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千詩楼せんしろうの大女将?」


 俺の目の前に居る老齢の女性、とはいえ肌に見えるしわも少なく、目がぱっちりとし、なにより背筋を伸ばし立つその姿に、若い頃は持てたのだろうと想像出来る。


「それで、その大女将……えーと?」


 名刺に書かれた名前を確認しようしていると、


下総しもふさトシと申します」


「そうそう、トシさんね。それで、今日は何でこんな探偵事務所に?」


「こんな、だんて。噂は色々伺っておりますよ、金田一次かねだひとつぐ先生。この間は、連続窃盗団を捕まえたとか」


「先生だなんて。それにあれは偶然ですよ」


 とお茶を口に含む、少し舌を火傷した。


「その数々の功績を聞かせて頂いておりましたので、今回尋ねさせていただいたのですが」


「はいはい、何でしょうか?」


「これは、うちの女将なのですが」


 と女性の写真を取り出す、年頃は四十代くらいだろうか。着物の似合う、THE和服美人といった様相だった。


「この女将が、不倫をしているんじゃないかと」


「不倫? なんでそんな風に思うんです?」


 女将は顔を俯かせながら、


「女将の旦那、つまり私の息子なのですが千詩楼の現支配人です。息子は、常日頃からあちこちと商談をしないといけない都合上、一年に一月ほどしか千詩楼に戻ってこないのです」


 不倫か。探偵のメインの仕事だから、今までにも何十回と経験しているが、あまりいいもんじゃない。相手の女を殺すだとかって物騒な人もいたし、なにより時間がかかる。早ければ二週間程で、遅いのは半年もかかる事もあるし、なにより気づかれないようにしないといけないので精神的に疲れる。報酬的には良いんだけど。


「その隙を狙ったのか、最近入った山田寿敏やまだひさとしという男と不倫をしているんじゃないかと……」


 そういって事務所のテーブルの上に、更に写真を出す。大学生かそこいらだろうか、なかなかのイケメンだ。


「うーん、でも本当に不倫なんですかね?」


「そうに決まっています!」


 先ほどまでの落ち着いた口調から一転、イラついているのが分かる声でそう言った。


「根拠はあるんですか?」


 彼女は、自分の口調を整える為か咳払いをして、


「あります。この山田は、女将の肝入りで勤めているのです。けど改めて彼の経歴を調べると、彼には他の所で勤めたという経験も無いですし、そういう専門学校に居た事もない。それなのに彼を受け入れるってのは、そういうこと以外にないんじゃないかと」


「その時の就職希望者って、彼以外にいましたか?」


「ええ、もちろん。その中には、過去に都内の有名なホテルで勤めていた経験のある方もいましたよ」


 大女将は、はあと溜め息をついて頭を押さえた。

 確かに少し不審ではあるが、不倫なのかの審議はここでは掴めそうになかった。


「分かりました。調査依頼、お引き受けいたしましょう」


 彼女は安堵した様な表情をして、


「本当ですか、ありがとうございます。それでは後日、当宿の宿泊券を贈らせていただきますので、早い内にお越しください」


 と調査費やもろもろの話を進めた。



「ここが、千詩楼か。いい宿だな」


  車から降りると、純日本風の建物が目の前にあった。旅館といえば、こうでなくては趣がない。


「では、私は車を置いてきますのでチェックインして下さい。大女将の紹介だと言ってもらえれば分かりますので」


 とここまで送ってくれた男性がいう、なんでも彼はここの統括チーフだそうだ。大女将から言われたのは出来る限り探偵とバレない様に、俺は『金田一次かねだひとつぐ』に似た小説家『小金山公数こがねやまきみかず』として招待される事になった。

 入り口のドアは見た目は引き戸だったが、自動ドアだったようで近づいたら開いた。


「はー、こりゃ凄いな」


 赤い絨毯が一面に広がる玄関ロビー、ガラスの向こうの庭園、いい雰囲気だ。

 そうやって眺めていると、遠くから紫色の着物を来た女性がこちらにやって来た。


「ようこそ、千詩楼せんしろうへ」


 そう言ってお辞儀をする彼女の後ろから、見覚えのある女性がやってくる。大女将だ。


「ああ、先生。ようこそ、おいで下さいました」


 と大女将はお辞儀をする。


「ええ、今日はよろしくお願いします」


 出来る限り自然に見えるように話す、出来てるかは自信がないが。急に後ろの扉が開く、さっきのチーフさんだった。そのチーフさんに大女将は、


「この方を、『しずくの間』にお連れして頂戴」


 分かりました、と男性は俺の荷物を持ってその部屋に案内してくれる。途中、コーンという音がしてそちらに目を向けると鹿威しがあった。本当に、いい宿だ。

 ふと玄関の方を見ると、大女将が女将になにか怒っている様だったのだが、客が来たのか止めてお辞儀をしていた。


「こちらが、『雫の間』になります」


 と部屋の戸を開ける、一歩入ると絶景が待っていた。


「こりゃ凄い……」


 一面に見えるのは、海と街並み。今日は少し風が強めだったので白波が立って、それがまたいい雰囲気を出している。


「では、お荷物はここに」


 と入ってすぐの扉の近くに置いてくれた。ありがとうございます、とお礼を言うと彼は一礼して部屋を出て去った。

 

