の夏』と白の冬』を繋ぐのは『赤の秋』」
「あの赤い地球が『赤の秋』だと言うのか?」
俺はごくりと喉をならし宮田に問う。
だが、宮田の答えは俺の考えを越えていた。
「違う。
『赤の秋』から『白の冬』は一本道だ。
俺のシミュレーション結果はパラメータを何度か変えてみたが常に最後は全ての結果が『白の冬』に繋がっている。
違いは、そこに到達するまでの時間だ。
3840日かかるか、もっと短いか。
つまり、俺たちの地球は既に秋を迎えている。そうじゃないか?」
「いや、そんなことがあるのか?
確かに最近、変な天気が続いているが、いきなりそんなことになるなんて……」
「メールの問題覚えているか?
ビンの中にバクテリアが入っているって一体いつ気がつく?
3840日の朝、ビンが真っ赤に染まっていてようやく気付くんじゃないのか?
3839日ならビンの半分が赤く染まっている。3838日なら四分の一だ。
その程度なら何かおかしいけど、まだ間に合いそうだから後で調べてみよう、なんてのんびり思うんじゃないのか?
結局ビンを調べるのはラストのわずか数日前だ。
実際には10年も前にバクテリアが仕込まれていたとしてもな」
「いや、しかし……」
絶句する俺に、宮田は金切り声で懇願してきた。
「なあ、だからさ。
見つけて欲しいんだ。俺が間違ってるって、いって欲しいんだ。
『赤の秋』なんて俺の幻想だって言ってくれ!
頼むから、な?」
2018/09/05 初稿
2018/09/06 改行や誤記修正。文章も少しいじりました