マーズ東 辺境の村1(ナイト)
こちらはアース連合王国の続きになります。
ワープドアは小さなほこらにつながっていた。
ナイトはほこらの扉を開けて外に出る。
「……ほんとにここがマーズ大の図書館なの?」
ソーラの疑問はもっともだった。
方位磁石が南を指す方向、そこにはただ荒れ果てた土地が広がっている。
枯れた木が点々と広い大地に見え、その向こうには砂埃が立っていた。
振り返ると、北西の辺りに何となく不気味な雰囲気の漂う神殿が見える。
その横には、西へのルートを拒むかのように連なる山々が見えた。
「だから言ったろ? 問題は二つあるって」
「一つはゴーレムだよね?」
「そう、そしてもうひとつはここ」
エルデも周りを見渡す。
「あのゴーレムは、五百八十三年前に大地の神殿の司祭だった俺の先祖が作ったんだ」
「どうし……あっ!」
ソーラがエルデに向かって何かを尋ねようとしたときだった。
「ゴーストか!」
エルデが言うや否や、現れた三匹の死霊が冷たい息を吹きかけてきた。
「うっ!」
かなりのダメージだ。
「寒いじゃないかっ!」
と、ソーラが怒って灼熱の炎のかたまりを投げつける。
「……?!」
それは教科書でも詳しく紹介されている有名な火焔の呪文だ。
それは敵の一団全部に火傷を負わせた。
(……もったいない)
効果はあるが、やたらMPを食う魔法である。
それでなくても彼のMPの残りは少ないというのに。
(だが……)
ある意味それはエルデのせいと言えなくもない。
彼が回復系の呪文使いであることから、ソーラは安心して攻撃魔法を出すことができるようになったのだろう。
「しもやけできたらどうするのっ!」
ソーラはまだ怒っていた。
(……姫は寒がりなのか)
思いつつ剣を二回振ると、ゴースト二匹が消えて石が落ちた。
ほとんど同時にエルデが槍でついたゴーストも消滅する。
「ふう」
エルデが肩で息をした。
(……今までとはレベルが格段に違う)
ソーラが灼熱の炎を唱えなければ、結構危なかったかもしれない。
「……今のでわかったろ? こちらはアース連合王国とは段違いに強いモンスターがいる。だから、先祖は間違ってこちらに弱い人間が迷い込むことがないように、ゴーレムで旅の扉を封鎖したのさ」
「要するに、ゴーレム倒せればこっちでも何とかやれるみたいな?」
「その通りだよ。ま、逆に強いモンスターが扉を通ってアース連合王国に来ないように、というのもある」
ナイトは眉間にしわを寄せた。
「ところで、冒頭ソラが言ったが、ここのどこがマーズ大の図書館なんだ?」
「俺はマーズ皇国に行くとは言ったが、図書館につながっているとは言っていない」
ソーラが首をかしげた。
「……そうだったっけ」
「まあ、本当を言うと、過去にはつながっていたんだがね」
歩きながらエルデは、さっき出てきたほこらをちらりと見る。
「かつてここはマーズ皇国の首都だった。だが、ある時から災厄が絶えず起こるようになり、八百十三年前の五月二十八日、ここから五十四キロ七百メートルほど西に遷都したんだ」
「……そういうのって、『ほど』っていうのかな?」
首をかしげるソーラには構わず、エルデは話を続けた。
「以来、この辺りには、遷都の際に一緒に移らなかった一部のマーズ人たちが作る小さい村が一つ残っただけで、酷く寂れた土地になってしまった」
ナイトは少しほっとする。
「では、まずその村へ行くとしよう」
国境の洞窟で倒したモンスターの換金用石が袋一杯でとても重い。
それにこの疲れ切ったパーティで、いかにも怪しい雰囲気の神殿に向かいたくはなかった。
「やっと休めるね」
ソーラも嬉しそうだ。
「エルデにもおいしいチーズあげるから」
「それは楽しみだ」
そのチーズが、普通に食べられるような代物ではないことを知らないエルデは笑って頷く。
(……名物のチーズ、か)
青かび臭が尋常ではなく、一口食べるのもやっとだった。
ソーラがどうしてあんなものを平気でぱくぱく食べるのかが不思議だ。
「あれがそうかな?」
ソーラの指さす方向に、萱葺き屋根の立ち並ぶ小さな村が見えた。
三人はまず宿をとり、夕食を取った。
「エルデ」
ソーラが風呂にはいるために部屋を出て行ったのを機に、ナイトはエルデに尋ねる。
「一つ聞きたいんだが」
「何でもどうぞ」
「国元ではどういうことになっている?」
「どういうこととは?」
「その、俺がお尋ね者になったことによる余波のことだが」
「家族が心配なんだな」
遠回しに言ったがエルデは正確に意を掴んだ。
「老サリヴァン将軍は、自主的に蟄居している」
「自主的?」
「お前の祖父さんは功が多過ぎて、本人の咎でない限りはたとえ海の城の王でも、罰することができないからだ」
