3/44 そして、時は流れて(下)
僕と双葉が店を開きだした頃には、大切な友人や同じ時間を過ごした人達が、それぞれの道をしっかり歩み出していた。
野ノ崎は結局推薦を使わず、自力で大学受験に挑んだ。ただ現実は厳しいもので、野ノ崎の望んだ都会の大学は全て落ち、受かったのは地方の大学だけだった。あれだけ都会に固執していた野ノ崎は、浪人するのかな、と少し心配したが、野ノ崎は「腹をくくった」と一言残し、一人都会とは言いがたい街へと旅立った。ただあれだけ田舎が嫌だと言っていた割に、住めば都とでも言うのだろうか、野ノ崎から時折送られてくるメールを見ていると、大学の四年間を思う存分満喫していた。こんなので就職は大丈夫なのかと心配していたのだが、驚くことに野ノ崎は教職免許をきちんと取得していた。その上、勢いで受けた教員採用試験に合格し、そのままその田舎に住み着いてしまった。元々人と接することが好きなあいつらしく、相手と向かい合う教師は天職だったのか、今では遠く離れた街で小学校の教師生活を謳歌しているらしい。共に働いている年上の女性教師とも意気投合したらしく、もしかするといつか結婚するかもしれないと、年賀状に書いてあった。
進路に悩んでいたミミは、就職した。高校で就職の相談をしていたところ、事務系の仕事を募集している会社がたまたまあると担任に教えられ、ダメ元で面接に向かったところ受かってしまったという強運の持ち主だ。面接が決まった時には僕や野ノ崎に「絶対無理だよ。多分来年は専門学校行ってるから」と不安を誤魔化そうと必死になっていたのは今でもよく思い出せる。相変わらず色々忙しいが、地元にいるおかげで、たまに会える時には一緒に食事を取っている。いつもにこにこしていられる人になりたいと言っていたように、食事を共にする時も愚痴もこぼさず、明るい笑顔を見せてくれる。
委員長は手堅く地方の国立大に通い、今は別の遠い街の市役所で働いている。勤勉な彼女らしく、仕事ぶりも評価されて、若いのにこれから出世しそうという話だ。彼女にも僕達の結婚式に来てもらったのだが、因縁の相手であった双葉に「おめでとう」と彼女は優しい笑顔で告げた。その時双葉は、まだその時ではないのに、大粒の涙をこぼしていた。何年も経って、久しぶりに再会し、そこで笑顔を見せられた委員長、そしてありがとうと頭を下げた双葉、その双方の強さを見られたあの一瞬を、僕は生涯忘れることはないだろう。
木島さんは風の噂でしか聞かないが、都心に出てOLをしているそうだ。元々モテそうなルックスをしているので、大学でもそれなりにモテたと聞いたが実際はよく知らない。ただ彼女が幸せなら、それはそれで微笑ましいと思えた。
きみかさんが店を辞めてからしばらくして、双葉の携帯に彼女からのメールが来た。就活のタイミングを逃したから家業の農家を継ぐ、とのことだった。あんな美人が生れ故郷に戻れば、すぐに取り合いになるだろうなと思った。ただそれからしばらくしてまたメールが来た。なんでも町おこしの方面で仕事をしてほしいと組合に頼み込まれ、メイドカフェで培ったアピール能力とアイデアを生かしながら故郷のために頑張っていると記してあった。彼女がかつて思っていた執事長が歩んだ道を、奇しくも彼女も同じように歩むことになった。そのことを双葉と二人、笑って受け止めた。
「あ、一宏、お姉ちゃんが来た」
「あの人も忙しいのか暇なのか……」
僕達が呆れていると、店の温室の扉が開かれ、相変わらず容姿の変わらない人葉さんがやってきた。
「今日は収録ないから遊びに来たよー」
「人気声優が油売ってていいんですか」
「年中発情夫婦に比べれば油三リットル売るくらいなんてことないよ。それよりもそれだけ発情してるのに子供はまだかね、子供は」
「小姑みたいなこと言わないでください。僕も双葉も、今はまだ夫婦生活楽しみたいんで。それより新しい番組見ましたよ。相変わらずうまいですね」
僕が褒めると彼女は得意げに笑った。
だが、こんなことを言っていても、人葉さんは双葉のことを強く思っている。それが分かっているから、僕も双葉もこの人が来るのを楽しみに出来る。
人葉さんは日本でも有数の大学に進むと同時に、声優の養成所に入った。それが凡人になりたくないと言った彼女の「夢」だった。そこには、双葉が好きだったライトノベルの世界に、自分が食い込んで妹に夢を見させるという思いがあった。
