隻眼の石像のある神殿2(ナイト)
「……結局、この階には、向こう側に降りるための下への階段がなかったな」
目の前の上り階段を見上げ、ナイトが呟く。
「三階に上がらねば駄目か」
エルデは一歩進むたびにいつもの本に地図を記載しながら歩く。
「どこかに地図が落ちていないか? これではまるでウイザードリィだ」
「意味わかんないんだけど」
「ウイザードリィは迷宮探検ロールプレイングだ。16ビット以降は歩くと自動的に地図が書き込まれるようになったが、昔の8ビットタイプのそれは、自分で紙に地図を書きながら歩かないと道に迷ってしまい、パーティが全滅するという、大層労力の必要なソフトだった」
エルデはため息をつく。
「しかも、扉をあけたとたんにトラップを踏んづけて、どこか訳のわからない場所に飛ばされたりするし、自動セーブシステムのために、たとえ全滅してもプレイ前に戻ることができないので、一からキャラクターを作り、レベル1から育てねばならないという史上稀に見るスリリングなゲームだったよ」
「へえ」
ソーラが微笑む。
「大地の城には、恐ろしく古いものがあるっていうのは本当なんだね」
二人の会話を聞きながら、ナイトは肩をすくめた。
さも自分が物知りに見えるように得意分野だけを選りすぐって語り、他人の興味などには頓着せずに自慢話を飽きずに披露し続ける態度に辟易する。
「大地の城は田舎で、よほどやることがないのだな」
「なんだ、ナイト。俺に喧嘩を売るのか?」
エルデはナイトを睨んだが、心配そうに見つめるソーラと目が合った途端、一つ首を振った。
「先に進もうか」
三人が階段を上がると、そこは二階と同じく廊下になっており、やはり両側に複数のドアが見えた。
また、これを一個ずつ開けては中を確認しなければならない。
ため息をつきながら、そしてため息をつくたびに現れるゾンビたちを倒しながら四つめのドアを開けた時、ようやく彼らはそこに降りる階段を見つけた。
「よし、行くぞ」
しかし、エルデとソーラが首を振った。
「いや」
「駄目だよ」
二人に言われてナイトは眉をよせる。
「なぜ?」
「だって、まだ開けてないドアが二つもあるもん」
「こういうとき、必ず奥のドアには宝箱があるものだ」
ナイトは二人を睨んだ。
「宝などどうでもいいから、早く先に進むべきだ。目的さえ達成すればそれでいいだろうが」
「浪漫がないな、お前は」
小馬鹿にしたような言葉にむかっとしたが、ソーラが胸前で両手を合わせてこちらを見たので、ナイトはふうとため息をつく。
「LPとMPは大丈夫だろうな?」
大きく二人が頷いたので、仕方なしにナイトは後戻りした。
「この先に何もなければ、次からは俺の言うとおりにしてもらうぞ」
「大丈夫!」
何が大丈夫なのかはわからないが、ソーラが嬉しそうに隣の部屋のドアを開ける。
「……何もないな」
「じゃ、次」
勢いよく部屋を出て、ソーラが向かいの扉を開けた。
と、そこには宝箱はなかったが、下りへの階段が部屋の奥にある。
「なるほど、あっちはダミーか」
呟きながらエルデは階段を下った。
その後に二人がついていくと、なるほど、先に降りようとしたものに続いていたと思われる階段が、途中、ちぎれたような形で宙にあるのが見えた。
「な、こっちに行ってよかったろ?」
ナイトは肩をすくめる。
結果オーライなだけで、宝箱などなかったくせに。
とはいえ、そんなことを言っても仕方がないので、ナイトは黙って当初の目的であった一階奥の扉、即ち出口に向かって進んだ。
だが、
「!」
驚いたことに扉は開かなかった。
「鍵、かかってるよ、これ」
何度もノブをがちゃがちゃ言わせながら、ソーラが背丈の二倍もあるだろう扉を見上げる。
「うーん」
エルデが考え込んだあげく、ナイトの方を見た。
「多分、ロールプレイングゲームの常識として、宝の取りこぼしがあったのだと俺は読んだ」
「……意味がわからん」
「つまり、この神殿のどこかに、この扉の鍵の入った宝箱があり、それを俺たちは開けていないから先に進めないってことだ」
ナイトは眉を寄せた。
「しかし、お前達二人は宝箱に執心するあまり、先に進めるにもかかわらず、枝道に入ってはモンスターと戦う羽目になっていたじゃないか。行くべき場所は全て行ったと俺は思うが」
エルデは首を振る。
「行ってない場所が一つあるんだ」
「どこだ?」
「さっきパスした階段だ」
「ああ」
ナイトは頷く。
「途中で切れていた階段だな」
「そう、そこに行こう」