それで自ら祖父は自分を罰しているという訳か。
と言っても、祖父はすでに現役を引退していることもあり、蟄居したところで特に今までと変わることもない。
問題は……
「逆に、君の母上は悲惨なことになっている」
「え……」
背筋に寒気が走る。
「悲惨なこと?」
「恐らくこのままの状態が続けば、サリヴァン家は破産だ」
ナイトは唾を飲み込んだ。
「包み隠さず話してくれ」
エルデは頷く。
「立場上、君の母上もまた、城に上がることができなくなった」
「それで?」
「しかしながら実に君の母上は優秀らしく、彼女が内務省に出仕しなくなったためにもの凄い量の業務が滞り、そのため、本来は内務省官舎でするはずの会議や報告を全て君の家で行う羽目になっているらしいよ」
「…………それで?」
「だから、接待やら何やらでメイドや料理人やら急遽二十人の従業員を雇ったり、部屋を増設したりと物入りが大変と聞いた」
ナイトは頭を抱えた。
「それは悲惨だ」
帰ったらきっと、母ににっこりと……いやこってりと吊し上げられることだろう。
ナイトはしばらく目を閉じて精神を落ち着かせる。
母だって、ちゃんと事情を話せばわかってくれるに違いない。
問題は話を聞く前に吊されることがないよう、どうすべきかということだが……
「お先~」
しばらくして、風呂から上がってきたソーラがほかほかした顔で部屋に入ってきた。
「えらくゆっくりだったな」
「村の人たちから色んな話を聞いていたんだ」
「村の人たち?」
「農家のおじさんとか、道具屋のおばさんとか」
「なんだと?!」
ナイトは思わず立ち上がった。
「まさか混浴の浴場だったのではないでしょうな?」
「何言ってるの、お風呂は一人しか入れないほどの小さいものだったよ」
「では何故、おじさんやおばさんと話ができるのです?」
「お風呂は宿屋の敷地になくって、結構遠くまであるかなきゃいけなかったから」
ナイトはうなった。
そうと知っていれば、風呂までついていったものを。
「これからは、宿を離れる場合はこちらに一言断ってから出て行ってください」
「ナイト、敬語」
「…………」
「……返事は?」
「はいはい」
「ハイは一回!」
「はーい」
エルデがくつくつと笑った。
「まるで家庭教師といいところのお嬢さんだな」
ナイトは首をすくめる。
「せめて先輩後輩と言い換えてくれ」
「どちらかと言えば、幼稚園児と保父さんだろうがね」
「ええっ! それどういうこと?」
「若い身空の俺が保父とはどういうことだ?」
ナイトとソーラが一斉にエルデに向いたので、彼は慌てて手を振った。
「そ、それはそうとソーラ、農家のおじさんやおばさんと何を話したんだい?」
「おばさんは道具屋さんだよ」
ナイトは眉をひそめる。
「下らぬ口を挟まず、要旨だけを述べるがいい」
エルデが今度はナイトだけを見て手をひらひらと振る。
「いや、ナイト、誰が何を話したというのは、情報として的確に掴んでおく必要があるから……」
「それは、今から話す内容で網羅できる。ならば先にそちらを……」
「あ、あのね」
ソーラが二人の顔を交互に見て、慌てたように会話に割ってはいる。
「僕が聞いたのは、先月大きな台風が来て、マーズ皇国の首都に行く唯一の道路が行き止まりになっているってことだよ」
「えっ!」
「山への道が地崩れで壊れちゃったらしい」
エルデが慌てて革表紙の本を引き寄せる。
「確かにここからマーズの首都に行くには、山と山の間の狭い間道を通らなければならない場所がある……」
「村の人たちも困ってる。その道がふさがっていると、冬に対する備えを買い付けにいけないって」
「道を直すようなことは彼らは言ってなかったか?」
「言ってたけど、二ヶ月はかかるらしい」
「それはまずいな」
エルデが親指を噛む。
「ソーラのタイムリミットからすると、そんなに待てない」
「僕もそう思ったから、他に本当に道がないのか聞いたんだ」
「そしたら?」
「村長さんなら何か知ってるかもって」
ナイトは立ち上がる。
「よし、では行こう」
「それが駄目なんだ。村長さんは毎晩夜八時には寝るらしいから」
エルデが頷く。
「明日の朝、ということだな。とりあえず、道具屋で売り買いもしたいし」
「……わかった」
仕方なくナイトはうなずき、再び椅子に座った。
「取りあえずはみんなでチーズを食べよ?」
ナイトは首を横に振る。
「俺はいい。明日に備えて早く寝たい」
「俺はもらうぞ」
エルデが嬉しそうに何度も頷く。
「ナイトは先に風呂に行ったらいい。俺はその間にソーラとしっぽりとチーズを食うから」
「わかった」
この先に控える不幸を知らず、エルデは嬉しそうに皿やナイフを用意し始めた。