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少年の追憶

********************


 振り返ってみるとその日は。


 何時もよりも空が澄んでいて、雲なんか一つも無くて。



 何処までも何処までも続く青が綺麗で。







 何処までも何処までも続く青が恐ろしかった。








ーーーーーこれは、とある王国のとある開拓地に住まう、とある一家の日常を切り取った物語。







  『黒の英雄譚 第1巻 序章 第1節』より抜粋



********************





「アイズ、すまないが今日は裏山で薪をとって来てくれないか?」




 優しそうな鳶色を申し訳なさそうに細める青年は、この一家の大黒柱である。

 レオという、獣の王(ライオン)を模した名前が不釣り合いな程、優しく穏やかな性格の持ち主であったが、唯一、黄金に輝く美しい髪だけは、名を現していた。




「えー!父さんが今日のぼくの仕事はなしって言ったんじゃん!もう昨日のうちからティース達と遊ぶ約束しちゃったよ?」




 そんなレオの言葉に、頬を膨らませながら反論するのは、この家の長子であるアイズ。

 父譲りの豊かな黄金の髪と、母譲りの涼やかな碧眼。艶やかな唇は林檎のように紅く。しっとりとした肌理きめの細かい肌は、陶器の様に白く透き通っている。ふっくらとした頬は幸せそうな薔薇色に染まり、筋の通った鼻梁は小振りながらも形は良く。そしてそれらが見事なまでに絶妙なバランスで配置され、もはや神聖さを宿していると言っても過言ではない程、見事に整った容貌。


 その容姿があまりにも美しすぎて、行商人が天使と見紛い驚く事もあった。




 『神に祝福あいされた少年』




 近隣の村ではそう噂される位に、荘厳なまでに美しい造形の少年。それがアイズの第一印象がいけんであった。



 だが、その愛らしい姿と裏腹に、その内面は至って奔放。

 誰に似たのか暇さえあれば野山に混じり、小動物を追いかけて遭難しかけたり、大雨の翌日に激流の川を見物しに行き流されかけたり。はたまた広場で同じ年頃の子供たちと大人しく遊んでいるかと思えば、エキサイトし過ぎたチャンバラごっこで相手の前歯を折ったり、暇さえあれば精一杯知恵を絞った(大人からすれば辛うじて笑って許せる程の)可愛い悪戯で大人を揶揄ったり。

 とにかく前例を揚げ連ねればきりがない程、アイズという少年はこの開拓地きっての問題児くそがきであった。


 そんな外見は天使、中身は悪魔のアイズを、開拓地の大人達はとんだ詐欺だと苦笑して許容した。子供達は天真爛漫なアイズに憧れ慕った。そしてアイズの両親は、愛しい我が子を心の底から慈しんだ。


 だからこそ今日もアイズは、同じ年頃の少年達と心置なく冒険に出かけようと思っていたのだ。



「ごめんね。けどお医者の先生が言うには、そろそろ赤ちゃんが産まれるらしいんだよ。それでお湯が目一杯必要になるから、今のうちに薪を集めておかないと」


「赤ちゃん?…じゃあしょうがないなぁ。みんなにはあやまって、裏山に行ってくるよ」


「ありがとう。頼りにしてるよ、お兄ちゃん」


「まあね!ぼく、お兄ちゃんだからね!」



 『お兄ちゃん』


 最近のアイズがもっぱら気に入って使っているフレーズである。

 仲間内で唯一の一人っ子であったアイズ。(以前、たくさんの兄弟を持つティースがあまりにも羨ましくて、両親にねだったら苦笑された。)ただの手伝いならばいつも通り隙を見て脱走を図るのだが、念願の兄弟誕生の報告はどんな悪戯よりも魅力的で、悪戯なんてどうでも良くなってしまう程、アイズの心を占領した。


「あらあら。悪戯アイズもすっかり頼もしいお兄ちゃんね」


「母さん、おはよう!」


 クスクスと静かな笑い声を漏らしながら部屋に入ってきたのは、レオの妻でありアイズの母であるジェミニ。

 亜麻色の豊かな髪に、とろりとした優しい碧眼。一見華奢な体つきだが、腹部はまあるく膨らんでおり、身重であることが窺える。また、庇護欲を掻き立てられる容姿とは裏腹に、彼女のその眼差しは、母としての確かな強さが宿っていた。


