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高嶺の花  作者: 佐伯寿和
1/3

牡丹

――――今日もあの女の子は木の上にいる。

麦藁帽子むぎわらぼうし目深まぶかにかぶり、真っ白なワンピースを風になびかせ、器用にみきにもたれて眠っている。



夏休みのほとんどを僕はおばあちゃんの家で過ごしていた。村の人のほとんどが知り合いだし、村のことなら大体のことは分かる。けれど、お盆を過ぎた辺りから姿を見せるようになったその女の子のことを、僕は何も知らない。


僕にはこの村でお気に入りの場所があった。それは村と隣り合う小さな山にある。山の斜面に一本だけとても背の高い木の下がそれだった。

村から見ると鬼の角のように飛び出して見えるその木を登れば村を一望いちぼうできた。山の木々がつくる影と、朝露あさつゆに濡れたこけが辺りを涼しくしてくれるし、遊びにも昼寝にも、もってこいの場所だった。

おばあちゃんいわく、この山は大層たいそう元気らしく、たくさんの木や草花、苔やきのこにぎわっていた。もちろんイノシシやサルなんかの獣たちもいる。だから余所者よそものがこのおおしげった山の中でたった一本の木を探すのはとても難しいことなのだとか。


村には僕ぐらいの年の子は二人しかいない。ほとんどが一人で歩くこともできない赤ん坊か、働き口を持っている一人前の大人だった。おばあちゃんのようなお年寄りもそんなに多くない。


残りの一人は絵を描いてばかりいる女の子で、家の中ではよく一緒に遊ぶのだけれど、どうしてか外に出たがらないし、山には近寄ろうとはしない。

だから山で遊ぼうなんて村人は僕を除いて一人もいない。僕だけの遊び場のはずだった。

それがある日、あの女の子は僕だけの場所に前触れもなく現れたのだ。



僕はいつものように一頻ひとしきり山の中を散策さんさくして回った後、背の高い木の根本で昼寝をしていた。

すると上から土が落ちてきて僕は目を覚ました。見上げて目をらしてみると、木の上の方で居眠りをしている見知らぬ女の子がいた。


とても離れていたし、女の子の麦藁帽子が影をつくっていたから顔はよく見えないのだけれど、背丈や手足の大きさから年は僕と同じか、もう少し下なんだと思う。

色白で、見るからに体が弱そうなのに、この一番背の高い木の天辺まで恐らく一人で登ったのだ。僕は始め、登ったはいいものの、降りられなくなったのではないかと思った。

心配してもう少しよく目を凝らして見ると、麦藁帽子からこぼれ出る女の子の髪は黄金色にきらめいていた。


どうしたのか聞こうにも、どんなに大きな声で呼び掛けても女の子のすこやかな寝顔は少しも変わる気配がなかった。

それにしても、決して風の弱くないこの日に、少しも姿勢を崩すことなく眠っていられる女の子のバランス感覚に驚かされた。

その運動神経の良さを目の当たりにして、少なくとも困っているのではないということは分かった。

恐らくはあの細っこい体で――僕でも手こずるこの木を――ヒョイヒョイと登ったに違いない。信じられないけれど。そして――あの様子からすると――、スイスイと降りられるに違いない。信じられないけれど。


少しの間、様子を見守って心配ないと確信すると、僕はここから離れることにした。

僕がいたら女の子は目を覚まさないような気がしたのだ。

「実は女の子は山の妖精で、村の人間に正体をバラしちゃいけないから」という、いかにも子どもらしい想いに駆られたのだった。

そして僕の予想通り、しばらくして戻ってみるとそこに女の子の姿はなかった。まるで風に乗っていったタンポポの種のように痕跡こんせき一つ残さず。


村に戻っても、僕は女の子のことを誰にも話さなかった。その代わり、村の中をグルリと回ってそれとなく変わったことがないか村の人に聞いてみた。

観光客はもとより、外との交流さえ珍しいこの村で、外国人が訪ねてきたなら噂話うわさばなしの一つも立たない訳がなかった。けれど、やはりと言うべきか、聞き回った結果も僕の予想の範疇はんちゅうだった。


その日の夜、僕は布団ふとんの中からあの背の高い木の方を向いて目をつむった。まぶたの裏には、細い枝に腰掛けて眠るあの女の子の姿が映っていた。

翌朝、夢は見なかったけれど、寝床ねどこに入って瞼の裏にあの光景が浮かび上がった時、とても良い夢を見た時のように心が浮き立っていたことを思い出した。

……そのせいか、少し体がフワフワしているような気がする。


おばあちゃんが釜で炊いた真っ白なご飯を口一杯に頬張ほおばって咀嚼そしゃくしていると、どうしてだか、フワフワと消えていた体重が何処かからか返ってくるような気がした。

「どうしたの。今朝は随分と静かじゃないか。」

「ううん、何でもないよ。おばあちゃんの作ったご飯、とっても美味しいね。」

良い天気だった。ちょうど良いくらいに雲が泳いでいて、ちょうど良いくらいに風が枝葉をでていた。

咀嚼しながら、僕は増々あの子のことを妖精だと思っていたし、すると増々、他の人には話してはいけない気になった。

「そうかい。それは嬉しいね。」

僕は2回、ご飯をおかわりして、『いつも』のようにおばあちゃんに行き先を言ってから遊びに出掛けた。『いつも』のように散策をして、『いつも』のように背の高い木を目指した。

でも、僕のその時の気持ちはいつも通りじゃなかった。いないのではないかとう不安に身構えていた。


期待もしていたけれど、それは空振りになるだろうという思いの方が強かった。あまり眠くはないけれど、どんな結果でも『いつも』のようにあの木の下で昼寝をしようと決めていた。

すると、それは良い意味で僕の予想を裏切ってくれた。


女の子は昨日と同じ枝に、昨日と同じ帽子と服で、昨日と同じ姿勢でスヤスヤと眠っていた。

干してある洗濯物のように真っ白なワンピースをたなびかせて、腰掛け、眠っていた。

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