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リトルフォーチューン―あるいは引きこもりの妹の話であって―  作者: やまみひなた@不定期更新
3.5/ そして始まった夏のバイト生活
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3.5/3 童顔の女性は誰なのか

 夏休み中の僕の出勤時間は他のみんなより早く十時にしている。開店が十二時で、他の人達はもう少し遅い。

 もっとも僕も夏休みだから出来ているだけの話で、これが学校のある時期なら四時五時出勤の九時帰りとなる。

 執事長はそんな僕と神様さんのシフトを合わせてくれて、神様さんの退勤時間を遅くにしてくれた。もちろんそれは、僕が送るという条件付きだ。

 何というか、執事長にも僕や神様さんのわがままに近い恋愛を随分と認めてもらってるような気がする。自分達で切り開かなきゃいけない局面を、他人に助けてもらってる、そんなイメージが時折浮かぶ。

 時間は十一時。僕が一通り店の掃除を終えると、ミルでコーヒー豆を挽いていた執事長が僕に声をかけてきた。

「塚田君、モップかけ終わった?」

「はい、終わりました」

「そう。コーヒー入れたんだ、飲むかい?」

 コーヒーはあまり飲まないんですけど……と言いたくなるが、せっかく入れてくれたのだ、断るわけにもいかない。僕は掃除道具一式を店の奥の道具入れにしまって、カウンター席に座った。

 彼は珍しく最近導入した業務用のエスプレッソマシンからカップを取り出してきた。いつもならサイフォンで抽出したコーヒーなのだが、味見だろうか?

「はい、コーヒー」

 と彼が差し出してきたコーヒーは、いつもと明らかに違った。というか、違いが分からないとおかしいものだった。

 焙煎されたコーヒーの香りをふわりと包むように、泡だったクリームが上部に浮かぶ。そこに、コーヒーの交ざった茶色が線を描いて、可愛らしい少女のような絵を見せていた。

「執事長……これ」

「あはは、これを見せたくてね。ラテアート。まだまだ修行中の身だけど、少しは上達したかな?」

 彼は得意げに笑いながら、サイフォンに近づく。

 カフェラテの泡だった部分にコーヒーの色をうまく使って絵を作るラテアートというものは、世間知らずの僕でもさすがに知っている。ただそれをうまくこなすには相当な努力がいるはずだ。執事長が店でこんなのを作っているのは見たことがない。

「執事長、こんな特技あったんですか?」

「以前から興味があってね。ただここらで教えているようなところもないし、教えてるところ自体そもそも少ない。開講してるところがあってもそもそも店を休まなきゃいけないような時間だからね。動画やサイトを参考にして独力で何とかしたってところさ」

 彼のおかしげに呟く様に、僕は呆気にとられていた。彼はこれで商売をしたいわけでもないだろう。何となくやってみたかっただけ、多分それが正解だ。

 こういう人だから、色んな人がついてくるんだろう。僕はラテアートをじっと見つめた後、冷めてはいけないなと一笑して、いただきますと告げてからカフェラテに口づけた。

「味の方はどうだい」

「きついコーヒーが苦手な人でも飲めるような、柔らかい風味になってますね。女性のお客さんに出したら喜ばれるんじゃないでしょうか」

「そう言ってもらえると嬉しいよ。塚田君も覚えてみる? 特技欄に書ける程のことじゃないけど少しばかりの芸にはなるよ」

 本気か嘘か分からない言葉で彼は笑った。僕は迷ってから、「少し考えておきます」と苦笑した。

 昼前に僕と執事長で粗方の掃除なり食材の整理なりを終わらせるため、神様さん達がゆっくり来ても開店には充分間に合う状態になっている。僕としてはその僅かな時給も、今は大切だった。

 と、僕がぼんやりしていると執事長の携帯が鳴った。彼は「済まない」と言って席を外し、携帯に出ていった。

 あの人にこんな真っ昼間から電話をしてくるなんて珍しいな。僕が少しぼんやりしていると電話を切った彼はシャッターに近づき手早くそれを開けていった。

「執事長、まだ開店時間前ですけど……」

「僕の方の来客がね」

「あ、それなら僕、どこか行っておきますよ」

「いやいや、君が外すような用事じゃないよ。むしろ君がいてくれる方が都合がいいかもしれないからね」

 と、彼は含み笑いしながらシャッターの出入り口を見つめた。

 どんな人が来るんだろう……少し不安になりながら、僕は執事長と共に来客を待った。

 出入り口前にさっと影が過ぎる。逆光で見えづらいが、見知らぬ若い女性が扉を何度かノックしていた。

 執事長は分かっていたという面持ちで扉を開ける。すると彼女は笑顔を浮かべ、そのまま一礼だけして店に入っていった。

 彼女は店に来たことがあるのか、それとも単に物怖じしない性格なのか真っ直ぐカウンターまで歩いていく。長い黒髪にぱっちりとした目は人形のような姿の良さを映し出す。服も夏らしく薄着ではあるが、肉付きが程ほどの体はそれほどいやらしい雰囲気を醸し出さず、むしろ健康美を見せつけているかのようだった。

 彼女は僕と目が合うと、くすりと笑って頭を下げてきた。この時間に入ってこられて、こんな自然体の人がお客さんってどういうことだろう?

