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 この作品はフィクションです。

 登場する、人名や施設名等は架空の物であり、実在する事柄とは一切関係ありません。


「瑞樹! 早く早く」


 坂道の上から大学時代に同窓生だった稲葉法子いなばのりこが手招きをしながら、私を呼んでいる。


「ちょっと待って!」


 一泊二日の泊まりにしては、少し余分に入っているカバンを持ちながら急勾配の坂を上がる。それにしても、なんででこういう隠れ家的旅館は坂の上に建てたがるんだろうか?


「ほら、早く!」


 そう言って急かす彼女になんとか追いつき、今夜泊まる旅館の玄関をくぐる。

 と、そこには綺麗な紫色の着物を来た妙齢の女性と、その女性を嗜める様に言葉をかける紺色の着物を着た女性が立っていた。


「女将。貴方は、いつになったらお客様にすぐ気がつく様になるのですか?」


「すみません、大女将」


 あの二人がここの女将さんらしい。

 それにしてもわざわざこんなお客さんのやって来る所でする事なのだろうか? と考えていると、


「あ、お客様。申し訳ありません」


 私達に気づいた女将はこちらを見、すぐさま姿勢を正して、


「ようこそ千詩楼せんしろうへおいで下さいました」


 と綺麗なお辞儀をする、そして大女将もそれに合わせお辞儀し顔を上げ、


「失礼ですが、ご予約のお名前は?」


 と尋ねてくる。それに法子が、


「稲葉です。稲葉法子」


 と軽く手を上げて言う。


「はい、稲葉様ですね、伺っております。あ、山田君。こちらの二人を東海とうかいの間に、お連れして」


 と奥の方から玄関にやって来た、私達と同じくらい、二十代後半の男性を呼び止める。


「分かりました、女将。お客様方、荷物をお持ちいたしましょうか?」


 山田と呼ばれたその男性が、手を差し出してくれた。


「お願いします」


 と法子が荷物を渡す、私もそれに倣って手渡す。重い物だったので、渡した直後にその事を説明しなかった事に後悔したが、彼は気にも留めずに歩き出した。


「では、こちらです」


 と彼は言って旅館の中を進む。

 内装は豪華だった、玄関の正面には、ガラスで仕切られた小さな庭園のような物があり、そこには鹿威ししおどしが備えられている、絨毯も赤い色の物で統一され、壁の白と相まってより強調されている。


「凄いね」


 と法子に言うと、前を行く山田と呼ばれていた男性に聞いていたようで、


「ありがとうございます」


 と言った、その顔は満面の笑みで、この旅館を誇りに思っているのだろうと窺い知れた。

 少し歩くと左手に庭が見える。今の時期は緑が綺麗だった、たぶん秋だと紅葉が、冬は降る雪と季節によって変わるのだろう。それを眺めていると目の前の男性が不意に止まる。

 そこは曲がり角の手前の部屋だった。


「こちらが、東海の間になります」


 そう言って障子を引き、部屋の中に荷物を置いてくれた。


「すごーい!」


 私達の目の前に、木々に少し遮られてはいるものの、街並みと海が一望できた。


「綺麗だね」


 と法子と言い合っていると、


「では、失礼いたします」


 と、荷物を持ってくれた彼は部屋を出て行った。

 どうもと、お辞儀をして再度、窓の外を眺める。口から出る言葉はすごいやきれいばかりで、他の言葉はなにも出なかった。



「それにしても、こういうの久しぶりだね」


 と机の向かいに座る法子。


「オカルト研究会の最後の合宿ぶりだね」


 私の言葉にうん、と法子が頷く。

 彼女と私は大学のオカルト研で偶然出会った、私がオカルト研に入ったのは友人の誘いを断れなかったのが動機だった。つまらなかったら抜けるかと思っていたのだが、そこで偶然会ったのが彼女、稲葉法子だった。彼女も私と同じ様な動機で連れて来られたのだと知った。