階段を上がる途中でばったり会ったミイラ男の集団を退治し、三人はさっき降りかけてやめた階段に行きつく。
そしてそれを降りると、
「……なんだ、そういうことか」
降りた二階の踊り場は意外に広く、そのまま下へ続く階段……つまり途中で壊れている階段の他に、向こうの端に上に上がる階段もあった。
「なかなか複雑な造りだ」
言いながらエルデは誰の意見も聞かずにそのまま進み、上への階段を上る。
(……妙だ)
階段を上りながら、ナイトはわずかに眉をひそめた。
さっきまでの階段よりも一段の高さが大きく、段の数も多い。
「エルデ」
ナイトはさっさと前を進むエルデを呼び止めた。
「この階段は今までに比して長い」
「ああ」
「ということは、これは三階ではなく四階につながるのではないか?」
「恐らくそうだろう」
「だったら昇るのをやめろ」
エルデが怪訝な顔で振り向いた。
「どうして?」
「村長が四階には行くなと言っていたからだ」
しかしエルデはナイトの言葉を一笑に付した。
「そこに行かねば鍵は手に入らんよ。ゲームの常識だ」
ナイトはエルデの袖を後からつかむ。
「俺は年長者の言うことを聞くのが常識だと習った」
「素人が口を出すな」
「なんだと!」
下にはたき落としてやろうかと思ったとき、後からついてきていたソーラが二人の間に割り込み、そしてエルデを庇うかのようにナイトを見上げる。
「暴力はいけないよ」
眉間にしわがよるのが自分でわかった。
「明らかに君の方が強いんだし」
と、今度はエルデが眉間にしわをよせる。
「ソーラ、その言葉は聞き捨てならん」
「どうして?」
エルデが槍の柄をつかむ。
「まるで俺の方が弱いような言い方だ」
「事実だもの」
するとエルデは顔を怒らせ、槍の柄をナイトの頬に当てた。
「剣技がいくら強くとも、臆病者を強いとはいわん」
「やめてよ、エルデ!」
「弱虫はここで見物しているがいい。俺が扉の鍵を取る」
言い捨てるとエルデは独り階段を上がり、つきあたりに見えていた大きなドアを開けて入っていく。
顔を見合わせ、瞬時そこで立ち止まった二人だったが、
「うおおおおおおおおおっ!」
突然上がった大きな声に、慌てて階段をかけあがった。
「エルデ!」
見るとエルデは戸の向こう、部屋の半ばぐらいに立ち、こちらを睨んでいる。
その向こうには二メートルほどの大きな石の像が見えた。
「!」
エルデが何かもごもごと口を動かしたのが見えた途端、空気の渦が刃のようにソーラとナイトを襲う。
慌ててよけたが、腕や頬に無数の切り傷ができる。
(……いかん!)
無防備で守備力の小さいソーラに直撃したら……
「あっ!」
と思いきや、つむじ風はどうしてかソーラの前ではじかれ、そしてそのままエルデにぶつかった。
「うわっ!」
一声上げて、エルデはそのまま地面に突っ伏す。
「エルデ!」
慌てて駆け寄ろうとするソーラをナイトは制した。
「待て、様子がおかしい」
「だから見に行くんじゃない!」
ナイトは首を振る。
「お前はここで待て。そして、俺に異変が起これば村に逃げ帰れ」
「そんな勝手な……」
ナイトは剣を抜き、ソーラを突き飛ばすと部屋に踏み行った。
「うっ!」
すさまじい悪意が四方からナイトを包む。
気力でそれを押し返し、精神が暴走するのをナイトは必死で防いだ。
(……なるほど)
今にして思えば、この神殿に入った時から悪意は彼らにまとわりついていた。
(……この悪意の元は)
見上げると石像の片目がきらりと光る。
あれが元凶らしい。
(……なんとかせねば)
さらに重い足を引きずるように前に進むと、何かが足にごんと当たった。
気を失った砂色の髪の男がそこに伸びている。
(だから言わないことではない)
足下に転がるエルデを冷ややかに見下ろす。
(老人の言うことを聞かないからこんなことになるのだ)
足で蹴って横に動かそうとしたがうまくいかない。
それどころか、足蹴にされた衝撃で意識が少し戻ったのか、口がもごもごと動いている。
ナイトは眉をひそめた。
(また、あの下らぬうんちくを聞かされるのか)
いらっとしたナイトは剣先を上に上げた。
(全ては貴様の不見識のせいだ)
ナイトはエルデの首に向かって剣を振り下ろす。
(冥土で悔やむがいい……)
だが剣がエルデに届く前に、ナイトは背中に強烈な熱を感じた。
「うわっ!」
熱風で壁際まで飛ばされて、しかも頭を少し打つ。
「なにやってるの、馬鹿っ!!」
扉の辺りから聞こえる声にナイトは我に返った。
(え?)