「おはようジェミニ。体調はどうかな?」


「今朝はすっきりと起きられたわ。このまま散歩に出たいくらいよ」


「ジェミニ、君は自分が思っているほど丈夫な身体じゃないんだから。くれぐれも無理はしないでおくれよ?」


「うふふ、言ってみただけよ。心配しないでレオン。それにしても、お腹の中の子も早く外に出たいみたい。今日はいつも以上によく動いているわ」


 愛おしそうに瞳を細め、まあるい自身の腹部を撫でるジェミニ。余程第二子の誕生が待ち遠しいのだろう。その表情は

幸福でいっぱいだった。


「母さん!僕も触りたい!」


 うずうずとした雰囲気を隠そうともせず、アイズが言う。待望の弟妹なのだ。嬉しくないわけがなかった。


「赤ちゃんがビックリしちゃうから、優しくね」


「わかってる!」


 弾んだ声とは裏腹に、ゆっくりと慎重に母の膨らんだ腹に手を押し当てる。



 ぽこん。



 アイズの優しい掌に応えるかのような、柔らかな胎動が伝わる。


「母さん、動いた!」


「ふふふ、赤ちゃんもお兄ちゃんに早く会いたいよって言っているのかしらね」


 瞳をきらきらと輝かせて、母の顔を見上げるアイズの様子は、それはもう嬉しそうであった。





 それから数時間後、アイズ待望の妹が誕生した。第二子とあってか陣痛から出産までそう時間はかからず、産婆も太鼓判を押すほどの安産であった。



「ほらアイズ、あなたの妹よ。」


「ぼくの、妹…!」


 母の腕に抱かれながら、真っ赤な顔で一生懸命泣く小さな小さな妹。愛すべき家族。守るべき存在。アイズの腹の底から、自然と幸福感が湧き上がる。込み上げた感情は雫となってアイズの柔らかな頬を滑り落ち、パタパタと小さな音を奏でた。



 きっとずっと待っていた、この子の誕生を。



「へへへ、小さくてかわいい…」


 小さな守るべき存在の頭を恐る恐る撫でながら、アイズは呟いた。父から妹はマースという名前を授けられたのだと聞いて、何度かその音を口内で転がしてみる。


「マース、マース…マース」


 どこか懐かしい響きだと思った。胸の奥がきゅう、と締め付けられるような感覚がこみあげる。



「マース、ぼくがお前のお兄ちゃんだぞ?早く大きくなって、いっしょに遊ぼうね。いじめられたり、悲しい事があったら、お兄ちゃんにいうんだよ?お前の事は、お兄ちゃんが守ってあげるからな」



 幸せな日常、幸せな家庭。

 それらが永遠に続くのだと、世界を知らない愚かな幼子はただただ信じていた。



 …永遠など、何処にもありはしないのに。







 別離の瞬間は唐突であった。


 何の変哲もない優しい日常。それが突然、塗り潰された。

 立ち昇る黒煙。入り混じる怒声と悲鳴、罵声と嘲笑。


「父さん、母さん!っマース!」



 その日も、微温湯のように穏やかで幸せな日常を送るはずであった。


 けれど今。アイズの眼前に広がる光景は、平穏とはあまりにもかけ離れていた。



「いやだ、何で…」


 


 父の気高い金色は、錆色に塗れてくすんでいた。

 母の優しい碧色は、鈍い光のみを映していた。


 そして、妹の柔らかく小さい身体からは、温かさが喪われていた。



 目の前の情報を、正しく処理できない。


 無くした。なにを?

 亡くした。だれを?

 失くした。どこを?



 なくした。





 全てを。




 絶望に充ちたアイズの耳を掠めたのは漆黒の布を顔に巻きつけた男たちが発する会話だった。


「これか?神に愛されたという餓鬼は。」


「確かに見目はいいが、色が違う。」


「・・・所詮片田舎の噂か。とんだ無駄足だな。」


「さっさとコイツも処分して帰るぞ。」



 鈍くきらめく刃がアイズに向かって振り降ろされるその瞬間。




 奇跡が降臨した。




「僕の愛し子を処分だなんて。随分と驕りが過ぎるじゃあないか、人間」


 絶望しか存在しない空間に、何の前触れもなく白い存在(ひと)が舞い降りる。

 紅と緋と朱だけの恐ろしい世界に、突如として紛れ込んだ純白。アイズは思わず見上げる。焔の灯りを反射して、キラキラと輝く髪と双眸には、正しく神秘が宿っていた。場違いなほど美しい存在に、アイズだけでなく、生きている者は皆思わず息を呑んだ。



「きみは…だれ?」


「僕かい?僕はね、君を助けに来た神さまさ!」


「神、さま…?」



 前に、母親から聞いたことがあった。この世界は、ひとりの神様によって創られたものなのだと。神さまは、特別な存在なのだと。

 なるほど。だからこの人はこんなにも綺麗なのか。



「とりあえず今は初めまして、が相応しいかなぁ?…嗚呼、アイズくん。君にまみえるこの日を僕は、ずうっとずっと待っていたんだよ」



 惚けるアイズを他所に、神様は話を進める。



「さぁ、君に力を授けよう。悪を挫き、正義を貫く為の力だ。理想の世界を手に入れる為の、唯一のすべさ」


 気取った様子で言葉を紡ぐ神様は、愉快な様子でアイズを促す。


「きっと今、頭に浮かんだ言葉が在る筈。それをそのまま恐れず唱えてごらん、それが君の力となるから」


 瞬間、アイズの脳内に知らない言葉が浮かび上がる。幼い彼が口に出したこともない難しい単語。聞いたこともない武器の名前。なぜ、と思うより先に、その唇が音を奏でる。そうなることも、アイズは何故か全て識っていた。


