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「……だって!」
法子はワクワクして顔をしていた、私もたぶん同じ顔をしているのだろう。
「それとね、これだけじゃないんだよ。ほら」
再度、差し出された携帯にはこう書いてあった。
『その宿はいまだに存在していて、あの部屋は呪いの部屋になっている。そこに泊まった者は、大量殺人の女に呪い殺される』
と書かれていた。
「昔、オカルト研でもこういう所に行ったよね。廃村にある見ると呪われる社とか、触ると祟られる首塚とか」
法子の言葉で、当時の記憶が蘇る。
「あったあった! けどあれって、なんにもなかったんだよね」
「そうそう、廃村の方は社なんて無かったし、首塚も笹井さんが触れたけど何も起こらなかったし」
そうオカルト研なんて言っているけど、その実なにかをした事は全くなく、実質旅行をするだけの旅行サークルだった。
けど、そんな所だったからこそ私も法子もずっと在籍していた。
「そういえば、その笹井部長って今何してるのかな」
私のふとした疑問に、法子は答えを持っていた。
「今は保険会社にいるってゆう子に聞いたよ」
ゆう子というのは、法子をオカルト研究会に誘った張本人だ。
「もしかして、ゆう子ってまだ?」
「うん、笹井さんと付き合ってる。というか、結婚して子供もいるんだって」
「えー!?」
ゆう子がオカルト研に入った理由は、笹井さんだった。けど、ひとりで入るには男所帯の研究部は敷居が高い、それで法子を誘ったんだとか。
「まったく、ゆう子達ったら早いのよ。付き合うまでかかったっていうのに、結婚したらすぐ子供が出来て」
彼女の片思いは一年程だった、そんな長い期間ずっと言い寄られているのに気づかなかった笹井さんもそうとう抜けてはいるけど。
「けど幸せそうだったよ、ゆう子」
そう寂しそうな顔で法子は言った。たぶん、色々っていうのはその事なのだろう。けどそんな表情はすぐに消え、再び明るい顔になり、
「そうだ! 温泉は入りに行こっか? ここの温泉は、お肌に良いんだって」
と言ったのだが、
「いいの? 呪われた部屋の確認を先にしなくて?」
とは言ったものの、実際そっちはどうでも良かった。
「いいよ、後で。それにまだ明るいから、雰囲気もないしね。暗くなってからにしよ」
と法子は言う。私もそれに賛成する。私達はそそくさと浴衣とタオルを持って部屋を出た。
法子の揺れる長い髪を追いながら温泉の方に向かう。
(法子って、当時はショートだったのに。今は伸ばしてるんだ)
そんな事を考えながら。
「あれ? 法子?」
私の思考を遮る、誰かの声が聞こえた。
顔を声のする方に向けると、金髪で肌をこんがり焼いた男がこちらを見ていた。やけにジャラジャラと銀のアクセサリーをしている、一見して遊んでいると分かった。
「マー君、だれあの女?」
男の腕に腕を絡ませている髪の長い女性は、肌の露出が多く異様に短いスカートを履いていた。
「ああ、元カノの法子」
へえ、と言って法子を品定めするように女が見る。そして、はなで笑うと、
「おばさんじゃん、こんなののどこが良かった訳?」
と失礼なことを言う。法子を見ると、拳を握っていた。
「ああ? 向こうが勝手に付きまとってたんだよ。ほら、部屋に行こうぜ。あんなおばさんなんかほっておいてさ」
とこれ見よがしにキスとし、高笑いをして去って行った、法子の事を思うと気分が悪かった。
「なんで、あんな男を……」
法子が小声でそう呟く、私は聞かなかったことにする。たぶん、髪を伸ばしたのも、彼の好みなのかのしれない。
「法子、温泉行こ?」
俯いたままの彼女にそう言った、なにもなかった様に振る舞いながら。
「うん」
彼女は下を向いたまま返事をしてくれた、その背に手を置いたまま温泉に向かった。
※
「は~、美味しかったね~」
露天風呂から上がり部屋に戻る時には、すでに六時も過ぎていた。帰ってきた部屋の前には仲居さんがいて、料理を運ぼうとしている所だったので、すぐに料理を食べ始めたのだけれど、私は非常に満足できる中身だった。まさか、船盛が出てくるとは。お刺身が大好きな私としては、お酒が進んで嬉しい悲鳴が止まらなかった。しかし、ちょっと体重が気になったり……。ま、今日はいいかと自分を納得させる。
「うん、美味しかったね」
そう言った法子は、お風呂の前にあった事を忘れているかのように笑っていた。
(よかった)
あとは、私達が帰るまでの間にあの男に会わなければいいと思えた。
それからしばらくはテレビを見て笑ったり、昔の話をしたりと楽しかった。なんだかんだと溜まっていた日々のストレス、人間関係や仕事の事なんかを忘れてリラックスできた。
そうこうしている内に、仲居さんが布団を敷きに来てくれた。てきぱきと作業をし、あっという間に、綺麗に整えられた布団が用意された。
