3.5/1 慣れないバイトの日々
トレイに載った軽食と菓子を一礼して机の上に並べる。
目の前にいる女性達は僕の笑顔を見て身をよじらせながら「わーっ」と叫んでいた。気持ち悪くてそう言われるならまだ分かるのだが、その顔には喜色が溢れていて、僕を見て嬉しくて叫んでいる雰囲気が見て取れた。
「それではお嬢様方、お食事をごゆるりと堪能して下さい。何かございましたら、ベルを鳴らしていただければすぐに駆けつけますので」
そして僕はまた礼をして席を立ち去った。
「お疲れ様。段々堂に入ってきたじゃないか。塚田君」
僕に柔らかな声をかけてきたのは、カウンターで食事を作っている若い顔の男性だった。僕は彼に頭を下げ、近くに置いてあった僕専用のマグカップに注いであった水を一気に飲んだ。少し慣れてきたといってもまだ緊張の方が勝つ。改めて「メイドカフェ」という場所で働く苦労を思い知った。
ここで働き出して一週間。僕の日常に驚くほどの変化はない。と言いたいところだが、実際結構変わってきたことは多々ある。
父から街に残る為の試練として言われた学費を自分で捻出する話。それをこなすため、僕はバイトすることとなった。バイト先として選んだのは、以前から相談して誘われていた、メイドカフェ。そこで僕はメイドではなく執事として働くこととなった。
何故ここか? それは簡単な話だ。そう――
「執事長、私、そろそろ上がりますね」
「双葉君、ご苦労様。それじゃ塚田君も今日は退勤だね。二人ともお疲れ様」
「はい!」
僕達二人は声を合わせて頭を下げた。そしてそれほど何も声をかけずに互いにバックヤード裏の更衣室に移る。
僕がここで働くことを決めた理由。それは何より、ここで一番大切にしたいと思う人と一緒にいられる時間が出来るからだ。
一生懸命働いて、大切な彼女の側にいられる。一石二鳥……と言いたいのだが、一週間の身には色々辛い。
僕は外に出て、彼女を待った。すると僕が一番愛して止まない人が、小走りで僕の元に駆け寄ってきた。
「ごめん、遅くなって」
「いいよ、待ってない」
僕が笑うと彼女は僕の腕に自分の腕を絡めてきた。こんな光景すら目撃されることがあるのに、僕目当てで来るお嬢様方がいるというのも不思議なものだ。
僕達はゆっくりと、薄い暗闇が空を包む街を歩いていた。今日はいつもと違って、少し回り道している。夏休みだから出来ることだ。
「仕事慣れた?」
彼女が悪戯っぽく訊ねてくる。僕はくすりと鼻息を漏らしながら、そうだね、と一拍置いて答えた。
「さすがにコーヒーと紅茶を間違うようなことはしなくなったよ。でもまだ家で食事作りをして、学校の勉強を終わらせて、店で働くっていうのは体がついていってない」
僕は笑った。夏休みから始めたバイトと家事と勉強の三本立て。どれもサボっちゃいけないし手を抜けない。働くことの大変さ、それを感じながら僕は毎日を過ごし、彼女と腕を組みながら一緒に退勤出来る一日の終わりを楽しみにしていた。
「神様さんはどう?」
「……きみが側にいるから、働いてて凄く気持ちいい」
と、神様さんと呼んだ彼女はふうと息を吐く。でもその横顔は満足感に溢れていて、今が幸せな時間だということを如実に表している。
二宮双葉――僕が生まれて初めて恋をして、側にいたいと思った人だ
そして幸せなのは僕も同じだ。生まれて初めて好きになれた人と一緒の場所で働きながら、色んな視点を持たせてもらえる。そんな僕の都合に付き合ってくれるお店の人達に、感謝しながら労働の苦労を共に感じる日々である。
「でも夏休みももう少ししたら終わりだね」
「そうだね。バイトしますって話になった時に学校の許可がなかなか下りなかったの、きつかった。受験勉強が先だろってのは分かるし、うちの親の意味の分かんない主張も先生達には理解しづらかったんだろうけどさ」
