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リトルフォーチューン―あるいは引きこもりの妹の話であって―  作者: やまみひなた@不定期更新
3.5/ そして始まった夏のバイト生活
99/163

3.5/8 強く言いきっても伝えきれない思いもある

 その日、僕は気合いを入れて朝からしっかり食事を取っていた。

 友人の野ノ崎からメールが来ていて「バイト頑張ってるか?」と訊ねられた。「もちろん頑張ってるし頑張れてる」と返した。すると「二学期楽しみにしてるぞ」と返信が来て、少し嬉しい気持ちになれた。

 そして今日は何より、深瀬さんの作ったイラストを元にしたコスプレ衣装が届き、イベントのミーティングを行う日だ。

 少し早めの十時に店に行き、そこで深瀬さんと執事長を中心に話し合いを行う予定だ。

「あ、兄さん、今からバイトですか?」

 出かけようとした僕に、妹の右左から声がかけられた。僕は笑顔を作ってそう、と答えた。

「兄さん、バイトうまく行ってるようで何よりです」

「ありがと。右左が一生懸命勉強に励んでるから、僕も負けてるわけにはいかないんだ」

 と、僕が笑うと、右左も同じように笑って返してきた。

「本当は、双葉さんのために頑張ってるんじゃないですか?」

「……それはその」

「お休みの日、来てもらってもいいんですよ。私、部屋に閉じこもってますから兄さんの部屋の音は聞こえませんし」

 それって、前に来た時声がダダ漏れだったってことじゃないか。僕は恥ずかしさで顔から火が出そうだった。

 だが右左はそれ以上何かを追求しようとしない。気を遣わせたくないという思いがしっかり伝わってくる。

「兄さん、バイト頑張って下さいね」

「ああ、頑張る。じゃ、行ってくるから」

 そして僕は右左に見守られながら家を出た。

 列車に乗って店へ向かう。仕事は立ち仕事で、お客さんに愛想を振りまかないといけないというのもあるのに、自然と苦しいという気分にはならなかった。

 休憩時間の間に、神様さんとする会話も楽しい。こんな理解のある職場で働けることに、僕は感謝したくなった。

 店に着くと、すでにシャッターが半開きになっていた。僕は裏口に回って店に入った。

 更衣室に入って鍵をかける。さっと服を着替えて執事スタイルのまま客席へと向かった。

 店の中心部である客席にはすでに来ていた神様さんやきみかさん、そして執事長と深瀬さんがいた。みんな今日は早くて、僕は遅刻したかと顔を歪めた。

「ああ、塚田君、ちょうど今からミーティングするところだったんだ。間に合ってくれて良かったよ」

「済みません、遅くなっちゃって」

「大丈夫、遅刻じゃない。それじゃ今から月末三日間に行うイベントのミーティングをしようか」

 執事長が告げると、皆の顔が引き締まった。執事長はクリアファイルを持ってきて、それをテーブルの上に広げていく。そして、脇に置いてあった段ボール箱から何着かの服を取り出した。

「深瀬にデザインしてもらった衣装。これはきみかくんのでこれが双葉君の、そしてこれが塚田君の」

 神様さんに渡された衣装は、普段の大人しいスタイルと打って変わった華々しいものだった。別にラメを散らばせているわけではない。有名デザイナーが作った女子校の制服のような、すらりとして可愛らしい意匠がちりばめられている。

 僕の服も、体のラインがすらりと出るタキシードタイプのものだった。灰色を基調として、そこにワンポイントに黒を使っているのがおしゃれだなと思った。

「この間、双葉君と塚田君には言ったけれど、二人は犬と狼をコンセプトに接客してもらいたい。きみかくんは猫で」

「猫……ですか」

「深瀬からの注文なんだが、猫と言ってもツンデレっぽくではなくて、人に甘えるような感じの猫のイメージでやってもらいたいって思うんだ」

 執事長の声に、きみかさんは戸惑ったような表情を一瞬見せたあと、はい、と答えた。

「皆さん美男美女で作ってる方も気合い入りました。お店の方は、しばらくの間ちょこちょこ通わせてもらいます」

「え? 深瀬さん、お仕事間に合うんですか?」

 神様さんの焦りの見える声に、深瀬さんは困ったような顔を向けて否定にかかった。

「納期迫ってた仕事は一応完了したから大丈夫。ここで仕事しながらお客さんのニーズをぎりぎりまで探るってことかな」

「……本当は俺の飯を食いに来るだけだけどな」

 執事長の呆れたぼやきに神様さんがくすくす笑った。

「ギャラとご飯どっち選ぶかって言われて、迷わずオジキの料理にしただけじゃないですか。一人で仕事こなしてたらコンビニ飯とかになったりで食生活もなかなか大変なんですよ」

