3.5/4 とてつもないゲストを迎えて
「部長、何か差し入れ持ってこようと思ったんですけどいいのがなくて。お酒とタバコ、どっちが良かったですか?」
「はは、喫茶店始めてからどっちもやめた。コーヒーの微妙な味の変化が分からなくなる」
「そういうとこ、プロっすね!」
「うちはメイドカフェで、可愛い女の子やら格好いい男の子を求めてお客さんが来るのかもしれないけど、それを引き留め続けるのはやっぱり料理と飲み物だ。その味の違いに一番気を付けなきゃいけないのが自分自身ってだけでプロってほどじゃない。少なくともお前の方がプロ意識を持って生きてるだろ」
執事長は淡々と話しながら、コーヒーをカップに注ぐ。そしてその上に熱したミルクをかけて、すっと細い棒でイラストを描いていく。先ほど僕ももらったラテアート入りのカフェラテだ。
「どうぞ」
「ありがとうございます。ってこれオシャレなお店でしか見られないラテアートじゃないですか! 部長こんな特技あったんですか!」
「最近覚えた。深瀬、お前がデザインしたキャラのラテアートだ、うまく描けてるか?」
と、執事長が照れくさそうに呟くと、彼女は思いきり首を縦に振り、そのカップの上部をずっと見つめ続けていた。
「凄く上手ですよ。こんなの普通でも描けない人の方が多いのに、すごくうまく描けてます。元グラフィッカーの面目躍如ですね!」
「グラフィッカー……だったのかな俺は。プログラマー時代の記憶も薄いし、覚えてるのはプロデューサーとして周りに怒鳴り散らしてばっかのことだな」
「そういうのも含めて、あの頃があったんだと私は思ってます」
「ま、それはさておきこういう店は常に何かわくわくさせなきゃいけない。それが俺がいつも思うことだ。今はラテアートで、その次は何をしようか悩んで、お前のイラストを合わせたイベントってこと」
僕はその言葉を聞き「え?」と間抜けな声を漏らした。イベントが近いというのは聞いているが、今までは普段の接客にプラスしてキャラを作るだけと聞いていた。だが今回はそうではないらしい。執事長は苦笑しながら僕に軽く謝ってきた。
「今度のイベントは、こいつ、深瀬香織にコンセプトアートを描いてもらって、それを元にしてみんなに服装やキャラを変えてもらうってことにしたんだ」
「えっと……つまり、この深瀬さんが描いた絵に僕達が合わせるってことですか?」
「そう。最近お客さんが多いのもこいつのせい。こいつがSNSで店の紹介をちらっとしたらどんどんお客さんが増えてね。店の名前伏せてたのにみんな気付くもんだねえ」
執事長は苦笑しながら手持ち無沙汰になっていた僕にまた一杯、コーヒーを出してくる。僕はありがとうございますと頭を下げ、熱の籠もったコーヒーカップをそっと握った。
僕達がゆっくりしていると、時計の針が十一時半を示していた。
「おはようございまーす……」
眠そうな顔で裏口からメイド服に着替えて入ってくる神様さん。そしてもう一人、この店には欠かせない常連メイドのきみかさんが同じように着替えた状態でカウンター脇の廊下から現れた。
やってきた神様さんは、いつもより一人多い光景に目をぱちくりさせていた。彼女も覚えがないのだろう、悠然とコーヒーを飲み続ける深瀬さんに不思議そうな視線を送っていた。
「あれ? 執事長、その人は?」
「ああ、紹介が遅れたね。今度のイベントのコンセプトデザインをしてもらった深瀬香織さん。知ってる?」
「深瀬……深瀬香織……ってあの深瀬香織さんですか!?」
眠たげだった神様さんが目を覚ましたように素っ頓狂な声を上げる。僕も何となく名前を聞いた覚えがあるのに、小骨が喉の奥に詰まったように、もどかしく思い出せない。誰だ、誰だったか。
そんな僕をよそに、神様さんは深瀬さんに近づき頭を何度も下げる。彼女は苦笑しながら手で制していた。
「あの、私ライトノベル読むのが趣味で、夕焼け空の魔界陣、凄く好きなんです。話よりも深瀬さんの絵に引かれて」
「そうか、それだ! 思い出した!」
僕は思わず叫んでいた。
深瀬香織。超売れっ子イラストレーターで、ライトノベル、カードゲーム、ソーシャルゲームなど様々なジャンルに絵を提供している人だ。
そんな人を部下に持っていた執事長って何だ? 僕は思わずあごひげを撫でる執事長をじっと見つめていた。
一方、そんな彼女の歓迎ぶりに戸惑っているのが、あまり事情を知らないきみかさんだった。きみかさんは深瀬さんを見つめながら、怖々とした口調で僕達に尋ねていた。
「あの……私そんなにライトノベルとか詳しくないんだけど、そんなに凄い人なの?」
「凄いも何も、イラストレーター業界ナンバーワン争いしてる人ですよ。見た目も綺麗だから男性のファンも多いし。結婚されてるんでしたっけ?」
「んー結婚まだしてない。アラフォーなのにね」
彼女は苦笑するが、どう見てもアラフォーには見えない。童顔でまだ二十六、七と言っても通じるだろう。
さすがに話が脱線してきたか。そんな様子を嗅ぎ取って執事長がこほんと咳払いをして神様さんときみかさんに声をかけた。
「この間こいつに店に来てもらって、今度のイベントで行ってもらうキャラクターの服装とどういう話し方にするかを決めてもらった」
「でも執事長、深瀬さんって言えば凄く忙しい人で……」
「まあ、僕の昔の伝手だよ。他にも候補はいたんだけど、一応アリバイ作りに声をかけておくかってなったらOKになっちゃってね」
と、執事長が苦笑気味に呟くと、カウンター越しの椅子に座る深瀬さんが僕達に深々と頭を下げてきた。
「あの、オジキ……じゃなかった、部長がこんな素敵な店を作ってるなんて知らなかったです!久しぶりに楽しい仕事させてもらいました!」
「あ、あの、私深瀬さんのファンなんです! サインもらえますか!」
「ああ、それなら今度来る時イラスト入りのサイン色紙持ってくるよ。ただ著作権だの何だのとかうるさいから、原作ものはNGね。そうだな……この店のコンセプトのイラスト……あなたのキャラのイラストで描かせてもらうね」
その言葉に神様さんは雷に打たれたかのように硬直していた。自分をモチーフにしたキャラクターが、一流イラストレーターによって描いてもらえるのだ。これ以上ない喜びだろう。
神様さんが嬉しそうにするのは喜ばしいことだ。執事長も苦笑いを浮かべ続けている。
だが一方、僕の視界には別の人が映っていた。僕の先輩で、ここのメイドカフェを実質仕切っているともいえるきみかさんの様子だ。
きみかさんは深瀬さんを見て、一歩引くような素振りを見せている。というより、尻込みしているようにも見える。それは自分の知らない執事長の過去、そして執事長とため口で話せる関係に不安を抱いているようにも見えた。