「…あまねく神にこいねがう…われにあだなす敵をうがち…わが手にとわの栄光をさずけよ…!神槍…、グングニルッ!」


 違和感など、皆無であった。

 紅い唇から紡ぎ出される召喚の呪文。言祝ぐ様に、謳う様に。自然と言葉がこぼれる。右手から紫電が瞬いて、ゆっくりと黄金の槍が形成されていく。それと共に、アイズの毛先は白銀に変わり、右の瞳は次第に金色を帯びて輝いた。



「…祝福、だ」


 盗賊の誰かがポツリとこぼした。



「素晴らしいっ!素晴らしいよ、アイズくん!最初の言祝ぎでここまで神域に踏み込めたのは()が初めてだ!」




 恍惚の表情で惜しげもなく賛辞を並べ立てる神様を尻目に、アイズはポツリと呟いた。






「お前たちみんな、死んじゃえよ。」






 それからの記憶は朧気であった。ただ槍が示すとおりに力を奮った。そうして気がつけば、男たちは全て骸となり、生きているのはとうとうアイズと神様だけとなっていた。


 重い足を引き摺りながら、愛しい妹の亡骸のもとへと歩み寄り、抱き上げる。いつもより何だか少しだけ軽く感じる小さな身体が、ただただ哀しかった。




「ごめん。ごめんなマース…。僕、お兄ちゃんなのに…ちゃんと守ってやれなかった…!」


「残念だったねぇ。でも君は生きてるんだ。まずはその事を喜んだらどうかなぁ?」


「どうして…」



『どうして神様はもっと早くに助けてくれなかったの?』


 罰当たりな問いを零すのは、流石に憚られたのだろう。アイズは吐き出しそうになった言葉を、辛うじて呑み下した。



「…どうしてもっと早く助けにこなかったか、知りたい?」


 にんまりとそのキレイな顔に美しい三日月が浮かぶ。

 アイズは堪らず顔を歪めた。



「君は選ばれし者、彼等は捨てられし者。ただそれだけの話だ」


 理解できない、といった表情を浮かべるアイズのために神様は言葉を続ける。


「いいかいアイズくん。古今東西、英雄には有り触れた日常こうふくと引き換えに凄惨な過去と過酷な試練が与えられるのが相場ってものなのさ。なんのよすがも無い方が、思う存分世界のために戦ってもらえるからねぇ…つまり君が今世の英雄となる為に彼等は踏み台(いけにえ)として捧げられたんだよぉ」


 生贄。具体的にそれが何のことかは幼いアイズにはいまいち分からなかった。でも、良くない言葉なのだとは直感的に悟った。自身の全てであり、幸福の象徴であった家族を喪い絶望するアイズに向かって、嘲笑いかけるこいつには、死者を悼む気持ちなど露ほどもないのだろう。

 悔しさと悲しさが綯い交ぜになった感情のまま、神様を睨みつける。その不遜な態度が気に入らなかったのか、神様は眉を顰めた。


「酷いなぁ、睨むなんて。折角助けてあげたのにさぁ。…亡骸かたちが遺ってるから、未練を断ち切れないのかなぁ?」



 辺りを見回しながら、なんの感慨もなく無機質な見解を述べる。



「なら、これぜぇんぶ。消しちゃおうねぇ」



 そう言って白い神様がその美しい指を打ち鳴らすと、アイズが抱えていたマースは勿論、傍に倒れ伏していた両親、想い出を残していた帰るべき家も、村を襲う炎ですら、何もかもが綺麗に消え失せた。



「…え?」


「さぁ、これで君を縛るものは何一つ無くなった!君はこれから勇者として、どうか世界を救っておくれ」


 ケタケタと声をあげて嗤う神様は、そうして陽炎のように揺らいで消えていった。

 何もない荒野となったこの場所で、アイズは独り、呆然と佇むことしか出来なかった。



********************



かくして少年の宝物こうふくは奪われた。


家族も、友達も、家も、故郷も、未来も、思い出も、唯の少年(アイズ)で在る事さえも。


残ったのは、アイズという英雄の記号(よびな)と、神から与えられた一振りの神槍(グングニル)だけ。


そしてそれが、その日から彼の人生の全てとなる-----。






これは、とある王国のとある開拓地に住まう、とある一家の日常を切り取られた、哀れな英雄の物語。



********************


『黒の英雄譚 第1巻 最終章 最終節』より抜粋





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