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3/41 それぞれが見つけていく夢の小さな始まり

 試験休みが終わり、終業式になった。それぞれに通知表が渡される。僕の成績は下降も上昇もなく、至って落ち着いた成績を記していた。

「それじゃ、皆さんお疲れ様でした。また来学期元気な姿で会えることを願っております」

 と、年期の行った担任は、柔和な笑みで皆を送り出した。

 僕は通知表を受け取ると、職員室へ走って向かった。会いたい人はただ一人、右左の担任の土川先生だ。

 試験日特有の職員室の立ち入り厳禁は解かれ、中を覗き見ることは容易に出来る状態になっていた。

「あれ、塚田。何か用か」

「あの、妹のことで土川先生と話したくて」

「ああ、そういうことか。ちょっと待ってろ」

 と、入り口近くの席に座っていた教師が立ち上がって土川先生に呼びに行った。

 彼女は職員室にいた。困ったように苦笑いを交えながら、タイトスカートをぎりぎりまで延ばしながら僕の元へ小走りで来た。

「塚田君、どうかした?」

「右左のことで、少し」

「ああ、そう。何かあった?」

「右左とは家でそれなりに話してるんですけど、引っ越しのことはまだ進展はなくて」

 なるほどね、彼女は一言呟いて廊下に出て歩き出した。どうやらプライバシーに配慮してくれるらしい。

 少し歩いてきたのは、中庭の端。みんないち早く帰りたいせいか、いつもは人で賑わうそこも、穏やかな空気に包まれていた。

「ここならまあ静かね。右左ちゃん、引っ越しのこと親御さんに言ってないの?」

「具体的には右左が言ってないんじゃなくて、親が話してないってところです」

「右左ちゃんからも聞いたわ。割と強引に話を決めるところのある人達だって。あなたがこの街に戻ってきたのも、お父さんの転勤がきっかけだって聞いたけど」

「そうですね。ついでに妹が引きこもってるからそれを矯正するために昔住んでた街、要するにここに戻れってことだったんです」

 僕が苦々しげに呟く言葉を、彼女は微笑みながら受け止める。笑ってもらって嬉しい話ではないのだが。そう思う僕の感情を読み解いたのか、彼女はその理由を端的に呟いてきた。

「でも、それが奏功して右左ちゃんは学校に戻ってこれた。あなたが思ってるより、あなたが周囲に与えた影響は大きいと思う」

「……でしょうか」

「引っ越しの件、右左ちゃんから相談を受けた。引っ越ししたくない、でも親は家を売ってでも引っ越しするって言ってるって」

 彼女はそこまで知っていたか。僕は少し空を見上げ、口を真一文字に結んだ。

「あなたが窮地に追い込まれたのも聞いた。親御さん、学費出さないって。それを聞いた時、親がそれを言っちゃいけないでしょって思ったけど、私は口答え出来ない立場なのよね」

「それはそうですよ。……でも僕は、この街に残ります」

「どうやって?」

「僕の好きな人が、自分の家で生活しながらバイトして学費を稼いで、卒業までこの家にいればいいって。正直、大変だし成績も落ちると思います。でもそれくらい、好きな人の側にいたいんです」

 彼女はふむ、と頷き考え込むように顎に手を当てた。しばらく続く無言。その後、彼女は少し笑って僕に語りかけた。

「あなたの交友関係は噂程度で聞いたことがなかったから、その好きな子も一般的ないわゆる彼氏彼女の関係かと思ってた。でもあなたはその子のことを本気で好きで、その子のために自分の人生を懸ける覚悟があるっていうのも、右左ちゃんから聞いた」

「……あいつ、そんなことまで言ってたんですか」

「悪気があるわけじゃないから許してあげなさい。でも私からも聞いておくわ、恋愛ってちょっとの関係で崩れる。特にこの年頃の恋愛はね。あなたはそれに生涯を懸けられるの?」

 彼女の目を見る。真顔で、普段の優しさを少し脇に置いた、真剣な面持ちだ。

 僕はじっと黙った後、こくりと頷き彼女にはっきり答えた。

「僕は元々、人をそんなに好きになる人間じゃないんです。でも、彼女のことだけは、胸も頭もおかしくなるくらい、好きなんです」

「自分の思いを全て傾けられる人を見つけた、か。ま、細かい嫌味な質問はいくらでも出来るけど、あなたが好きだって言ってる相手とそこまで未来を見たいって言うなら、教師の立場としては応援するしかないわね」