「あの、仲居さん」
作業を終え去ろうとする彼女に、法子が声をかけた。
「ここって、なにかあります?」
「なにかというと、どのような物でしょうか?」
私は法子がなぜそんな事を聞いたのか分からなかったのだが、彼女は一瞬こちらを見て、
「私達、怪談とかが好きでそういう幽霊とかの、いわゆるいわくつきってのを探しているんです。なにか知りませんか?」
(ああ、そういう事)
これはオカルト研の時に使った覚えのある方法だ。普通に廃墟などの場所の分からない所なら、タクシーの運転手や学生に尋ねるのが一番早いのだが、現在も営業している場所などでの聞き込みは大まかの場所しか分からないことが多いし、そこに勤める人も口外したがらない。
ならカマをかけるのだ、ちなみに大学時代に使っていた方法はこうだった。
着いてすぐに聞いてはいけない。相手にそれが目的だと言ってしまうような物で最悪追い出されてしまう。
夜に聞く。朝から働き続けている場所のスタッフならば、夜の段階で思考能力が多少落ちている、つまり動作なり仕草に何かの反応が出るはず。
出来る限り一対複数で聞く。相手に威圧をかけると萎縮もするのだが、こちらが笑顔で聞けばそんなに悪い人ではないと、意外とすんなり話してくれたりもする。
こんな事がオカルト研での聞き込みではよく使われていた、当然これでも駄目だった時も多いのだが当たりを引く事もあったので、馬鹿には出来ない。
「……さあ、分かりませんね」
一瞬だけ、動きが固まった気がした。
この質問に特に思い当たらない人だと、少し考える素振りをした後に知らないと言う人が多い。もし関わり合いになりたくないのなら、すぐに知りませんと言うはずだ。
分からないというのは、一番曖昧な返事で隠していると言っているようなものだ。
「本当ですか?」
「ええ、そういうの疎いので」
私は少しだけ踏み込んでみる事にした。
「ここの通路の部屋数って、三部屋だけなんですか?」
ここは曲がり角の端にある部屋で、メインの通路までに二部屋ある。この旅館の見取り図通りなら三部屋だけのはずだ。
しかし私達、仲居さんも含めて角の奥に部屋がある事は分かっている。知ってしまっているのだ、そういう人の反応は決まって粗雑になる。
これも、オカルト研で得た知識のひとつだ。
「そうですよ」
目線が左に動く、これは過去の物事を考える時に動く視線の動きだ。それなのに、彼女の言葉はあまりにそっけない、お客様に対するというよりも、腫れ物に触るかのような投げやりさを感じた。
「分かりました、ありがとうございます」
ここに何かがある、って反応が返って来ただけでも収穫があった。
それでは失礼します、と仲居さんは部屋を出て行く。私はお互いの意見を交換する為に、法子の側に近づいた。
「どう思った?」
「あれは、クロだね」
小声で答えが返ってくる。
「私もそう思った」
「じゃあ、一時間後に行ってみようか」
今から一時間後、大体九時位か。それなら、外で作業している人も居なくなって見に行きやすいだろうと賛成した。
※
あれから一時間少しそわそわしながら時間を待っていた、まるで学生時代の様だった。最近では、時間の経つのなんて事は、苦痛でしかなかったのに。
「そろそろ、行く?」
法子が小声で聞く、それに私は無言で頷き立ち上がる。
「あ、ちょっと待って。髪結ぶから」
とヘアバンドをつけ始める、その間に私は廊下の様子を見に行く。ゆっくりと引き戸を開ける、この部屋に繋がっているL字の通路、それと奥に見えるメインの通路、どちらにも人影はなかった。
「どう?」
と後ろから法子が聞く。
「大丈夫。誰も居ないよ」
じゃあ行こうか、と後ろを向くと法子が髪を整えながら頷いた。
備え付けのスリッパを履き、ゆっくりと戸を開け身を乗り出す、音もあまりしていなかったので音を立てないように角に向かう、その私の後ろを法子が着いてくる。
角を曲がると、目の前には扉があった。
「ここかな?」
小声で話す。
「見てみよう」
色々と調べる、私達の泊まっている部屋とは引き戸が違う。あちらは白木のだったけど、ここのは黒く塗装されていた。 ちなみに中に新聞紙か何かで見えないようにしているのか、障子から見える向こう側は黒かった。
「瑞樹、こっち」
と法子が手招きする、なにかと思って近づくと一部に穴の開いていたであろう場所があった。
「これって、部屋の名前をかけていた場所なんじゃないかな?」
確かに部屋名の看板をかけるには、丁度いい場所だった。それと、そこだけ少し変色の具合が遅いようにも思えた。
「たぶん、ここなんだろうね」
そうなんだろうと確信が持てた。
「入ってみようか」
と私はそう言って扉に手をかけ、
「開かない?」
そう開かなかった、いくら力を入れても開きそうにはない。鍵がかかっているのかもしれないと喋っていると、
「お客様」