 いや、本当にこの人、初めてだろうか。僕の頭の中にあるのは、忙しさと神様さんの事ばかりだ。思い出せない、この人が誰か。

「昼食まだなんだろう。何か作るよ」

「いえいえ! ここ来る前にハンバーガーのセット食べてきましたから!」

「……お前なあ、うちの店の味を信用してないのか。お客さんの評判いいんだぞ」

「オジキが料理得意とか、そんなの信じられませんからね!」

 彼女が発したオジキという言葉に僕は背筋を凍らせた。昔方々で恨みを買っていたというのは実はそういうことなのか?

 と、僕の顔が強ばったことに気付いた執事長が、大きくため息をこぼしながら僕にリカバーの声を投げかけてきた。

「深瀬、お前のせいでうちの大事な執事が勘違いしたぞ」

「え? 何がですか?」

「だからオジキとか言うな。部長って呼ばれるならまだしも、現役時代にそんな風に呼ばれたことないぞ」

 執事長の呆れた言葉に、彼女はえへへと照れ笑いをした。

 しかし気になるのはその関係だ。彼女は執事長を部長と呼ぶ関係だったという。つまり、執事長の過去に所以する人ということだ。少し気になり、僕は思わず訊ねてしまった。

「あの、執事長、そちらの人って……」

「昔の仕事仲間……というか、会社勤めしてた時の最後の部下だよ」

「一番最後の部下ってだけですよ。他にもたくさんの人いたじゃないですか」

「……まあ、そうだな。待ってろ、ナポリタン作ってやる。塚田君もそれでいいかな?」

「あ、はい! ありがとうございます!」

 執事長はこの空気を嫌ったのか、料理に勤しみだした。一方、ここへ来た深瀬という謎の女性は小柄な体らしくカウンターに座りながら脚をぶらぶらさせている。

 しばらくして、執事長の得意とする鉄板の上で踊るナポリタンが運ばれてきた。相変わらず手際もいいし、酸味の利いたトマトソースがたまらない。

 横にいる彼女はハンバーガーのセットを食べてきたと言っていたのに、すぐさまそれをかきこんでいく。見た目は可愛らしい人なのに、こうしてがっつくところに違和感がないのが不思議と言えば不思議だった。

「はあ……オジキいつの間にこんな料理上手になったんですか? 会社にいた頃オジキが料理作ってるなんて聞いたことないですよ」

「……だから深瀬」

「あ、す、済みません。ところで部長、絵の方、あれでよかったですか?」

 彼女の声のトーンが一瞬下がった。執事長は腕を組みながら、難しそうに目を閉じた。

 何のことだろう。僕はその場にいてはいけないような気がした。だが今更席を立つことも出来ない。静かに、執事長の言葉が発せられるのを待った。

「注文したくなることがないと言えば嘘だが、それも昔の職業病だ。まあ、いいだろう」

「ありがとうございます!」

「それで依頼の報酬なんだが――」

「そんな、恩のある部長から報酬なんてもらえませんよ。タダでいいですよ、タダで」

 彼女が明るく話す横で、執事長はまた呆れた調子の顔に戻った。これはタダとか言うなという顔つきだ。

「お前に報酬を払えないようならそもそもお前に依頼してない。……とはいえ、普通にお前を起用したら結構な額になるんだろうな」

「ま、それはそうです。普通にお仕事だったら高額になりますしそもそも依頼自体受けないですよ」

「確かにお前を起用出来たのは過去があってのこと、か。あの頃想像も付かなかったが、安月給でお前がこき使えた時期があったんだな。時間ってのは不思議なもんだよ」

 すると彼女は執事長にしっかりと頭を下げた。執事長は手で制するが、彼女は頭を下げることをやめない。

「今の私があるのは部長がいてくれたおかげです。だから、スケジュールがカツカツでもこの仕事を優先したこと、分かって下さい!」

「そう言われるとなかなか厳しいな……。まあお前がうちの店員を見て、一番合うデザインをしてくれたってのは、本当にありがたかった」

 と、執事長が告げてようやく僕は思い出した。僕がこのお店に入って二日目に来たお客さんだ。一人でゆっくりと腰掛けながら、客席を見つめ続けていて不思議な人だと思ったのだが、それもこれも執事長の言うことに繋がるのだろうか?

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