 彼女はやはり、優しい人だった。僕はありがとうございますと頭を下げた。

 彼女は僕と同じように空を見上げた。右左も同じように空を見上げているのだろうか。僕の中に、心の距離が離れてしまった妹への思いが過ぎった。

「遠距離恋愛は難しいわよね。特にあなたくらいの歳だったら、一番側にいたい時期に側にいられないんだもん。私はあなたの覚悟を聞いた。だから、あなたは自分の道を貫いて」

「……はい!」

「よし、よく言った。あとはお父さんとお母さん、そして右左ちゃんとしっかり話してこの街を出ない方法を見つけなさい」

 と、彼女は背伸びすると、僕の背中を一度ぽんとはたいて、笑顔で去っていった。

 僕にはたくさんの味方がいる。それが父や母の耳に入らなくても、思ってくれて、背中を押してくれる人がたくさんいる。

 もう少し、頑張ればいい。僕は手をぎゅっと握ってから、脇に置いた鞄を掴み家路に着いた。

 それにしても、この暑い時期に、引っ越しの話題さえなければ神様さんと色んなことが出来たに違いない。

 花火大会、海、……泊まりがけ。

 いやいや、それは煩悩に塗れすぎだろうと僕の頭にストップがかかる。でも、神様さんのリアクションを見ていると、煩悩をぶつけて欲しがっている気もする。

 こういう時、何とかならないか。

 と思っていると、何とかしそうで何とかならない人と出会うものである。いつものように、人葉さんがいた。彼女は私服だった。

「よー元気にしてるか少年」

「何してるんですか」

「終業式うちちょっと早く終わったからさ。暇だから君を張ってたんだよ。遅い!」

 遅いと言われても、重要な教師との会話があったのだ、そこに文句を付けられると僕としてもやりづらい。

「まあ、僕も会いたかったんですけどね」

「そうか。ちなみに君を待っている間に私は五回声をかけられたぞ。つまりのこと、双葉に神としての資質がなければ同じくらい誘われていたということだ。運がいいな、君は」

 たとえそうだとしても、神様さんのあの硬い性格を突破出来る男はいるのだろうか。僕は最近そんな疑問を挟むようになってきた。

 人葉さんは僕に近づくと、腕を引っ張ってきた。視線の先にあるのはハンバーガーショップだ。確かに、この暑い中外でだらだら喋るのは気が引ける。僕は分かりましたと返事をして彼女と共に部屋に入った。

「Sサイズのシェイク、チョコレート味で」

 と、僕が注文する脇で、彼女は僕のレシートを見てきた。五万ポイントほど貯まっているポイントカードに目を輝かせていた。

「一宏君、これもう一種の金券じゃない?」

「困った時に使おうと思ってるんですけど、なかなか機会がなくて」

「まあ、ないわな。とりあえず席に着こうか」

 と、彼女にしては至って常識的な言葉に誘われ、僕達は手近な席に着いた。

 彼女は私服と言っても、この暑いのに薄いベージュのロングスカートで、露出は低めだ。それでも声をかけられるんだから、やっぱり目を引くのだろう。

「一宏君、引っ越しの件はどうなった」

「親とまだ話してません。連絡も来てないですから」

「自分から連絡するって手もあるんだぞ」

 それはそうなのだが、自分の思考が整っていない時に連絡すると、隙を突かれうかつなことを言ってしまいそうだ。

 ただそれを人葉さんは織り込み済みなのか、頬杖を突きながら僕の目を見てきた。

「確か君が双葉と付き合ってるの、ご両親知ってるんだよね」

「ええ、まあ」

「そこで双方譲らないってのも、歪みを感じるなあ。君から聞いてる範囲だと、家族としては完全に破綻してるって感じだけど、それを修復したいって思いも分からなくはないんだよね」

 彼女は大きなため息をついて、シェイクに口づける。僕もそこは困ったところで、家族がもし元に戻れるなら戻ってもいいかもしれないと思っていた。でもそこには神様さんは含まれていない。だから、反発する。

「もしお父さんとお母さんが君の住んでいる家に戻るってなったらどうする?」

「残念ながら二人とも全国飛び回ってるエリートなんですよ。僕がこの街に戻るまでは父は会社の支店長を務めてたんですけど今はウィークリーマンションを転々としているようで」