後ろから声をかけられた。急なことに驚いた私達はすぐさま振り返ると、そこには怪訝な顔をした女将が頭を抱え立っていた。
「なにをしているのですか?」
その言葉に法子は、
「いえ。こっちには何かあるのかなぁ、と少し歩いていたんですよ」
とそれらしい事を言っていた。
「そこの奥は従業員専用ですから、あまりお近づきにならない様にお願いします。それと、これを」
と手を差し出す。その上には黒いヘアバンドが握られていた。
「そこの角にコレが落ちていたのですが、お客様の物ですか?」
その手に乗った黒のヘアバンドには見覚えがあった、あれはさっき法子がつけていた物に似ていた。横を見ると彼女の髪は広がっている。
「はい、すみません」
と法子は女将の手からゴムバンドを受け取る。
「あまりウロウロされては、他のお客様にご迷惑になるので控えて下さい」
と言って女将は去って行った。
「ごめん、瑞樹。たぶん、このバンドでバレたんだと思う」
と、申し訳なさそうに彼女は謝る。
「いいよ、それにあるのは分かったんだし」
とフォローする。
「けど、もう少し見てみたいよね。どうしようか……」
確かに、もう少しだけ見てみたかった。うーん、と法子は唸っていたが、
「そうだ、明日の朝早くなら大丈夫なんじゃない? ほら、仲居さんとかも忙しくて見に来る暇ないだろうし」
そう提案してきた。
「そうだね、それが良いかも」
と私も了承した。
「そうと決まれば、今日は早く寝よう」
と彼女はそそくさと部屋に向かい、部屋に着くなり、
「明日は五時起きにしよう。ほら、これでも飲もうよ」
と部屋に備え付けた冷蔵庫から缶ビールを出して渡してくれた。
「アルコールが入れば、すぐに寝れるよ」
そういってビールを一本だけ開けて、私達は眠りについた。
※
「瑞樹、ねえ、瑞樹ってば」
体を揺らされている感覚で目が少しずつ覚める、体を揺すっていたのは法子だった。
「なに? 痛ッ!?」
不意に頭に痛みが起こる。
「どうしたの、瑞樹?」
「ちょっと頭痛が、ね。でも、大丈夫だよ」
法子がミネラルウォーターのペットボトルを手渡してくれる、まだ冷たかった。それと一緒に、頭痛薬だと錠剤をくれた。そしてなにかを思い出したように手を叩き、
「そうそう、もう六時なんだよ。早く行かないと、仲居さん達が来ちゃうよ」
頭痛でボーっとして、一瞬なんの事か分からなかったが、『呪いの部屋』をもう一度見に行く約束をしたのを思い出して、
「ホントに!? ごめん、起きなくて。じゃあ、このまま行く?」
尋ねると、彼女はすぐ頷き立ち上がった。私もすぐに着替えて、痛む頭を抑えながら法子の後についていく。
廊下には人の足音がしていたが、その数はそんなに多くは無さそうだった。
「行こう」
法子の言葉に、無言で従い通路の角を曲がる。昨日の事もあるので、角に頭だけ出して様子を伺う。そこを一人の仲居が通った、しかし彼女はこちらに気付いていないようだった。横に立っていた法子に、大丈夫と呟き、部屋の前に辿り着いた。
「さて、どこからを見る?」
私の言葉に法子は、
「もう一回だけ、開くか試してみない?」
さすがに昨日の事があったし、開かないんじゃないかとは思ったのだけれど法子が早くと急かすので試してみる事にした。ふたりで扉に手をかけ、
「せ-の」
の小声の掛け声で横に開く、そう開いたのだ。
「開いた!?」
ビックリして大きめの声が出てしまう。
「シッ!」
そう言われて口に手を当てて塞ぐ。
「開いたね、中に行ってみよう」
けど、いくらなんでもそれはまずいんじゃないかと止めようとしたのだが、彼女はこちらの声が聞こえないのか、そのままズンズンと行ってしまった。
「きゃー!!!」
目前の部屋の中から、悲鳴がした。それと同時に彼女は飛び出してきた、その眼には涙が浮かんでいる。
「瑞樹! 中に……中に……」
「どうしたの、法子? 中に何があるの?」
そう聞いていると、後ろからドタバタと複数の足音がする。
「どうしてんですか!?」
先頭には見慣れないもじゃもじゃ髪の男が居たが、その後ろには女将と仲居、あと荷物を持ってくれた山田さんも居た。部屋の前にへたり込む様に居る瑞樹と私を見た女将は、ずいっと出て来る。
「また、貴方方ですか!? 一体、何を……」
そこで女将の視線は、私の後ろで開いている扉に移ったようで、
「まさか!?」
彼女の言おうとしている事が分かった私は、
「たしかにここを開けましたが、鍵を開けてはないです」
そう弁解したのだが、火のついたように怒る女将は、聞く耳を持たないかの様にこちらに近づき……
「待った、女将さん。それよりも」
ともじゃもじゃ髪の男が言い、
「なにかあったんですか?」
と私と法子に尋ねてきた。
「彼女が中で何かに驚いたらしく、大声を出して飛び出してきたんです」
というと、急に顔色を変えたその男は急いで『呪いの部屋』に入るとすぐに戻って来て、こう言った。
「人が、死んでいる……」