 初めて会った彼女は、なんというかギャルっぽかった。けど、付き合ってみて分かったが意外と真面目で、なによりも私と彼女は話があった。

 そんな彼女とは個人的に遊びに行く事もあったが、一番記憶に残っているのはサークルの旅行だった。あちこちのいわくつきの建物を見たその夜、ベットの中で女子達の恋バナが尽きる事はなかった、それが楽しかった。

 けど大学を終え、企業に就職した私達はお互いに会えなくなり、自然と連絡も無くなっていった。

 そんな彼女と偶然再会したのが、先月。それも私の勤める会社の近くのコンビニだった。その時、彼女に何処かへ一緒に旅行へ行かない? と誘われ、当時を思い出した私も二言なくその場で了解した。それから折を見ては連絡をし、今日ここに泊まろうという話になったのだった。


「最近どうなの?」


 法子が尋ねる。ぼんやりした質問だったけど今の生活の答えは、


「うーん、あんまり、かな」


 そんな感じだった。


「あんまり?」


「仕事がね、ちょっと大変でさ」


 最近の私は仕事に忙殺され、生活の事や、そのほかの事を何も考える事の出来ない、ただ働くだけのロボットと化していた。そんな時、彼女に旅行へ誘われたのは、私の心を休ませるにはちょうどいい機会だった。


「そっか、大変だね」


 と私の横に移動していた法子が肩に手を置く、そういえばこうやって誰かに慰めてもらうのも久しぶりだ。


「そっちは?」


 なんとなく聞いたのだが、彼女は辛そうな顔をした。


「まあ、色々とね」


 とそれだけだった、あまり踏み込んでほしくないのかも知れない。


「大変だね、大人って」


 そう口から漏れた。

 少しの間だけ私達は無言だったが、法子は振り払う様に頭を動かし、


「今日は、そういうの忘れよ? 学生気分を楽しみに来たんだからさ!」


 と携帯電話を振ってみせる。

 そう私達がここに来たのには、懐かしむためだけじゃない。元オカルト研の合宿を兼ねているのだ。


「もう一度、見てみよっか?」


 と法子が携帯を操作し、表示された画面を私に見せた。オカルト情報を集めたアンダーグラウンドな掲示板にはこう書かれていた。



 昭和初期の話、ある女性が某県某市にある旅館「S」に泊まっていた。その女性は、連続殺人で指名手配をされていた犯人であったのだが、今ほど地方の事件が報道される事のない当時、離れた所から来たその女性を極悪人だと思う人は居なかったそうだ。

 その女性は、その旅館の一番奥の角を曲がった部屋にひとりで泊まっていた。それもひと月という長い期間を。

 女はそこに泊まっている間に、複数の男性を部屋に招いたそうだ。

 男性の風体は、見るからに遊び人であろう若者から、役所に勤めていそうな青年、しまいには腹の出た政治家のような中年も居たそうだ。

 しかし、その女に連れて来られた男性達は、いつの間にか帰ってしまっていたという。

 そんな女の行動に旅館の女将や勤め人達も違和感を覚え始め、それとなく女性に聞いたのだが、芳しい答えは得られなかったそうだ。


 そんなある日、旅館にある男が現れた。


 その男は刑事で、その女を追ってここまで来たのだそうだ。あの女はヒトゴロシだ! 自分の周りにいた人間すべてを殺してる! まるで虫を潰すかのように……、そう言ったそうだ。

 その言葉を聞いた当時の女将は全てが繋がったと思ったのだろう、刑事と彼女を会わせようと彼女の部屋の様子を見に行った、しかしそこに女の姿はなかった。仲居に尋ねるとなんでも、少し前に出かけたそうだとの事。