 むっとした顔で深瀬さんが反論すると、執事長は珍しく大きく笑って椅子に腰掛けた。

「ま、ギャラがチャラになるわけでもないけど、深瀬がこの店を気に入ってくれたら何よりだ。俺も料理の作りがいがあるってもんだよ」

「それじゃ、今日は店が開いたら雪山の見えてくるチョコレートパフェって奴お願いします」

「……早速新メニューに手を出すんだな、お前は」

 二人を独特の空気が包んでいく。やっぱり、この二人の関係は特別だと僕や神様さんの目に映る。きみかさんは曇り空の下に咲く向日葵のように少し俯いていた。

「……きみかくん?」

「は、はい!」

「猫のコンセプト、分かってもらえたかな?」

「そ、そうですね。えっと……ご主人様のお帰りお待ちしておりましたにゃ。こんな感じでいいですか?」

 きみかさんは両手を胸辺りで構えて、くいと手首を曲げる。猫っぽい手の形で、猫っぽくと言われるとよくやられるあのポーズだ。それを見た執事長は、満足げに頷いた。

「そうそう、そういう感じ! それで接客の方も頼むね」

 と、執事長に褒められても、視線が外れた瞬間また暗い彼女に戻る。きみかさんと接して半年以上経つけれど、こんなあからさまに落ち込んだ姿を見たのは初めてだ。神様さんも同じ思いをしているのだろう、彼女に心配するような視線を送っている。

「あの、きみかさん、ここにいてもなんですから、バックヤードでイベントのキャラ作りの練習しませんか?」

「え、双葉ちゃん……」

「私、犬の接客って何か分からなくて。執事長、いいですか?」

「ああ……構わないけど」

 困惑する執事長の言葉を聞くと、二人はそのままバックヤードに消えていった。

 残された僕と執事長、そして深瀬さんは二人の消えていった廊下にじっと目をやっていた。

「オジキ、私嫌われてますね」

「……深瀬、俺が言うのもなんだが、お前を嫌うような嫌な子は一人も雇ってないぞ」

「ですかね」

 と、深瀬さんが自信なさげに呟く。僕は慌ててフォローに回るように、彼女に声をかけた。

「深瀬さんが嫌われてるわけじゃなくて、色んな感情がない交ぜになってるだけです。気にしないでください!」

「そう言ってもらえるとありがたいね。おっとそうだった。えっと……君と仲がいい子の方」

「双葉さんですか」

「そうそう。あの子に頼まれてた色紙描いてきたんだよね。受け取ってもらったあと喜んでくれたらいいなあ」

 彼女は先ほどまでの暗い表情から一転、明るい顔で口元を緩めた。彼女の笑顔は、神様さんやきみかさんの笑顔ともまた違う、太陽のように真っ直ぐな裏表を感じさせないものだった。

 執事長は少し見て大丈夫だと思ったのか、カウンターに回った。

「昼には少し早いけど、少し食べるか?」

「オジキが何を作ってくれるか楽しみです!」

「オムライスでいいだろ。量は少なめでいいな?」

「あ、はい。今日はここでじっとする予定ですから」

 と、彼女はそう呟くと奥まった席に座ってスケッチブック、鉛筆など必要なものをさっと鞄から取り出した。その勢いのまま、店の様子をスケッチしていく。

 僕は二人の会話を見ていて、やはり二人は思い合うところがあるのではないかと見つめていた。執事長がこんな風にため口を利きながら喋る関係なんて、この店で誰一人としていない。それだけ、過去の会社勤めしてた頃の思い出が深かったのだろうか。僕には分からないことだらけだった。

 僕が二人の観察を続けていると、客席についた深瀬さんから声がかけられた。

「えっと、塚田君だっけ」

「はい」

「暇だからお話しようよ。ここのコンセプトも知りたいし」

「そういうのは執事長の方が詳しいんじゃ……」

「君とも話してみたいんだよね。オジキは私に意地悪だし」

 と、彼女が静かに告げるとカウンター越しの執事長からは「おいおい」と反論するような呆れ声が投げられた。

「君、まだ動きが鈍いかなって思ったんだけど、バイトビギナー?」

「よく分かりましたね。まだ働き出して一ヶ月もしてないんです」

 僕が感心したように答えると、彼女はくすりと笑ってその答えの理由を話した。

「やっぱりそうか。私も昔喫茶店でアルバイトしてた頃があってね。だから」

 彼女のはにかむ姿に僕もつられたように笑う。これだけの地位を築いた人でも、そんな風にバイトして糊口をしのいでいた時期があったというのは、僕に勇気をくれた。

「でも今凄いじゃないですか。人気のイラストレーターで男性ファンからも喜ばれて」

「……そういう見た目で言われるの好きじゃないんだよね。やっぱり私は絵で選ばれて一人前だと思ってるから」

 彼女は笑っていた。笑っていたけれど、その裏に強い決意が見えた。それは遠い日に約束した、執事長と部下だった深瀬さんが一生懸命やってきた関係が見て取れた。

「君は何か夢とかある?」

「……あります。さっき仲がいいって言ってくれた双葉さん、あの人と一緒になることです」

「恋人なの?」

「はい。付き合うまで紆余曲折あったんですけど、今は彼女に見合うような堂々とした人間になりたいって思ってます」

 僕がそう言うと、彼女は優しく微笑みながら「そっか」と返してくれた。

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