横を見るとそこには石像の足がある。
(……熱っ)
どうやら背中をやけどしたようだが、そのお陰で意識は明瞭だ。
(……俺はエルデを殺そうとしたのか)
この神殿に入ってからのエルデに感じた不愉快な念は、全てこの石像のせいだったようだ。
彼はぐいっと頭を上げる。
(そうとわかれば、思うようにはならんぞ!)
だが、思いかけた途端、再び憎悪の思念がナイトを襲う。
ともすれば胃の腑から上がってくる不快な殺意で、エルデを殺したくなる。
「くそっ!」
剣を持つ手が震えたその時、不意に響いたのはあの日の祖父の声。
七項目目は?
「己から逃げず、本質を見極めよ……」
精一杯抵抗し、悪い思念がぶくぶくと増殖するその根幹を見つめると、そこには黒く鈍い光。
ナイトは必死で立ち上がり、左拳で思い切り石像の左目を打った……が、
「……っ!」
またもや背中が熱い。
「火を放て! 全部灰にしてしまえっ!」
はっとして振り向いたナイトの目に、窓の外、燃え上がる火の手が見えた。
村の中央の樫の木が火の粉を散らす。
ノッポの家は既に黒い煙で屋根が見えなかった。
「お前の処分は後だ。」
目の前の少年に言い残すと、ナイトは窓から外に飛び出して、武器を手に持つ百人ほどの男達の前に立つ。
「一匹残っていたぞ!」
「やっぱり念のためにでも来ておいてよかったぜ」
人の群れがナイトを囲む。
ナイトは剣を上段に振り上げた。
「許さん」
この村の住民が一体何をしたというのだ?
みな質素に、誰にも迷惑をかけることなくひっそりと暮らしていただけではないか。
「それなのに、お前達鬼畜どもが……」
一瞬、声がつまったが、それを見てか前にいた男がナイトを指さして笑う。
「お前にそれを言われたくはねえよ、俺たちは正義の名の下に鬼を成敗しにきたんだからな」
次の瞬間その男の首と胴は別々に分かれた。
「俺はお前達を決して許さん」
目の前の男達を手当たり次第殺戮する。
彼らも恐怖からか、手に持った斧や剣でナイトを狙う。
だが、技量的に敵ではなかった。
あまねく憎悪を剣先に集め、ナイトは前に走った。
この悪魔のような男達を許しはしない。
(決してっ!)
気がつけば、目の前には死体の山が累々と重なっていた。
生命の気配はどこにもなく……
(……いや)
ナイトは走り、家のドアを開ける。
「待たせたな」
思ったとおり、美しい琥珀の瞳がこちらを憎々しげに見上げていた。
「……外、静かになったね」
ナイトはそちらに近づき、そして剣を振り上げる。
「みんな殺しちゃったんだ」
その言葉のどこにも、それを悼む気持ちは見られない。
少年が町で受けてきたはずの仕打ちを思うと、それもいたしかないことなのだろう。
だが、そう考えてから怪訝に思い、ナイトは今一度確認をする。
「何故、こんなことをした?」
少年は真っ直ぐにナイトを見る。
「お前の知ったことじゃない」
その冷たい言葉を聞き、ナイトは黙ってそのまま剣を振り下ろした……
が、
「ナイトっ!!」
突然のソーラの声にナイトは我に返った。
「っ!!!」
振り下ろした剣を、力の限りその場に留める。
「……俺は」
宙で止まった剣の下、青ざめた、しかし決して怖がってはいない鋭い琥珀の瞳がナイトを貫く。
ソーラの髪が一筋はらりと地面に落ちた。