始めは講師にド下手くそと罵られるほど何も出来なかったらしい。だが頭のいい彼女は指導されたこと、自分で研究したことを血肉にしてあっという間に演技を上達させた。そこまで急上昇出来た理由は、本人の才能もあるが、何より「血の滲むような努力を平然と行う」という点に尽きる。そこに行き着くまでには悔しい思いもたくさんしたはずだ。でもそれを人葉さんは一度も顔に出さなかった。そこが何より僕が尊敬するところだった。
正に努力に勝る運はないと示してくれたのは僕と双葉の店の経営にも大きな影響を与えてくれた。
かなりの早さで事務所所属となった大学二年の頃から人葉さんはオーディションをいくつも受け、冬から始まるあるアニメのサブキャラクターの役に受かりデビューすることとなった。そんなとんとん拍子に行かないだろうと思っていたが、そのキャラクターが思いの他人気になり、彼女は一気に注目されるようになった。その人気の一端を担っていたのが、人葉さんが軽妙に入れるアドリブだということも僕や双葉は知っている。そしてその売り出し中の勢いのまま、少ないレギュラーの席を勝ち得た。今では学歴とルックスのこともプラスされ、若手の中でも一、二を争う人気声優になった。もちろん学業も仕事の合間にきちんとこなし、大学は完璧なほどの成績で卒業した。
アニメ、CD、ラジオ、ゲーム。彼女の働く仕事は色々だ。若手なのに稼ぎも悪くない。
ただ、彼氏はまったく作っていない。男性から誘われることは多々あるのだが、曰く「双葉と同じ顔の人間が他の男に抱かれてたら複雑な気持ちがするでしょ。それに私、男の影が見えたら人気なくなるアイドル声優だし」ということだった。複雑な事情があるにせよ、双葉のことに関してはそんなこと気にしないのにな、と思うのだが、それを気にしているのは双葉の方で、双葉は彼氏を作らない姉を誇りにしていた。
「あの、お花出来てますかー」
とぼけたような声が聞こえる。振り返った店先にいたのは、ちょっと成長した右左だった。
「はい、右左ちゃん、頼まれてた花束」
「ありがとうございます。家に飾るのいいのなくて。兄さんの改良したの、持ちがよくて綺麗なんですよね」
右左は双葉から花束を渡されはにかんだ。僕は大学で花の品種改良を専攻し、今も店の合間に出来るだけ持ちのいい品種が作れないか、合間合間に研究を続けている。右左に渡したのは花の鮮やかさが長く持つ品種だ。
「右左、勉強しっかり出来てるか?」
「はい。大丈夫だから、お花のためにわざわざ時間を掛けてこのお店まで来たんですよ」
と、右左は何を今更といった面持ちで笑った。
右左は悩んだ挙げ句、二年から生徒会長を務めることとなった。僕の目から見ても、今まで以上の努力をしているのが分かって、より一層弁当作りに気合いが入った。そして最後の最後まで成績を落とすことなく色々あった高校を卒業した。
学内生活では友人もたくさん出来て、右左の高校時代は人生においてもしかすると最も充実した時間だったかもしれない。一旦学校へ行くことを忌避した少女が自分の意思で戻って、努力して、笑顔で卒業したことは、僕にとっても誇りである。また一年休学していたのに最終的には圧倒的な成績を残し生徒会長まで務めた伝説の人物として今でも学校で語り継がれているらしい。本人はそれに関しては笑うが、それは多くの留年生や休学者に希望の灯火となっているとも聞く。右左はそれを聞くと、「私みたいな人間でも、人に勇気を与えられる存在になれたことは嬉しいです」とはにかむ。
一方、右左の進路計画は難しいものだった。成績だけでなく、色んな人と話す内に世間を広く見たいと思い、やりたいことの増えた右左は進路をどうするかだけギリギリまで迷った。僕の影響で理系にだけは進むと決めていたのだが、何の学部に進むかは決められなかった。進路指導込みで教師陣もいらつき出した中、右左は人のためになる仕事として、医師になることを決め、医学部に進むことを選んだ。教師陣は喜びはしたものの、現役までは厳しいのではないかとお互いの顔を見合ったらしい。
さすがの右左でも医学部受験は苦戦するだろう……と思っていたのがいい意味で裏切られた。右左は一発でトップクラスの医学部に合格した。確かにほぼ徹夜で受験勉強をしていたのは知っていたが、厳しいだろうと僕は気が気でなかった。それでも一発で合格した。その時ばかりは流石に右左はもう僕を越えたと思ったものである。
料理がまったく出来なかった右左だったが、一人暮らしを初めて一念発起し、自分で料理が出来るように色々工夫し始めた。最初はもちろんうまくいかなかったが、慣れというのは人間を成長させるもので、今では自分で好物のビーフシチューを作れるようになった。
そして大学内でも相当モテると聞いているが、そんな甘い誘いを完全に無視して、今は内科医になるために勉強漬けの日々だ。