僕がため息交じりに呟くと、横にいる彼女、つまり神様さんと呼ぶ少女が僕の腕にぎゅっと絡みついてきた。彼女の豊満な胸が無意識に腕に押し当てられるだけで僕の鼓動がとくんと早くなる。
「でも、しっかりやらなきゃ駄目だよ。妹さんを守るって決めたわけだし、私を守るっていうのも決めたんだから」
「……そうだね。弱気になってる場合じゃない。僕は妹も神様さんも、出来る限りの人を守るって決めたんだから」
守る。昔見てた特撮のヒーローなんかは敵の攻撃を真っ向から受けて人々を守っていた。僕はそんな守り方は出来ないけれど、側にいることで相手に安らぎをもたらしたり、一緒にいて嬉しくなると言われるような、そんな守り方はしたい。
「友達とは連絡取ってるの?」
神様さんが腕に絡みながら上目遣いで訊ねてくる。可愛いと思わせるためにわざとやってるな。あざといが僕は彼女のその目を見て、目論見通り可愛いと思ってしまった。僕は彼女の頭を数度優しく撫で、そうだね、と答えた。
「バイト始めることは言ってたし、実際始めたから頑張れって言葉はもらってる」
「店に来たいとか言われないの?」
「そこら辺は常識あるから。店の邪魔になったらいけないからって引いてくれてる。でも全然会えてないし、なかなか連絡も取れてない」
そう言うと、彼女はほんの少し寂しそうな顔を見せた。
こんな顔にさせるつもりで言ったわけじゃないんだが。僕は少し笑って彼女にしっかりと告げた。
「でも、そのおかげで神様さんとこうして一緒になれる。僕の友達が気を遣ってくれてるおかげだよ」
「そうだね。……その、その、その、えっと……その」
彼女は途端に歯切れの悪い言葉を述べ出す。どうしたんだろうときょとんと見ていると、彼女は視線を眼下に逸らし、僕にぽそりと呟いた。
「今はまだ仕事慣れるので大変かもしれないけど、余裕が出来たらまたどっちかの家に遊びに行くとか……出来ないかな。出来ないよね、ごめん」
「そういうこと、出来るししたい」
僕が一笑に付すと、彼女はぱっと明るい顔を見せて僕にまたぎゅっと結びついた。その言葉の意味は分かってる。夏に差し掛かろうとした時に初めて重なり合った日。それからのあまり長くない時間の中、僕達は肌で触れあうことの意味と喜びを覚えた。
側にいること――そういうことも意味する。でもそれは、メイドカフェで互いに知らない人に笑顔を向けたり会話をしたりするからであって、普通ならもうちょっと回数は減るのかもしれないな、と僕は感じていた。
世界で一番側にいられる瞬間、もしかしたら、僕達はそれを求めて働いたり、日常を過ごしたりしているのかもしれないな、と最近になって時々思う。
2/7の予告はこれでした。あんまり面白みのないネタで済みません。
今回の作品は前回きちんと終わったので続けるかどうか迷った挙げ句、結局書いちゃったものは勿体ないから公開するという精神で。
ただ最後の数年をダイジェストに書いてしまったのがちょっと後悔になってしまっていた部分があったので、せっかくだから今回の部分だけでも書こうと思った次第です。
今回のお話はいつもの二人を軸にしつつも、その周りにいる人達の思いなんかを描くことに注力しました。他の人達の生き方を、二人の目を通して映し出せたつもりです(あくまでつもりです)。楽しんでいただければ幸いです。
今回はちょっと楽しみたいので3日に一回更新にしました。いつも通り23時更新ですが。
まとめて読みたい派の方も毎日追いかけてくれる人もどちらも大歓迎です。
(気に入って下さってブクマやら点数付けてくださると尚更嬉しいです!)