(さて、さっそく仕事を始めますか)


 持ってきたドラムバックを開き、底に隠す様に入れた手帳と、そこに挟んだ写真を確認する。片方は先ほど会った女将の千草ちぐさ、もうひとつは従業員の山田寿敏やまだひさとし


(とりあえず、風呂か)


 と浴衣とタオルを取り、大浴場の露天風呂ではなく客室の部屋に入る。

 これには理由があった、まず浴衣に着替える為。いつもの服装のままウロウロしていては、直ぐに誰かに感づかれる可能性がある。

 なら、着替えるだけでいいのではないか?

 いやそれでは駄目だ。温泉宿なのに浴衣に着替えて髪の濡れていない客ってのは意外と浮いてしまう。湯船には浸からなくてもいいので、最低限シャワーを浴びなくてはこういう場所では悪目立ちしてしまう。


「よし、行くか」


 浴衣に着替えて、胸元に隠す様に手帳と写真、それと携帯電話をしまい部屋を出た。



「うーん。それらしい感じはないな」


 ここ一時間ほど、庭園で作業をしている山田の様子をそれとなく見ていたが女将どころか他の誰とも話していなかった。

 というかこれはこれでおかしいとも思う、まるで自分の事をほっておいて欲しいかのような、そんな印象をうける。


「さすがに聞き込みしなきゃダメかな、けど女将に伝わるかも知れないしな」


 そう悩んでいると、ホールの辺りで女性を連れた金髪の男性と二人組の女性が話していた。少し遠いので声は聞こえなかったが、あの男の感じだと痴情のもつれなのだろうと感じ取れた。

 

「うわ、ディープキスしてるよ」


 まったく、公共の場を何だと思っているんだか。そう思いつつ、山田の方を見る、作業を止めているようで近くの石に腰を下ろして、携帯を操作していた。

 すると、彼はこちらに振り向いた。


(やばッ……!)


 と手に持っていた携帯を耳に当て、視線を外す。三分程、誰かと話している振りをして相手のいない電話を切る素振りをした。再度、視線を戻すと彼は作業に戻っていた。


(気づいて、ないみたいだ。良かった)


 そこに居ても何かを得る事は出来そうも無かったので、聞き込みをする事にした。



 部屋に戻って来ていた俺は、頭を抱えていた。


「なんにも出て来ないぞ、あの男」


 あれから仲居に「昔、彼に親切にしてもらったんだ」、と言って少しだけ話を聞いたのだが、彼の過去や家族構成、それとどの辺に住んでいるのか、そういう彼の事が何も分からなかった。

 ここまで出ないのは珍しいし、そういう事をしている人は何かある。

 はっきり言ってしまうと気味が悪かった、たとえばあまり他の人と喋らないから人となりが分からないって人ならば「無口」や「何を考えているのか分からない」などと、そういった話は出るものであるのだが、彼の場合はそうじゃない。