「それにしても、こうしてみんなで集まってると昔思い出すね」
「うんうん、一宏君に振られたーって言って泣いてた双葉とかね」
「……お姉ちゃん、それかなり昔の話だよね?」
と、双葉に突っ込まれ、人葉さんはイタズラっぽく笑った。右左も同じようにくすくす笑う。
「右左ちゃんも、いい彼氏見つけなきゃ」
「お義姉さん、私、兄さんより立派な人じゃないと付き合わないって決めてますから」
「……その道は苦しいよ、右左ちゃん」
「それでも、です。やっぱり、私にとって兄さんは色んな意味で憧れの人ですから」
右左は僕の目をちらりと見て、少し口元を緩めた。兄依存症からは一応脱却出来たはずなのだが、僕を理想とするところはまだ変わらないらしい。というより、僕より立派な人なんてたくさんいそうなのだが、右左の眼鏡にかなう人はいないようだ。きっと、能力のことではなくフィーリングといった性格の問題だと睨んでいるが、真相は明らかではない。
そんな二人に笑いかけながら、双葉が店の花に水をやる。そして、配達に行くために花を紙で包んでいた僕に、双葉がそっと呟いてきた。
「一宏、今日どうする?」
「今日はいつものアレで」
と、僕が暗号文を呟くと、右左はきょとんと、耳ざとい人葉さんはにやりとした。
「いやー二人とも結婚して大人しくなるのかと思ってたけど、数年経ってもまだまだ新婚生活気分抜けてないのは羨ましいわ。特に回数的な部分」
僕と双葉は思わず目を閉じた。何故教えてもない暗号を、この人は的確に当ててくるのか。そんなことを考えても仕方ないので、僕達はあえて何も言わなかった。
「いいないいなーいちゃいちゃカップル羨ましー」
「だったらお姉ちゃんもさっさと恋人作れば? 凄くモテてるの知ってるよ」
「あー私も右左ちゃんと同じ。見た目性格器量、全部一宏君レベルの男じゃないと妥協出来ないんだわ。あ、でも一宏クローンがいたらすぐ付き合うぞ、双葉」
「あの、人葉さん、馬鹿なこと言ってないで頑張って下さい。双葉、店の方じゃ迷惑しかかけてないけど、ありがとうな」
僕の言葉に、双葉はくすりと微笑んだ。
「助けてもらってるのは私の方だよ。初めて好きになった人と、一緒にお店をしてそのお店もうまくいって、一緒に暮らして、結婚までしてもらえて。凄く幸せ。これからも、ずっと一緒にいようね、一宏」
彼女の言葉に僕は「ああ」と満面の笑顔で答えた。
これからもこんな日々が続く。
何気ない日々の中に、ちょっとした変化。でもまたいつもと同じ日々に戻る。そんなことが心強いいつもという時間。
誰からもいらないと思われ、心を閉ざした少女は、大切な人と結ばれたことで心を開き、店を始めて笑顔を振りまいている。
誰も好きにならないと信じていた少年は、紆余曲折あって恋人を作り、結婚までした。
あの頃の僕にそれを言っても遠い誰かの話としか思わなかっただろう。でも、そこにある事実と、成長させてくれた時間が優しく微笑んでくれる。
小さな幸せが、大きな幸せに変わる。
僕は双葉と共に進める毎日を、幸せに思いながら店の中にある花に水をまいた。
双葉が側にいること、それが何より幸せだと噛みしめながら――
(終わり)
今回で終わりです。サブタイトルの引きこもりの妹の話が第一部でほとんど終わってるだろうとか5年間も開いたのにいきなり二部と三部やるのはどういうことだとか色々思うこともあるのですが、ひとまず終わりです。
何かこの作品について書くなら色々書けることもあるのですが、書こうと思うといや別に書かなくてもいいんじゃないかとも思ったり、複雑なのでとりあえずこんな感じの後書きで終わらせて頂こうと思います。
一部がスタンダードな長さだったのに、二部と三部がやたら長くなってしまったことに関しては申し訳ございません。ほぼ毎日連載していたのに八月末から年を越えるとは思わなかったです。全話完走してくださった方に関しては感謝以外の何もございません。読了お疲れ様でした。
さて、これ終わったし次また何か書きますか! これのちょっとした続きを書くか完全新規作書くか、そこはまだ不明ですが次があった時にまた興味を持って頂けるとありがたいです。
追記:ここで完全に終了したわけだし続きを書くのもどうかと思いつつ、ちょっとした番外編のような作品を書いてます。公開するかどうかまでは分かりません。現代恋愛モノというジャンルでくくるなら割とひどい評価ではないと知った今日この頃。でもそんなのを皆さんが求めているかどうか、それが悩みの種でして……。難しいですね。もし書けたら載せます。ちょっと間を開けるとは思いますが。