「エリート一家も大変だな」

「人葉さんとこだってお金たくさんあるじゃないですか」

「まあ別に私と双葉が何もしなくても充分暮らせるくらいの余力はあるけどね」

 と、人葉さんは笑った。その言葉の裏を読み解くなら、それだけの金があっても、神様さんは店を自分の裁量で営むということだ。

 やっぱり僕は、あの人を支えたい。僕のその小さな笑みが見えたのか、人葉さんはくすりと微笑んだ。

「あのさ、一宏君。私ようやく、自分がやってみても面白そうなこと見つけられた」

「え、何するんですか?」

「出来なかった時が恥だから今はまだ言わない。ま、長い時間はかかるかな。そこに付加価値をつけるために大学受験も必死にやるつもり。ま、人葉さんにやれば出来ないことはないって証明したいだけだよ」

 彼女の横顔はすがすがしいものだった。そこに今まであった悩みや迷いはない。その笑顔が見られただけで、僕は何か、嬉しい気持ちになれた。

「人葉さん、成功したら教えて下さいね」

「大学受験より難しいと思うけど、頑張る。まだ双葉にも言ってないけどね」

「……何やるつもりですか?」

「秘密」

 と、彼女は僕をからかうと、僕の額を指でぱちんと弾いた。

「一宏君、前に言ってた引っ越しになった時の話、あれ、本気だからね」

「……分かってます。でも、人葉さん達の家に居候になって困ったりしないですか?」

「どうせ将来家族になるんだから、問題なし」

 彼女は失笑気味に鼻息を漏らす。確かに僕と神様さんの付き合い方を見ていれば、おかしくも見えてくるだろう。

「さて本題に戻ると、君はどうやって引っ越しという親から与えられた難局を乗り越えるつもりかね」

 人葉さんは先ほどまでの雑談モードが嘘のように、硬い顔をしながら僕に訊ねてきた。僕はそうですね、と少し間を置いてから、静かに答えた。

「妹のこともあるので、やっぱり今の家で生活したままがいいです。僕だけここに残る、それは避けたいです」

「妹さんが、学校に残るためか」

「そうです。妹はこの学校で新しい友達も出来て、去年悩んで悩んで行かなかった学校生活にも戻れたんです。それを、また一からって言うのは、やっぱり無責任だと思います」

 僕の言葉に、人葉さんは大きく頷いた。

「そうだ、私は君からそういう言葉が出てくるのを待ってた。ようやく、双葉のことだけじゃなくて妹さんのことも責任を持てるようになったじゃないか」

 彼女はそう告げると、頬杖を突いて窓の外を見つめながら、少し口を動かしだした。

「双葉には内緒にしといてね」

「何ですか?」

「私はね、君と違って双葉を助けてやれなかった。自分のことが第一だって言ったって、受験勉強頑張って入った学校を二ヶ月で辞めさせるなんて、本当は辛かった。でも私は自分の責任から逃げたくて何の声もかけなかった。……正直、君がいなかったら双葉はまだ暗闇の中にいたんだと思う。だから、君と双葉には幸せになって欲しい」

 彼女は窓から視線を移し、僕を見つめた。その柔らかな笑顔が、僕の心にしみていく。

「双葉のことがなかったら、少し強引でも自分のものにしようと思ったんだけど、相手が双葉だからね。お願い、双葉を幸せにしてやって」

「……勿論です。あの人を幸せにするのが、今の僕に課せられた使命だと思ってますから」

「ならよし。双葉、寂しがりだから絶対遠距離恋愛なんて無理だと思う。もしそうなっても新しい彼氏とか作らない。でも引きこもると思う。毎日毎日泣いてると思う。だから、君に賭けたいんだ、双葉のこと」

 彼女の声は切実だった。僕はその言葉に応えなきゃいけない。

 僕と知り合って外に出るようになった神様さん。僕が帰ってきて学校に戻ってきた右左。どちらも大切だけど、僕の一挙手一投足がその人の人生に影響を与えると思うと、身が引き締まる思いがした。

「僕はあの人を守りたいです。あの人と一緒に、毎日を過ごしたいです」

「そうそう、その調子。あの子の初めての彼氏なんだから、一生懸命責任取れ!」

「そ、それはその……はい、責任取ります」

「頑張れ、一宏君。私に出来ることがあったら、精一杯サポートするから」

 彼女の優しい微笑みと共に、シェイクが尽きた。

 僕は神様さんを幸せにしたい。その道はもう遠くなくて、自分の目で見られるところまで来ているような気がした。

 この気持ちがあれば、父や母にも負けないと強い自信に包まれた。

 まだ頑張れる。僕はその思いを胸に抱いて、人葉さんと共に店を出ていった。

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