「力があって、頼りになる」

「仕事熱心」


 そんな印象を持っている人がたくさんいた、しかし彼の私生活は分からない。


「奇妙だ……」


 無意識に声が漏れていた。

 職業病とでもいうのだろうか、こういう奇妙な事柄を発見してしまうとどうしても何かあるんじゃないかと勘ぐってしまう、仕事の内容とは関係がないというのに。


「失礼します。ご夕飯をお持ちいたしました」


 そう外から急に声が届いた、慌てて手帳と写真を隠してどうぞ、と声を返した。扉が開き中に入って来た二人の女性が支度をする、ひとりは女将だった。


「こちらが、当宿の板前自慢の船盛です」


 と女将は説明しながら配膳してくれる。

 そうしてひと通りテーブルに載せ終えると挨拶をし、一緒に来ていた仲居を返して、彼女自身も出て行こうとしていた。


「あ、女将さん。ちょっとお尋ねしたいのですが……」


 俺は千草さんを呼び止める、配膳に来たのが彼女で好都合だった。そう彼の、山田寿敏やまだひさとしの話を女将に聞こうと思っていた。


「はい、なんでしょうか?」


「ここにお勤めの男性で、山田さん、という方がいると思うのですが……」


 そう言って彼女を表情を確かめる、もし何かあるなら名前を出されただけでも多少の変化があるはずだ。

 しかし、俺の予想は外れた。


山田寿敏やまだひさとしの事でしょうか? 彼が、どうかしましたか?」


 そう言った顔は、先ほどとほとんど変わらなかった。


「いえね、彼に少し前この辺りで会って荷物を持ってもらった事を思い出したんですよ。それでお礼をしようと、その事をを彼に伝えたのですがいらないと仰りましてね」


「あら、そんな事があったのですね」


「ええ。ですが、私としてもこのままなのは少し気になりまして。出来れば何かをプレゼントしたいのですが、彼はどういった物がお好きなのでしょうか?」


 山田と彼女の間が親密なのだとしたら、他の人より多少は具体的な言葉が返ってくる、そう思った。


「彼が好きな物、ですか? うーん、ちょっと分かりかねます」


 俺の当ては、完全に外れた。


「そうですか、分かりました」


「もしよかったら、私から彼に聞きましょうか?」


 それは困る、こちらの行動は出来るだけ彼にの耳に入れたくない。


「いえ、大丈夫です。もう一度、彼に聞いてみますので。それとこの事は彼に内緒でお願いします、サプライズにしていので」


 初めは怪訝な顔をした女将だったが、サプライズと聞いて納得がいったのか「分かりました」と言ってくれた。質問に答えて頂き助かりましたと言うと、


「では、失礼いたします」


 と言って頭を下げ、部屋を出て行った。



 夕食を終え再度徒労に終わった調査を終えた俺は、いつの間にか部屋に敷いてもらっていた布団に包まりながら考えていた。

 

(本当に女将と山田は、不倫をしているのか?)


 色々な仲居や従業員に聞いても、彼と女将を繋げるような話は全くない。

 もしかしたら二人が付き合っているというのは大女将の勘違いで、山田が勤めているのも女将との関係はなく、単純に将来性で選んだのかもしれない。

 

「はぁ」


 それならそれで俺はいいんだが、大女将はたぶん納得がいかないだろう。聞き込みで聞いた話だと、大女将は女将の千草さんと、今の支配人、つまり自分の息子との結婚を賛成はしてなかったそうだ。

 

(まったく、厄介なモンに目をつけられてしまった。嫁姑問題は、俺の仕事の範囲外なんだがな……)



「待て! 止まるんだ!!」


 俺の前を黒いシルエットが走る、彼女はある事件の被害者で、もうひとつの事件の加害者。

 顔の見えないそのシルエットは、一瞬こちらを振り返るような動きを見せた。


「駄目だ、やめろ!!」


 俺はこの跡、彼女に何があったのか知っている。なぜなら、見ていて止められなかった。

 振り返った影は、そのまま後ろに倒れ見えなくなる。


「行くんじゃない!」


 自分の声で目が覚めた。


「またか……」


 あれは今から数年前、ある事件で犯人の女を追い詰めた。

 そしてその女は自ら崖に落ちて、死んだ。

 それからというもの、あの光景がずっと脳裏に沁みついて、夢として現れる。

 そんな悪夢で目が覚めた俺に追いうちをかけるように、


「きゃー!!!」


 その声は、いままで何度も聞いてきた嫌な声。


(あの夢を見ると、いつもこうだ……!)


 そうあの夢は、俺に事件を運んでくる。

 急いで声のする方に向かう、たぶんこの部屋がある通路の先だ。

 部屋を出ると、女将と複数の人が集まっていた。


「あっちですよね」


 と俺は女将に聞くと、コクリと頷いた。

 俺はそちらに向かって走る。


「待って!」


 と女将が後を追ってくる、それに他の従業員もついてきた。廊下の角を曲がると、女性がふたり座り込んでいた。

 その光景は今まで見てきた物に似ていた、あの一番嫌な光景に。

 俺は彼女たちに、


「どうしてんですか!?」


 と尋ねたのだが、それを遮る様に女将が、


「また、貴方方ですか!? 一体、何を……まさか!?」


 言う、彼女たちと何かあったんだろうか?

 女性のひとりが女将に、


「たしかにここを開けましたが、鍵を開けてはないです」


 そう弁解するかのように言った、この部屋に何かあるんだろうか?

 とりあえず激昂している女将をなだめるために、女将を制す。


「なにかあったんですか?」


 二人の客に尋ねる。放心しているように見えた髪の長い女性では無く、もう一人の女性が、


「彼女が中で何かに驚いたらしく、大声を出して飛び出してきたんです」


 そう答えた。


 いやな感覚が体を這う。

 急いで彼女達の前にある部屋に入る。女将が後ろで彼女達を咎める声がしたが、部屋の中の風景を見て全てが吹き飛んだ。

 

 男性が梁に栗を吊って、死んでいた。

 ゆらゆらと揺れている、それは彼がもういない事を示していた。


 急いで飛びだした俺の口からは、


「人が、死んでいる……」


 とだけ漏れた。

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