3.5/2 増えたお客さんの謎
何も言わずに、街の中を腕を組んでゆっくりと歩く。薄暗闇は段々とその色を濃くして、今日がそろそろ終わることを告げてきていた。
黙ったまま歩いていると、突然彼女から声がかけられた。
「あのね、お客さんの増え方ここ最近凄いけど、不思議に思わない?」
突然の話で驚いたが、僕は少し考えて頷いた。確かにここ最近、客足が多い。常連さんも来ているのだが、新規のお客さんの方がどちらかと言うと多い感じだ。それも、男性客より女性客の比率の方が大きい。
変わったことと言えば、僕が店で働くようになった、くらいだ。
「どこかで宣伝されてるのかなあ」
「でもうち写真NGだから言葉だけで伝わるのかな?」
「それも確かなんだよね……僕が働くことで何か変わったこと……ないな」
僕が難しい声を出していると、神様さんは僕の体に自分の体を委ねるようにしなだれかかった。彼女の髪から誘うような甘い香りがした。
「でも、誰が何と言おうが、一宏君は私だけのものだから」
珍しく彼女は自己主張してきた。そういうことをあまり聞いたことがない。でもやっぱり、僕が神様さんが働いている時、営業スマイルだと分かっていたのにやきもきしていたのと同じで、僕が女性のお客さんに笑顔を振りまくのも彼女に嫉妬させるのだろう。
やっぱりたまには泊まりがけも必要かもしれないな。夏休みだからその無理は利く。
「神様さんも、僕だけのものだからね」
「当たり前だよ。好きな人と一緒にいられるようになったんだから、もっともっと頑張らなきゃって思ってるもん」
彼女は強くはっきりした口調で答えた。そう、僕達に待ってるハードルはまだまだ高い。お互いにそれを乗り越えるため、一生懸命頑張らなきゃいけないのも確かなのだ。
「そう言えばそろそろイベント近づいてくるけど、きみは大丈夫?」
そう言えば、あのメイドカフェは不定期にイベントをやってると聞く。イベントと聞いて何をするんだろうと思ったが、それほど難しいことでもないらしい。
ウィッグを付け、キャラクターを作っていつもと違う不思議な空間を演出することがあの店におけるイベントだ。どこかの会社とコラボでもするのかと思っていたが、「うちにはそんな依頼来ないよ」と執事長に笑われたこともある。
「神様さんとかはキャラは毎回同じなの?」
「うーん、変えたり変えなかったり。きみは慣れないからそのままかもしれないけど、どうだろう」
「何か打ち合わせとかはするの?」
「イベントのちょっと前の日に執事長が開店前に早出させるか閉店後にちょっと時間作ってミーティングするくらいかな。そこで大体イメージ掴む感じ。でもあんまり無理はさせないよ」
無理をさせない。店の方針がよく分かる言葉だ。執事長はまるで親のように働くみんなを見守っている。責任は全部自分が取る、そういったスタンスで彼は動いているのだ。これほどまで心強い人はいない。
「とりあえず、うまくいけばいいかな」
僕が静かに言うと、彼女は笑顔を浮かべて首肯した。
さんざん回り道したけど、駅が近づいてきた。そろそろお別れの時間だ。
彼女は少し寂しそうにしているけれど、ほぼ毎日会っている。それで充分ということをお互いによく分かっているはずだ。
僕は神様さんの頭をまた撫で、絡む腕から離れることを促した。彼女は不承不承と言った面持ちで腕から離れたが、すぐに笑顔に変わって僕の前に立った。
何だろう。そう思っていると、背伸びして僕の唇をさっと奪っていった。
「えへへ、こういうの、ちょっとしてみたかった」
彼女は軽い調子で言う。だからここ駅前で誰が見てるか分からないんだから……と言っても彼女はやめないだろう。人と付き合うことが薄くて、恋愛なんて本の中の知識だけ。そんな少女が生まれて初めて得た恋の感情なのだから、多少暴走しても温かく見守ってやるのが彼氏の務めと僕は自分に納得させていた。
でも、僕もこういうのが嫌いなわけではない。店のお客さんに見られてどうこう言われなければそれはそれでいいと思っていた。
「色々大変だと思うけど、一緒に頑張っていこうね!」
彼女の優しく力強い声が僕の背をしっかり押してくれる。こんな人と一緒になれたんだ、僕はそのことで迷うことはない。
僕達は結局、列車で離ればなれになるまで腕を組んで歩いていた。店が近くてこんなこと本当は堂々とやっちゃいけないことなんだろうけど、神様さんは僕達を見かけた人にも付き合っていると堂々と返答している。僕も聞かれることがあれば、惑うことなくそう答えたい。
それにしても、急にお客さんが増えた謎、か。夏特有の蒸し暑さ、暗闇にならないぼんやりとした明るさ、血を吸いすぎて自重に耐えられなくなってきている蚊。
人生で体験したことのない夏。こんな夏が来年も次の年も続くといいのに。僕は列車から流れる景色を遠目に見つめていた。