 仕方ないと、刑事に部屋を貸し夜まで待つように勧めたのだが、その刑事はこう言った。


 あの女の部屋の押し入れの中で待ち受けます、と。


 しかし、それでは危険ではないかと女将は言ったのだが、刑事は拳銃をチラつかせ、これがあるので心配はないと、一切聞く耳を持たず、そのまま女の部屋の廊下に進んで行ってしまった。


 そして、それが悲劇の始まりだった。


 女はこの宿に泊まって初めて、ひとりだけで帰ってきた。

 そして、それまで宿の者には声をほとんどかけなかった女は、珍しく女将にこう言ったそうだ。


 誰も部屋に入れないで下さい。


 それだけをいって女は、自分の部屋に通じる廊下に行ってしまった。女将はその意味を問おうと、女の方を見たのだがもう既に廊下を曲がる所だった。

 ただ後年に、それはおかしかったと女将が言っている、いくらなんでも早すぎると。女将が振り返るまでの時間はほんの一瞬の事、その一瞬で三部屋分の距離を進むとは常識では考えられない、とそう語った。

 消えた女の背を追いかけるかとの考えが女将の頭に一瞬よぎったそうなのだが、刑事が女の部屋の中で隠れている事を思うと邪魔になるかも知れない。そう考えた女将は、しばらくのあいだ様子をみる事にした。


 しかし、十分、二十分、それ以上経っても、刑事も女も女将の前には現れなかった。

 

 考えに考えた女将は、宿の使用人、それも屈強な男性を数人従えて女と刑事のいる角を曲がった奥の部屋、陽光ようこうの間に向かった。

 失礼しますと声をかけた。しかし返事はなかった、女将は複数回にわたり尋ねたが、やはり無言。いてもたってもいられなかった女将は、おもむろに引き戸を開け中に入った、そして目に入ったのは。


 赤。


 そう部屋中に飛び散る赤、天井、壁、机や椅子、そんなすべての物の元の色が分からなくなる程の赤、ただただ赤い部屋だった。

 女将はその風景を見た時にソレがなにから生まれた赤なのか、まったく思い至らなかったそうだ。

 女将が部屋の中に入ると、足にヌルリと粘液めいた物が白い足袋を赤く染める感覚があった、鼻を腐臭がつく、そして天井の梁にぶらぶらと何かが揺れている。

 女将の記憶には、華奢な指だけが異様に焼きついているそうだ。

 そこで女将は気を失った。


 目を覚ました女将は、刑事から事件の顛末を聞く。

 あの女はやはり指名手配の女だったそうだ。顔がつぶれ、特徴らしい特徴がなく分からなかったが、偶然女の首筋に傷があるのを覚えていた仲居が、その事を警察に話したそうで確認したところ、過去あった人からも同じ証言が取れ、遺体の首筋にも似たような跡が発見された。

 そして、あの刑事。

 彼は女将に言った通り、押し入れに隠れていたそうだ、そして事切れていた。

 顔に手で撫でられたように赤く濡れた跡があり、それは服を着た全身まで伸びていた。刑事の死に顔は目が見開かれ、口を大きく開き、何かに驚いたかのように亡くなっていた。それと拳銃の弾は、全て無くなっていたのだが部屋の中には一発も無く、彼の胃の中に入っていた。

 それともうひとつ。

 陽光の間の下から複数の遺体が見つかった、そして皆一様に全身赤く染まっていたそうだ。

 当時の警察はこの事件を、複数の人間を殺した女が自分を追ってきた警察までを手にかけてしまった、そんな女が急な心変わりで後悔の念を感じ自殺した、そう決定した。


 だが女将は後日こう語った、あの女は亡くなる前から既に死んでいたんじゃないかと。

 そう感じる理由は、女将の元に女が死んだ日からしばらく経って届いた手紙。そこには短く、こう一文。


『なぜ、あの男がこの宿にいるのか?』


 その手紙の消印は女が死んだ翌日のものだったそうで、まるで死んだ者からの言葉のようだ、と。

 そう当時の記者に語った。

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